24闇の手と手


 悪魔も、吸血鬼も、エルフとは違った意味で美しい顔立ちをしている。


 エルフ達が、陽の光や柔らかい植物を思い出させる温かい印象なら。


 悪魔も吸血鬼も、月の光でも集めたような、透き通る青白い肌。血と見まごう赤い瞳などは、連中とは違った意味で人間じゃないことを思わせる。


 それだけに、感情も見え辛い。

 果たして、涙を浮かべたギニョルに対しても、失笑を漏らす向きもある。


「ゴドウィ家の令嬢よ。落ち着かれてはいかがですか。我々は、この地と我らの家の歴史に従い、不届き物をどう罰するか、話し合っているだけのことですが」


 ガダブ家の当主らしい悪魔が、肩をすくめた。切れ長の目に、通った鼻筋、怜悧そうな印象だ。こめかみの角は力強く上がっている。夜会服も似合うな。


 こいつの言う通り、ギニョルが一方的に感情的になっているようにも思える。


 だが、ただわめくだけなら、俺たち断罪者の長として、ここまでを乗り越えてくることなどできるはずがない。


「失礼した。では聞こう。マウントサースティに最も近い領地を有するガダブ家は、ハプサアラが見せた先の事態の後、どうされていた」


 当主が唇を結んだ。妻らしき隣の女も、言葉が心配そうに見つめる。


「答えられぬなら、申し上げよう。まったく事態に気が付かず、何もしなかった。これは、わが父であるロンヅ・オド・ゴドウィを含めた、このダークランドの悪魔と吸血鬼全てではないか」


 テーブルについた百人近い悪魔と吸血鬼が、言葉を失っていた。

 それは俺もだ。まさかだろう。何か考えがあって、交渉に持ち込んでるんじゃないのか。


 だが、俺の視線にクレールはうつむき、ニュミエもまた、歯をかみしめるばかりだ。


 ギニョルは言葉を止めない。


「悪魔と吸血鬼の会議で、占領の経緯は聞いた。ありそうなことではある。マウントサースティの警護は家の栄誉だ。交代のときまで、他家からの干渉は許されんからな。ほんの一月前、交代に訪れた吸血鬼のエアド家の軍勢が自衛軍に打ちのめされ、当主を殺されて、ほうほうのていで逃げ帰ってきて初めて、皆は、問題を知ったそうではないか!」


 馬鹿な。あまりにお粗末だ。操身魔法や、蝕心魔法、高い能力と長い寿命で、人間からすればけた違いの悪魔や吸血鬼が、これだけ集まってそんなざまだったのか。


 亜沙香が、唇をゆがめている。こんな奴らどう救えというのか、というあきらめきった表情だ。クレールが額に手を当てた。


「その間に、侠志のやつは、味方を引き入れ、資材や重機までヘリで運び、山を要塞化してしもうた! あれほどばかでかい、チヌークのローター音も、普段どこぞの家が使っておるから、誰も気にしなかったというわけじゃ!」


 ここに来るときに乗った、チャームを受けたパイロットが運転するチヌークヘリ。ダークランドの住人にすれば、アグロスの人間をうまく自分の駒として使っていたつもりらしいが。そのせいで、将軍たちに気が付けなかった。


 89式自動小銃、M2重機関銃、RPG-7、てき弾銃、120ミリ迫撃砲RTなどなど。亜沙香の記憶から推察したこれらの装備とその弾薬を十分に確保した状態で、将軍が部隊を引き連れ要塞化した山に潜んでいるなら。


 はっきり言って、ウィンチェスターライフルや、鹵獲品の9ミリ拳銃がせいぜいのここの連中が、家ごとにどう頑張っても勝ち目はない。


「我らとて、手をこまねいたわけではない。悪魔と吸血鬼の会議は、攻勢を主張した家に山へ行くことを許した」


 ドネルザッブ家の領主が反ばくする。

 一応攻撃したのか。だが、結局取引に乗って暗殺をやらかしたってことは。

 ギニョルが冷ややかな調子を崩さない。


「攻撃か。正確に、殺されに行ったと言えばよかろう。敵兵力は、七年前からこのバンギアで戦ってきた者たちを集めた、自衛軍の古参兵が一千人。全員がわしらのやることを知り抜いている。魔法の届かぬ陣地から、相当苦しめられたことじゃろうな」


 せせら笑うような調子に、ガダブ家の領主が立ち上がった。


「貴様、減らず口が過ぎるぞ! ゴドウィ家など、影が薄いから面倒なまとめ役を任せてやっただけのことだというのに。家長ですらない、小娘が。あの汚い島で、何をしているか知らんが、この地を統べる我らに、偉そうな口を利けると思い上がったか!」


 魔力が取り巻き、悪魔の姿に変わっていく。黒山羊のケルベロスとでもいおうか、三本に分かれた首と、蠅の羽、蛇の下半身を持つおぞましい化け物だ。


 しかも、大きさは、ドラゴンピープルのスレインと張る。


 部屋中に瘴気が満ちていく。俺は思わず鼻と口を覆った。亜沙香も含めた全員が平気そうなのを見ていると、俺は本当に下僕半でしかないのだと実感する。


 山羊の一匹が口を開けて、ギニョルの眼前に迫った。だがギニョルの方はあの悪魔の姿を取らない。


「ガダブ家当主の悪魔としての姿か。吐き出す瘴気は、抵抗できない者の、肺を腐らせ、太い胴で締め上げれば、石積みの見張り塔も砕き、三つ首の山羊のひと噛みは、板金鎧の豪胆な騎士さえ、鎧ごと噛み砕いてしまう。人間にもエルフにも語り継がれる恐ろしい怪物じゃな……」


 まさに化け物だ。イナゴの群れを呼び出したドネルザッブ家のフォグゼニといい、悪魔の当主連中はこんなのばかりなのだろう。人間やエルフが被食者だった理由がわかる。


「じゃが、距離一千メートルから、対物ライフルで狙撃されれば、成すすべもなかろう。12.7ミリの弾頭は、ドラゴンピープルでさえ損傷させる。赤鱗の英雄と呼ばれた、かのスレインが、深手を負わされるのは、断罪者としての事件では、日常のことじゃ」


 それほどの防御力は持たないのだろう。ガダブ家の領主から魔力が霧散していく。


「それが、たった一人でもできるのが、かの山を占拠したあの将軍の自衛軍じゃ。精強を誇る中央即応集団もまた、将軍に掌握されてこの地へ向かっている。奪い、殺し、操ってきた我らに対する慈悲などない。敵の数は、合計二千は超えよう。それに対して、今この地は何人の兵を動員できるか。どのような装備と反撃、防衛の手段があるか、誰かこの場にこたえられる者は居るというのか!」


 ガダブ家の当主がうつむいて黙ってしまった。あれほど、論難してきた悪魔たちがぴたりと声を出せなくなっている。


 再び涙を浮かべたギニョルの迫力、というよりは。

 自分たちがいかに無力かわかってしまったからだ。


 驚いたことに、人口や動員できる兵力の正確な統計は存在しない。


 ダークランドという名はあれど、それは人間やエルフ、ゴブリンなど、悪魔と吸血鬼に狩られる者達がこの地を恐れて、つけただけの名。


 悪魔も吸血鬼も、自分たちを一つの集団と思ったことなど、長い歴史でほとんどない。


 以前触れた気もするが、悪魔も吸血鬼も、自分たちの家を重んじる。

 アグロスでいう王族や大金持ちの名家一族と考えれば分かり易い。


 基本的にあまり領地を出ることはなく、奴隷や下僕を所有し、彼らをアグロスでいう農奴のように扱って、労働させて生活を維持している。会合や、社交のための宴、あるいは他種族への侵略目的の戦争以外で、他家と接触することは少ない。


 領地に引きこもり、数百年に一回くらい争っては、近くの他の家と離合集散を繰り返し、魔法の研究をずっと続ける。ただし、吸血鬼の紅の戦いは除くが。


 それだけでよかった。八百年の寿命と魔法の適性が、このバンギアでそれだけの安楽な暮らしを続けることを、許してきたのだ。


「吸血鬼たちよ、あなた方もじゃ! 連中は蝕心魔法についても知っている。紅の戦いで百戦無敗を誇り、最も武勇に優れたかのヘイトリッド家が当主、ライアル殿がどのような最期をたどられたか。かの敵に、あなた方の誇る戦い方は通じぬ!」


 あまりに青白い顔の吸血鬼達にも、舌鋒は鋭い。


「明朝、もう数時間で、この地は壊滅させられるのじゃぞ。数千年の歴史も文化も、この地で築いたわしら悪魔と吸血鬼の全てが、根絶やしにされようというのじゃぞ。今さら家がどうのと、言うておる場合か! ダークランドに生きる全ての者が結束せずして、生き残ることなどできまい! この場の者全員、本当は分かっておるのであろう。明日の夜を見たければ、今までを捨てる覚悟が求められていることを!」


 それができれば、誰も苦労しない。そんな正論を吐くには、覚悟が居る。

 誰よりも、自分自身をえぐるギニョルの言葉が続く。


「わしの目から涙がこぼれるのは、この地を、皆を愛しておるからじゃ! 二百と八十年を生きた、ダークランドという地を守りたいと思うておるからじゃ! 本当に、本当に奪い殺すことしか、我らにはできぬのか。家や種族の別なく、この地を守り戦うということは、できぬというのか……」


 涙と共に、テーブルに両手をついたギニョル。瞳を隠す真っ赤な前髪、ローブの肩が震えている。


 クレールがその手を取って、立ち上がる。


「……せんえつながら、若輩のわたくし、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドが、ヘイトリッド家、家長として皆様に上げます。わがヘイトリッド家は、所領の区分なく下僕を解き放ち、銃器を分け合い、軍団を編成して夜明けまでにマウントサースティを奪い返しましょう。吸血鬼でも悪魔でも、下僕でも奴隷でも、沼に住む者であろうと、協力してくれる方は拒みません。我らの故郷を、守りたい方にはご協力を願います!」


 食堂に朗々と響く声でそう言って、レイピアを抜いて天井にかかげたクレール。


 果たして、一瞬を置いて、吸血鬼達が同じようにレイピアを抜いた。


 悪魔たちは杖を掲げる。


『故郷のために! 我らのために!』


 あれほど、自家にこだわり、この期に及んでけん制し合っていた連中が、声をそろえてときの声を上げている。


 ギニョルの涙と、クレールの勇気が瓦解寸前の家々を、見事につないだのだ。


「……おしりに火が付いて、やっと動いたのね。助け合う気持ちを持ってるのに、ほかの種族の痛みは理解できない?」


「意地悪を言わないでって、伝えたでしょう」


 亜沙香の冷たい言葉に、ニュミエが目元をぬぐいながらやり返した。


「ヘイトリッド家のお坊ちゃん、いや、立派なご当主と娘のおかげか……」


 車椅子でつぶやくロンヅの肩に、俺は軽く触れた。


「断罪者の長と、狙撃手のガキだ。これくらいやってもらわなくちゃな」


「島に行かせて、よかったというわけだね。あの人間のことがあるから、辛かっただろうに」


 そいつは、誰だ。疑問に思ったが、今は口を挟むときでもない。


 とにかく、ようやく、この闇の地も、ダークランドとして第一歩を踏み出すことができそうだ。

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