32優美な再臨

 新しき森とはなにか。そもそも、フリスベルを受け入れたことで、巨海樹は森を作らなくなるのではなかったか。


 渦巻く疑問を、巨大な現象魔法が吹き飛ばしていく。


「お、おい。な、なんなんだこりゃあ! 一体なにが起こるんだ!」


 ガドゥが不安げにあたりを見回す。スレインたちドラゴンピープルは大したもので、この風の中で身じろぎもしない。ギニョルは人間に戻って、ちゃっかりドーリグの背に避難している。


「花が散るんだよ。飛ばされないように気を付けて!」


 ニヴィアノがそう言った瞬間、魔力のまばゆさが最高に達する。現象魔法が発動するときと同じだ。


 強風が吹き込み、巨海樹を中心にして、すさまじいつむじ風を形成していく。


「花が、散っていく。風が吸い込んでいる」


 スレインの言う通り、咲き誇った花は、旋風の中に吸い込まれ、竜巻の壁の中を渦巻いている。


 花の剥がれた場所には、信じられないことに、樹や植物の残痕すらない。木の実の兵士、巨獣、樹化したエルフにヤドリギの犠牲者、さらに三呂大橋や警察署を閉ざしていた植物までが、花びらとなって散ったのだ。


 根で割られた路面や、植物の重みで壊れた窓など、さすがに樹木が残した破壊痕はまでは修復されない。だが、まさにニヴィアノの言った通り、全てが元に戻っていく。


 無論、それは巨海樹とて例外ではない。

 フェイロンドとフリスベルと、恐らくはレグリムをも呑み込んだとてつもない質量の巨木が、花となって風の中に消えてゆく。幻かなにかのように。


「竜巻が、動くぞ! 皆、背中の者を守れ。一人とて傷つけるな!」


 スレインの号令に、人を乗せて飛んでいたドラゴンピープル達が火を吐いて答える。俺もユエとガドゥの背中をつかんで、スレインの鱗に顔を押し付けた。


 魔力と、風と、虹のようなとりどりの花びらの嵐が俺達を包んでいった。


 花の嵐は、目を閉じて耐えていた俺達を包み込み、十分ほど経つと静かになった。恐る恐る目を開けると、下は別世界だった。


 さすがに、木の根が貫いた痕や、壊された車などはそのままだ。

 しかし、花と化した全てが、綺麗になくなっている。圧巻なのは橋頭保で、巨海樹が開けたでかい穴や亀裂だけをそのままに、はびこっていた植物が全て失われてていた。


 頭上には晴天に綿雲の浮かぶのんきな空。銃声と魔法を飲み込むいつものポート・ノゾミが広がっていた。


「竜巻は、西の海か」


 魔力を辿ったのか、クレールがつぶやく。その場の全員が向き直ると、確かに島の西端のはるか先、水平線の辺りで花びらの竜巻があった。


 花と化したとはいえ、それでも膨大な質量。あれが海に沈めば、それだけで小さな島ほどの規模になるのかも知れない。質量の少ない花びらになったから、落下しても津波を起こすことはないのだろうが。


「探さないと。きっと、あの先が新しい森だよ!」


 ニヴィアノの言う通りだろう。フリスベルが生きているとしたら、あの竜巻の降りる所に違いない。


 全員で追うか。そういう気分は、下を見ていたクレールの言葉で削がれた。


「うん……ギニョル、大変だ、下がきな臭いぞ」


「本当だ。自衛軍と島の人たちがもめそうだよ。銃を出してる」


 並外れた狙撃の腕を持つクレールとユエの眼に、疑いの余地はない。


 勢いで共闘していたが、そもそも今島に居る自衛軍は、こちらの事情を知らず、ただ三呂に駐屯していた連中なのだ。あの善兵衛首相のこと、島の奪還を命令しているのかも知れない。


 フリスベルが咲かせた花は散った。美から現実へ戻るのだ。

 ギニョルが再び悪魔の姿に変わり、ドーリグの背を飛び立つ。紫色の山羊の顔で、瘴気と共に号令する。


「騎士、そなたはドーリグ達と共に竜巻を追え。フリスベルを必ず連れ戻せ。残りの者は降りるぞ。自衛軍と戦いになることも覚悟しておけ」


 ギニョルの命令に従い、俺以外の断罪者は全員降下していった。


 一方、俺はニヴィアノ達と共にドーリグの背に乗り、ちゃっかり来ていた狭山も加えて、竜巻を追って飛び立った。


 飛ぶこと数十分。竜巻は意外にも、島から十キロほど行った所で終わっていた。


 どうやら、小さな島があり、あたりの海が、浅くなっている所だったらしい。


 すでに風はなく、ポート・ノゾミを覆い尽くしていた花びらが、浅い海と島を覆い尽くしていた。


 赤、青、緑、黄色、紫、桃色に、橙色。サイケデリックにさえ思える、巨大な花の丘だ。


 その高さは目測で海から50メートルくらいある。丘を囲む、花の島の面積は、面積四平方キロのポート・ノゾミから目算して、約一平方キロほど。


 あの巨海樹とそれが生み出した全てが花となり、自らの魔力を利用して強大な現象魔法でここまで積もった。


 一時間もしないうちに、地形が変わる光景など、アグロスじゃ考えられない。バンギア人でもそう見ないだろう。


 俺や狭山だけじゃない。ニヴィアノも、ダークエルフも、一緒に来たドーリグやドラゴンピープル達も呆然としている。


 しばらく圧倒されていたが、やがて狭山が、口を開いた。


「確かに、ここにあの竜巻が来たようだが、森はないぞ。やはり、レグリムはただ墜落しただけなのか。フリスベルさんは、もう……」


 全てを捨ててここまで来た結果が、フリスベルの死。もしそうならば、精神が崩れるほどの事態に違いない。


 ニヴィアノが目を輝かせて、丘の中央を指さす。


「違う。違うよ。魔力を感じる。見てて、丘の方!」


 言われるままに見つめていると、再び魔力の光が花の丘を覆った。また風かと思ったら、違う。急速に色あせていく。


 消滅するのかと思ったら違う。これは枯れて腐食しているのだ。臭いはほとんどしないが、元々植物の一部だった花びらが腐食すれば、それは、豊かな土となる。


 一分と経たぬうちに、途方もない量の花びらは、ほぼ同量の土に変わってしまった。


「まさか、あれは芽か。こんな馬鹿な、これも魔法だというのか」


 狭山が叫んでいる。小さい頃教育目的のテレビで見た、植物の早回し映像のようだ。土から次々と草が芽吹き、あっという間に大きくなっては枯れることを繰り返し、丘を次々に肥やしていく。


 十分も立たないうちに、枯れて腐って土に還った草が積み重なり、島は全体の高さを十メートルは増した。


 そこに、さらに芽吹きが起こる。今度は草とは違う。幹と枝を持った、固くしっかりとした樹木だ。


「ドーリグさん、みんなも離れて! 森が生まれるよ!」


 ニヴィアノに従って、ドラゴンピープル達が丘を離れていく。樹木はどんどん成長していく。幹の太さは指の幅ほどだったのが、腰ほどから、人間一人分、さらにドラゴンピープルの胴を超えるほどになる。比例して伸びた枝も分化し、葉も次々に茂っていく。


 これが、一本だけではないのだ。何十、何百もの樹が同時に、いっときに成長していく。


 見守ること十数分。あの巨海樹には及ばぬものの、目の前には、緑を存分に蓄えた大きな森が現れた。


「本当に、森だ。私の、私達の、帰るところが、またできた……」


 ニヴィアノはダークエルフと抱き合って涙ぐんでいる。


 俺も狭山もため息を吐くしかなかった。


 巨海樹は花となった後、さらに森を生み出した。しかもポート・ノゾミを傷つけぬ形で。恐らく、フリスベルとレグリム、両方を供物として受け入れ、その願いを叶えたのだろう。


「む、あれは……島のエルフたちか?」


 ドーリグの言う通り、海域にパイロットシップや小さな船で集まってきているのは、巨海樹を避けて、島から避難したエルフ達だった。


 ダークエルフ、ハイエルフ、ローエルフ、ごったまぜで何重もの船に乗っている。人数は合計して数百人居るかも知れない。


「森だ、森だ!」


「森ができた、戻ったぞ!」


 歓喜の叫び声を上げ、次々に浅瀬に飛び込み、島の端から上陸する。


 ハイエルフもローエルフもダークエルフもない。島を覆う巨木を抱き締め、涙を流してお互いに呼びかけ合っている。


「良かった、本当に、本当に……フリスベルさんも、おじいちゃんも、みんな本当はこれを望んでたんだ」


 ハイエルフからローエルフやダークエルフへ。今まで見て来た同種間の差別や蔑視はなかった。森と共に生き、森を愛してきた種族として、誰もが生まれた森をいつくしんでいる。


 あのレグリムが、フリスベルが、あるいは、フェイロンドがこの光景を作ったのだ。血みどろの闘争からこんなに優しく穏やかなものが生み出せるなんて。


「ドーリグ、俺達も降りよう。狭山、いいか?」


「ああ。あの老人の言葉を信用するなら、きっとこの森にフリスベルさんが居る」


「魔力を、たどるよ。私達も行くね」


 降下すると、俺達を見つけたエルフ連中がごちゃ混ぜになって近づいてきた。テーブルズ議員のワジグルや、子供たちを預けてきたザベルも居た。


 一団となって、奥へ進む。エルフ達はみんな、フリスベルの魔力が感じ取れるのだろう。自然に集まって一緒に進んだ。


 巨大な根を越え、ドーリグ達が草や若木をかきわけ、泉や小川をまたいだ奥。


 最初に見た丘らしき場所、二本の巨木が守る様にそそり立つ、その根元。


 真っ白い肌に天使の様な金色の髪、花のように美しい、一糸まとわぬ姿で、苔むした根に寄り掛かっている少女。


 供物としての役目を終えた、俺達の仲間、フリスベルが穏やかに眠っていた。


 

  

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