7三呂東高校
一晩寝ると俺もユエも正常に戻った。
朝食は近くのスーパーに頼る。メニューは、多種多様な栄養素を配合した生地を、数本の棒状に焼き上げたショートブレッド。その名も『ロリーメイド』だ。
はたきを手にした、エプロンドレス姿の小さい女の子のパッケージが目印。値段は島の四分の一だ。アグロスのものというだけで、島での価格はつり上がる。
高校に行っていた頃は、時間がなくてよく食ったな。
余裕があったら、土産用に買い込んでおきたいくらいだ。
朝食後に徒歩で向かったのは、三呂東高校。
公立のような名前をしているが、れっきとした私立高校だ。
校舎の外見はコンクリを白く塗装した壁こそ凡庸だが、ヨーロッパの城塞都市みたいなオレンジ色の瓦を吹いた屋根が特徴的だ。宗教教育もあるのか、十字架をあしらった講堂がある。敷地はそこまで広くないが、上等の人工芝を敷き詰めたグラウンドがあり、夜間用の照明まで準備されている。どうやら、わりと金持ちの行く高校らしい。
俺と由恵は、1年2組に組み入れられることになった。
教室に入ったのは、1時間目の開始前のホームルームだ。
ふわふわした雰囲気の、髪の長い穏やかそうな若い女の先生が、俺とユエを紹介してくれる。
「秋野由恵さんと、秋野騎士くんです。ご両親の仕事の都合で、この学校に転校してきました。みなさん仲良くしてくださいね」
ごくごく穏やかに、俺たちは迎え入れられた。
由恵はどこか不満そうだった。確かに、転校初日なんて、本来イベントの宝庫だからな。
1時限目は現代社会。俺たちを紹介した担任が、そのまま授業に入る。離れて久しいが、これなら何とかなる。ちょうど、日ノ本の軍事情勢の項目だった。
「……それでは72ページから。遊佐さん、読んでください」
遊佐と呼ばれた女生徒が立ち上がる。どことなく、ユエの姉のマヤを連想させる、巻き毛で気位の高そうな少女が教科書を開いた。
「第二次世界大戦のあと、無条件降伏を受け入れた我が国は、一旦軍事力を失いました。しかしその後、世界情勢の変化に対応して、自衛軍が組織され、実質的な再軍備が進んでいます。ただし、この自衛軍についても、日ノ本国建国基本法により、専守防衛が定められています」
基本的に、相手から手を出されない限り動かないのが、自衛軍を律する日ノ本の最高法規。世界一優しい軍隊といわれるゆえんだ。遊佐は続ける。
「ポート・ノゾミ紛争、通称七夕紛争では、バンギアと日ノ本の両陣営に大きな被害が出ました。攻撃を仕掛けて来たバンギアに対して、自衛軍の中部方面隊、普通科第B2連隊が出動し、国内では戦後初めての防衛出動となりました。現在任務は治安維持に切り替わり、駐留が続いていますが、大きな問題は見られません」
「はい、ありがとうございます。三呂からもときどき、輸送車や兵隊さんが行くから身近かも知れませんね。ご存知の通り、7年前、みなさんが小学生のころ、紛争が始まりました。バンギアの人たちは、こちらとは文化が違って、最初のころは戦時国際法も守らず、乱暴をはたらく人もいました。それでも今が平和で、紛争の影響がポート・ノゾミに限られるのは、自衛軍の兵士の方々が、必死に戦ってこられたおかげですからね。覚えておいてください」
先生には悪いが、吹き出すのに苦労する。
なるほど、確かに自衛軍は必死に戦った。それは認めよう。バンギア人が日ノ本に侵攻してこないのも、ポート・ノゾミで頑張る奴らがいるお陰だ。
だが一週間ほど前、89式自動小銃で狙われ、96式装輪走行車両に手を焼いた身としては、色々といいたいこともある。バンギアに来た自衛軍が、日ノ本の防衛を錦の御旗に、どれだけのことをしているか。数え上げればきりがない。
防衛活動によって、クレールの親父は殺され、ユエの国は被害を受け続けている。
連中の乱行から生まれたハーフだって、ザベルの所にしっかりといるのだ。
ほかにも連中が持ち込み、売り払う銃器でひどくなる犯罪。ハイエルフやローエルフ、悪魔に吸血鬼など、見目麗しい種族を狙った拉致。そしてGSUMと結託してそいつらをアグロスに売り払う人身売買など、悪事を数えれば事欠かない。
が、日ノ本は国内と世界向けに、教科書の理論で押し通している。世界の国もそれを信じた事になっている。その結果が、三呂駅前の穏やかな光景なのだ。
いびつだが、言い立てたところでどうしようもない。
それは、断罪者の仕事ではない。
自分に言い聞かせるように、教科書をめくっていると、背中がちょんと突かれた。
先生が黒板に向かうタイミングで振り向く。男子生徒が話しかけてきた。
「なあおい、教科書のこと、本当だと思うか?」
「……今、授業中だけど」
「じゃなくてさ。ネットだと噂になってるぜ、ポート・ノゾミ相当やばいらしいって。もう途上国のスラムみたいになっててさ、日ノ本だか貧乏な国だか分からねえって。バンギア人っていうの、魔法とか使う、わけわかんない連中が、こっちに潜り込んで来てるとか」
大体合ってる。どこで調べたのか、ただの高校生にしてはやる。
いかにも事情通って感じの彼は、周囲の生徒から浮いて見える。髪は染めてないとはいえ、ワックスで固めて主張している。ブレザーは着崩しているし、胸元にはピースマークのバッジまで付けている。
どこの学校にも、活きのいい奴がいるもんだ。
面白そうだが、あまり目立ちたくはない。関係を断つつもりで、手を上げる。
「先生、遊佐君が私語を」
穏やかな顔を張り付けたまま。先生が振り向きざまにふるった腕。
黄色い炭酸カルシウムの塊、チョークがすごいスピードで飛び、遊佐の額に命中、砕け散った。
まるでアニメばりの鮮やかなチョーク投げだ。あれがナイフでできたら、エルフの暗殺ギルド、シクル・クナイブからスカウトが来るだろう。
「……遊佐君、困ったこと言わないでください。誰が書いたかもわからないことを、大真面目に信じないでくださいね」
「はぁい」
こいつも遊佐か。何かの名物らしく、クラスメイトに少しだけ笑いが起こる。
男の方の遊佐は不満げに座った。教科書を読んだ女の方の遊佐が、深いため息をつく。
由恵はというと、チョークを投げた教師を、吸い込まれるように見つめていた。一見大人しそうで、チョーク投げが得意なんて、出来過ぎた漫画の世界だからな。そりゃテンションも上がるというものだ。
昔やりかけてたとはいえ、その後の授業には苦戦した。特に数学はネックだった。どうにか乗り切った昼休み。机で一息ついた俺に話しかけてきたのは。
「騎士、弁当ねえのか? 食堂なら一緒に行こうぜ」
「ああ……うん」
男の方の遊佐。告げ口した俺を誘うとは、どういう了見だろうか。
だが昼飯は用意してなかったので、誘いに乗ることにした。
由恵の方も、無事に女子のグループに入り込めたらしい。食堂に向かった。
食堂は校舎一階の南側にあり、陽の光が入るにぎやかな空間だった。上級生もけっこういるので、一年生はグループで固まっていないとちょっと辛い雰囲気だ。
カレーやうどんが乗ったトレーは、俺を含めて六人分。初日からグループに入れてよかったというところだが、昔の俺ならあまり会話しないタイプの生徒たちだった。
なにせ、遊佐以外ちょっと垢抜けない外見なのだ。いかにもパソコンに詳しそうって感じの奴らだ。日ノ本が隠してる真実を拾い上げるというのも、納得が行く。
俺は簡単に用意された設定をしゃべった。
遊佐もまわりの地味そうな男子も、特に疑っていないらしい。というか俺にはどうも話しかけづらそうだ。唯一オープンに話しかけてくるのは、遊佐だけだ。
「そんじゃ、由恵さんは姉ちゃんなのか」
「ああ。連れ子ってのかな、だから名字だけ一緒になったけど」
「言われてみりゃ、騎士と由恵なんて、同じ親が付けた感じじゃないよね」
名前に来たか。名も知らぬ取り巻きの少年よ。
恐る恐るいじったって感じだが、まあ乗ってやろう。
「これでもかってくらい、変わってるだろ。関係ないのに文句言ってくる奴もいてうぜえんだ。就活で不利になったら、改名してやろうかと思ってるよ」
まず自分の名前を恥じることから、やらなきゃならないとは。
しかし秋野騎士はどうもすわりが悪い。今思えば丹沢って名字にだいぶ助けられた気がする。
「いやいや、いいと思うぜ。俺なんか、
トレーの角が遊佐の後頭部に食い込んだ。
背後で腕を組んで仁王立ちしているのは、女の方の遊佐だった。
切れ長の釣り目が、俺達全員を見下しているかのようだ。生来のものなのか、少し茶色の混じった黒い髪がゆるく巻いて肩にかかっている。
後ろには、由恵をはじめ、女子の集団が控えている。由恵をのぞいては、こちらもなんだか大人しそうな連中ばっかりだ。上品というかな。
「裕也、自分の親に向かって、く……その汚い言葉遣いは何です」
『くそ』と言いたくなかったのか。品がいいんだな。
いや、いきなりトレーの角はないか。
「あ、姉貴……」
裕也の顔色が変わった。あからさまにおびえている。
しかし姉か。こっちの遊佐も、同学年、同じクラスに姉弟の双子なのか。
「まったく、おじさまの息子で、成績もかなりいいし、新聞部でも優秀なのに。あなたはなぜそんなに性根が不真面目なのですか。変なサイトには毒されるし、そのバッジも、お父様の威光で許されているようなものなのですよ」
「か、関係ないだろ。それに、新聞部じゃなくてIU、インフォメーション・オブ・アンダーグラウンド同好会だよ!」
謎の部活が出てくるとは。アルファベットの略字はGSUMを思い出させる。こいつがもしも、GSUM下部組織の関係者なら、ユエと俺という、断罪者でもわりと凶暴な二人に出会ったことを後悔させてやるところだが。
女の方の遊佐は、深いため息をつくと、こめかみに指を当てた。
ほっそりとした長い指。品の良い金持ちの人妻のような、貞淑でマニアックな色気がある。16歳だよな。
「それが何かは知りませんが、ほどほどになさいね。おじさまの血を分けたあなたの不始末は、すなわち遊佐の不始末です。この三呂を預かる、県警の本部長の息子がへまを犯せば、現場で働いてくださる警察の方々にも失礼ですわ。そもそも……」
恐ろしい説教が始まろうかというのを、さえぎったのは由恵だ。
「ねえ、ラーメン冷めちゃうよ」
「あら……ごめんなさい、由恵さん。そうですわね。私としたことが、あなた方と食べ物を粗末にすることでした。とにかく、由恵さんの大切なご兄弟を、愚かな方向に引き込むのは許しませんからね、裕也さん」
ぴしゃりと言うと、遊佐の姉は席へ戻った。しかし県警の本部長の娘が、学食でラーメンとは、またずいぶん庶民的だ。
頼んでおいて猫舌らしく、必死に息を吹きかけながら、少しずつ食べている。あ、いま舌火傷したな。涙目だ。
「……ああ、怖え。いっつもいっつも、
「そうでもないよ。ところで、IU同行会ってのは?」
俺の言葉に、裕也の取り巻きの視線が集中した。
なにかまずいことを言ったのか。遊佐が驚愕の様相で俺を見つめた。
「お、お前一体どこで新聞部の正体を」
「いや。さっきその海姉ちゃんに自分で言ってただろうが」
「あ……」
大人しそうだった男子の様子が急変した。ぺちぺちと遊佐を叩き始める。制裁だとか、物騒なことを言っているが、体力は貧弱なのか、大したダメージはないらしい。
「ひっ、すまんすまん……しかし、お前もツウだな。どうだみんな、仲間に加えてやるか、こいつ、秋野騎士を」
「いやだよ。どこの誰とも分からないんだ。せめて俺たちの儀式は、くぐってもらわないと」
「儀式?」
「……ここじゃ目立つな。うん、じゃあこれ。その気があるなら、待っててくれ」
メモ帳を一枚、渡された。それから、IU同好会とやらの話は流れ、もう裕也も男子たちもその話題は出さなかった。
なんとなく友達っぽい雰囲気になった気がしたのだが。
それとも、本気だから徹底したのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます