31魔力渦巻く、るつぼ

 花はいつ果てるともなく咲き続けた。俺達を襲っていたやつらだけじゃない。島の北側からは見えない場所にまで、鮮やかに染まっているのだろう。


 さっきまで血みどろで戦っていたとは思えない。いや、この戦いだけじゃない。紛争からこの方、利害や法のためにバンギアとアグロスのあらゆる人種が、魔法や銃で戦ってきた島とは思えない光景だ。


 戦意や殺意までが、とりどりの花に流されていく様だ。


 もう戦闘は終結したに等しい。木の実の戦士は、文字通り、棒の様に立ったまま、葉を生やして体中に花を咲かせている。巨獣たちも同じで、巨海樹が魔力を与えた存在はみんな花の中にうずもれていく。


 俺もガドゥもギニョルも、装輪装甲車に突っ立っていることしかできない。

 ユエが下から上ってきた。クレールとスレインも隣に降り立つ。


 ビルも、樹も、一面花畑と化したあらゆる建物や森の間から、ポート・ノゾミを象徴する、白い雲と青い空が広がっている。


 胸いっぱいに吸い込んだら、香水の息ができそうな、花の薫りも漂っていた。


 あの紛争が起こってからか。いやそれ以前、アグロスの日ノ本にあったポート・ノゾミに暮らしていたときでも、こんなに優しい気持ちになったことはなかった。


 銃をとても重く感じて、散弾を抜いて背中に回す。

 ギニョルの号令もないのに、断罪者は全員銃を納めていた。


 自衛軍の兵士も、参戦していたバンギアの軍勢も同様だ。この場の全員から戦う意思が失われている。


 ふわりと柔らかい感触が頭の後ろを包む。登ってきたユエだ。もちろん、銃を納めていた。


 ユエは少し背の高いのを活かしてか、俺を後ろから抱きすくめて、手を握ってくる。特務騎士団として数え切れぬほどの人を撃ってきたのとは、別の優しい少女の顔をしている。


「……素敵だね、騎士くん」


「ああ……」


 夜中、お互いむらむら来て、しがみ付くときの感じではない。気持ちが優しくなって、とにかく誰かに触れていたい、ただそれだけで手を取り合う。


 気が付けば、他の断罪者も集まってきている。


 クレールがM1ガーランドを肩に、花で覆われた装甲車の側面に寄り掛かる。


「穏やかな魔力だ。こんなに優しい力は見たことがないよ」


 ギニョルが座り込んだ。


「魔力不能者にも分かるのであろうな……」


 ガドゥがAKのマガジンを抜いて、M2の銃座に座る。


「おれにも分かるぜ。AKなんて残酷な銃、なんで持ってたんだかな」


 スレインが花びらを撒き散らして着陸。灰喰らいをかつりぎあげて、しみじみと言った。


「天秤が整っている。とても、心地がいい」


 マロホシの病院でくつろいでいるときみたいだ。ほかのドラゴンピープルも同じらしく、花畑にうずくまってなんとも平和そうな顔をしている。


 遠く水平線の近くに見える巨大な実も、花を咲かせて成長を止めている。カラフルなくす玉のようだ。


 レグリムはローブの膝まで花びらに埋もれ、実の方を見つめている。


「巨海樹は女を受け入れた。愛と、美を受け入れた。バンギアで最も温かく、優しい魔力が広がるだろう。清らかな鈴の音が、混沌と戦乱に響くだろう」


 フリスベルの真名は、『清らかな鈴の音の娘』だった。


 レグリムの言うことを信じるなら、巨海樹はフェイロンドではなく、フリスベルを供物として受け取ったのだ。


 男を捧げれば新たな森が、女を捧げれば花が生まれるという。 


 自衛軍と断罪者とテーブルズ。つまり、銃と魔法で紛争を争った日ノ本とバンギアの全人種が巨海樹が作った花に見惚れて平穏の中で陶酔する。


 これこそが、フリスベルの望んだ世界の形なのだろうか。

 

「……大母様の、胸の中みたい」


 しゃがみ込んだニヴィアノのつぶやきは、仲間のため悪に落ち、フェイロンドに利用されて葬られたダークエルフを思い出させる。あの温かさを、ここに居る全ての者が感じているのだろう。


 なぜ銃など持って争っていたのだろう。

 紛争であれだけ傷つけ合って、あまりにも多く悲しみを背負って、まだ傷つけたりないのだろうか。


 フリスベルが抱えていた傷と空虚の意味が分かる。


 柔らかい花を通じて感じられる。


「きゃぁっ!」


 強い風が吹き抜け、ニヴィアノが悲鳴を上げた。


 風は止まない。まるで島を包み込むように吹き続ける。


 七年暮らしたが、この島でこんな天候の急変は珍しい。


「見ろ、巨海樹から、魔力が走ってる」


 クレールに指さされた先、巨大な幹の全体が魔力の光を放っている。

 光は全ての梢から枝を伝わり、葉を伝ってポート・ノゾミを囲む海まで降り注いでいる。


「どうなってんだこりゃあ。この風はなんなんだよ。花が散っちまうじゃねえか! おぉ?」


 飛び上がって辺りを見回すガドゥを、スレインがひょいとつかんだ。


「騎士、ユエ、クレールも来い」


 こちらを見下ろすスレイン。俺もユエもクレールも、その広い背中に乗り込む。

 ギニョルは悪魔の姿を取って、断罪者は上空へと向かった。


 地上四百メートル、後にしてきた樹冠を超えて、ポート・ノゾミ全体を見渡せるところまで上昇する。


 魔力は巨海樹全体を覆っていた。それだけじゃない。


 木が生み出した生き物や木の、実の戦士たち。地中から飛び出した別の根、樹化したエルフ達やヤドリギの犠牲になったアグロス人、つまり花の咲いたすべての物が魔力を放っているのだ。


 ポート・ノゾミそのものが、巨海樹の生み出した魔力の中にあると言っていい。


「これは、魔法陣なのか……これほど膨大な魔力、あの禍神とも比肩するぞ」


 クレールの言う通り、見える範囲全てに魔力の光が作用している。魔法陣は、ポート・ノゾミの周囲の海上に形成されており、島の方では、色とりどりの花々が魔力の光に染められ、晴天を背景にしても不思議に幻想的だ。


「一体、なにが起こるの……? 父様のときみたいな、怖い気はしないけど」


 ユエが俺の手を握り、身を寄せてくる。魔道具で禍神となり、自国の全てを食らおうとした、あの父親のことを思いだしているのか。


「フリスベルがやることだぜ。心配ねえって」


 細い肩を抱き、元気づける。ユエはうなずいて光景を見守る。


「風が強くなってるぜ。なんか、吹き込んできてねえか」


 ガドゥの言う通り、花びらを飛ばしながら、島の中央に向かって風が吹き続ける。


 一匹のドラゴンピープルが、スレインの隣に上昇してきた。緑色の鱗に、片翼で器用に飛んでいるのはテーブルズの議長を務める、ドーリグだ。


「ドーリグ、皆の避難はどうした」


「スレイン殿。しかし、このハイエルフの御仁が、心配はないと」


 背中に乗せたレグリムとニヴィアノとダークエルフを見上げるドーリグ。レグリムが恍惚とした表情で、下に広がる魔力を見つめる。


「……これで良いのだ。正しい終わりだ。たおやかな供物の心に応じて、巨海樹は愛を振りまき、誰一人傷つけることなく去りゆく。爪痕は消え、優しき魔力だけがある」


 分かりにくいと思っていたら、ニヴィアノがこっちに向かって叫んだ。


「女のエルフを捧げたら、巨海樹は平和な花になって、魔力を振りまいて、現象魔法の風になって、花びらごと、全部散るんだよ。花は後に残らない。森も作らないし、残骸も落とさない」


 そういうことか。なら、相当に破壊はされたが、ポート・ノゾミは再び機能を取り戻すことができる。


 待てよ。全部散るってことは、当然――。


「フリスベルも消えてなくなるというのか! 僕たちは、あいつを犠牲にして事態を収拾するのか!」


 クレールが怒声を上げ、止める間もなく、スレインの背を蹴った。

 地上四百メートル、落下すれば吸血鬼だろうが即死の空を渡り、ドーリグの背に乗る。


「答えろ老人! 再び操身魔法をかけてやるぞ!」


 レグリムの胸倉をつかんで詰め寄る。殺伐とした雰囲気になるかと思ったが、七百年を生きた老エルフは、かつてのような怒りを見せない。


「案ずるな……優しき、夜の人の子よ」


 しわだらけの手が、クレールの銀髪をそっとなでる。

 驚いて硬直した手からそっと逃れると、俺達に向かって呼びかける。


「私はこの目で見たのだ! 樹はフリスベルを、美と優しさを選んだ。あの娘は、ローエルフの身で、私の造り上げたフェイロンドを越えた。私の七百年はここに覆ったが、なんという満足か!」


 凄絶な笑みだ。ニヴィアノが言葉を失っている。


「断罪者よ、汚辱と妥協と、欺瞞に満ちた正義と美の法を守る者達よ。エルフを統べる長老会の元一員として、お前達に命ずる。我がエルフで最も優しく美しいかの娘をあなたがたの狂騒に加えろ。フリスベルは、この歪んだ世界で、エルフが育んだ正義と美を体現する者だ!」


 レグリムの言葉は、フリスベルを、俺達の法を認めたのと同じだった。


 スレインの足下、四百メートルにある三呂空港痕で、フリスベルを追い詰めた保守的で偏屈なハイエルフが、とうとう断罪者を認めた。


 簡単な決断ではなかったのだろう。細めた目から涙をこぼしながら、レグリムは笑っている。


 ギニョルが呼びかける。 


「じゃが、あの娘はもう供物として」


「心配は要らぬ。私は七百年の生の意義を、今ここに見つけた! いいか、新しき森を探せ! この私が、必ずや清らかな鈴の音の娘をお前達に届けよう。混沌の中に、新たな正義と美を刻め、断罪者よ!」


「おじいちゃん!」


 ニヴィアノの悲鳴も、クレールの手も届かない。


 レグリムはドーリグの背から、魔力渦巻くポート・ノゾミめがけて身を投げた。


 直後、島を囲む魔法陣ががいっそう強く輝き、風がいっそう強く、とうとう魔力を含んだ花を散らせ、吹き飛ばし始めた。


「新しき森を探せ! 必ずだ、必ずだぞ!」


 正視できない魔力の中心に、レグリムの体は消えて行った。

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