16断罪者フリスベル

 フリスベルの杖が光り、足元に海猿の大鉢から枝が伸びる。絡み合った枝は、レグリムが使った足場の様に、その足元を支えている。

 海猿の大鉢、本来ハイエルフのみが扱えるであろうこの巨大な樹木は、ローエルフであるフリスベルの現象魔法で支配されている。


「なぜだ、この樹がなぜおまえを選ぶ」


「今わかりました。私とあなたに、特に違いはありません。現象魔法とて同じ、魔力をうまく操れるかどうかも、しょせんは修練によるもの。ハイエルフもダークエルフも、もちろん私の様なローエルフも、素質そのものは同じなのですね」


 一歩、フリスベルが歩みを進めるたび。レグリムの中の何かが崩れていくかのようだった。

 それは恐らく、700年を生き、積み重ねて来た認識やプライドだろう。


 たった16歳の俺でさえ、紛争による変化を受け入れるのは厳しかった。


 まして、レグリムは700年。ハイエルフの秩序を疑わず、長老会という特権を絶対として考えてきたのだ。


「悲しい事だとは思いますが。望む、望まざるにかかわらず、アグロスに触れた我々エルフは、変わらざるを得ないのです。誰一人として、逃れることはできません。700年を生きた、長老会のあなたであっても」


 思い出すのは空港の光景。エルフ達を侍らせ、鷹揚に構えていた姿。エルフ達の基準では、長老会の一員であるレグリムの振る舞いは当然の事だったのだろう。それは、この島の情勢を顧みず、吸血鬼に奪われた同胞を殺し、キズアトに喧嘩を売ってせっかくのアジトを焼き尽くされることさえも。


 レグリム、今はこいつに対して、怒りより哀れみが湧いて来た。


「……いやだ」


 ざわざわ、とレグリムの周囲で葉と気がうごめく。


「ふざけるな、700年だ、私は700年耐えた。その果てに、こんな狂った世など望まぬ。私に逆らう、ローエルフなど望まぬ。断罪者だと、テーブルズだと! 長老会は絶対だ、絶対たる権威に盾つくものなど、あってはならないのだ!」


 でたらめに振り上げた杖から、魔力の光がほとばしる。

 俺の体が締め上げられる。鋼の線が、腕の骨を砕く様に、枝が食い込んで来やがる。あばらも、みしみしと鳴っている。


「っが……あ」


「騎士さん!」


 レグリムが狂気じみた笑い声を上げる。海猿の大鉢が、さらに枝と葉を伸ばし、海上にまで達していく。


「死ね、死ね、みな死んでしまえ! 我らの正義と美を乱すものは、残らず滅びろ! この7年を、全て巻き戻すのだ! 断罪者など要らぬ、アグロスも要らぬ、我々ハイエルフは、永遠に正義と美の下にある! 貴様らを消せば全て戻る!」


 フリスベルが撃った弾は、形成された木の枝の盾に弾かれた。

 クレールとフェイロンドは、うごめく足場を飛び移りながら、刃を交え続けている。しかしクレールの奴、カルシドのときよりかなり体力を付けたらしいな。


 言ってる場合じゃねえ、意識が、薄れて来た――。


『ヴイーゼル!』


 呪文と共に、俺の体はいきなり開放された。

 締め上げていた、周囲の枝葉が、茶色く枯れて崩れている。


「騎士さん、しっかり……!」


 フリスベルの小さい手が、俺を必死に支えている。すぐに梢につかまって、何とか体を引き上げる。


「す、すまねえ。くそ、情けねえ」


「いいんです、それより、レグリムは、魔力を暴走させています」


 ものすごい勢いで、俺たちの居る梢の場所も変わっている。気が付けば海面を飛び出していた。海猿の大鉢の幹はどんどん膨張し、新芽があっという間に枝や葉となって伸長していく。

 島の方も見える、広場にあった木の砦を囲う様に、さっきまでなかったはずの森が現れつつある。


「何だありゃあ、みんなどうなっちまったんだ」


「樹化したハイエルフ達自身に、魔力が干渉しています。このままだと、みんな森に閉ざされてしまう、この島そのものが新たなエルフの森になるでしょう」


 とはいえ、化け物からただの樹に戻るなら、それはそれで助かるんじゃないか。

 そう思った俺に、クレールが声をかけてきた。


「下僕半、まさかそれでいいと思ってはいないだろうな。エルフの森が広がるときは、魔力の範囲に居てはならない。あらゆるものは、森に呑まれる。物理的に、成長に絡め取られて、樹の中に取り込まれてしまうんだ」


「……だから、私達エルフも、森の木を切ることもあれば、巨大な成長期が始まると、森から避難することもあるんです」


 レグリムは、そんなことを自分の魔力で起こそうというのか。

 完全な樹木になるってことは、強薬で樹化したハイエルフ達は死んじまうのと同義と考えていいだろう。


「いいぞ、森だ、森が広がる、全て森になる! 我々の故郷だ、アグロスを追い出せ、島を閉ざすのだ、うわははははははっ!」


 イカれた笑い声が聞こえる。700年生きていようが。いやむしろ、700年もエルフの基準で生きたからこそ。レグリムにはすべてが耐えられなかったのだろう。


「クレール、お前、フェイロンドはどうしたんだ」


「あいつは逃げたよ。レグリムが暴走したときに、老いぼれには付き合えんと言って、それはもう鮮やかにね」


「冷たい奴だな」


「元々、そうだったのだろう。橋頭保の一件では、若木の衆の頭として、僕たちを助けることもしたようだし。何か狙いがあって犬をやってたに違いない。フリスベル、いずれ君を手に入れると言っていたぞ」


 ギニョルに対する将軍といい、またそういう奴か。

 うちの女どもは、変なのにモテやがる。


「そ、そんな……私などとても」


「照れてる場合じゃねえぞ、何か方法はねえのかよ」


 魔力の光で、レグリムの位置はなんとなく分かるが。何重もの木の枝の壁に囲まれ、おまけに成長する木や葉が射線を遮りやがる。

 捕らえて操るどころか、銃弾を撃ち込んで仕留めることすら至難だ。


「あいつと僕が、一瞬でも視線を合わせられれば、蝕心魔法をかけてやれるんだが」


 クレールの蝕心魔法は、合わせた視線に魔力を流して行う。だがこの状況だ。


「……方法、ない事はないです。ただ、私がうまくできるかどうか」


「できるできないじゃない。やってみよう。それしか無いなら、それしか無いのだからな」


 レグリムの壊れっぷりを見たせいか。クレールに自信が甦っている。それともフリスベルの前だからなのだろうか。


「分かりました。騎士さん、ショットガンを貸してください」


「いいけどどうするんだ」


 俺がM97を渡すと、フリスベルはフォアエンドを引き、シェルチューブと銃身からショットシェルを取り出し始めた。


「金属ではありますけど、この鉛に私の魔力を込めます」


「待てよ、金属は魔力を阻害するんじゃなかったか」


「自然の木や石に比べて、伝える方法がはっきりとしていないだけです。石や岩を操るときの応用で……」


 言葉通り、フリスベルが念じると、杖の先から出て来た光が、ショットシェルの中に浸透し、薬莢の中の散弾に宿っていく。


「M97は古い銃だ。ショットシェルの中身も、ほぼ鉛そのものなのだな」


「人の手をたくさん加えた合金よりは、難しくありません」


 そういう理屈か。確かにバンギアにも金属はあったんだ。

 フリスベルが再び散弾を込め直してくれる。いつ練習したのか、よどみのないリロードだ。体格さえ許せば、接近戦用にはショットガンを使ってもいいのかも知れん。


「騎士さん、レグリムの周囲に、この散弾を撃ち込むんです。そうすれば、私はこの散弾を媒介に、周囲の木を操ります」


「一瞬でも視線が通ったら、後は僕がやるよ」


 距離は大体30メートル強。うまいこと弾の散らばる俺のM97がおあつらえ向きというわけか。だがこれは最後のショットシェルだ。


「……失敗したら?」


「もう弾が無いだろう。僕たちも、ギニョル達も、島ごと森に呑まれて終わりだよ」


「そんなの嫌です。ぜったい、嫌です。やっとちゃんと断罪者になれたのに」


「まあ、そうだな」


 俺はM97を構えた。ショットガンにスコープは無く、標的を杖で指し示す様に使うとはいえ。なるべくいい狙いを保ちたい。


「準備はいいな」


 フリスベルがうなずき、杖を握りしめる。

クレールはマントをひるがえし、吸血鬼が魔法を使うときの目で魔力の光を見つめる。キズアトが流煌を奪ったときの顔だが、今はそれが頼もしく見える。


「おら、食らえやああああ!」


 トリガーを引き、フォアエンドを連続でスライド。

スラムファイア一択だ。

 魔力の込もった散弾が、レグリムの周囲の木に次々と突き刺さっていく。


 撃ち尽くした俺が下がると、フリスベルが杖を掲げる。


『ヘイブ・ヴイーゼル!』


 散弾とおぼしき光の弾が、次々と魔力の輝きを放つ。

 かと思うと、その周囲だけ、成長が陰り始めた。いや、爆発的な成長を続ける海猿の大鉢の中にあって、まるで除草剤でもぶっかけられたように、みるみる枯れていく。


 枯死して自重で折れていく枝、次々と舞い落ちる葉。いつしか森の現象魔法を放つレグリムの姿が近づいてくる。


 クレールがレイピアを収めた。マントの表をひるがえし、止まり木の蝙蝠の様に真っ黒い布で体を包む。青白い顔、赤い瞳が、その瞬間をうかがう。

 枯れゆく魔力がとうとう枝の壁を突き崩す。何事かとこちらを見たレグリムの顔。

 焦りと恐怖と、老いの張り付いたその顔めがけて、クレールの目から灰色の魔力がほとばしる。


『……夜の、人か、なめるな……私は、700年、何にも屈しなかった……! 無論貴様ら、汚れた吸血鬼にもだ!』


 苦しげな声を上げ、抵抗するレグリム。クレールとは異なる色の魔力が散っているが、あれで防いでいるのだろう。


『黙れ。すでに終わったものの年月を数えようと、今あるものには敵わない。貴様がどれほどハイエルフとして優れていようと、島の秩序は我々断罪者が決める!』


 クレールから走る魔力が増大した。際限なく明るくなっていく。


『この僕に精神を明け渡せ、ハイエルフよ!』


 ひときわ強い魔力が走り、レグリムの魔力が四散した。


 海猿の大鉢が成長を止めた。レグリムはがっくりと膝を突き、その顔から表情が消えている。見開いた眼は、クレールと同じ、吸血鬼の赤色だ。


「……年のわりに、あまり頑健では無かった。美しい記憶と、苦しみに満ちた精神だ」


 ため息を吐き、座り込んだクレール。口ではそう言っているものの、相当の負担だったに違いない。


 枝の間からうかがうと、どうやら島の方も森が育つのは収まったらしい。

 木である以上、これからも、勝手に大きくなるのだろうが。少なくとも、現象魔法は断った。俺たちを飲み込むペースで、急激に成長することは無いだろう。


「ありがとうございます、クレールさん、騎士さん」


 銃と杖をおさめたフリスベル。やり切った様な顔してやがるが、最後の仕上げが残っている。俺はコートのポケットを探ると、ガドゥの作った魔道具を取り出した。


「フリスベル、使えよ。こいつには、お前が魔錠をかけろ」


「そうだな。手放しかけた断罪者の誇りを、君は再びその手でつかんだ。きっとそれが相応しい」


 俺たちに背中を押され、フリスベルは枝を伝い、放心したレグリムの下へ歩いた。


「なぜ、だ……森と、正義と、美を、全てエルフは、愛して」


 三呂空港で見せたあの威容、長老会に恥じぬ、700年生きた知恵。全てを失ったハイエルフは、取り残された悲しい老人に見えた。

 胸の締め付けられる様な表情で、フリスベルは細い手首に魔錠をかける。


「レグリム様。どうぞもう、心穏やかになさってください」


 シクル・クナイブの犯行のどれだけと、つながりがあるのか。それはこれからの捜査次第だが。きっと1件や2件じゃ効かないだろう。

 禁固の期間は数百年。他方でこいつの残りの寿命は100年。死ぬまで監獄につながれることになる。


「この島、エルフの森の植物が息づくこの島を、罪を犯したエルフの方々の居場所にできる様、かけあってみます。もう、苦しまなくていいですからね……」


 足りない背丈を必死にのばし、フリスベルがレグリムの頭を抱いた。

 もはや焦点の合わぬ瞳で、レグリムは何事か呟くばかりだった。


 紛争の爪痕。二つの世界が、交じり合う痛み。

 誰一人として、そこから逃れることは出来ないのかも知れない。


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