12境界破りの先で
周囲の様子に変化はない。霧も、巨大な樹木もこちらを襲ってくる気配がない。樹化したエルフが居るのは本当に向こう側。フェイロンドはやはり、部下を連れては来なかったのだ。
フリスベルに骨抜きになっている姿は、さすがに見せられなかったのだろう。
心は少年、状況は大人。それは現代の普通の男なのかも知れないが。
「騎士、前に壁があるぞ」
狭山の言う通り、霧の中にぬっと立ちはだかる赤茶けた壁。
いや、樹皮だ。つまりこいつは――。
『それほど死にたいのか、断罪者よ』
樹化したエルフ。数メートルの幹に刻まれた、意地悪気な裂け目の顔が俺達をにらんでいる。
『ヤドリギなど迂遠だった』
『直接潰さねば、つまらんからなあ……!』
取り囲まれている。橋脚に根を張った樹化ごの怪物が三体、俺達を包囲にかかった。
霧の中に羽音がする。こちらに近づいてくる何かが居る。
「くそっ!」
狭山の9ミリ拳銃がうなる。路面に落ちたのは俺の頭ほどもある巨大なスズメバチ、連中が幹の中に飼っていたやつだ。
羽音はどんどん増えている。霧は相手の行動も隠す。どこに何匹出てきてるか分からない。
狭山は俺につかまったまま、今度は89式を手にして、射撃を繰り返している。何体か落ちているらしいが、羽音は減らない。
「騎士、今なら、壁に裂け目があるんじゃないのか」
「分かってる。飛ばすぜ、捕まれ!」
加速しながらギアを変える。路面の振動はキツいし、激突すれば即死だが、突破するなら、今以外にない。
89式のライフル弾をばら撒きながら、樹化した巨体を回り込む。
すぐに霧と虫を脱出した。赤い橋脚、ところどころ割れた二車線の道路、隣を走るポート・レールの橋梁。両者の先は、幹に顔の付いた巨木に阻まれているが、その奥はただの暗闇。アグロスとバンギアの境界だ。
目標が見えた。後は突き進むだけ。
『イ、コーム、ブァムブ』
背後の闇で呪文が聞こえた。反射的にハンドルを切ると、バイクの通り過ぎた今まさに下から、青竹の槍が突き出す。
「あっぶね……!」
時速40キロを出していて助かった。境界まで、距離100メートルもない。一気に突破してやる。
『させるものか……』
つぶやきながら、大木が根と化した足を動かす。境界へ続く車道が完全に閉ざされた。突っ込めば衝突してお陀仏だ。スピードを落として様子をうかがうが、前は完璧に閉ざされている。
フリスベルとフェイロンドの姿は見えない。もう渡っちまったのか。というかこうなることは分かってたのに。ああやって連中が警護してて、隙なんてとてもないんじゃないか。
狭山が後ろをけん制しながら訪ねる。
「騎士、どうするんだ。進めないのか」
車道は使えない……車道は。
歩道が開いてるじゃねえか。
「……そうか! おい、魔法にだけ用心してくれ。前のやつの呪文が聞こえたら黙らせろ。後しっかり掴まっててくれ」
「行けるんだな」
「まかせろ!」
アクセルを吹かして回転数を上げる。クラッチを一気につなぐと、前輪が一気に上がる。
「うおっ!?」
「つかまれって言ったろ」
前輪を上げたまま、バイクは後輪のみで樹に向かって進む。
向かって左の怪物が幹の裂け目を歪めた。
『愚かな! イ、コーム、ログぉっ!?』
呪文は炸裂にキャンセルされた。破片は目の前に持ち上がったバイクの車体で防げている。狭山はウィリー中のバイクの脇から、てき弾をぶっ放しやがった。髪がこげてねえか。
「さあ騎士、これでどうするんだ」
「こうするのさ!」
『おぐっ』
近づいた怪物の幹にタイヤをぶち当てる。エンジンがうなり、数百キログラムのバイクは幹に駆け上った。
『通らせるか……!』
右の怪物が身を寄せて境界を塞ぐ。伸びて来た梢が頭上を覆っている。さらにその樹皮には無数のツタがまさに壁のように絡みついて、うごめく。壁蔦という
ものだろう。準備は万端と言うわけか。
かかったな。
「こっちだよ!」
「なに」
ハンドルをさらに左に切って車体を傾ける。幹に痕を付けながら、目指すは裂け目と逆方向、樹の化け物の左隅の根元だ。
三呂大橋は複数の道がある。すなわち、今俺達が居る片側二車線の高速道路。その右側に通るポート・レール。さらにもう一つ、ガレキで塞がれた高速道路下の階層の一般道そうして、その脇に付属の、手すりで囲まれた歩道。
樹化したエルフの根はその歩道に続いている。
俺達は根を伝って、下の階層へ下り、歩道へと入り込んだのだ。
「うおおぉぉっ」
ハンドルと足元ががたがたに揺らぐ。まるでバイクの曲芸のようだが、無事に幹から根へと回り込み、俺達はその歩道へと降りた。
『くそ、待て』
上で声は聞こえるが、図体のでかいやつらに、隙間はくぐれない。
無視してバイクを発進させた。
使われなくなった歩道は荒れ放題で、がれきの破片もあるが、何とかバイクでも通れる。もう樹の怪物どもは完全に無視。俺達とバイクは、目の前の歪みに突っ込んだ。
果たして、見事に突破できたわけだ。フリスベルはこういう絡め手に気づいていたのだろう。
大分強引だったがな。
「う……これは、空気が」
狭山が顔をしかめて戸惑っている。バンギアはまず空気が違う。新鮮過ぎて違和感がある。宇宙から見て青かろうとも、数十億の人間が工業化したアグロスの空気は清浄から大分遠いのかも知れない。
「気持ち悪いか、でもすぐ慣れるぜ」
普段過ごしている所より、汚過ぎてもだめだが、綺麗すぎても、違和感はあるものだ。俺も思わず鼻がむずむずしてきた。
いや、これは過剰だ。からだ中がびりびりとしびれる。
エンジンがうなりをあげるが、タイヤの車輪が回らない。こいつはつたか。ひどく絡みついている。
狭山がナイフを振るうが、まるで鋼線のように刃が通らない。
『歩道を使うとは考えたな……まさかこちらに来られるとは』
「なんだ……!」
上から声が降ってくる。上層の高速道路と橋脚の隙間から、幹と裂け目の顔が覗く。
『壁蔦をこちらにも這わせておいた。麻痺の花粉の味はどうだ』
こちら側を守る、樹化したエルフの仕業だ。突破すれば何とかなると思ってしまっていた。
バイクはハンドルまでツタに絡め取られている。これじゃあ動けない。
狭山は力を振り絞って、幹の裂け目を銃撃した。
だが、木そのものとなったエルフには、ライフル弾も9ミリも効果が薄い。銃弾を浴びながら、樹がゆうゆうとしゃべる。
『お前達を通したところで、海鳴のときには何の問題もないだろうが……やはり殺しておこう。断罪者も自衛軍も我らの仲間を、屠ってくれたからな』
「うおっ」
「ぐ……」
ツタがまさに壁のように周囲を覆う。俺も狭山も荷物や銃ごと取り巻かれ、バイクから引き離された。
『アグロスの建築の腕は評価しよう。この三呂大橋は海面50メートルもの場所に作られている。ただの人間が落下すればそれだけで死ぬほどの高さだ』
水に落ちて生死が分からないなどというのは、フィクションの中だけのことだ。俺も狭山も橋の欄干から真っ黒な海の方へ吊るされる。足元から先はひたすらに、広がる暗闇。
『ぼろくずになって、鮫の胃袋に消えろ。汚れたアグロス人ども』
その言葉を最後に、ふっと体の力が抜ける。
境界を突破した俺と狭山は、落差50メートルの海面へ、真っ逆さまに突き進んだ。
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