23断罪者ガドゥ

 果たして、取引などしてよかったのか。じっくり考えたかったが、その後の一か月間、俺達は忙殺されることになった。


 ギーマの死んだバルゴ・ブルヌスが、後継者をめぐって内紛を起こしたのだ。


 ギーマは組織の力を増すため、ゴブリン以外の人種を幹部として取り立てていたが、それが仇になってしまった。ダークエルフの幹部、吸血鬼の幹部、悪魔の幹部、そしてギーマに継いだゴブリンの幹部とその派閥が、次の首領をめぐって、争い始めたのだ。


 抗争は俺達断罪者の干渉が及ばぬホープレス・ストリートからはみ出して、ポート・キャンプやマーケット・ノゾミ、果てはホープ・ストリートにまで波及した。互いのメンバーやその家族を狙い、次々と銃撃戦や爆破事件が起こった。


 一か月間、断罪に次ぐ断罪。十人もの一般人の犠牲は出してしまったが、マフィア組織バルゴ・ブルヌスは主要な幹部のほとんどが施錠刑となり、その多くが断罪活動中に俺達の銃弾に倒れた。


 そうやって気が付いたときには、バルゴ・ブルヌスはギーマの居た頃とは比べ物にならないほど弱体化し、すっかり勢力も衰えてしまった。


 ホープレス・ストリート自体は相変わらずの危険さなのだが、バルゴの饗宴を掲げて、カルト的な破壊活動を行う強力な組織は、もう出ないのかも知れない。


 ガドゥは一連の事件で特に勇敢にはたらき、テーブルズからも特別賞与をもらったほどだった。


 他方で、対ギーマでは共に懸命に戦ったはずの俺は、命こそ落とさなかったが、あまり活躍できなかった。それどころか、事件が落ち着いた後、ギニョルから溜まっていた十枚もの始末書を書かされた。そのうえ、今後は休暇中の行動に使い魔が付くそうだ。



 さて、その使い魔を伴って、俺が乗っているのはポート・ノゾミとロウィ群島の一島を結ぶ漁船だ。


 パイロットシップを改造した漁船は、舳で強く海水をはねている。

 潮気をはらんだ風は、からりとして心地いい。小さく波立つコバルトブルーの海がどこまでも広がり、ところどころにカモメに似た鳥山も見える。


 心が洗われそうな風景だが、ガドゥは舳に座ったままぼーっと風に吹かれている。


「……よう、お疲れ」


「ああ」


 俺の声に振り向いたガドゥだが、いまいち声に力がない。

 疲れだけではないのだろう。再び船のしぶきに視線を落とし、まぶしそうに眼を細める。


「あっという間だったな、バルゴ・ブルヌスが終わるのは」


「そうだな。お前の活躍のおかげだ」


 俺の言葉に、ガドゥはあいまいにほほ笑んだ。苦笑に近い。


「……いや、ギーマには敵わねえよ」


 残党との銃撃戦で、ガドゥはときどきあのギーマを思い出させる鬼気迫る無茶をやらかした。それゆえの手柄だが、死とも紙一重だった。


 燃え尽きたように太陽を見上げて、ひとりでにつぶやく。


「本当に、ざっと、済んじまったなあ。バルゴ・ブルヌスなしじゃ、おれ達ゴブリンが力を手にするのは遠くなるぜ。おれは、ゴブリンにも掟が要ると思って、断罪者になったんだけど、もう同族とやり合うことは減るのかも知れない」


 同族に法をもたらす。それがガドゥの戦う理由だった。


 ガドゥが特に必死になったのは、ギーマに続くゴブリンの幹部が饗宴をやったときだ。あのときのようにナイフを使った。あのときのように、胸元を突いて仕留め、あのときのように、馬鹿野郎と絞り出していた。


 ガドゥの耳がしおれていく。ひどく疲れて見える。


「……お前、まさか」


「その先は言うな」


 それきり、ガドゥは黙ってしまった。


 二十分ほど無言の時間が続いた。日差しに揺らめくのは、フリスベル達の暮らす島だ。


「騎士、見えてきたぜ」


「ああ……元気でやってるのかね」


 ニヴィアノと、くじら船のダークエルフ達。


 マヤとの取引で、武器密輸の件は裁かれないこととなり、ガドゥと俺の口利きで、フリスベルは彼らを自分の暮らす島に受け入れ、世話を任せている。


 俺とガドゥは、落ち着いたらその様子を見に行くことになっていたのだが、この一か月というもの、断罪に次ぐ断罪で時間が取れなかった。


 今日やっと休暇をもらい、ようやく来ることができた。


 船は人工島をのぞむ真っ白な砂浜に着いた。


 岸辺に近づきすぎると、座礁の危険がある。底が透き通って見えるような、遠浅の澄んだ海に、漁船は碇だけを下ろして停泊した。


 振り返ると、うっすらとポート・キャンプの雑然とした様子が見えるが、この島自体は、血生臭い抗争が嘘に思えるほど、静かで穏やかだった。


 フリスベルがやたら帰りたがるのも分かる気がする。月並みな表現だが、心が洗われるようだ。


「……あ、おーい! ガドゥ、騎士、来てくれたんだ!」


 浜辺で飛び上がり、叫びながら手を振るのは、黒のツーピース水着に、薄いパーカーを一枚だけ羽織ったニヴィアノだった。

 ほかにも、二人のダークエルフが居る。隣には、真っ赤なリンゴがいっぱいに詰まった木箱が三つある。収穫したものだろうか。


 ニヴィアノ達は、そばにあるボートに木箱を乗せると、海に入ってこちらに近づいてきた。三人でボートを押しながら、ばしゃばしゃとしぶきを上げる。


 漁船に近づくと、びしょ濡れのまま這い上がってくる。甲板にざばっと出てきたのは、健康的な褐色の体に、引き締まった腹、形のいい尻や胸、へそが愛らしい。


 それがいきなり、ガドゥと俺に、がしりとしがみついたときは、本当に驚いた。


「ひさしぶりー! なんか島の方大変だったんでしょー。しばらく引き取りの船が来なかったんだよ」


「あ、ああ……なんというか、刺激が強いな」


 ガドゥが立ち尽くしたまま無言になっている。水着の美人から、こんな熱烈な歓迎受けたことがなかったのだろう。


「……あ、ごめんごめん」


 身体を離したニヴィアノ。役得を楽しんだ罰か。俺達はすっかりびしゃびしゃになっちまった。


 その後、ボートに乗り換え、引っ張ってもらって浜に上がり、身体を乾かしがてら、ニヴィアノの案内で島を見て回った。


 フリスベルは今日も勤務で、あいつが休めるのは明日だ。ニヴィアノ達は留守を預かる形になっている。今は島の魔力の分布を調べながら、道や港を整備しつつ、庭や果樹園にする場所を探しているらしい。


 まだほとんどが森や野原の島をまわり、最後に辿り着いたのは、海を臨む丘の上だった。

 頭上に鳥が輪を描き、見下ろせばポート・ノゾミまでつづく穏やかな海。振り向いても、バンギア大陸まで続く穏やかな海だ。


 草を短く刈り込んだ中に、小さなれんがの花壇がある。

 植わっているのは、二つの白い花。見覚えのある形をしている。


 ニヴィアノはしゃがみこむと、短くなった右手の人差し指でそっと花弁に触れた。


「覚えてるよね……これ、大母様の最期の花なんだ」


 忘れようとしても、忘れられない。くじら船の武器商人でありながら、争奪戦を戦い抜いたブロズウェル。その存在なしには、バルゴ・ブルヌスの壊滅も、満ち潮の珠の破壊もあり得なかったに違いない。


 ガドゥがしゃがみこんだ。緑色の細長い指で、みずみずしい葉をなでる。

 指先が震えている。思い出しているのだろう。


 ニヴィアノが、そっとその背に手を触れた。


「私達、ダークエルフはね、風と共に現れ、風と共に行くの。だから、死んじゃった人のことはあんまり構っちゃいけないし、みんなで一か所に住んだりしない」


 旅から旅がダークエルフという種族の性質。それゆえに紛争によって乱れたバンギアでは、ひどく傷つけられることになったが。

 ガドゥが膝をついた。うずくまる小さな体を、ニヴィアノがそっと包み込む


「……フリスベルさんには、まず最初に、この花を植えられる場所を聞いたんだよ。花が育っても大母様が甦るわけじゃないけど、寂しくないように、このあたりを、同じ花でいっぱいにしてあげるんだ」


 ポート・ノゾミと、バンギア大陸を見渡せるこの丘を、か。


「それから、みんなで、この島で生活できるようにするの。フリスベルさんにも恩を返して、何年かかってもそうしようかなって。うん、もう悪いことなんて絶対やらないで……ガドゥ、泣いてないで、しっかり見ててよね?」


 頬をよせたニヴィアノに、ガドゥはただただ、うなずいていた。


 他のダークエルフが呼びに来て、ニヴィアノが去った後。


 ガドゥが涙をぬぐって、立ち上がった。

 ジャケットのポケットから、分厚い紙でくくられた手紙を取り出し、じっと眺めている。

 やがて、俺の方を見上げて口を開いた。


「騎士、おれは……」


 言いかけた肩をぽんと叩く。この小さい体に、よくもまあ大層な悩みと苦労を背負い込んでいたものだ。


「分かってるさ。そいつは、どうするべきだろうな?」


 ガドゥはうなずくと、手紙を空中に放り投げる。間髪入れずナイフを取り出し、ひと息に切り裂いた。

 冴えた腕だ。手紙はあっという間にばらばらの紙切れとなり、丘を吹く風に運ばれていった。


 ナイフをしまうと、紙片の行方を目で追いながら、ガドゥがつぶやく。


「……馬鹿だぜ、おれ。まだまだ、やることはあるってのに」


 バルゴ・ブルヌスが弱まっても、あのフェイロンドが率いるシクル・クナイブは健在だ。ニヴィアノ達をとりまく、武器密輸の利害もまだ残っている。GSUMや自衛軍が、彼女たちを消そうとするかもしれない。


 いくらでも、俺達が戦うべき相手はいるのだ。

 自分でも意地が悪いと思ったが、ニヤつきながら、ガドゥに視線を送る。


「まだ断罪者はやめられない、か?」


「そんなところさ。……戻ろうぜ、訓練付き合ってくれ」


「熱心なこった。いいぜ、行こう」


 ガドゥについて山道を降りる。


 十分も歩けば漁船に着くだろう。それから一時間も揺られれば港、そこから一時間歩けば、警察署の訓練所。

 馴染みのロッカーには、ここのところしょっちゅう持っていた相棒のショットガンが眠っている。


 もう一生分、銃声を聞いた気もするが。俺達は、ノゾミの断罪者だ。


 ポート・ノゾミと、そこに暮らす者を苦しめようとする奴が居る限り。

 戦いが、終わることはない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る