17薄暮に消える


 幸いなこと、流煌には出会わず、屋上にたどりついた。


 俺は階段室の扉から逆側の手すりにもたれ、息を吐く。この位置なら、建物内から狙撃されることもない。


 陽は建物の西向かい、はるか遠くの海の方へ沈みかけている。穏やかな海面が金色に光っていた。


 俺は周囲を見回した。警察署は自衛軍の兵士に完全に包囲され、銃を構えた人波の中に、ぽつぽつと中継車や報道陣が混じっている。さすがに報道ヘリは飛んでない。


 やたら目立つ断罪者のコートを着てこなくて良かった。くだらない連中を無視して、島の景色に目を移す。


 ノイキンドゥのビル群、ホープレス・ストリートのくすんだ建物、いかめしい橋頭堡。そして、二度と空を走ることのない飛行機が横たわるポート・キャンプ。


 ここはやっぱり、もう俺の知っているポート・ノゾミじゃない。

 流煌とともに訪れた場所は、どこにも存在していない。


 俺も流煌も、あのときと同じ姿をしているというのに。


 七年は確実に過ぎたのだ。道は、分かたれてしまった。


 ユエのメモには屋上を目指すよう書かれていただけだった。

 それで一体、どうやって流煌を倒すのか。


 答えはホープレス・ストリートにあった。

 ギーマが死に、バルゴ・ブルヌスが崩壊しても、相変わらず抗争が続く危険なスラム。その建物の屋上で、夕陽を浴びたレンズが反射していた。スレインが運んだのだろう。報道陣の誰も注目していない。キズアトの奴も気づいていないらしい。


「ユエか……」


 黒い街灯とテンガロンハット。狙撃手はクレールでなく、ユエだった。あいつも腕は確かなのだ。まだぎりぎり太陽の見える時間帯で、吸血鬼のクレールでは不利と見たのか。あるいは俺が酒場でこてんぱんにやられた夜、フィクスと交わした約束のせいだろうか。


 やることは決まった。流煌を射線に誘い出す。ただここからだと、階段室が影になる。やはり、扉の方で撃たれる危険を冒して待たなければならない。


「っ……」


 ほぼ片足で、どうにか扉の前まで回り込む。

 スライドを引き、M97の銃身に散弾を装填。

 後は、流煌の出てくるのを待つばかり。


 もう一つの階段室は、手榴弾で崩れて出入りできない。俺の姿は、どうせキズアトの部下の使い魔か何かで映されているに違いない。流煌はこちらの場所を把握しているはずだ。


 夕陽が海にかかる。赤い光、キズアトの奴に魅了された流煌の瞳と同じ光が、辺りを押し包んでいく。


 俺の耳が小さな足音を拾った。気のせいかと思ったが違う。確実に、階段室の中を反響している。


 決着の二文字が駆け巡る。俺の頭は狙撃のことを追い出し始めた。

 俺と流煌。少年と少女の終わりは、せめて俺の手で。


 年だけ大人になっちまったけじめを、自分でつけたい。


 息を呑んで待ち構える俺は、流煌に仕込まれた殺意を軽く見ていた。

 あいつが狙っているのは、相討ちじゃなかった。


 さっきの更衣室といい、俺と一対一で勝負するなんてことはない。


「あ……?」


 足音が急に早まる。からからと何かが転がるような甲高い音。


 一瞬遅れて、目の前の扉が吹き飛んだ。


 俺はとっさに身をかわしたが、左腕にガラスの破片を食らい、屋上の床を転げまわった。


 手榴弾を忘れていた。まさか、最後の階段室を吹き飛ばすことはない。そうやってたかをくくっていた。


 もがきながら開いた薄目。階段室の裏、ちょうどさっき俺が居た場所の手すりに、白い手がかかった。階段を使わず、外壁を伝って登ってきたのだ。


 右手だけでどうにかM97を握り込むのと、流煌が体を引き上げるのは、同時だった。


 銃声。俺のじゃない。

 流煌の右手でハンドガンP220が吠えている。


 俺の右手は、9ミリルガー弾に貫かれてしまっていた。M97が吹っ飛び、頭の後ろでからからと空しい音を立てた。


 前髪が降りて隠れた顔に、真っ赤な夕陽が陰を差す。


 流煌も負傷している。更衣室で俺が撃った左手だ。ブラウスの腹を破って、ぐるぐるに巻きつけて止血しているが、血がにじんでいる。脚にも火傷の痕があるが、手榴弾の爆発だろう。


 動きに支障はないらしい。


 しょせん俺は、キズアトの刺客の敵ではなかったのだ。


 流煌がマガジンを入れ替える。表情を歪めることもなく、赤く染まった左手でマガジンポーチからカートリッジを取り出すと、P220に押し付け、押し込んだ。


 あいつの位置は階段室の陰。せっかくのユエの狙撃も、角度的に建物にはばまれてしまう。俺との距離は十メートルだが、流煌なら頭でも胸でも容易く撃ち抜ける。


 俺は死ぬ。流煌も死ぬ。


 俺達はそれで、終わり。


 その、はずだったのだ。


 飛び散る鮮血のような光の中、流煌がこちらへ近づいてくる。

 顔が上がった。こぼれる涙が、溶けかけた陽に照らされている。


 二人がまだ、少年少女だった頃を思い出させる微笑みが浮かぶ。

 なぜ今、そんな顔をするんだ。キズアトに魅了されてなお、俺に向かって、なぜ。


「騎士くん、私、勝っちゃった。死ぬ前に、騎士くんのこと、殺さなきゃいけない」


 俺の腹に座ると、いつかのように頬をなでる。血染めの包帯が、張り付いた髪をなぞっていく。

 変わらず目を潤ませながら、流煌はキズアトに奪われたときと、同じように微笑んで見せる。


「……私のこと、許してね。ご主人様好きだけど、最後は、最後は騎士君の思い出が欲しい」


 答える間もなく、俺は唇を奪われた。


 触れるだけの口づけだ。だが確かに、俺の中に刻み込まれる。永遠に思える時間。全てが巻き戻るような、流煌の感触。


 唇が離れた。流煌が上体を起こす。


「さよなら……」


 P220の銃口が、俺の胸元へ近づいていく。


 夕陽の中に銃声が響いた。


 俺は真っ赤に染まった。死んでもいないのに。


 流煌の血。ユエの狙撃で胸元を貫かれた流煌の血が、俺を染めている。


 狙撃手の存在に気づいていなかった。最後の最後に俺のことを求めて、安全な位置から外れてしまった。


 陽が海に呑みこまれた。薄暮が辺りを包んでいく。


 音が消えたようだ。痛む両腕に力を込め、俺は亡骸を抱きしめた。


「る、き……ぁ、あぁ……う……」


 七年前に奪われて以来、初めてこぼす涙だった。

 学校に行き、流煌と過ごしていた頃の全てを流し去ってしまうほどに。


 俺の嗚咽は止まらなかった。

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