13海鳴の果実


 以前、ギニョルと追った"なり損ない"のドマが、海面に落下して逃走したことがある。魚の死骸を自分の溺死体にでっち上げ、まんまと三呂市に入り込んだ。


 あいつは悪魔であり、操身魔法が使えた。自分の体を部分的にドラゴンピープルに変化させて、銃弾も弾く強靭な鱗で落水の衝撃にも耐え抜いたのだろう。


 ひきかえ、いくら空挺部隊で訓練したとはいえ、ただの人間の狭山と、寿命が延びて少々怪我の治りが早いだけの俺に、そんな器用な真似ができるはずもない。


 50メートルの落水の衝撃はすさまじい。

 即死か、良くても全身骨折から溺死。

 そして死骸は海域に入り込んだ鮫に食われるのだろう。


 数秒で全てが終わる。闇の中、風圧だけが全身を包む。海面がいつ来るのか分からないのが恐怖をあおる。


『心配しないで、騎士さん。味方のエルフは、一人だけじゃないでしょう』


 フリスベルの声で、襟元のげじげじが囁くのと同時だった。


 全身を包む風の方向が変化する。落下中の真下からのものから、弾き飛ばすような横向きだ。


 今どこをどう落下しているのか分からないまま、紙くずのようにぐるぐる回り、気が付くと全身が海水に包まれていた。


 乱暴な着水だったが、うまい具合に落下の衝撃をごまかせたらしい。鼻に海水が入って苦しいが、五体満足で水をかくことができた。


「ぶはっ!」


 辺りは真っ暗。どこがどこやら分からない。流されてるわけではないようだが。ちょうどよく、隣に狭山が浮かび上がった。


「おい、騎士、無事か。なんだ今の風は」


 お互い、怪我はないらしい。それどころか、海水のおかげで、浴びせられた麻痺性の花粉も落ちた。


「現象魔法だろうぜ。横に吹き飛ばされたんだ。おかげで落下の勢いが……」


 言いかけたところで、水中に引っ張り込まれる。

 胴体を何かに挟まれているのか。


 そういや鮫が居るって言ってたっけか。銃剣かナイフでどうにかならんだろうか。殺しても噛まれてしまったから、今さらかも知れないが。


 いや、噛まれてるはずなのに痛みがない。もう死にかけで感覚がぶっ飛んだとか、そういうことじゃない。


 息が苦しくなってきたところで、何かは再び水上に浮かび上がった。必然的に俺も顔を出すことになる。


 また真っ暗か。いや、ぼんやりと明るい何かが照らしている。これは松明の明かり。小舟が俺の隣に音もなく進んできた。


「よしよし、無事だったな、騎士」


 温かく力強い声。びしょ濡れの俺を小舟から見下ろしているのは、銀色の髪に褐色の肌、革鎧に牙の短剣を帯び、マントを羽織ったダークエルフだった。


「ザベルさん。またっすか!」


 ひでえことを言ったが、ザベルは笑顔で手を差し伸べた。


「おいおい、またってなんだよ。それに、俺だけじゃねえよ、あっちを助けたのは、べつのやつらさ」


 言われてそちらを見やると、別の小舟が狭山を引き上げている。あっちには女のダークエルフ、ニヴィアノ。ほかは、ブロズウェルとくじら船に乗ってた奴らだ。フリスベルの島で働いてたはずだが、駆け付けてくれたのか。


「あのニヴィアノは、なかなかいい魔力を持ってるぜ。お前のところのローエルフの嬢ちゃんと同じくらいじゃねえのか」


「確かに凄いけど、フリスベルと張るなんてのは、なかなか……おわっ!?」


一気に足元を押され、俺は小舟の中にひっくり返った。水面に黒と白のつるつるした頭が出てきて、くくく、と鳴いた。


「お前も、また助けてくれたんだな」


 頭を撫でてやると、嬉しそうに海中に戻っていった。三呂に来るとき世話になったシャチ。こいつもザベルの使い魔だったな。


「今は漁どころじゃねえからな、近海にも遊びに来やすいんだ」


「漁って、そうだ、こっちはどうなってるんです。橋頭保が落ちたって本当なんですか」


 俺がたずねると、ザベルは腕を組んでため息を吐いた。


「まあ、いろいろあってな。詳しくは会議場の方で話すけど……おっ、今日の成長が始まる。ちょっと島の方を見てみろ」


 言われるまま、指さされた方角を見上げる。向こうの船では、狭山とニヴィアノたちも同じように顔を上げた。


 境界のある三呂大橋につながってたたずむポート・ノゾミ。いつもの夜なら、三呂市の電力で輝くはずの建物はすべて明かりを落としていた。ホープ・ストリートの歓楽街、ノイキンドゥにある悪魔や吸血鬼の研究棟、それにマーケット・ノゾミの奴隷市場の妖しげなテント、全てが無人らしい。


「シクル・クナイブ以外居ないんじゃ、ずっと真っ暗じゃないですか」


「見てろよ、始まるぜ」


 何がと問う前に、変化が現れた。先にあげた三つの地区と、さらにその周囲、ポート・ノゾミを囲む海域一帯から、上に向かって、線状の光が伸びていく。


「あれは……」


 光は島の中央付近で合流し、大きな柱となって数百メートルは上昇。今度は拡散し、再び横に広がっていく。


 広がりきって再び降りてくるかと思うと、その途中で丸い塊になって留まる。


 光は何度も明滅している。全てが同じ海や人工島の上空で巨大な幹に集まり、たわんだ枝に分かれて、先端に付いた実のようなものに集まっていくのだ。


 まるで巨大な光の樹だ。上空からポート・ノゾミと近海に根を張り、点滅を繰り返しながら成長しているかのようだ。


 ここに来るまで、三呂大橋が樹に閉ざされた光景を見たが。これはそんな規模じゃない。人工島ポート・ノゾミの面積は、警察署やノイキンドゥやホープ・ストリートのある北部だけでも、その面積は4平方キロに及ぶ。あれはそれだけの根圏を持ち、高さは数百メートルという、小山のようなスケールだ。


 言葉を失う俺。ザベルは腕を組んでため息をついた。船を操るほかのダークエルフたちも、松明の下で心配そうな表情で見つめる。


「ああ、また大きくなっちまった……明後日くらいか、実が落ちるの」


 実だって。あの光の塊のことか。あれはやっぱり樹なのか。しかも落ちるって、あんなもんが落下したら、それこそ質量弾になる。島はめちゃくちゃになっちまう。


「あれは何なんです、ザベルさん! 一体フェイロンド達は、エルフたちは島に何をやろうとしてるんですか!」


「――熱くなるな、アグロスのねずみ。あれは巨海樹だ」


 闇の中、頭上から声。ザベルが枝の短剣を投げる。


 銃声。ばらばらと散った木片が、海に落ちた。


 闇に眼が慣れてきた。夜空を背景に浮かんでいるのは、スレインをひとまわり小さくしたようなフクロウ。羽音が聞こえねえと思ったら、音もなく近寄ってきていた。


 くちばしにかかった手綱を手に、その背に乗っているハイエルフ。寒気のする美形面は二度と忘れない。フェイロンドだ。


「まだ処刑樹の断片なぞ使っているのか、ザベル?」


 ハンドガン、グロック17を構えて、こちらを見下ろすフェイロンド。


 周囲には、同じように鳥に乗って銃を構えたハイエルフ、ローエルフ、ダークエルフ。数は八羽と十二人。銃はグロックだけじゃない。正確には分からないが、サイト着きの89式もある。橋頭保を落としただけはあるってことか。


 まずいぞ、ここは海の上。遮蔽物も何もない。距離は二十メートルほど、相手は揺れる鳥の背だが、呪文の一言を唱える前に蜂の巣だ。


「黒色も無煙も、火薬は臭えんだよ。鼻が狂ったら、料理の味が変わっちまう」


 さすがとういうべきか、ザベルは減らず口を叩いて、凶暴に唇を歪めた。

 何か、考えがあるのだろうか。


 シャチは荷物も持ってきてくれている。

 俺は船底に転がった、M97の銃身を見つめた。


 引き金が引かれる瞬間が全てだ。


 いつ鉄火場がやって来ようと、覚悟はできている。


 

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