19人間、笹本祐紀

 祐樹先輩の立候補について、知らないのは俺とユエばかりだった。


 キズアトとマロホシであっても断罪者を四人落とせば油断するらしい。


 どうせ自分たちが勝つ選挙だと考えて、その継続だけを注視し、テーブルズの四人による修正を止めなかった。


 すなわち、選挙期間中の新たな立候補者の受付だ。この短期間に、圧倒的な支持を誇る自分たちを脅かす候補など決して現れないと決めてかかったのだ。


 ワジグルとギニョル、それにヤタガゥンとマヤは、狙撃で死んだザベルの人気と能力を継ぎ自分たちの味方になる候補者を擁立しようと考えていた。


 その白羽の矢が、祐樹先輩に立っていたのだ。


 あの嘘っぱちの葬儀の前に、すでにワジグルがエルフの総意として祐樹先輩に立候補を打診していた。先輩はその返事を俺とユエが立ち会ったザベルの埋葬が終わるまで保留し、期限を迎えて受け入れたのだった。


 先輩の経歴は高校卒業間際に紛争に巻き込まれ、その後はザベルの妻になって食堂と孤児院を運営してきたことだけだ。しかし、ザベルから片時も離れず、応援演説や選挙運動についても、きっちりこなしていた。


 それにザベルが少しずつ手を出していた飲食店組合の活動や、環境問題の調査に当たっては実地の交渉も任されていたという。


 ザベルの陰には隠れていたが、優秀な能力があるらしい。


 そういえば紛争の前まだ軽音部に居た頃も、飛びぬけて頭が良かった。理系の流煌が苦手な世界史や古典、漢文、現代文については俺もよく教えてもらっていた。


これだと俺の頭が悪いみたいだ。


 しかし、海千山千の政治の世界だ。曲がりなりにも日ノ本の首相の息子までが陥れられて地位を追われ、暗殺まで平気で横行する状況だ。言葉は悪いがザベルの陰に隠れていた人が活躍できるのだろうか。


 キズアトの奴はザベルを利用するために、その死を誉めそやした。

皮肉なことに、それでザベルの人気が上がっている。妻である先輩がその意思を継ぐというストーリーは、分かりやすく有権者に訴えるものがある。その意味で祐樹先輩へのオファーは適切だ。


 だが利害に敏く、法と政治が生存の根を作ることが十分に分かっている島の住人達が、それだけで投票するかといえばノーだろう。


 ときには犯罪に走ってでも生きることに必死なだけに、ただの感動ストーリーでは動かない。キズアトが語るストーリーを信じられる理由は、キズアト自身が膨大な金や利益をもたらすためでもある。


 いくら夫を悲劇で失ったからといって、食堂の店主の未亡人が島にどれほどの利益を生むのか。


 葬儀の翌日、先輩の立候補を受けて開催された演説会。

 新しい候補者を見極めに来た住人で、公会の会場はあふれ返っていた。


 テーブルズは出馬を受け、立候補演説の場が整った。時刻は昼過ぎだが、かなりの数が脚を運んでいる。


 先輩は灰色のパンツスーツにハイヒールをはいた姿で、高校のときと変わらず眼鏡をかけている。バンギアの日ノ本の人間独特の黒髪は、結い上げたあと、バレッタできちんと留められていた。


 真面目な公務員とか、有能な銀行員を思わせる。俺の二つ上、二十五歳の年相応。見た目や雰囲気は、ザベルの配偶者というよりも自立した女性のものだった。


 では政治家としての存在感は。キズアトにマロホシ、ほかの候補者が見つめる中、先輩は演壇に立った。


 マイクを取ると、清らかな声がスピーカーから滑り出た。


「この度新たに立候補をさせていただきます。アグロスの人間、笹本祐紀と申します。ご存じの通り、数日前に凶弾に倒れたザベルの妻です」


 聴衆がざわつきを止める。引っ込み思案にさえ思えた先輩の姿はない。真摯な雰囲気だが決して無視できない雰囲気をまとっている。ザベルとは違ったタイプの人を引き付ける魅力がある。


「政策は、主に夫がかかげておりました環境保護の観点とノイキンドゥでの教育施設の充実という観点で進めていきたいと考えております。夫がもし凶弾に倒れなかったらという理想が私に実現できるかは分かりませんが、身命を賭す覚悟だけは抱いております」


 会場は静かなままだ。ザベルのコピーになるということを言っているに過ぎないのに、それをやじる反応もない。


 無視しているわけではない。性別も容姿も違う祐紀先輩の姿に、ザベルが見える。


 精力的に動き回り、冷静な口調と吹き上がる火のような言葉を使って聴衆を導くザベルの姿が、可憐にさえ思えるただの人間に生き写しになっている。


 鶴のように美しい立ち姿で、先輩はよどみなく語る。


「夫の選挙期間中に調べておりました。確かに海への不法投棄の問題は存在しています。金屑については、今のところ三呂市の工場街から深夜にこちらへやって来るトラックに問題があると思われます。私が当選した場合、断罪法に一定量の不法投棄に対する罪を付け加え、断罪者に動いていただこうと考えております」


 断罪法に不法投棄の項目を作るか。アグロスの業者も大陸の連中も、俺たちの銃と魔法を恐れることになるだろう。俺が業者なら、断罪者が取り締まると聞いた途端、不法投棄から足を洗う。


 てきめんの政策に、漁師たちがざわつき始める。ザベルよりさらに問題の解決を進めているのだろう。選挙の応援と並行して、政策課題まで研究していたのか。


「教育に関しては、現在ノイキンドゥにある教習所の体制について二、三の改善案を提案させていただきましょう。吸血鬼と悪魔と一部の人間に限定した教習内容を変更し、門戸を開くことを提案いたします。具体的には、一律料金化です」


 GSUMに入るか協力を約束した者と、それを断る者の格差。名目上は特別教習費という形になっている、キズアトの大事な権益だ。


 さすがに想定外だったか、キズアトが立ち上がった。


「異議があります! 特別教習費は、魔力的な理由でアグロスの機器に慣れないながら必死に励んでいる講師たちに対する、大切な手当となっています。ゾズ氏の病院で治療を受ける際に使用されることにもなっています。教習所の運営に欠かせてはならないものです」


 突然群衆の一角が立ち上がり、拍手を送る。GSUMとずぶずぶの状態で、試験問題を横流ししたり、面接の通過を理由にさらにわいろを要求している連中だ。


 そもそもなぜキズアト達が教習所を運営できるかといえば、紛争のどさくさにアグロス人の教官たちを下僕にした後、その知識を奪い取ったからだ。記憶を奪った関係上、講師には吸血鬼が多いが、知っての通り連中は鉄と火でできたアグロスの機械には強くない。


 と、いわれていたが、実際には慣れがあるということはここ最近分かってきた。

 つまり特別教習費は余計な金だということになる。


 先輩が再びマイクを取る。


「魔力的な相性を気にせず島のために身を砕いてこられた講師の方々には頭が下がります。ただ、すでに紛争から七年が経ち、一般の方の中にも車や機械、船の操縦技能を身に着けた方々がおられます。たとえば、ゴブリンの方々、バンギアの人間の方々は運搬や物流、小売りの業界でそれぞれに技能を活かして働いておられます。誰にでもわかる交通法規をアグロスのように整備し、彼らに講師を依頼すれば、吸血鬼の方々を魔力的に苦痛な講習業務から解放して差し上げられます」


「しかし、それでは講習料金が増大してしまう。島の住人が技能を身に着けるのが教習所の目的です。私個人の経済的な利益にはなりますが、利用される方にさらなる負担を強いることはできません」


 あくまでも島のために自分の利益を守るか。先輩は笑顔を崩さない。


「ご心配なさらず。調査によると、未公表ですが現在の講師の方の収入はかなりの高水準にあるようですね。証拠として、こちらのティファナさんが経営されるホテルに頻繁な宿泊記録を残しておられますね。先月の例では十回宿泊されて、料金が百万とんで三万イェンほどでしょうか。アグロスの車両も購入しておられるようですから、予想される給金はこれより多いのでしょう。二百万イェンくらいと仮定して、ここから四分の一だけ削れば、今よりたくさん講師が雇えますわ」


 俺も知らなかった。ティファナはキズアトの傀儡の候補者で女の吸血鬼。ホープレス・ストリートで高級娼婦を擁するホテルを経営している。莫大な上りをキズアトとマロホシに収めている。


 しかしアグロスより物価も低いこの島で月二百万イェンか。大きく出やがったな。


「そんな安い給金では我々の生活が破綻する!」


 キズアトの反論の前に、講師陣の一人らしい吸血鬼が叫んでしまった。


 大失敗だな。たちまち他の群衆が立ち上がって騒ぎ立てる。


「何言ってんだ! お貴族様かお前ら。その十分の一の金でうちは一家六人暮らしてるんだぞ!」


「お前らの技能全部身に着けても、お前らの三分の一もらえりゃ超高給取りだよ!」


「浮いた四分の一もらえるなら、俺が講師をやってやる。教えるのがうまいって評判だぜ!」


「私も!」


「いや、おれだ雇え!」


「雇ってくれよ! すげえ制度だ! 無理なら船を教えろ。船乗りやりたかったんだよ!」


 こうなると手の打ちようがない。


 不用意な一言で聴衆を混乱させた吸血鬼が、心配そうにキズアトを見つめる。キズアトの方はこの馬鹿がと言いたげに視線をそらした。


 先輩がマイクを取る。


「ご静粛に! 私はまだ何者でもありません。皆様と共に子供たちを見つめ、生活を戦う一人に過ぎません。私が語ったことはほんの一例です。一部でも実現できるかどうかは、皆様の一票にかかっております。私から申し上げることはそれだけです。どうぞよろしくお願いいたします」


 怒涛のような拍手が公会の議場を埋め尽くす。祐紀先輩は深々と礼をして演壇を去った。


 キズアトとマロホシが、その姿をじっと見つめている。


 連中にとっては、ザベルに代わる強力無比な敵が再び現れてしまったのだろう。

 ザベルは死んだが、志を継いだ先輩が一矢報いたというところか。


 断罪者だって黙ってはいられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る