20猟犬の鼻

 反撃の矢となるものはなにか。ギニョルが目を付けたのは、ザベルを殺した狙撃手だった。


 ザベルの命を奪ったのは、距離一キロを超えた海上から撃ち放たれた対物ライフルの弾頭で間違いない。


 12.7ミリ口径の薬きょうにたっぷり詰まった炸薬なら、弾丸の威力を保って標的を撃ち抜くことはできるだろう。


 だが、狙ったただ一人の致命箇所に命中させるのは簡単なことではない。


 かつてクレールがくじら船を撃沈した一射に勝るとも劣らない、狙撃手としての技量が必要なのだ。そんなものを持っている者は限られる。


 しかも共犯はドラゴンピープル。こいつらはかつてGSUMの構成員として確認したことのない種族なのだ。


 祐紀先輩の立候補は、初めての演説会の翌日には承認された。投票までの一週間、再びの選挙期間が始まっている。


 今度こそ狙撃による死亡なんて無様な真似は絶対に防ぐ。


 ユエは再び生き残りの特務騎士団を集めて、ザルアの元に集った魔術師や騎士と合流、候補者の警護に入った。


 ギニョルもテーブルズの悪魔代表として、選挙の行われる島を離れることはできない。


 三人になった断罪者でただ一人、捜査に動けるのは俺だけだ。


 ザベルの葬儀をめぐるこの数日、俺と断罪助手たちは捜査を進め、狙撃犯が島や近海の小島に居ないことを突き止めている。


 バンギア大陸に逃げたか。


 戦災の爪痕があるとはいえ、吸血鬼のニュミエとギニョルの父のロンヅが目を光らせるダークランド。


 自衛軍と結びついた王により多大な損害を受けた、旧崖の上の王国。


 そして夫を殺した銃とアグロス人を何より憎むララに、主導権を握られたエルフの森。


 狙撃手の能力を持ったバンギアの種族とドラゴンピープルという珍しい組み合わせが、こいつらすべての目をかいくぐって潜めるだろうか。


 ましてバンギアの人口数百万程度など、アグロスのたかが一国である日ノ本の一億二千万と比べて、ほんのわずかに過ぎない。


 俺がキズアトやマロホシなら、こんな場所に部下を隠すなんて絶対にやらない。


 逃走先の答えはアグロスだ。三呂を出ることができないとはいえ、人口百五十万がたった五百平方キロちょっとに密集する大都市になら、潜む場所はいくらでもある。今やGSUMはバンギアよりもむしろアグロスの日ノ本との結びつきを深めている。


 ギニョルは、七人いなければキズアトとマロホシに勝てないと言った。

 俺もそれは真実だと思う。


 だが、俺だけでも奴らの手駒から芋づる式に連中の悪事を証明するのは不可能ではない。

 選挙期間中にあいつらを民の代表の座から引きずり下ろして見せる。


 先輩だけは絶対に、ザベルのようには死なせない。


 演説の後、狙撃手たちの捜査状況を知らされた俺は、ギニョルに報告して三呂に赴いた。


 向こうでの便宜を考えて、交通手段はバイクだ。三呂大橋を渡り、三呂の都心部を過ぎて到着したのは、市営地下鉄の島蔵寺駅近くにあるアパート。


 今度は高校生としてではなく、れっきとした二十三歳の大人、本名である丹沢騎士名義でやって来た。


 数日分の着替えに現金、ショットガンと弾薬も持っている。銃の方は日ノ本との協定により、断罪者である俺は持ち込みと発砲が許可されているのだ。


 本当はなり損ないの事件で世話になった紅村達の所に宿を取ろうかと思ったのだが、あいつは今猛烈に忙しく、あの家も人手に渡してしまったそうだ。


 海鳴のときの激しい戦闘以来、日ノ本は島の存在と紛争の真相を認め、三呂市までポート・ノゾミの住人が来ることを許可した。三呂市でもアグロスとバンギアの混在が始まり、当然紅村のような、バンギアの住人と渡り合える者は評価され抜擢されることになる。


 今あいつは、島との終戦協定の後で特別に設置された三呂市警察の本部長を引き受けているという話だ。


今回の捜査でも、狙撃手とドラゴンピープルの発見時にはユエ達が駆けつけて断罪することになっている。まず会う機会もないだろう。


 アパートはすぐそばに山の斜面を望む三階建て。部屋はその三階、階段を上がってすぐだ。


 玄関から入った俺はキッチンと洗濯機の前を通り、奥のリビングまで進んで荷物を置いた。ユエの奴も忙しくてずいぶんここを離れている。


 あいつは俺と住み始める前、この部屋を借りて映画やアニメや漫画やゲームを運び込んで非番のたびに一人で遊び倒していたらしい。


 今はそのグッズもほぼ全てコンテナハウスに運び込み、掃除も済ませたから部屋は簡素なものだった。


 リビングの床は全面がこれといって特徴のないフローリング。中央にテーブル、右わきにベッド、左奥にパイプ製の簡素な作業机。机にはネットに接続していない安価なデスクトップPC。その隣に一応電話も引いてある。


「さて……」


 PCを立ち上げる。ハッキング防止にネットとは接続されていない。インストールされているのは最低限の基本的なソフトばかりだ。


 ベランダの窓が小さくこんこんと鳴る。来たか。


 カーテンを開けると、ベランダの手すりにひよどりが一匹たたずんでいる。小さなくちばしの先にくわえているのは、薄型のフラッシュメモリだ。


 俺が右手を出してちちちと唇を鳴らすと、ひよどりはひょいと手のひらに飛び移った。


 からす、はと、とまではいかないがなかなかのサイズだ。これくらいでないと荷物は運べない。


 部屋に戻ってカーテンを閉める。ひよどりはPCの脇にたたずんでいた。


 三呂の街、特にこの島蔵寺のあたりは、山を切り開いて作られた住宅街だけに野鳥が多い。このひよどりも郊外でよく見かける鳥だが、比較的人なれしている。


 とはいえ、俺の手のひらに留まったり、荷物を届けるのは異常だろう。


 その答えは簡単だ。ひよどりの瞳が紫色に光った。


『聞こえますか、到着しましたか、ええっと……』


 少女の声だった。まだ視覚の同調まではできないのだろう。


「騎士だ。悪いな、ユエじゃなくて」


『まあ、騎士さん! それでは、ゆたかは無事にたどり着いたのですわね!』


「ああ。うまいもんだな、海ちゃん」


 俺より六つ年下の少女に話しかけるつもりで、使い魔の喉元をなでてやる。


 この使い魔を操作しているのは、以前この三呂の事件で知り合った遊佐海という少女だ。かつて三呂に本部を置いた県警の本部長、遊佐の実の娘で、遊佐が引き取った遊佐裕也とは義理の姉弟。


 海鳴のときの騒動前は、数少ない日ノ本と島の真実を知っている人間としてずいぶん監視されていたようだが、もう秘密もなにもなくなった今では普通に生活ができている。


 そのはずだったが、島に観光にきたときにバンギアの影響を受け、魔力に目覚めてしまったらしい。ギニョルが忙しい合間を縫ってその制御や簡単な使い魔の使役について教えると、みるみるうちに適応した。


 平穏に暮らしているはずの彼女を巻き込むのは本意ではない。だが、ただでさえ時間がないため、三呂の捜査に裕也のハッキングの腕を頼り、そのデータを安全に受け渡す手段がないとなれば、致し方ない。


『裕也さんの集めたデータは届いたのですね』


「今開いてるよ。これが記録か」


 画面上にはUSBメモリの中身が再生されている。


 こいつは、ザベルの暗殺があった日から昨日の深夜に至るまでに三呂駅に到着した荷物や人の記録だ。簡単に言えば税関の記録といっていい。


 基本出入りが自由といっても、日ノ本はポート・ノゾミを歓迎しているわけじゃない。バンギアには得体のしれない魔法に、登録制度すらろくすっぽ存在していない銃器があふれている。断罪者である俺こそしぶしぶ通したが、一般人は出入国税を絞られるのに加えて、訪問目的をいちいち調べられるのだ。


 ポート・ノゾミに対する日ノ本から公式の国家承認はまだだから、税関というわけでもないのだが。


 俺が探すのは狙撃手とドラゴンピープル。狙撃手はともかく、ドラゴンピープルの巨体は簡単に隠せない。


 仮の税関がGSUMに篭絡されてさえいなければ、それらしい荷物が特定できると踏んだのだ。


 果たして、ザベルが撃たれたその次の日、怪しいトラックの記録があった。


「……重機を北区に送っただと。今頃になってか」


 もう海鳴のときからは、一か月以上が経っている。がれきも植物の残骸もすっかり片付けが終わったはずだ。そのあと重機を元の持ち主に返還し、その後日ノ本は紛争の被害のいやがらせみたいに、重機のリースを制限してやがるから、そう簡単には借りられない。つまり送り返すことなど珍しいはずだ。


 机の引き出しから三呂市の地図を取り出す。住所記録は北区の寂しい山の中。地図記号だけじゃ分からないが、なにかの建物はあるらしい。角田肥料と書いてあるから会社だろうか。ネットがないから地図アプリが起動できず、今この場で特定するのは難しそうだ。


 使い魔に話しかけてみる。


「海ちゃん、今から言う住所まで飛ばせるか? 三呂市北区、牧谷、1456-3だ」


 ひよどりは小首をかしげたが、やがて魔力が伝わってくる。


『……そこならば、ついでに裕也さんが調べましたわ。二年前の画像では肥料会社があったようですが、今はつぶれたみたいです。昨日その子を飛ばしたときは、倉庫の廃墟があったきりで、そばを通る県道も今は使われておりません。今は三呂から外に出るための経路が制限されておりますからね』


 日ノ本政府はバンギアの影響が広がるのを嫌い、三呂市から外へ出る際の経路を制限している。県道や国道さえ一部が廃止されているのだ。


 しかし、いかにもだ。第一候補だな。


 一時間ほどリストを見ていたが、最も怪しいのはやはり北区の住所だった。今からバイクを飛ばせば間に合う距離だ。


「そんじゃあ、今日は北区に行ってみるよ。裕也によろしく伝えといてくれ」


『ええ。お気を付けて』


 海の声に向こうに、なにかの音楽が聞こえた。電子音をメインにしたダンスミュージックか。


海よりさらに小さな少女が二人でデュエットを歌う声も聞こえる。


「それは、なんの音楽だ?」


『……聞こえましたの。いえ、今こちらの若者の間で流行している方たちですわ。カオスワインド、という二人組のダンスボーカルユニットです。ご興味があるのでしたら』


 何年ぶりに触れるアグロスの音楽だろうか。正直興味はあったが、今は先輩が生きるか死ぬかだ。事件の捜査が先に決まっている。


「……全部終わったらでいいよ。夜は裕也が帰ってくるんだな」


『ええ。近頃また放課後に性懲りもなく仲間と集まっているようですので』


 バンギアの存在が明るみに出たことで、遊佐一家への政府からのマークが解けた。IUの活動でも再開したのだろう。


 ピースマークを付けたラフな制服姿が目に浮かんでくる。


 旧交を温めに来たんじゃないが、断罪者の仲間やザベルまで失った今となっては、関わって巻き込むわけにもいかないか。


「……それじゃあ言付かってくれ。連絡はこれきりだ。もし何か変わったことがあったら紅村に、三呂市警に伝えるんだ。あそこはあんたたち日ノ本の人間の確実な味方だからな」


『心得ております。お気をつけください。ユエさんとあなたと、また会える日を楽しみにしています』


 使い魔の目から魔力が消える。ひよどりはカーテンの隙間から飛び立っていった。


 俺は部屋を出て再びバイクに乗り込んだ。布ケースに包んだショットガンと、バックショットにスラッグ弾、魔錠と断罪者のコートも持った。


 ここからは、けしてへまができない。

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