6アパートの一夜


 三呂側の高架はビルの合間を通る。ポートレールは縫うように進み、三呂駅のホームへと入り停車した。


 ホームに出ると、係員に従い再び検査室へ入る。悪魔らしい係員が操身魔法を使い、エルフ達を日ノ本の若い女に姿を変えさせていた。


 偽装が終わると役人たちとすぐに出ていった。が、俺達は再び調べられることになる。日ノ本からの扱いの差は露骨だ。


 人けの少ない階段を下り、しばらく行くと改札。係員に切符を渡して、ようやく抜けた。


 広がった街並みに、俺はめまいを覚えた。


 雨のそぼふる、暗いたそがれどき。行きかう車のヘッドライト、地上を見下ろす駅前のビルやテナントの明かり。ポート・ノゾミでは見たこともない、巨大な横断歩道を渡る、洪水のような人の波。しかも全員がアグロス人だ。


 もちろん、銃を持ってる奴などいなけりゃ、下僕を連れてる奴もいない。仕事で疲れた顔はしてるが、きわめてまっとうな人間ばかりなのだろう。


 紛争前に見ていた光景、知っていた日常がこんなに近くに続いている。


 俺は夢でも見ているのだろうか。

 もしかしたら、あの島の毎日の方が夢なのだろうか。


 日ノ本では、アグロスでは、あの島の紛争などあってないようなものなのだ。


 いざこざで死んでいくのは、送り込まれる自衛軍の兵士ばかり。それすら特に報道はされず、多くの人は終わった紛争に関心を払わない。


 だからこその、平和と日常。


 この人波に紛れ、適当に仕事を探して、普通に暮らせば、すべてを忘れられるんじゃないか。何もかも、元に戻っていくんじゃないか。


「あっちゃー雨かー。ねえ騎士くん、傘持ってきた? ……騎士くん、おーい?」


「……すまん。俺も忘れた。買おうぜ」


 危なかった。こういう気分になるから、アグロスにはできるだけこないようにしていたのに。


 傘は駅のコンビニで、700イェン。7年前なら骨が折れたら捨てるような量産品のビニール製。マーケット・ノゾミでは、同じ値段でこれほどのものが見つかるかどうか。


 経済格差をまざまざと感じる。ここは、まともな街なのだ。


「7時前だねー、どっかでゴハン食べようよ。お店いっぱいあるでしょ」


「このかっこでかよ。無茶言うんじゃねえって」


 16歳と18歳、高校の制服だぞ。

 断罪者が補導されるなんて、笑い話にもならない。


「えー、じゃあ三呂のレイブンビルにも?」


 レイブンビルというのは、駅前の細長いビルだ。ブティックに本屋、ゲーム、アニメのショップなどが所せましと入ってる。三呂市に暮らす若者なら、一度は行ったことがあるに違いない。ユエにとっては天国のような場所だろう。


「行かないからな。行くとしても、荷物置いてからだ」


「横暴だー、せっかく来たのに」


「次の休みにしろよ。先いくぜ」


 ぶうぶう文句を言うユエの背中を押し、俺は地下鉄の駅へと進んだ。


 三呂東高校へは、三呂駅で地下鉄に乗り換える。下りるのは島蔵寺とうぞうじという駅だ。


 人工島であるポート・ノゾミは平坦だが、三呂は元々山の多い街だ。島蔵寺の近辺も、山を切り開いて住宅地や学校を作っている。地下鉄の駅から目的のアパートまでは、当然坂を上ることになる。


 雨の中を、ただの革靴で歩くのは辛い。


 ユエが個人的に借りた市営アパートの一室に入り、用意された空き部屋に荷物を置いて一息つくと、さすがにため息が出た。


 ユエは慣れたふうで、バスルームに入ってしまった。


 シャワーの音を背中で聞きつつ、ギニョルから渡された資料を、改めて確認する。


 俺とユエは義理の姉弟ということになってる。転勤族の父の都合で、ここに越してきたのだ。ユエの名は、そのまま漢字で秋野あきの由恵ゆえ。俺は秋野あきの騎士ないとだ。


 しかし俺の名前、漢字に起こすと、またセンスがないな。


 あらかた目を通すと、俺は荷物から黒い布の塊を引きずり出した。

 テーブルに広げると、竜の紋がついた分厚い断罪用のコートになる。


 包んでいたのは、分解したショットガン、M97のパーツだ。


 使うことはないと思うが、12ゲージのバックショットも20発でひと箱、スラッグ弾も2つ。


 俺は登録免許者でもなけりゃ、資格者でもない。つまり、日ノ本では銃刀法違反に当たるが、ギニョルは武器の携帯を許可した。検査室もパスしている。


 本当に今度のドラッグは、学校の関係者によるものなのか。違うとしたら、一体どういう仕組みなのか。それを探ることが第一だが。


 殺傷権を行使すべき断罪事件なら、ためらうなといわれた。

 警察にも、ある程度話は通してあるという。


 銃を見つめて、しみじみと思う。

 三呂の平和な光景と俺は、もう別次元の存在になってしまったのだ。


「ねー騎士、何してるの~?」


「うおあっ! な、なんだよ……」


 鼻をくすぐる女の匂い。下着の上から、パジャマ一枚はおったユエが、俺の背中にしがみついた。


 風呂から上がってきたのか。シャンプーやらなにやらの匂いがする。


 あの制服、着やせするらしい。クレールを狂わす強烈なボディが背中にべったりおしつけられている。


「も~、恥ずかしがっちゃって、可愛いんだから~」


「は、放せって、なんだお前、酒でも飲んでるのか」


 俺がもがくと、ユエは体を放した。少しむくれて、にらんでくる。


「違うよ、察し悪いなー。ほら、私お姉ちゃんキャラなんだからさー。学園ものっぽく、分かりやすいブラコンで行こうと思って。ずっと転校ばっかりしてるから、友達が少なくて姉弟の距離が近過ぎるって設定でね」


 何だそりゃ。それでここまで露骨になれるのか。


 ということは、あくまでアニメとか漫画の雰囲気を味わうために、俺にひっついてきただけだったのか。変な期待した自分が情けない。こみ上げる理不尽な怒りを、そのままユエにぶつける。


「設定で自分を安売りするんじゃねえ! お前十分魅力的なんだから、間違い起こしたらどうするんだよ! ギニョルがキレるどころの騒ぎじゃないぞ」


「……間違いなんだ、私となんかあったら」


 本気でへこんだらしく、しゅんとして座り込む。


 まじかよ、こいつ。下、パジャマのズボンはいてねえぞ。


 真っ白で、スマートながら肉付きのいい脚。太ももの奥には、肉感的な下半身に埋もれて食い込んだ、飾り気のない下着が……いかん。


 ふらちな妄想を振り払うように、まくしたてる。


「じゃなくて、ああもう姉ならしっかりしろ! 姉キャラって、いざってときは頼れるもんだろ、そこ外したら話にならねえからな!」


 それで事態が飲み込めたのか。ユエのまとうオーラが変わった。


 ぽんと手を叩くと、うなずく。


「あ、そっか。そうだよね。騎士、早くお風呂入っちゃってよ。明日学校あるんだから」


「……ああ、うん分かったよ」


 本当に、大丈夫なんだろうか。明日から。


 断罪者として二年一緒にやってきた。恐ろしい銃の腕ばっかり気にしてたけど、こいつ、本当にどういう奴なんだ。


 着替えを取り出し、部屋を出ようとする俺の背後で、ユエは勝手に俺の荷物をあさっている。


「あ、M97だー。ちょっと組んでいい。スラッグ弾でいのししでも捕ってこようか。このへん多くてみんな困ってるんだって」


「お前自由すぎるぞ。そのあとどうするつもりだ、いいから寝ろよ」


「分かった。じゃ~、ベッド一緒に」


「行かない。姉とのそういうイベントは起きない。というか、姉とイベントが起きるのは、ラノベじゃなくてエロゲの方だ。大体、俺見かけは16でも、歳は23だぞ。お前より5こ上だからな。年齢的にもお前姉じゃねえだろ」


 必死の権幕の俺の前に、ユエの目から光が消えていく。


「……うん、そう、だよね」


「なんで泣きそうなんだよ。俺が悪いのかよ……」


「たぶん……」


 尻尾を丸めた子犬状態だ。ロマンを砕いちまったのか。


 声をかけてやりたい衝動に駆られるが。

 今のユエとこれ以上かかわると俺がやばい。


 もう、無視だ。風呂へ急ぐ。


 それにしても、柔らかかった。今日はちょっと眠り辛いだろう。


 流煌のことでも、思い出すか。

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