18終わり、始まり

 涙と血の海に意識を飛ばした俺は、清潔なベッドの上で目覚めた。


 病室は、俺以外の気配がない、ぜいたくな一人部屋。窓を覆ったサッシから、光が差し込んでいる。


 手りゅう弾でやられた左腕と右足には、包帯が巻かれていた。9ミリ弾で貫かれた右手にも、手当てがしてある。恐らく、破片は全て取り除かれている。右腕の静脈には、ご丁寧に点滴までセットされていた。


 恐らくここはノイキンドゥの病室だろう。

 断罪者になって二年。ここまで負傷したのは初めてかも知れない。

 橋頭保でやられたスレインほどじゃないが、処置は大変だったに違いない。フリスベルでは無理だろうから、マロホシか、医術を知ってる下僕の誰かだ。この間の事件でイカれっぷりが露呈したが、それと比例するように、医療の腕もいい。


 まばたきしようとすると、まぶたが引っ付いたように突っ張った。なにかがへばりついている。手でぬぐいたかったが、あいにくと負傷していた。


 どうしようかと思っていると、病室の扉がノックされる。


「入ってくれ」


 俺が答えると、扉が一気にスライドした。


「騎士くん、気が付いたんだ!」


 飾り気のない白のブラウスに、タイトスカートとストッキング、ハイヒール。

 金色の髪は髪飾りでまとめてある。今オフィスから出てきたといった風貌のユエだった。


 ユエは俺のベッドに駆け寄ると、枕元の簡素な椅子に座った。あるのに気付かなかった。


「痛いところない? マロホシは大丈夫だって言ってたけど、あいつ信用できないし。手術にはギニョルも立ち会ったんだけどね」


 この間の人魔の事件を言っているのだろう。あれは、マロホシが初めて明確な形で関わった犯罪だった。合計二十四人もの犠牲を出したにもかかわらず、結局断罪法違反はとれず、日ノ本からの強制送還だけに終わってしまった。


 ユエに会って、思考が回復してきた。


「大丈夫だよ。それより、あれからどうなったんだ。俺は、何日寝てた?」


「騎士くんが寝てたのは、三日だけだよ。それから、事件のことは――」


 ユエが語った概要はこうだ。


 俺と流煌の戦いは、日ノ本お得意の島の伝染病で片づけられた。感染者が暴れたことにされたのだ。銃撃戦を行った感染者を自衛軍が警察署に封じ込め、最後は狙撃で事態を終わらせたと説明された。


 いやにつじつまの合う結末が用意されていたのは、キズアトがこの事態を仕組んでいたからだろうというのが、ユエの見解だ。


「ギニョルとか、テーブルズの人達も、あんまり苦労しなかったみたい。全面戦争になんて、最初からならないようになってたんだと思うよ。フィクスが騎士君を殺してたとしても、そのまま自殺してたみたいだし、同じような言い方で封じ込めたんじゃないかな。もし日ノ本と戦いになったら、困るのはGSUMのキズアトだって同じだからね」


 だとすれば、あのときキズアトの提案に乗らず、俺達全員で流煌を取り押さえることもできたのだろうか。いや、それこそ、俺達が目立って、全面戦争は免れない。それに、例え流煌を生きたまま完全に拘束したところで、キズアトのチャームを解くことは不可能だったのだ。


 やはり、あれが唯一の結末だったのか。


 流煌がキズアトに魅了されて七年。フィクスとして俺の前に現れ、殺人を犯したときから、俺達の結末は決まっていたのか。


 思い出を抱いたまま、殺し合うということが。


 急に黙り込んだ俺を察したのか、ユエも視線を落とした。


「流煌さんのこと……わたし……」


 最後の狙撃を実行したのはユエだ。俺の命を救い、俺に流煌を撃たせなかったとはいえ、恋人を撃ち殺したことには違いない。


 年からいえば、俺が大人。ユエのことは責められない。


「言うなよ。あれ以外なかった。本当は、俺があいつを撃たなきゃならなかった」


 笑顔はうまく作れただろうか。俺の都合を背負ってしまったお姫様の心を、傷つけない程度に。


「騎士くん……でも、その涙……」


 ユエの痛ましい表情で、気づかされた。俺の目にひっついていたのは、流れ出した悲しみの塊。三日間、眠っている間中、俺はずっと、ずっと泣いていたのか。


 女々しいものだと思う。けれどこれが俺のような気もする。


 紛争が始まってから今まで、泣いた記憶はない。

 泣き言を口走った記憶も、なかった。


 それは俺が強かったからじゃない。


 七年前に全てが壊れたことを、受け止めていなかったからだ。痛みを、傷を見て見ぬふりし続けることで、俺は俺を守っていた。皮肉なことだが、少年のままのこの姿も、それを助けてくれていた気がする。


 だが流煌は、死んだのだ。俺の目の前で、全てを変えた銃弾によって。


 もう戻ることは、できない。


 アグロスであろうと、バンギアであろうと、この島を知る誰もが、何度となく自分に言い聞かせた当然の事実。


 痛む右手に力を込める。マロホシに変えられた俺の性質をもってしても、9ミリ弾の貫通した傷は治り切らず、包帯に血がにじみ、激痛が全身をかけめぐる。


「騎士くん、だめだよっ!」


「ほっといてくれ!」


 俺は相当、酷い形相で叫んだのだろう。身をすくめるユエの痛ましい表情で分かる。傷つけてしまった。自己嫌悪があふれだす。


「ほっといてくれよ……もう、もう、なにも戻ってこないんだ。誰も分かってることなのに、俺は、見ないふりをしてただけなんだ……。流煌が死ぬまで、分からなかった。分かろうともしなかったから、断罪者なんて身の程も知らない真似が」


「違う!」


 叫んだユエ自身が、なにより驚いたらしい。思わず口を突いて出たのか。

 確かめるように、言葉をつないでいくユエ。


「……それだけは、違うもん。うまく言えないけど、騎士くんが嘘だったって言っても、私には、ぜったい違うんだから。だって私が頑張ってこられたのは、熱くて、優しい、断罪者の騎士くんが居たからなんだよ」


 ユエの手、銃を取るその手が、俺の右手を包み込む。怒りの衝動が収まっていく、力が抜けていく。


 やはり、小さな手だ。SAAとP220を握っているのが信じられない。支えていないとくずおれてしまうような。


 俺は身体を起こした。両腕は多少痛んだが、関係なかった。


 ユエが俺の腹に顔をうずめる。細い腕が、俺の胴を包んでこわばる。表情は見えないが、震えた声が漏れる。


「お願い、だよっ。騎士くんは、騎士くんで、いてよ。わたし、わたし頑張るから……はじめて、なんだもん。ずっと、そばにいて欲しい、男の人なんて……」


 見上げた顔、揺れる瞳からこぼれる涙。

 俺は左手の先で、珠のような結晶をぬぐう。痛みをこらえて、豊かな金色の髪をなでた。


「騎士、くん……?」


 きょとんとして俺を見上げる無垢な丸い目。


 無防備だ。誰かが守らなければ、壊れてしまうほどに。

 もっとも近くに居る俺が、逃げることを、やめてしまいたくなるくらいに。


「ありがとう、な。俺は大丈夫だよ」


 痛みは消えない。だが、悲しみを抱えて強くなりたいと思えた。


 ユエは俺の言葉の意味を分からなかったらしい。しばらくぼんやりしていたが、やがて一気に顔を崩した。


「騎士くん……よかった……ごめんね、私、流煌さんのこと……」


「いいんだ。いいよ、あれしか、なかったんだから」


 再び俺に伏せったユエ。その背中をなでながら、俺自身にも言い聞かせた。


 しばらく時間が流れた。落ち着いてきたのか、ユエはつぶやく。


「……あーあ。私、お見舞いに来たのか、泣きに来たのか、なんだか分かんないね」


 もう、落ち着いたらしい。

 俺も気づいたことがある。


「いや、もう一つ、俺の足の上のやつで、元気づけに来たのかも知れないぜ」


「いやぁっ!?」


 一気に飛びのき、右手でP220を構えたユエ。左手で必死に胸元を隠している。

俺は両手を上げた。


「おいおい、勘弁してくれよ」


「いや、意味わかんない。なんでそこでエロなの。必要ないでしょ」


 まあその通りだ。


「いやあ、いつも通りってやつさ」


「サイテーだよー。もう、せっかく見直したのに」


 ホルスターに銃を収め、頭を振るユエ。

 俺は笑うと、ため息をついた。


「窓、開けよっか?」


「頼む」


 ユエがサッシを上げてくれる。

 昼の光の中に、ポート・ノゾミの街が浮かび上がる。


 空を飛ぶドラゴンピープル、建設現場で働くゴブリン、ホープレス・ストリートにうごめく有象無象。身を寄せ合うようにして暮らすアグロス人たち。


 俺の受け止めきれなかった全てが、目の前に広がっている。


 流煌が死んでも、法は揺るがない。

 断罪者、丹沢騎士の後任はまだ決まっていない。


「……俺、いつ治るかな。仕事、溜まってるよな」


「ギニョルの話だと、怪我はあと三日ぐらいだってさ。報告書、いるだろうね。まあ、警察署はジグンさんたちが直してる途中だけど」


「そうか。お前はいいのか?」


 ユエはぺろりと舌を出した。


「そうでもないんだよ。今、奴隷商を追ってるところ。キズアトと、ぐるだったらしくて、GSUMとのつながりがないかって」


 ということは、その過程で俺のところに来たのか。ユエが部屋を後にする。


「行くね。仕事終わったら、着替えとかもってまた来るから」


「ああ。しっかりな」


 俺が言えたことでもないかも知れないが。事務処理能力でも銃の腕でも、すでにユエはかなりの領域だ。


 颯爽と去っていく背中を見送り、もう一度外を見る。


 少年と少女のことなど構いもせずに、この島は続いていく。

 俺はやっと、そのことを実感できたのかも知れない。


 だが、そんな島にも法はある。


 流煌を利用したキズアトの奴には、必ず代価を支払ってもらう。

 断罪者、丹沢騎士として。

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