18魂の樹の下で


 公会の議場を出た俺とユエは、その足でポート・キャンプに向かった。桟橋の並ぶ南岸でバイクを止め、漁師を見つけて渡し賃を払った。


 海に出ると、同じ方向に進む船がいくつか現れる。モーターボートほどのものから、パイロットシップまで。操る者の人種は様々だが、チャーターして乗り込んでいるほとんどの者がエルフだった。


 白い肌に金色の髪、若く秀麗な容姿をしたハイエルフ。金髪に白い肌、美しく整った顔立ちは同じだが一様に十歳くらいの子供姿のローエルフ。そして白に近い銀色の髪に褐色の肌のダークエルフ。


 島中のエルフが集まっているのかと思うほど、その数は多い。


 目的地は分かっている。ポート・ノゾミにとってもそこに暮らす全ての住人にとっても、忘れ難い出来事が作った島を目指しているのだ。


 進むこと一時間。穏やかな水平線にそれは現れた。


 西側に砂浜の海岸を備えた小さな島だ。海岸から先はこんもりと膨らんだ丘になっており、広葉樹が生い茂っている。


 海岸には喫水の浅いボートが数十も停泊しており、エルフ達が林の中に分け入っていくところだった。手前の深みには先客を送ってきた漁船やパイロットシップが停泊している。喫水が深くて浜辺にまでは近づけないのだろうが、波も穏やかで問題ないらしい。


 俺たちの船もそのパイロットシップに交じって止まる。船長はゴムボートを出してくれたので、俺とユエはそこに乗り込んで浜辺を目指した。


 二人の服装は断罪者のコートとポンチョ。赤い竜の刺しゅうこそ目立つが、基本的に黒の制服は喪服としても使うことができる。


 手漕ぎの小さなゴムボートでも問題ないほどに、海は優しかった。ボートで近づくと、浜辺の詳しい姿が見える。


 砂が薄桃色をしている。いや、目を凝らすと確かに見える。あれは砂ではない。すべてが積み重なった花びらなのだ。


 丘に見えるふくらみもまた、同じ色の花びらが積み重なっているだけだ。この島は干からびることも腐敗することもない花びらの堆積で成り立っているのだ。


 ハイエルフの過激な行動派、フェイロンドが掌握した長老会直属の暗殺者集団であるシクル・クナイブ。連中はポート・ノゾミにエルフ流の正義と美を作り出すため、巨海樹という巨大な樹木を島に作った。


 七人だった頃の断罪者と、ザベルも含めた島の住人、そして日ノ本が派遣した自衛軍が必死の戦いを演じ、フリスベルの献身によって樹は花びらとなって散った。


 ここはその花びらが堆積した島なのだ。魔法的に固定した性質の花びらは腐らず、海に積もって種を育て、森をはぐくむ。


 アグロスの製品と技術が同居し、すっかりバンギアの魔力が薄れてきたポート・ノゾミにない、森の清新な魔力が渦巻く島。

 今や人間であるララと協調したバンギアのエルフの森が失った、あらゆるエルフが最も心地よく過ごせる島だ。


 仕事の合間にこの島に渡り、鉄と鉛から逃れて心を洗う一方で。不幸にも長い寿命を使いきれずに死んだエルフは、この島の魔力に還ることになる。


 ザベルもまた、ここに埋められるのだ。


 今日、この日こそが、みまかってしまったザベルとの別れの日なのだ。


 ボートが浜辺に近づいていく。よく見るとエルフ達の合間に、バンギアの人間やゴブリン、吸血鬼と悪魔まで混じっていた。このあたりは店で顔を見たことのある客たちだった。


 ボートを寄せると、弔問客に対応していた子供たちの一人が、浅瀬を歩いてこちらへ来た。


 ドラゴンハーフの男の子だ。遊んだことはないが、酒や果物の入った樽、小麦粉の袋なんかを運び、フォークリフト顔負けに活躍しているのをみたことがある。


 俺とユエが乗ったボートを波打ち際まで引っ張ると、来てくださってありがとうございますの一言を残して次のボートに走っていった。


 思った以上に、ザベルは様々な者達から慕われていたのだ。選挙に出られたことも、適当な対立候補を擁立しようとしたからなんかじゃなかったのだろう。


 丘を登っていく。俺たちの後からも、上陸する者は絶えない。


「あっちで見ない人ばっかりだね」


「ここにはキズアトが関わってないからな。喪主の祐樹先輩もそんなに金も出せないし、みんな自腹で船をやとってきたらしい」


「そこまでして、か。そういえばあの嘘つきのお葬式でも見てない人ばっかりだよ」


 ギニョルが俺とユエに休みをくれたのは、最後の別れに参列させるためだ。


 嘘と侮辱に満ちたザベルの葬儀は三日前に盛大に行われていた。花で飾られた棺は住人たちの熱狂の中、ポートキャンプとホープ・ストリート、ホープレス・ストリートを一日中引き回された。計画し費用を出したのはキズアトとマロホシ。連中が島の味方を気取っている以上、謎の敵に撃たれたザベルは民主主義の基礎固めのために犠牲になった英雄というわけだ。


 人形のように感情を失くした子供たちを並ばせ、表情のない祐樹先輩を後目にしながら、キズアトとマロホシは観衆に対して弔辞を読み上げた。


 いわく、故人がどれだけ誠実に政治を志していたか。

 ショッピングモールの建設につき、自分たちの気づかなかった環境保護の視点を与えてくれたこと。

 アグロスの人間である祐樹先輩を妻にして、身寄りのない子供たちを守り育ててきた行為がどれだけ気高かったか。


 謙虚に反省し、功績をたたえるキズアトの姿は、誠実な為政者そのもの。ザベルを撃った狙撃手との関連性など誰も疑わないだろう。


 殺すほど邪魔にしていた相手でも、殺した後はその死を利用し尽くす。死の意味すら連中の望みの前には歪められる。


 あんな恐ろしい光景はたくさんだ。キズアトとマロホシがテーブルズに入り込めば、島のあらゆる死があんな風に作り変えられてしまうのだろう。


 断罪者として参列はしたが、悪夢の様だった。


 林を構成した木々が優しく花を咲かせ続けている。魔力をうっすらと感じ、ぼんやり見ることのできる俺でも、ここの雰囲気が悪夢を癒してくれるのは分かる。エルフ達にとっては大切な場所だろう。


「落ち着いて眠れそうだよね、ここなら……」


 ユエがしみじみと頭上を見上げた。まったくの魔力不能者でもこのやさしさが理解できるのだろうか。いや、魔力があるとかないとか関係なく、感じ取ることのできるものがあるのだ。


 埋葬場所に着いた。少しやつれた祐樹先輩と子供たちが、バスケットに集めた花々を訪れる人に配っている。銀色の髪と、少ししわの目立つ男のハイエルフがその隣に立って、きてくれた者の手を握り、礼を述べていた。


 俺は祐樹先輩から花を受け取った。


「忙しいのにごめんね……休みが取れたの」


「いえ。申し訳ありませんでした」


 先輩は紛争で両親と友人を失っている。ザベルの妻になり、やっと自分の家庭が持てるかと思った矢先にこれだ。


 ユエと暮らす今は、その痛みがどれほどかありありと想像できる。言葉が出て来ない俺に、先輩は微笑みかけてくれた。


「……謝ったりしないで。子供たちも覚悟してたし、あの人はこうなることも考えてた。お義父さんも来てくれたの。島のことは嫌ってたけど、予感がしたからって」


 子供たちに交じって応対しているあのダークエルフは、ザベルが爺さんと呼んでいた父親らしい。すべてのエルフは長命だ。八百年が平均寿命で、ザベルの年も四百歳前くらいだったから、あの人も六百歳くらいだろうか。あのレグリムと同年代だろう。渋い魅力がある。


 花を受け取った俺とユエは、埋葬されるザベルの棺に向かった。


 

 バンギアの葬儀はメリゴンで一般的な棺に入れての土葬だ。簡素な十字架を立てた墓に、故人の遺体を棺に入れて埋める。

 エルフ達にもその傾向はあり、深い森の奥、静かで優しい魔力の中に埋めて自然に還すという。


 ザベルが身を横たえているのは棺というより花かごのようだ。自腹でやってきた数百人が受け取った花をかざったことで、まるで花の海に沈んでいくように見える。

 魔法によって腐敗が止められ、死に化粧が施された秀麗で穏やかな顔は今にも立ちあがって俺の肩を叩きそうだ。


 対物ライフルで吹き飛んだ半身も、花の飾りが優しく隠し通している。

 苦痛や残虐とは無縁の世界にザベルは居る。それは今生きている世界と完全に分かたれたということだ。


 俺はユエと花を捧げた。二度と動かない体と、俺を子ども扱いして世話を焼くこともない人の棺に。


「騎士くん……? 大丈夫」


「なんだ」


 ユエは振り向いた俺の顔をじっと見つめる。痛ましい表情に染まっている。


 顔。俺の顔がどうしたというんだろう。触れてみると、両方の頬に涙が流れていた。


 乱暴にぬぐう。止まらない。目の前で狙撃されたときは、冷静になれたはずなのに。キズアトが催した葬儀でも、断罪者として俺自身を守り通したはずなのに。


「いや、これはっ……ッ、く」


 駄目だ。止まらない。嗚咽が出そうになったところで、ユエが俺を抱きしめた。


「失礼します……」


 断罪者の顔は有名だ。会釈をしながら棺を離れ、林の中へと戻る。ワジグルやニヴィアノ、先輩や子供たちから離れると、俺は涙を流し始めた。


「……ごめんね騎士くん。君がどれだけ優しいか、私分かってなかった。流煌さんのときも、本当に苦しかったんだもんね」


「いい、んだ。俺、お、れ……」


 言葉にならない。悲しみが強すぎる子供が、泣き始めるなりせき込んで何も言えなくなるあの状態だ。二十三にもなろうかという男が。ザベルの最も近くに居て守ることができなかった男が。


 ユエは何も言わなかった。林の陰で俺を抱きしめると、強く締め付ける。ブラウスに涙と鼻水がつくのも構わない。すっぱりと切り抜かれた悲しみが、言葉になってあふれてくる。


「……ザベルが、居たから、俺は、生き残れたんだ。止めて、おくんだった。こんなことになるんなら、断罪者の俺たちが逃げるしかない相手に、関わらせるんじゃ、なかった」


 ギニョルは俺たちが逃げることを許した。スレイン達が行方知れずになり、三人に減った俺たちは巧妙に殺されてしまうと確信したからだ。法と秩序を壊そうという奴らが、たとえ何者であっても一切引き下がらなかった断罪者が、負けを認めてしまった。


 ザベルは、そんな俺たちを信じたからこそ、キズアトやマロホシと選挙で戦うために立ったというのに。


 俺は守れなかったのだ。事実が鋭い刃になって心の奥に突き刺さる。


 あまりに情けないが、ユエにも慰める言葉はないのだろう。互いに何も言わなかったが、棺の方で雑談が収まった。


「騎士くん、埋葬が始まるみたいだよ」


 現実が戻ってくる。俺は涙をぬぐうと、参列することにした。


 若いながらも、ワジグルが典礼用のコートを着込み、香炉を持つ。祐樹先輩も、子供たちも、ニヴィアノやエルフ達も俺とユエも両手を組んで祈りを捧げる。


 花かごの棺に眠るザベルの頭上で香炉を振りながら、ワジグルが聖句を唱える。


「死は生へ、生は死へ。魂は自然の円環へ。森よ、森よ、清らで静謐なあなたのもとに我らの仲間を捧げん。“命刈る風”を懐に抱き、新たな春に柔らかな若芽とせんことを」


 香炉の煙に反応したのか、ザベルを置いた周囲の花びらが淡い魔力を放ち始める。捧げられた花々が新たな芽吹きを起こし、ザベルの体を覆い尽くしていく。


 花びらの地面がゆっくりと地への道を開け、ザベルの体が棺ごと飲み込まれていく。


 体が見えなくなる、棺も樹木に覆われていく。沈んでいく花びらの中から何本もの若木が立ち上がり、樹幹の青空に向かって突き進んでいく。


 柔らかい緑色をした小さな葉が茂る。若葉は大きく広がり、艶めいた表に陽の光を浴びる。枝の先に花々がふくらむ。


 ザベルの姿は見えなくなった。

 いや、芽吹き、育ち、茂っては咲いていく森の円環の中に俺の師の魂は漂っているのだ。


「せんせいの樹……優しい樹だね……」


 子供たちの一人がつぶやく。ザベルの父親が静かな表情で樹を見上げる。鮮やかな青空と繁茂した分厚い葉、咲き誇る花々に悲しみは似合わない。


 祐樹先輩は眼鏡を外して、一筋流れる涙をぬぐう。悲しみの最後のひとかけらをぬぐってこの先へ踏み出す決意を固める様に。


 ザベルは鉄と火で死んだが、その魂は汚されてなどいない。すべてのエルフにとっての根源、森の自然へ還っていっただけだ。


 従者がワジグルから香炉を預かり、典礼用の衣装を脱がせていく。こういう儀式はこの島に還った元長老会のレグリムの仕事だろうが、若いワジグルもまた見事にこなした。


 儀式はこれで全てらしい。フェイロンドとレグリムとフリスベルが願いを込めた新たなエルフの森は、その懐にザベルの魂を受け入れたのだ。


 だが客たちは帰ろうとしない。全員が取り巻いて見つめるのは祐樹先輩の方だった。子供たちもザベルの父親もそちらを見つめている。


 ワジグルが歩み寄り、ザベルの魂を受け入れた樹の前で先輩に右手を差し出した。


「……お約束の期限です。出馬を受けていただけますでしょうか」


 差し出した手。すでに涙や恐怖を振り切った先輩は、しっかりとその手を握った。


「主人の代わりに、力を尽くさせていただきます」


 選挙の出馬、まだ募集している新たな立候補者。


 根耳に水。先輩はザベルの意志を継ごうというのだ。

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