15海猿の大鉢にて

 島を離れると、雨は止んだ。

 雨雲そのものが、島の上空に限られている。


 俺はあたりを見回してみたが、夜の海は静かに広がるばかり。

 双眼鏡を手に、あちこち見ていたクレールも、レンズを下ろした。


「このあたりには、船も何も見えない。フリスベル、奴らはどこに居る」


 フリスベルが、トネリコの杖をかかげて答えた。探照灯の様に、魔力がたなびいている。


「魔力はたどれます。たどれますけど、たどり着けるかどうか」


「どういう事だよ。姿を隠してるのか」


「いえ。隠れているわけでもないんですが……クレールさん、10時方向、400メートルほど先の海面を見てもらえますか?」


 再び双眼鏡をのぞくクレール。何か見つけたらしい。


「あれは、もしかして、」


 そう言われても、暗くて何が何だか分からん。あえて言うなら、あのあたりだけ妙に波が凪いでいる様な気がするが。


 フリスベルが杖を掲げた。


「今見せます、騎士さん。あれは海猿うみざる大鉢おおばち、魔力で水中に育つかりそめの砦です」


 魔力の光が、暗い海に入り込んでいく。そうかと思うと、塗りつぶした様に凪いだ海の中が、一気に照らし出された。強力な水中ライトでも使ったみたいだ。


 浮かび上がってくるのは、樹の一種らしい。巨大な円形に枝を広げた、海の中の樹。

 光っている範囲は、直径100メートルくらいだろうか。


「私も初めて見た、あれがハイエルフの海の砦か」


 俺達を乗せたドラゴンピープルが、感心してため息をつく。


「海猿の大鉢は、ハイエルフ達が海の中に潜み、現象魔法で戦場を自在に操るときに使う即席の砦。あの植物を使いこなせるのは、ハイエルフでも相当な手練れに限られます」


 シクル・クナイブとレグリム達にはおあつらえ向きの場所だ。恐らく連中の一部は、奇襲のときに夜の暗闇を利用してあの海猿の大鉢の中に隠れ、そこから現象魔法を使い、島の戦いを援護したのだろう。


「フリスベル、確かあの樹は」


「広げた葉に空気を貯めて、それを少しずつ出しています。葉と幹の周囲は、空気があります。5、6人で、3日間はひそんでいられます」


 レグリムとフェイロンドのほかに、何人かシクル・クナイブが居やがるに違いない。全員倒してレグリムを捕らえるには。


「海の中では樹化は使えませんが、向こうの数の方が多いと思います」


 クレールがM1ライフルに銃剣をすえつけた。ボルトを引いてチャンバーを開けると、マントからはクリップでまとめた弾薬も取り出し、中へ押し込む。

 カシャリ、と子気味いい金属音を立てて、ボルトが戻り、チャンバーが閉じた。


「……みなまで言うな。それくらい、何とかして見せるさ」


 俺もM97のフォアエンドを引き、シェルキャリーを開けて、シェルチューブにバックショットを詰め込む。


 フリスベルは、腰のホルスターのベスト・ポケットを握っている。マガジンも、確認しているな。


「このまま行こう。向こうもこっちに気付いているだろうが、ためらってられねえ」


「あそこの海域に飛び込めば、すぐに空気の層に入れます」


 ドラゴンピープルがいななき、翼を羽ばたかせ前に進んでいく。光る海域に近づくと、滑空に入って高度を大きく下げた。


「今だ!」


 海面ぎりぎりの所で、俺達はドラゴンピープルの背中を飛び降りた。


 飛び込んだ瞬間、海水に浸かった感覚はしたが、すぐに木の葉と枝が迎える。

 不思議なもんだ、海に入ったはずなのに、出迎えたのは新鮮な空気。


 こずえはそこそこ太く、俺もクレールも、フリスベルもうまいことしがみつくことができた。


「レグリムの居場所は……」


「分かるぜ。あの根元だな。魔力の色が違う」


 海猿の大鉢の根元から、フリスベルが光らせたのとは微妙に違う色の魔力が、空へと立ち上っている。レグリムか、フェイロンドのどちらかが現象魔法を使っているに違いない。


 海底から俺達のしがみついた枝まで、20メートルくらいだろうか。枝と梢を伝えば、あそこまで降りていける、あるいは、クレールに狙撃してもらって、とにかく相手の動きを止めるか。


 そう思ったが。


 目の前に、氷の塊が現れ、それどころじゃなくなる。

 M97をかかげて、補充したバックショットで早速撃ち抜く。


「クレール!」


 枝に伏せてかわしたクレールの頭上を、棘の塊になった木の枝が過ぎ去った。

 直後に、頭上で葉のこすれる音。

 振り向くと、仮面に赤と黒のマントの、シクル・クナイブのエルフが降りて来るところだった。


 M97を振り上げ、銃剣で胸を狙ったが、そいつは短剣で矛先をそらし、枝を足掛かりに後ろへ宙返りして消えた。

 消えた、というより包まったマントごと葉に同化していったように見える。なんにせよ、姿が捉えられない。


「気を付けてください。そのあたりに、シクル・クナイブが潜んでいます」


 これじゃあ先へ進めない。樹化されることが無いとはいえ、姿の見えない相手にこうもちくちく攻撃されては。


「騎士さん、クレールさん、時間がありません。隠れてる人の場所を教えますから、撃ってください。防御も引き受けます」


 フリスベルが杖を掲げた。目を閉じて集中すると、風も無いのにあたりがざわめき始めた。葉と枝が生き物の様に動いている。

 海猿の大鉢を、フリスベルが操っているのだ。


 ざわめきの中、離れた枝が何かを取り巻いた。距離20メートル、俺はM97を構え、引き金を引いた。

 飛び出した散弾は、一部が空中で何かにぶつかり、マントの裂けたシクル・クナイブのハイエルフが現れた。


 焦った様に杖を掲げたが、次の瞬間、クレールのM1ガーランドが仮面の額を貫いた。ああして頭をぶち抜かれりゃ、回復の操身魔法など関係ない。


 枝のざわめきは、消えたもう一人も追っている。右斜め下、海底を背にした場所。

 フォアエンドを引いて、次弾を装填。バックショットを放つ。


 裂けたマントの下、杖に魔力が集まっている。


『リグンド』


 この、呪文は。さっきの接近で胞子をばらまいてやがったのか。

 取り付かれたクレールが、苦しみだす。その体に苔が繁殖し始める。


『ヴィーゼル』


 フリスベルの一言が状況を変えた。クレールの体から嘘の様に苔が枯れ落ちた。それだけじゃなく、茶色い粉の様なものがパラパラ落ちている。まき散らした胞子をも枯らしたのか。


「くたばれ畜生が!」


 距離30メートル弱。少々遠いが、引き金を引きっ放し、フォアエンドを連続でスライドさせ、スラムファイアで補う。

 散弾を全身に食らったハイエルフは、マントを血まみれにさせて崩れ落ちていった。


「騎士さん、リロードしてください。相手は後二人、フェイロンドとレグリムだけです」


 レーダー役のフリスベルが居ると、ここまで戦いやすいとは。

 だがいよいよか。ガンベルトの弾も、この6発で最後だ。丘の木箱にはケース入りのがあるが、さすがに持っては来られない。


 散弾を込め終わり、降りて行こうかというそのときに、下から見えていた魔力の光が消えてしまった。


 移動したのか。いや、現象魔法そのものを止めてしまったのか。

 なぜか。

 それに思い当たる前に、周囲の枝と葉が、巨大な波音の様にざわめいた。


「いけない!」


 フリスベルが振り向くが、もう遅かった。俺は枝と葉の塊にさらわれ、空中に捕まった。


 頭上で別の葉音がする。見上げると、枝と葉がマントの様にめくれ、いつか見た缶ビールの男が、俺めがけて短剣を振り下ろしてくる。


 フェイロンドか。まずい、目玉から頭を貫かれる。

 そう思ったが、俺の視界を黒い布がさえぎった。


 甲高い音を立てて、短剣が弾かれたらしい。俺の目の前のこずえを、革靴が踏みしめた。


「……貴様らハイエルフが奇襲とは、かつてのバンギアと何もかも逆だな」


 クレールだ。M1の銃剣で短剣を受け止め、俺を守った。

 M1を構えると、クリップのライフル弾で狙撃する。

 フェイロンドは足元に枝を伸ばし、次々と飛び移って移動。銃口の向きを読み取っているらしく、クレールの射撃からも、うまく逃れている。


「我らシクル・クナイブは、数万年にわたって存在してきた影。誇りと実力で成る吸血鬼があのおぞましい、キズアトを生んだようにな。名家のご子息は、少々楽観が過ぎると見える!」


 投げつけられた何かを、ライフルの銃身で受け止めたクレール。かかか、と子気味のいい音を立てたのは、丸い種の様なもの。


『バース・リグンド』


 フェイロンドの呪文で、M1ライフルの銃身からいきなり枝と葉が生えて来やがった。あれはヤドリギか。十分乾燥させ、ニスを塗って仕上げたはずの銃身に使われた木材が、生えて来る下地にされている。


 びきびきと歪んだ音を立て、ヤドリギの根がライフルを捻じ曲げ、金属部やチャンバーさえ侵食する。これでは使えない。


 ライフルを捨てると、クレールは腰のレイピアを抜いた。


「なめるな!」


 不安定な枝の上にもかかわらず、クレールの突きの鋭さは、紅の戦いでカルシドを仕留めたときと変わらない。

 だがフェイロンドは体をひねってそれをかわし、のど元めがけて短剣を振るう。


 クレールが身を引いてなんとかかわし、2人の間合いは膠着した。


「フェイロンド、我が生真面目な枝よ、そやつは強いか」


 枝が下からせりあがってくる。枝と葉で形成した丸い台の様なものに乗っているのは、あのいけ好かないハイエルフの老人、レグリムだった。余裕こいたツラしやがって。


「なかなかに……! しかし、御心配には及びません!」


 短剣とレイピアの応酬、俺だったらもう腹も胸もずたずたにされて死んでいるだろう。それぞれの長い歴史の中で、紅の戦いに誇りを持ち、剣での戦いを磨いて来た吸血鬼。自然の力を誇り、牙と枝の短剣による殺しを磨いてきたハイエルフ。こいつらだからこそ、できるレベルだ。


 しばらく戦いは続くだろうが、クレールも簡単には崩れない。


 今はレグリムの方だ。


 距離は20メートルも無い。散弾で腕を吹っ飛ばして、クレールに蝕心魔法を頼みたいが、俺もM97も枝と葉にぐるぐるに巻き付かれ、全く身動きが取れん。


「さてフリスベル、軽やかな鈴の音の娘よ」


 あのときと同じ、心を圧し折る、高慢な視線。

 だがフリスベルは、敵意の視線を返した。


「シクル・クナイブの正体も、それを操るあなたも白日の下にさらされました。ハイエルフには正義と美など、とっくにありません」


 最初の頃とは別人の様に、毅然と立ち向かうフリスベル。だがレグリムは軽蔑した様子を止めない。


「何を言うかと思えば。我々長老会と、若木の衆が支えてこその正義と美だ。それに我々の決めるエルフの正義に、ローエルフごときが口を挟めると思っているのか?」


 エルフを貶める連中を、辱めて殺し、赤裸に剥き、ホープ・ストリートにさらすこともこいつの言う正義と美なのだろう。シクル・クナイブはきっと、そうやって連綿とハイエルフの体面を汚す存在を処理してきたのだ。


 フリスベルが負けじと叫んだ。


「私が何であったとしても! テーブルズの任じた、ノゾミの断罪者の一員です。私には、断罪法を犯したあなたを、断罪する権利があります」


 ベスト・ポケットのスライドを引くと、レグリムめがけて狙いを付ける。


「断罪者、フリスベルの名において。エルフの森長老会、ハイエルフ・レグリム。ポート・ノゾミ断罪法、一条殺人により、あなたを断罪します。同法補足より、刑の内容は禁固刑、杖を捨てて投降してください」


 本気だ。誰が見ても分かる。

 ローエルフのフリスベルが、ハイエルフのレグリムに、断罪文言を言い放った。


 レグリムが顔を上げる。憎悪に満ちた目が、フリスベルを睨み殺さんばかりに見開かれている。


『イヴァール・ジードル!』


 杖を掲げ、呪文を言い放った瞬間、フリスベルの周囲に枝が伸びる。

 枝には次々と花が咲き、それらは一瞬で黒い種を付け、すべてが爆発するように弾けた。

 フリスベルの姿は、成長する植物により、一瞬で覆い隠されてしまう。


「小さき同胞、身の程を知らぬ哀れな娘よ! その種は貴様の体を蝕み、柔らかい肉から血の一滴も残さず吸い尽くす。骨になりながら自身の行いを悔やめ!」


 俺が食らった胞子から苔が成長する魔法の変形か。だがスピードと成長率が異常だ。

 イラついた調子で、レグリムが足元を踏み鳴らした。


「くだらん、くだらん、すべてがこうだ。たった7年、7年のうちに、アグロスがバンギアを蝕み、何もかもが狂った! 嘆かわしい、私は長老会の一員なのだぞ。何が断罪者だ、ローエルフがハイエルフを裁く事など」


 銃声が言葉を遮る。

 信じられない顔で、血の流れる自分の腕を見つめるレグリム。


 花と葉をかき分け、フリスベルが顔を出した。

 その体には、傷ひとつ無い。


「私は断罪者、フリスベル。この銃と外套にかけて、あなたを逃しはしません。投降してください、レグリム」


 毅然と立ち向かうその目に、もはや迷いなど存在しなかった。

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