7妥結は玉虫色

 俺もガドゥも、あのクレールやユエでさえ、目の前の光景に戸惑いを見せる。


 相手は、一億二千万の人口を誇る日ノ本の、内閣総理大臣。

 実質的な指導者だ。


 経済でも軍隊でも人口でも全てにおいて、ポート・ノゾミやバンギアより圧倒的に上位の国家。その最高指導者を相手にしては、気後れは仕方のないことなのか。


 だがギニョルは最初に一歩を踏み出した。


「ようこそお出でくださいました。私は悪魔、ギニョル・オグ・ゴドウィ。断罪者の長にして、島の議会テーブルズにおける、悪魔の代表を務めております」


 丁寧に礼をするギニョル。俺達もその部下として、並んで頭を下げた


 善兵衛は仏頂面で断罪者を眺めまわした後、ため息を吐いて立ち上がった。

 隣に居た自衛軍の幕僚長らしいのと、防衛大臣も立ち上がって、こっちへ歩み寄る。


「日ノ本国首相、山本善兵衛だ。ぶしつけな訪問を、謝罪させていただこう」


「いえ、お気になさらず」


「防衛大臣の笹谷ささや良治りょうじと申します」


「自衛軍統合幕僚長、御厨みくりやたけしです」


 防衛省のトップに、陸海空の自衛軍トップ。日ノ本の軍事に関する最高権力が目の前に集まっている。


 こいつらは、後数十年生きるだけのただの人間。魔法も使えなければ、幕僚長以外は銃も使えない。つまり島では話にならない存在のはずなのだが。


 この雰囲気は何だ。唾一つ呑み込むのも、まばたきさえ重荷に感じる。

 これほどの政治家に、島では出会ったことがない。


 ギニョルが口を開きかけたが、善兵衛がそれを制した。


「……どうぞ、まずご着席頂こう。部下の方々も。あいにくと、ドラゴンピープルの席は用意できていないが」


「お気遣い感謝いたす。が、それがしは、床でよろしうござる。この鱗に椅子の有無など関係はござらん」


 戦闘ヘリほどもあるスレインが座ると、軽い振動が響いた。ようやく人心地ついた俺達は、ギニョルを筆頭に三人に対面して着席した。


「先に伝えておこう。まず、当面、あなた方が死刑になることはなくなった」


 首相にそう、切り出され、俺は内心胸をなでおろした。


 マロホシのお陰だろう。ここまで俺達の良い面が国民に知られてしまったら、死刑にすれば反発を招くし、盤石の支持にひびが入る可能性もありうる。


「ということは、わしらを死刑にするつもりで拘束していたのじゃな。しかも、これからも、拘束を解くこともなければ、いずれ死刑にする可能性も消えぬと」


 ギニョルの一言で、山本の唇が歪んだ。目は笑っていない。


「馬鹿ではないようだな。さきほどの所作といい、異世界なりの礼儀は知っている」


 クレールが山本をにらみつけるが、包囲した兵士が89式のセレクターを切り替える。俺もテーブルの下で腕をつかんで、首を横に振った。


 クレールは鼻を鳴らして黙る。ギニョルが首相に応えた。


「そなたらより、二百年は余計に生きておるからの。バンギアより随分と数を増やした人間よ」


 赤い瞳が撫でまわす様に、善兵衛と、防衛大臣の笹谷、幕僚長の御厨を映した。笹谷と御厨は、引きつけられるようにギニョルを見つめている。


 見た目は妙齢の女ながら、その年齢、二百八十六歳。人間を超えた別種の貫禄は、ただの人間の権力者にも通じるらしい。


 善兵衛を除いて。


「もうよせ。私も悪かった。ここへは交渉に来た。御厨幕僚長、説明を」


「はっ」


 御厨が短く返事をすると、影のように近寄ってきた兵士が戦略地図を広げた。


 地図は三呂の詳細なものだった。住宅地図というか、営業活動や不動産関係の仕事で使いそうな丁寧なものだ。


 兵士は退き、御厨が一礼をして、俺達と首相達に説明を始める。


「現在、三呂市は特別法の適用中です。事実上の戒厳令と考えて頂いて構いません。国民の外出は禁止されています」


 マロホシから聞かされた情報ではあるが、そのことを顔に出したら不興を買うだろう。

 御厨は地図にあちこちに示された円を指でなぞった。


「この円は、ヤドリギが確認されている範囲です。現在、当該建物を封鎖し、警戒を行っておりますが、断罪者の皆様にはこの警戒作業を、自衛軍の特務部隊として手伝っていただいて」


「待ってください。まさか、人間がヤドリギを植え付けられたのですか!?」


 フリスベルが立ち上がる。善兵衛がにらみつけた。


「話を最後まで聞け、ローエルフ。君はその悪魔を超える年長者ではないのか」


「聞き逃せません。ヤドリギは恐ろしい植物です。魔力の無いアグロスの人間の方々の体内に植え付けられれば、エルフでも見抜けません。種を蒔いた存在を倒さない限り、樹化が、どこまでも広がってしまうのですよ!」


 フリスベルがここまで怒るなんて珍しい。だが、だいたいの事態は想像できる。あの厄介な樹化を強制的に起こさせ、さらにそれを広げてしまうらしい。


 そんなヤドリギを植え付けられた奴らが、三呂に居るってのか。


 とんでもない事態になっている。黙り込んだ善兵衛に向かって、フリスベルが声を荒げる。


「やっぱり、攻撃したんですね、あの壁を。あなた方が味方にした、エルフの話も聞かず。種の時点なら、魔力の分かる者が居れば、見抜くことができたはずなのに。攻め込んできた者に、戦闘のどさくさでくっつけて、発芽させるのがヤドリギの」


「異世界人を自衛軍に組み入れる法律など無い! 国境管理官のことは、外務省で与っている! 国民と国土防衛のために、自衛軍を出動させただけだ!」


 善兵衛にどなりつけられ、フリスベルは呆然と着席した。


 雰囲気が悪くなっている。一部始終を聞いていたギニョルが、静かに言った。


「わしらには、そのヤドリギの犠牲者を止める手伝いをせよと言うのじゃな。引き換えが恩赦か」


「保証はできないが、できるだけのことはする。もう、報道機関は統制できない、ヤドリギのことは、すぐにでも世にばれる。お前達は自衛軍と共に国民を守ってくれた英雄となる。死刑になどできるはずがない。悪くない取引だろう」


 傲慢な物言いだ。まあ、国会であれだけ吠えていたように、俺達のことが嫌いなのだろう。


 要するに、日ノ本は自信満々で自衛軍を繰り出しながら、境界を突破できず、集めた兵士にヤドリギを植え付けられて送り返され、対応に四苦八苦しているということだ。


 それでも、ごり押しで事態を納めて、めでたしめでたしということにするつもりだったのだろうが。マスコミを操るマロホシに俺達の存在を暴露され、断罪者を頼れという声に、しぶしぶ従ったポーズを取ったのだ。


 フェイロンドの奴、こっちには干渉しないとか調子のいいこと言いやがって。しっぺ返しどころか、街ひとつ、下手すりゃ県や西の大都市に凄まじい被害が出るレベルの報復だ。


「島の情勢は分かっておるのか。橋そのものが破壊されていないなら、電話線は生きておるはずじゃろう。GSUMも知っておるじゃろうが、あやつらは島とネットの端末も開いておるぞ。どうせ裏で結びついておるのであろう?」


 そうだ。三呂も大事だが、肝心なのはそっちだった。

 ギニョルの言葉に、防衛大臣の笹谷がうつむく。幕僚長の御厨は、ため息を吐いてネクタイをいじった。


 善兵衛は腕を組み、むっつり黙りこくっていたが、やがて机に拳を叩き付けた。


「橋頭保は奴らに占領されてしまった! 駐屯戦力の三千は、大陸で新しい崖の上の王国や、貴様ら悪魔と吸血鬼の軍勢、手を結んだそこのユエ・アキノの姉のララ・アキノに追い詰められ、わずかな基地に立てこもるのみ! 島は今や、バンギアにおける始原の森そのもので、日ノ本からの救援を待っている状態だ! 将棋でいう積みなんだ、我が国の軍事的な行動はな!」


 高圧的な態度に、反感も怒りも沸かない。善兵衛の頬を、汗がつたった。こちらを見上げる顔、歯を食いしばって耐えるような表情だ。


 8年前の就任当時、59歳。今は67歳を迎え、老齢もにじみ出ている。


「後は、地位協定に基づいて、メリゴン軍の出動を求めることしかない。だがそれは、我が国の軍事的存在感の放棄を意味する。あれほど自衛軍を鍛え抜いた我が国が、自国土すら守れないということになる。あの屈辱的で、おぞましい、平和主義とかいう思想を、蘇らせることになってしまう」


 かつて日ノ本との戦争に勝ったメリゴンは、日ノ本の各地に基地を作り、引き換えに日ノ本の防衛を引き受けることを約した。そうでありながら、自衛軍がある日ノ本の姿はいびつなものだが、善兵衛は自衛軍を強化することで、メリゴンの干渉を排除するつもりだったのだろう。


 紛争での自衛軍の活躍と、そんな善兵衛の姿勢は国民の強烈な支持を取り付けたのだが。


 紛争の真実は、善兵衛の施政をまるごと覆すことになる。軍隊を作って自分たちで国を守ることなど不可能だ、と。


 どうやら、メディアを操る連中が善兵衛を見限ったのは、もっぱらマロホシのせいだけじゃないらしい。


 総理を心配そうに見下ろして、防衛大臣の笹谷が俺達を見渡す。


「総理、あまり考えを詰めすぎませんように……。断罪者の我が国での地位ですが、現在防衛相と法務省で議論し、自衛軍の組織に関する特別法を編纂しております。今夕には成立しますので、皆さんは、自衛軍の独立遊撃部隊として振る舞うことができます。いつも島でやっておられるように、ヤドリギと戦い、我が兵士と国民を守っていただきたい。総理は努力とおっしゃいましたが、防衛相としては、あなた方の罪には恩赦が施されるよう全力で動きます」


 政治理念は総理より薄いが、それゆえの現実的な見方か。防衛相は俺達を味方につけたいらしい。


 何となく話が落ち着いた雰囲気に、クレールが挙手して立ち上がる。


「……吸血鬼のクレールだ。質問があるが、あっちのことは本当にいいのか。お前達の国土であり、同胞である国民も、数千人は、このまま犠牲になってしまうんだぞ」


 指摘と言うより、訴えや願いに近い。断罪者をヤドリギへの抵抗に使えば、島のことはがら空きになる。


 答えたのは幕僚長の御厨だ。


「戦略的に言って、もはや自衛軍がバンギアの同胞を救援し、国民と国土を保護することは不可能なのです。数千を救うために、数万の犠牲を費やす命令は、自衛軍を与る幕僚長として決して容認できるものではありません。といって、このうえメリゴン軍を出動させれば、それこそ、紛争が再燃するでしょう」


 メリゴンは、自衛軍とは別の意味で甘くない。バンギアの手つかずの天然資源、魔法技術、あらゆる魅力的なものを収奪にかかるだろう。幕僚長はそのへんを分かっている。


 唇を結んだクレールに、さらなる嫌味が飛ぶ。


「……それとも、あなた方は、島に派遣した軍勢の数倍の規模を持つ、我が自衛軍の精鋭が成せなかった、シクル・クナイブの断罪とやらを、たった七人で成せると思っておられるのでしょうか」


 口惜しいが指摘通りだ。シクル・クナイブにはそれほどの数が居ないと思うが、たった七人で勝利することは現実的ではないのかも知れない。


 フリスベルが無念そうにうつむく。フェイロンドの断罪を最も強く目指しているのはこいつなのに。


 善兵衛が体を起こした。


「もし、仮に断罪に成功でもされて、ポート・ノゾミが独立するようなことになれば、それこそ我が国の恥の上塗りになる。私の目が黒いうちは、テーブルズの承認はできない。あの悪魔の思い通りにはさせん。我が国が練り上げた条件は以上だ。さもなくば、どんな手段を使ってでも、お前達を自由にすることはあり得ない」


 疲れた雰囲気が、威圧的に変わる。鋭い視線を受けて、ギニョルは黙りこくっている。


 言葉通り、対ヤドリギ以外は断罪者の活動を絶対に認めないのが日ノ本の方針か。


 マロホシは自信満々だったが、責任のない裏の権力者にいくら取り入っても、権限を持った連中を直接動かせない以上、ここが限界なのだろう。これでも、死刑よりは大分マシになったか。


 断罪者と日ノ本高官、全員の視線が降り注ぐ中、ギニョルはとうとう言った。


「……その条件、お受けしよう」


 何てこった。

 いや、現実的とも言えるのか。


「ギニョルさん!」


「だめだよ、フリスベル!」


 立ち上がり、つかみかかろうとした小さな体を、ユエが抑え込む。


「見捨てるんですか、皆を。私は、私達は死刑を免れるためにここに来たんじゃないでしょう! 断罪者の法と正義は、こんな妥協で閉ざされていいものじゃない!」


「フリスベル……」


 抑え込むユエにも、涙がにじむ。無様をさらさないよう、俺はひたすらに唇を噛んだ。ガドゥとクレールは目を逸らしてうつむいている。


 ギニョルは眉一つ動かさなかった。


「スレイン、フリスベルとユエを連れて退出しろ。部下が、失礼をいたしました」


 深々と頭を下げられ、善兵衛の表情が少しだけ和らぐ。


「いや、今は、そちらの背負ったものも分かる。国会でのテロリスト呼ばわりだけは、取り消させていただこう」


 差し出された手。ギニョルはためらいなく握手に応じた。


「……謝罪を、お受けする。我ら断罪者、ヤドリギの脅威から、この国家を守るため自衛軍の一員として力を尽くさせていただく。短い間だが、よろしくお願い申し上げる」


 笹谷と御厨が、ひと息ついて額の汗をぬぐった。


「射撃準備、解除しろ」


 御厨の命令に、ようやく俺達をめがけた銃口が上がった。


「こんな、こんなことのために、私達は島を守ってきたのですか! 答えてください、ギニョルさん!」


 スレインにつかまれたまま、格納庫を引き出されていくフリスベル。


 死刑は免れたが、断罪は不可能。

 俺達は涙を呑んで、玉虫色の解決を受け入れることになるのだろうか。

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