25黒い森に突き刺さる火

 家の当主と一族が集まり、このダークランドのために初めて力を合わせようとしている。


 いよいよこのダークランドも、国としての第一歩を踏み出すのかもしれない。もちろん、それはこの死線を越えられればだ。


 ときの声の中に、小さな羽音が聞こえる。


 誰も気づいていないらしい。はえが、テーブルの中央に向かう。食い物にたかりに来たか。吸血鬼の嫌う虫は、使い魔で掃除してあると言っていた気がするんだが。


『やはり、ギニョルは大したものだ……楽しみが近づいた』


 はえの目が小さな紫色に光る。これは使い魔、一体誰のものだ。


 そう思った瞬間、轟音と共に、天井が崩れた。


 がれき片が降り注ぎ、炎の塊が落ちてくる。


 爆発が続く。今度は窓側に、三発、四発、下座に座った悪魔と吸血鬼が一族ごと巻き込まれた。


 俺も粉塵とがれきにまかれた。


「う、ぅ、どう、なってんだ……」


 砕けた天井の破片の中で、俺は体を起こした。右腕と頬に火傷を負ってしまった。吹っ飛ばされて、壁に叩きつけられ、ガラス片も胴体にもらっている。取り出すのが面倒そうだ。


 百人近い人数が並んだテーブルが、がれきで砕かれ落ちてきた炎で燃えている。壁や砕けた窓の端、カーテンにも火がしがみついている。


 外に広がる森に向かって、こうこうと明かりが降り注ぐ。爆発でやられた屋敷が燃え上がる光だ。ダークランドの夜特有の闇がどうもうな光に切り裂かれ、茂みや森を照らしている。


 この部屋を脱出しないとまずい。いつ崩れるか分からん。


 壁に横たわり、赤い髪をがれきに枝垂れかけているギニョルに呼びかけた。


「おい、ギニョル、ギニョル! クレールも、無事か」


「うぅ……騎士か」


 どうにか目を開けたギニョル。片方の角がへし折れ、どこかを切ったのかほほに血がにじんでいる。


「僕も、なんとか……ニュミエ様、しっかりなさってください!」


 クレールは比較的軽傷らしい。すぐにがれきに埋もれたニュミエを助け起こした。


「くっ……どうして、こんな……」


 目を覚ましたニュミエは、目の前の光景に呆然としていた。爆発は一撃目で天井を崩し、二発目、三発目、四発目は下座側の窓の周辺で起こった。


 百人がけのテーブルは広い。俺達断罪者と、この場をまとめるニュミエとロンヅほか、上座に居た者は死を免れている。


 だが直撃した場所の周辺は、悪魔や吸血鬼だった無残な焼け焦げが飛び散っていた。


 腕や足を失い、大やけどをしてうめいている者の近くに、火のついたがれきが落下してくる。


 この場に居た悪魔と吸血鬼あわせて四十数家、その半分くらいは、さっきの爆発で死んだか、しばらく戦うことができなくなった。


「イーレ、サナト! 早く助けなければ!」


「だめよ、死ぬつもりなの!」


 亜沙香が、ニュミエの胴体を捕まえて止めている。


「私が、やる……」


「お父様!」


 車いすを放りだされたロンヅが、苦しげな声で呪文を唱える。


『ゲオイス・ジエイブ』


 渦を巻く魔力が体を包み込み、悪魔としての姿に戻る。


 スレインに迫る巨体、渦を巻く尻尾の蛇、がれきや火はもろともしない、ゴドウィ家当主の怪物としての姿だ。


 ただ、その体はまだ負傷が塞がりきっていない。亜沙香をかばって、旧式とはいえ、多量の銃弾を浴びてしまったからだ。操身魔法に長けた悪魔が何人も集まって処置を施し、やっと一命とりとめた所なのだ。


「しっかりしてください、皆さんが死んでは、名家の名が失われます……」


「ロンヅ、か、すまない」


 火のついたがれきを押しのけ、負傷した悪魔や吸血鬼を救出していくロンヅ。火傷を負い、血を流しながら、ドネルザッブ家の当主の悪魔が救出される。


「さあ、早く、こちらですよ、上座の側は被害が少ない」


 倒壊しかかる壁を支えるロンヅ。相当の重さに、みしみしとすさまじい音がしている。出血が再び始まったが、瘴気を吐きながらこらえている。


「ロンヅ様、かたじけのうございます」


 吸血鬼達が、負傷者を抱えてこちら側に歩いてくる。生存していた悪魔もだ。重傷者も少なくないが、即死しなかった奴らは大体救出できそうだ。


 俺とクレールは、断罪者のコートとマントから応急処置用の道具を取り出し、やってきた悪魔と吸血鬼に手当を施し始めた。


 ギニョルも回復の操身魔法で参加している一方、すっかり娘に戻って、父親を心配していた。


「いけませんわ、お父様、そんな体で無理をなさっては」


 代われるものなら代わりたいのだろうが、ギニョルの悪魔姿では、これほどの力が出ないに違いない。ほかに巨体になれそうな悪魔の名家の当主たちは、ひどい傷を負っているか、死んでしまっている。


 びっこを引き、支えられながら、こちらへ逃げる悪魔と吸血鬼たち。ロンヅは腕を震わせながら、瘴気を吹いて耐え続けている。


「だめだよ、僕は、影の薄いガダウィ家の当主、なんだ。この程度できなくては、悪魔の代表が、務まらない。それに、変わっていく悪魔や吸血鬼がこんなに早く死んでしまっては、亜沙香も協力する甲斐がないだろう……」


 膝を折りかけたロンヅが、壁に押され始める。自身も負傷しながら、手当に参加する亜沙香が叫んだ。


「馬鹿を言わないで、一番生きて苦しまなければならないのは、私の家族を殺したあなたなのよ! あなたが苦しむのを見るために、私は全て話した! 後千年は、生きていなさい!」


「はは、無茶言うね、三百歳に近い娘がいるおじさんだよ、僕は」


 軽口が叩けるなら平気だ。逃げてくる最後の吸血鬼が、とうとうロンヅの支える壁の下を通り過ぎた。


 これで脱出できる。そう思ったときだった。


 あちこちをなめる火が強く揺らぐ。

 叩きつけるような低い音が、断続的にあたりを包み込む。


 こいつはヘリのローター音、恐らくはチヌークのものだ。


 屋敷から覗く森の上空にヘリの巨体が見える。プロペラの回転が下降気流を生み出し、ぶつけられた森の木々が激しく揺さぶられている。


 逆光で分かりにくいが、やはりチヌークヘリだ。屋敷に対して右の側面を向けるようにホバリングを行っている。


 そのドアからサーチライトの明かりが降ってくる。照らされたのはこの大食堂。崩れてくるがれきから脱出しようと、テーブルの周囲を必死に歩く、悪魔や吸血鬼達だ。


 夜の種族である彼らは、強い光が得意ではない。壁の影にいる俺でもまぶしいくらいなのだ。破壊された大きな窓越しに照らされ、眩惑されて足を止める。


 地上の敵戦力を、探照灯で補足したヘリ。その後乗員がどうするのか。連中は敵国土の破壊と敵国民の殺傷を任務とする陸戦自衛軍だ。


「やめろ、やめろおおおおっ!」


 クレールの悲痛な叫びに、無慈悲な銃声が重なる。


 チヌークにはドアガンとして軽機関銃が増設されていた。

 銃弾の豪雨が降り注ぎ、ローターの回転音の合間に、ダークランドに暮らした悪魔と吸血鬼が、次々と倒れ伏していく。


 ロンヅが逃がした三十人ほどのうち、二十人ほどがこと切れて動かない。


 呆然と見守る俺達。ロンヅは操身魔法を維持できなくなり、その巨体が魔力となって散る。放心したように倒れた壁のそばに座り込んでしまった。


 もう、言葉が見つからなかった。このバンギアで、悪魔や吸血鬼は人間に対する捕食者だった。長い歴史を通じて散々に人々を苦しめてきた。俺を下僕半の身に落とし、流煌を奪い、亜沙香の運命を変えたのもこいつらだ。


 だが、ここまで共に戦ってきた、ギニョルとクレールの同族でもある。


 ついさっきまで、自分達の都合を並べ立ててぎゃあぎゃあわめき合ったり、この地を守るために団結したりしていた奴らだ。


 何人、残っている。

 砲撃で負傷して、銃に対して成す術もない奴らだ。女も、子供も、老人も当主もいっしょくたに撃ちまくりやがって。


「あぁ、みんな、み、な……」


「しっかりして、あなたは生きてる」


 崩れ落ちるニュミエを支え、亜沙香が窓の向こうを見上げる。


 チヌークが機首を左に傾け、森から屋敷へと近づいてくる。屋敷の広大な庭園の上空で留まると、ロープを下ろした。ライトで照らされた芝生めがけて、迷彩服の兵士が降下してくる。


 照らされた庭と窓の境目あたりには、深くえぐれた破壊の痕跡。これは砲弾の炸裂の痕だ。最初の惨事を引き起こしたのは、屋敷を狙って放たれた迫撃砲弾だった。


 明朝、山を下りてくると宣言した将軍を信じて、この屋敷に話し合いに集まった所を衝かれたということか。


 兵士たちは散開しながら食堂を取り囲んだ。呆然とするロンヅや、かろうじて生きているがれきのそばの者たちにも、容赦ない銃口が付きつけられる。


 無論、重要な会議のために銃器を預けていた俺達断罪者にもだ。


 逆行で表情の分からない兵士の中に、一人、眼もとで光を反射する顔が混じっている。眼鏡のレンズのせいだろう。


 その奥の瞳は、残酷な喜びと共に俺達を見下ろしてくる。89式を構えながら、男は寒気のする笑顔を見せた。


「やあ、ギニョルさん。また会えましたね」


「侠志、きさま……」


 怒りに撃ち震えた声を、心地よげに聞きながら。


 陸戦自衛軍二等陸士、通称“将軍”こと、剣侠志。


 日ノ本の自衛の名のもとに、このバンギアを痛めつけてきた男が、再び俺達の前に姿を現した。

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