11境界での駆け引き

 三呂市側から、相変わらず銃声が聞こえる。

 だがこっちの状況も見過ごせない。というか本当にどうなってる。


 フェイロンドはフリスベルにすがったまま、感情を剥き出しにし始めた。


「お姉さん、どうして、断罪者なんかなになっちゃったの。僕は、約束を破らなかったよ。百二十年前、お姉さんに言われた通り、ずっとずっと頑張ってきたんだ。ローエルフも、ハイエルフも、ダークエルフも、みんな一緒になれるようにって……」


 話がつかめない。お姉さん、フリスベルが。いや、確か年は俺達で最も上、320歳ちょっとだった。あいつの言うように120年前で、200歳前後になる。


 ひきかえ、フェイロンドはまだ若い様だから、120年前なら100歳前後か。


 吸血鬼とエルフは、全然違う種族だが。寿命による成長度合いが同じと仮定して。


 小生意気なガキのクレールはあの外見で108歳。ということは、フェイロンドも100歳前後では、見目麗しい金髪の美少年だったのかも知れない。


 そして、100歳のハイエルフからすれば、200歳のローエルフは憧れのお姉さんになる場合もありうるだろう。感覚がおかしくなりそうだ。


 というか、狭山はきょとんと眼を見開いて、目の前の光景が信じられないらしい。


 そりゃそうで、いくら人間離れした端麗さがあろうと、フェイロンドは大の男だ。


 それが、見た目は十歳前後の少女のフリスベルに泣きついているなんてのは、異常過ぎる。


「僕、あれから頑張って、たくさん殺したんだよ。若木の衆にも推薦された。レグリムみたいな嫌な奴にも仕えたし、悪魔や吸血鬼とも取引したけど、森をたくさん増やしたよ。できることは全部した。正義と美はエルフなら誰にでも体現できる。新しい森、僕とお姉さんが、一緒に居られる森ができるんだ」


 幼い口調のまま、うっとりとフリスベルを見上げるフェイロンド。


 真っ白な肌に金色の髪、光る苔に照らされたありえないほど美しい相貌は、しかし不気味な狂気もはらんでいる。


 フェイロンド、この男が、あれほど正義と美にこだわったわけとは。


 いや、レグリムのような従来のハイエルフと違う、全てのエルフが平等な正義と美にこだわったわけとは。


「約束通りだよね、お姉さん。僕、迎えに来たんだ、ローエルフのお姉さんでも、正義と美の体現者になれる世界が作れた。紛争で壊れたから、作れたんだよ」


 幼い頃に恋焦がれた、フリスベルを手に入れるためだったのだ。


 そんな子供じみた願いで、フェイロンドは、暗殺集団シクル・クナイブの長として振る舞っていたというのか。


 凄惨な拷問や残虐な処刑、同族への騙し討ちや制裁、今回の事件。

 エルフのいう正義と美どころか、自分のエゴのために、仲間を死なせていたというのか。


 フリスベルは小さな手でフェイロンドの頬に触れる。わがままな子供に向き合う気弱な母親みたいに、困惑して微笑む。


「フェイロンド、聞いて。たくさんの犠牲を出して島を沈めるなんてよくない。みんな生きているの。アグロス人もバンギア人も、そのハーフも。私、断罪者になって、みんなと一緒に戦って、いろんな人に会って、気付いた。正義と美は、これ以上、生きてるみんなを苦しませないことなの。」


 俺を三度も殺しかけ、同族を騙し討ちにし、自衛軍の兵士を残虐に処刑し、挙句島の存在そのものを認めずまとめて、海鳴のときと共に流し去ろうとする。


 そんな相手には、説得など通じるはずがない。


「なんで、そんなこと言うの」


「フェイロンド……」


「僕は、お姉さんのために戦ってきたんだよ。紛争で父さんも母さんも、兄ちゃんも弟もみんな殺されて、一人になって、お姉ちゃんが大切だって、本気で気付いたんだ。だから、たった七年で、こんなに強くなれた。せっかくここまで来たのに、こんな結末、嫌だよ」


 魔力が渦巻いている。魔力感知の鈍い俺でも分かる程度に、おぞましいものがフェイロンドに集まっている。

 ローブの背中が割れ、しゅるしゅると伸びたツタが、腕ごとフリスベルの胴体を縛る。これは樹化か、それとも操身魔法か。


「フェイロンド、やめて、こんな」


 フリスベルなら、植物を枯らす魔法が使えるはずだが、手加減してるのか、枯らせないのか。


「お姉ちゃんはまだ知らないんだ。森は素晴らしい所なのに。見たらきっと気に入るよ。連れて行ってあげるね……」


 つたが収縮し、フリスベルの小さな体が、フェイロンドの腕に収まる。

 抵抗のしようもない。青ざめるフリスベルに頬を寄せ、フェイロンドがじっとりと微笑む。


「一緒に、エルフの森に帰ろうよ。小さくて可愛いお姉ちゃんは僕のものなんだ。恥ずかしいことじゃないよ、僕が変えたんだ。エルフはみんな、平等なんだから……」


 これはまずいか。飛び出そうとしたそのとき、フリスベルの顔つきが一気に変わった。

 自分のローブをめくって、ゆるく膨らんだ真っ白い太股に手を入れる。ガーターベルト状の布でホルスターがくくりつけられている。


 早業だった。小さなオートマチック拳銃、コルトベスト・ポケットを抜くのと、スライドを引き、五発の銃声をとどろかせたのはほぼ同時。


 ベスト・ポケットの弾薬は口径が小さいが、密着した距離で頭部に五発も喰らえばひとたまりもない。


 そのはずだが。


「あ、れ、お姉ちゃん、なんで……」


 フリスベルを取り落としたまま、フェイロンドはまだ立っている。操身魔法で体を変えて耐えているのか。だがこれはチャンスだ。


 距離20メートル。俺はM97にスラッグ弾を装填。

 一方、同じタイミングで狭山は89式を構えて撃った。


 5.56ミリ口径のライフル弾は、一発目から次々とフェイロンドを直撃する。装弾数は30発。たちまちローブはぼろ布になり、衝撃で体が踊る様に揺れる。


 断罪文言は無いが、緊急も緊急。俺はようやく狙いをつけて、フェイロンドの頭部めがけてM97を構え撃った。


 スラッグ弾は狙い違わず頭部を直撃。頭がい骨か脳しょうか、破片のようなものが路面に散る。恐らく、命は獲っただろう。


「やったんだな、フリスベル……」


 俺は崖の上の王国の城下町でのことを思い出した。


 あのとき、あくまで執着を見せるフェイロンドに対して、フリスベルは断罪文言を言い放って真っ向から戦ったのだ。

 覚悟を決めていた。フェイロンドとの過去は、嘘ではないのだろうし、それを黙っていたのは確かだが、味方をも欺いて隙を作るためだったのだ。


 案の定、舞い上がったフェイロンドはボディチェックすらせずに、この至近距離までフリスベルを近づけてしまった。一度撃たれたことを覚えていなかったか。


 いや、『お姉さん』が来てくれたことが嬉しすぎて、自分の立場をも忘れたのだろう。ストイックで怜悧な大人の男のフェイロンドの中には、120年変わらない少年の姿が隠されていたのだ。


 転がったフリスベルは、体を起こすと、ベスト・ポケットのマガジンを入れ替え、倒れ込んだフェイロンドに向ける。


 魔錠は俺の荷物に用意してある。死んでるだろうが、一応のことかけておくか。マロホシほどには操身魔法を使えないのだろうが。


「うぁっ!?」


 フリスベルが悲鳴と共に逆さ吊りになった。両足首をさっきのツタが結ばれている。根元も、さっきと同じ。スラッグ弾で頭をぶち砕いたはずのフェイロンドの背中だ。


 ベスト・ポケットの25ACP.にM97の12ゲージスラッグ弾、さらに89式自動小銃の5.56ミリNATO弾をきっちり30発。


 これだけ食らって、生存しているというのか。


 立ち上がるフェイロンド。顔の皮膚がぼろぼろと剥がれて、樹皮が覆い始める。これは樹化の前兆か。くじら船で死んだブロズウェルが変わったのと同じ。あいつもグロックで撃たれながら平然としていた。


 いや、体は膨れ上がらない。あくまで表皮だけ。髪も抜けないし、両手足がきちんとそろっている。どうなってるんだ。


「嘘だよね、お姉さん……」


 フェイロンドは吊り下げたフリスベルを自分の顔へと近づけた。樹皮の奥の純粋な目が、恐怖をこらえた可憐な顔に向けられる。


「ひっ……」


 フリスベルがうめいた。つたが、脚と腕に絡みつき、その奥の胴体まで入り込む。

 びり、と音を立てて、ローブが裂け始める。


「い、いやっ」


 もはやただの少女になって抵抗しようとするフリスベルだが、ツタは容赦なくその体をはい回り、杖も銃もホルスターも絡め取る。


 フェイロンドはその様を舐めまわすように見つめた。


「いいよ、許してあげる。でもこんな危ないものは要らない。お姉さんはそのままでとっても可愛いんだから!」


 ばりっ、と盛大な音を立てて、フリスベルがローブを剥がれた。銃もホルスターも杖も路面に落ちる。


「貴様っ!」


 狭山がマガジンを入れ替えて再び射撃。狙ったのはフリスベルを絡め取るツタだが、フェイロンドは自分の体でかばった。


 恐らく体表も硬い樹皮で覆われているのだ。たかが樹木とはいえ、銃で木は倒せない。銃弾は効いていない。


「断罪者の騎士に、自衛軍の兵士か。まあいい。フリスベルも手に入れたし、アグロスと交わるのもこれで最後。お前達は殺さないでおいてやる。明後日に生えるヤドリギたちの相手をしていろ」


 そう言うと、フェイロンドは霧の奥へ姿を消す。あられもない下着姿のフリスベルを吊るしたままに。


 狭山はむきになって再びマガジンを変えようとするが、俺はそれを手で制した。


『倒せないときのことは、考えてありました。バイクに戻ってください。まだフェイロンドは油断をしています。私と共に境界を越えます』


 げじげじの使い魔が喋る。つまり予定通りってことだ。俺は自分を鼓舞するように、唇を釣り上げて狭山を見つめた。


 黙ってうなずいた狭山は、再び荷物を担ぎ上げる。俺達は再びバイクに乗り込んだ。


『私は、大丈夫です。何をされたって、耐えます。この人は、私の責任ですから……』


 そんな押し付けを回避するために、俺は再びバイクのエンジンに灯を入れた。

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