14覆われていく島

 銃火器が火を吹いて、現象魔法が飛び交う。ザベルは相手の鳥を奪いにかかるだろう。使い魔のシャチは、昔テレビで見た狩りの映像のように、跳ねあがって鳥ごと海に引きずり下ろすかもしれない。


 戦いを連想して緊張感に身を固くした俺だったが。


 フクロウの背中。フェイロンドの持つグロックの銃身を、小さな手がそっと握った。


 フリスベルだった。マントやローブは剥がれたが、真っ白なワンピースを着せられている。

 無言でフェイロンドを覗きこみ、じっと見つめている。ローエルフらしく、十歳過ぎの少女の容姿だが。瞳の奥に、女性そのものの、媚びが見える。まるで熱い抱擁の途中で邪魔が入った恋人の様だった。


 様子がおかしい。そういえば、もう使い魔を通じての通信もない。


「わがままは駄目だよ、お姉ちゃん。こいつら、ちゃんと殺しておかなきゃ、海鳴のときを邪魔するかも知れないんだ」


 わがままな子猫でも抱き寄せるように、フリスベルをかき抱くフェイロンド。言い聞かせる言葉に、フリスベルは無言でぶんぶんと首を振る。


 長い耳を真っ赤にしながら、フェイロンドの頬にそっと唇を寄せて囁く。


「……そうか、約束したね。森を早く見たいんだ。いいよ、どうせあいつら、これ以上何もできないから」


 フリスベルの笑顔に満足そうにうなずくフェイロンド。表情を戻すと、周囲の仲間に向かって叫んだ。


「宮殿へ戻るぞ! どうせこいつらは海鳴に呑まれるだろう。我々は我々の清らかな正義と美で、新たな仲間を迎えようではないか!」


 フクロウが高度を上げる。エルフ達の乗った他の鳥もだ。フリスベルが、連れていかれてしまう。俺はショットガンを取ろうとしたが、銃声が遮る。


 9ミリルガーがM97の銃身を弾き飛ばし、船底に穴を開けた。


「拾った命をわざわざ捨てるな。海鳴は数千年に一度の貴重な体験だぞ、下僕半! そこの魔力不能者もな!」


 89式でフェイロンドを狙ったらしい狭山も、他のエルフに肩を撃ち抜かれていた。


「さらばだ。わざわざアグロスからここまで、土になりに来てくれたお前達に、せいぜい感謝しようではないか!」


 哄笑を響かせながら、フェイロンド達を乗せた鳥は、闇の中に消えて行った。

 方角はポート・ノゾミ。巨大な光の樹に向かったのだろう。


 客観的に見て、反撃の手段は無かったに違いない。ザベルは現象魔法を使って、船底の板を成長させて穴をふさぎにかかっていた。


 向こうのボートでは、ニヴィアノが狭山の治療を行っていた。


 俺は船べりにしゃがんで、海水を殴った。ぱしゃり、とむなしい音と手応えだけが響くばかりだった。


 

 フェイロンドが去ったのを確認したザベルは、号令を出して小舟を進め始めた。誰も漕いでないが動いているのは、使い魔のシャチ達が運んでくれているせいらしかった。


 フリスベルは何をされたのか。あるいは、あれだけ硬い決意があるように見えて、身分違いのハイエルフであるフェイロンドから求められ、本当に気持ちを動かしてしまったのか。

 それに海鳴のときこそ、謎だ。あのフェイロンドと、シクル・クナイブの連中が、ザベルを含めた俺達を一人も殺すことなく見逃すなんておかしい。明後日の夜に来るそのときが、よほど確実なものだということか。


 考えている間にも、ボートはポート・ノゾミの西岸に近づいた。ちょうど、ノイキンドゥの方。相変わらず、光の大樹は様子を変えていないが、人口の明かりが一か所だけ見える。


 恐らく、ザルアの言ってた国際展示場だ。あの付近に、島の人間が集まっているのだろう。だが、ポート・ノゾミの人口は大方六万人。ちと狭すぎやしないだろうか。


「騎士、ここからは声を出すなよ」


 ザルアが松明を消した。ダークエルフが櫂を取り出し、黒い海を静かに漕ぎ始める。使い魔は居なくなってるのか。一体どうして――。


 俺は自分で自分の口を押えた。思わず声が出そうだったから。

 ごぼごぼと船の前後に泡が立っている。松明は消えているが、それの気配は感じられた。


 真下に、何かが泳いでいる。

 大きさは、スレインをもう少し超えているだろうか。本能的に恐怖が起こるほど。


 真横の海面に、ぬうっとひれが現れた。不気味な銀色をした背びれ。ということはこれは魚か。とても、とても巨大な。十メートルもあるような。


 しかも、一匹だけじゃない。この船とニヴィアノや狭山を乗せた船の周囲にも同じようなひれが次々と突き出ている。スレインの二倍近いような魚の群れが、海面のすぐ下を泳いでいる。


 背筋が冷たくなった。銃を向けられたときより恐ろしい気分だ。喰われるという本能的な恐怖。

 ダークエルフ達は黙ったまま、静かに櫂を動かし続ける。なんて胆力だ。


 ザベルが俺にささやきかける。


「魔力が作用してでかくなった魚だ。回遊のコースを泳いでるだけだ。櫂の水くらいじゃ気づかねえ。行きもここを通った」


「どうなってるんです。なんでこんな奴らが」


「ポート・ノゾミに生えた、巨海樹のせいだ。海水を吸って大きくなって、魔力を増幅して周囲の動物や植物に影響を与える。膨張した実と、茂った大量の葉が落ちれば、海を埋めてそこからまた芽を出す。何度もな」


 繰り返せば、豊かな森の魔力に満ちた、新たなエルフの森の完成か。


「あのでかい実と、大量の葉が落ちるときに、海水を大量に巻き上げて海を鳴らすんだよ。それを海鳴のときって呼ぶのさ。シクル・クナイブは、フェイロンド達は、島で巨海樹を育てるタイミングを待ってたんだ」


 崖の上の王国での騒乱から、ロットゥン・スカッシュによる事件。断罪者を振り回して隙をうかがい、とうとう島に災厄の種を植え付けやがった。しかも、境界の隔離まで行い、誰も介入のできない状態を作り上げてしまった。


 岸壁とはしごが近づいてくる。魚は相変わらず周囲を泳いでいるが、ザベルは話を続ける。


「こいつらだけじゃねえ。俺も見たことないようなバケモノが、そこらをうろついて何もできない。フェイロンド達だけは、どういうわけか襲われねえがな。島の奴らは大方、くじら船で大陸に逃げたが、逃げ遅れや島をどうにかしたい奴らが、ポート・キャンプとあの公会の議場に集まってる。インフラは生きてるからな」


 橋事体も、通行は封じられたが、破壊されてはいない。恐らくあちらにまだシクル・クナイブのエルフ達が送り込まれているせいだろう。もしかしたら、便利なインフラのあるエルフの森として、連中はアグロスと繋げておくつもりかも知れない。


 もしそうなら、アグロスだってやばい。海鳴のときで島に残ったアグロス人は死ぬだろうが、その後も、足元の巨大魚のような化け物が、いつ境界をくぐるんだか分かったもんじゃない。


 ザベルの言葉通り、巨大な魚は俺達の船を無視して、湾内を出て行く。


「あいつら、肉食じゃないんですか?」


「捕まえようとした奴が小舟ごとやられた。俺も料理人として興味はあるけどな」


 関わらない方がいいだろう。


 船は岸壁に近づいていく。薄明りの中、浮かび上がる島の建物は、ことごとくつたや樹で覆われてしまっている。恐らくスレインの頭くらいあるであろう蛾のような虫が、ばたばたと音を立てて、光る実の周囲を飛び回っているのが見えた。


 ノイキンドゥの建物や、コンクリートの床も、草のようなものが広がる。どうやらポート・ノゾミ全体が、本格的に森に閉ざされようとしているらしい。


 はしごでも上るのかと思ったら、ザベルとニヴィアノが船を付けた岸壁には、大きな排水溝があった。わずかだが水が流れている。大の大人がまっすぐに立ってゆうゆうと歩けるほどだ。


 鉄格子のような扉で覆われ、間には南京錠がかかっている。


 どうするのかと思ったら、ニヴィアノの方が、スカートのポケットから鍵を取り出す。


「よしっと……あ、騎士。ガドゥは居ないの?」


 えらく軽い反応だ。というか、本当にガドゥが気に入っているのだろうか。


「あいつはあっちで留守番だぜ。お前も、他の奴らも、元気そうで良かったけど」


「せっかく良い感じになって来たのにねー。フリスベルさんが戻らなきゃ、私達また仕事が無くなっちゃうんだもん。エルフの森は初めてだけど、しっかり協力するよ」


 後ろのダークエルフ達もうなずく。武器の密輸に関わってたとはいえ、くじら船では、ブロズウェルに従い、死をも恐れずよく戦ったやつらだ。


 シクル・クナイブとやり合うにしても、頼りになるだろうが。できれば、これ以上の血を流さないで欲しい。軍人でも騎士でもないのだから。


 ザベルが鍵の開いた扉を押し開ける。船に乗ってきたダークエルフ達が次々と排水溝の中へと移った。


 俺と狭山も続いた。ザベルとダークエルフ達は、船と櫂を引き上げると、再び入り口を塞いで鍵をかけた。さすがにこれでは、あの魚も入ってこられはしないだろう。


 足元が濡れるのはとりあえず無視して、排水溝を歩くこと十数分。指示されたはしごを上っていくと、会議場の駐車場の隅に出た。


 案内されるまま裏口に進み、入れてもらって驚く。


 断罪者の弾劾のときと同じか、それ以上。

 議席を無秩序に埋め、思い思いに過ごすたくさんの住人が、俺達を出迎えた。

 

 



 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る