12狡猾な敵

 取材先は三呂駅の近くにある、市役所庁舎だ。


 庁舎といっても、三十階建ての結構な高層ビルだ。ここの二十五階は一般開放され、展望台になっている。最近改築され、展望台やレストランも開いたので、俺達の取材はその宣伝も兼ねているらしい。


 遊佐の家の車庫を出発した黒のセンチュリー。運転席の、はげかかった男が、助手席の俺に、気さくな口を利いてくる。


「……そうかね、騎士くんは二度めの転校か、大変だろう」


「いえ。もう慣れました」


「それはたくましい。県内を飛ばされて回るだけで、音を上げているうちの奴らに見習わせたい」


 こいつが遊佐家の父親。予想通り、実直そうな男性だった。少し頭が薄いが、それも温厚そうな印象を引き立てている。人柄で人の上に立つタイプだろう。


 各種族の利害が複雑に絡まり、切羽詰まった判断を強いられるポート・ノゾミでは、あまり見ない。ギニョルだっていつも忙しくてカリカリしているからな。


 後ろでタブレットをいじっていた裕也が、シートの間から顔を出した。


「親父、県内っつっても、田舎から都会まで全然違うじゃねえか。あごで使うほうは楽なもんだぜ」


「そうかも知れんな。いや、いかんいかん、現場のことを忘れては警官として失格だな」


 ははは、と朗らかに笑う。名誉や出世のために引き取った子供に対する屈託は見えない。記憶を失うほどのショックを受けた裕也が、多少問題を抱えながらも、ある程度普通に育っている理由が分かる気がする。


 携帯電話が鳴る。後部座席のカバンのなかだ。


「親父、電話取るよ」


「頼む」


 運転中の携帯電話は法律違反だが。県警の本部長ともなれば、緊急のことかもしれない。裕也もそのへんは分かっているようで、ビジネス鞄から携帯電話を取り出した。


「もしもし……え、本当ですか。はい、はい。騎士お前に、お母さんからだぜ」


 差し出された携帯電話に、俺は混乱を抑えるので精いっぱいになった。


 俺の、母親だと。


 ただの設定に過ぎない、『秋野騎士の母親』からの電話だと。


「どうしたんだ、騎士? お母さんからだろ、出ればいいじゃねえか」


 かかってくるはずがない。俺の実の家族は、俺を忘れているはずなのだ。

 市庁舎前の交差点で赤信号にひっかかった。車が停車する。


 電話の受け取りをためらう俺。いぶかる裕也に、父親が言い添えた。


「驚くのも無理はないよ。騎士君には言ってないけれど、うちから騎士君のご両親に連絡を入れておいたんだ。海がうるさくてね」


 嘘だ。設定上の両親に連絡など入れられない。


 裕也の父は今このタイミングで電話がかかってくることが分かっていたのだ。とするとこいつの差しがねか。裕也は疑っていないようだが。


「なんだ、海ねえちゃんがなあ。そりゃ確かに、いきなり他人の家の電話に家から連絡来たら驚くよな。お前携帯持ってないし」


「ああ……そう、だな」


 裕也は何も知らないのだ。今ここで、面倒を起こすわけにいかない。


 電話を取ると、通話口から女の声が響いた。


『よくも死なずに粘ってくれたわね、アグロスの断罪者さん』


「……母さんか」


 裕也に気づかれないよう、話を合わせる。


 女の声で俺を知っているということは、もしかしたらレイブンビルで俺たちを撃った奴かも知れない。


『ドラッグのことは、断罪者を飛ばして日ノ本でカタが付いた。これ以上追っても無駄よ』


「そんな、一体どうして?」


 母親に応じる調子で、続きをうながす。


『政治といえば分かるでしょう。それなりの自重はするから、黙って見逃しなさい。ここで車を降りて、まっすぐ島へ帰るのね。降りる理由は、優しいお巡りさんが助けてくれる。お友達には気づかれないようにね』


 電話が一方的に切れた。


 だが分かった。やはりこの女はあの紫の服の奴か、ドラッグの売人にきわめて近い存在だろう。


 そして、そんな奴が、県警の本部長の携帯電話を通じて、俺に連絡を取ってくるということは、筋書きが見えてくる。


「……どうした騎士くん、顔色が悪いようだな、何か緊急の事かね」


「そうなのか、騎士、何かあったのか」


 心配そうな裕也。


 同様に、『息子の友人に起こった不幸』に、心を傷めた演技をする、遊佐。


 戸惑って黙り込む俺に、遊佐は続けた。


「身内に、ご不幸でもあったのかい?」


 そう尋ねた遊佐の顔。勝ち誇ったものが浮かんでいる。ほんの一瞬のことで、裕也は気づいていないようだが。


 狡猾な男だ。いざとなったら銃に頼れるポート・ノゾミと違い、暴力の使いにくい平和な日ノ本の悪人はこういうやり口なのか。


 ここで俺が正体を明かしてどうなるだろう。由恵もいないし、銃もないのだ。たとえその両方がそろっていても、対策がなされているだろう。


 それに、裕也を巻き込みたくはない。ここは誘いに乗るしかない。


「はい、実は、祖父が……」


 怒りと驚きで震える俺を、悲しんでると誤解したんだろう。善良な裕也はすかさず言った。


「そりゃ大変だ。親父、家まで送ってやってよ。新聞部のことは、俺が適当にやっとくから」


「いいのか、裕也」


「いいよ。それどころじゃねえだろ。騎士、今日のことは気にすんな。身内は大事にするもんだぜ」


 赤信号は続いている。裕也はカバンを取ると、扉を開けて外へ出ていく。

 そのまま、駅地下に続く地下道の入り口に駆け込む。


 裕也の背中が見えなくなると、信号が青に変わった。遊佐は再び車を発進させる。

 市庁舎の前を過ぎたところで、ぽつりと言った。


「使い魔は来ておらんのかね」


 本性を出しやがった。いや、今までと同じような口調だが。


「いねえよ。お前を撃ち殺す銃もねえ。日ノ本は、平和だからな」


「あちらと違ってかね。すまないが、送れるのは三呂駅までだよ。我が国の兵士を散々殺してくれた姫君も、北側のロータリーに着くと思う。二人で帰りなさい」


 真っ黒だ。県警の本部長が、あのドラッグに一枚噛んでいるとは。

 政治という言葉が頭に残るが、正当なことを言ってみる。


「いいのか。ポート・ノゾミ断罪法は、紛争の当事者であるアグロスとバンギアの各種族が一致して締結した法律だ。あくまであの島で起こった事件に限るが、犯人の捜査権限は島外の各国、この日ノ本にも及ぶ。断罪者の俺は、ここで断罪を始めることもできるぞ」


 体格も力も俺の方が上。ぼこぼこにしてふん捕まえてやろうか――めでたく暴行傷害公務執行妨害の犯罪者になれるだろう。遊佐が唇を歪める。


「それは建前上だ。我が国は、面倒な戦いを終わらせるために、政治上の方便を言ったに過ぎん。テーブルズだったか、議会だなんだと息巻いてるが、日ノ本の代表は、首相に似ても似つかぬ道楽息子だ。国の予算にたかって、遊び倒すことしか知らん無能者だろう」


 全て事実だ。日ノ本は紛争を収めたことしか、公式に発表していない。テーブルズだ断罪者だといっても、日ノ本側はポート・ノゾミをまだ日ノ本領としているのだ。


 だからこそ、いまだに橋頭保の自衛軍が日ノ本の治安維持を掲げてバンギアで好き勝手に暴れている。


 政治、政治。法はあっても、日ノ本で断罪者が動けるかは、三呂の警察のさじ加減次第。カルシドのときは、手を焼いた警察が俺達を呼び、断罪を許可したおかげで銃撃戦ができた。だが今回は、警察がこの断罪事件を動かしている。これ以上追うことはできない。


 拳を、シートに叩きつける。


「無視するってのか、紛争を終わらせた法を。あんな悪質なドラッグを島にはびこらせて、お前は警官なんだろうが!」


 遊佐は俺の言葉になど、全く動じない。ちょうど信号が変わったのを契機に、ゆうゆうと車を発進させた。


「いかにも警官だが、日ノ本のだ。野蛮人の混ざった汚い島など、どうなろうが知ったことではない。紛争は終わったが、我が国には、まだあの島で殺された者の賠償金すら支払われていないのだぞ。おまけに島から来た連中が、国内でもくだらん事件を増やす。少しぐらい我々が点数を稼いでも、文句はあるまい」


 点数を稼ぐ、警察の点数といえば手柄、検挙。


 事件。


 まさか、麻薬事件を知っているのか。


 ヤクザや犯罪組織がつるむならともかく、日ノ本政府が警察を操って麻薬を流しているのなら。


 どこまでも、ポート・ノゾミを馬鹿にしてやがる。紛争で日ノ本の人間を殺された恨みか、それとも、ほぼバンギアと化したポート・ノゾミへの嫌悪か。


 車が最後の信号を超え、三呂駅のロータリーに入った。


 今の俺には銃もなく、断罪の権限もない。遊佐自身は断罪法を犯したわけではない。麻薬事件について、逮捕するかしないかの裁量を行使しているだけだ。


 ざざ、という音が、操縦席の中央から響く。この車、無線もついている。


『……1号から8号、準備完了しました』


 中央の受話器を取り、返答する。


「了解。すぐに戻る、昼間は恥をかかせたな、今夜こそ祝杯を上げよう。みんな昇進だ」


 応答して無線を置いた遊佐。恐らく部下の警官への指示だ。こいつの部下は三呂の警官。昼間恥をかいた、三呂の警官。


「まさかお前、昼間のことも」


 おや、気づいたかとでもいうような表情で、遊佐はロータリーのカーブをこなす。センチュリーの滑らかな挙動が、余裕を感じさせる。


「あれは、危ない所だったね。三呂のレイブンビルで発砲事件とは。部下を集めておいてよかった」


 あらかじめ俺達をはめるために、あそこに警官を配置したのだ。電話のこともあるが、やはり、あの女とぐるだったのだ。


 車がロータリーに停車した。遊佐は手元を操作して、サイドドアを開けた。


「どうぞ。できるならば、もう会わずにいたいものだね。海のように美しい娘を、あちらのよどんだ空気に触れさせたくない親心も分かってくれ」


「……話はもういい。これで失礼する」


 いらだちを隠せない俺に、遊佐は愉快そうに眼を細めた。


「おやおや、怒ったか、若いな。君は確か、今年で23歳だろうが、落ち着きが足りんね。仕事というのは、うまくいくことばかりではない。心配せずとも、君の友達も付けるのだから、あちらでも寂しくないだろう」


 友達、由恵のことか。あいつもまた、こんな風に追い返されているのだろう。銃を抜いていないことを祈るばかりだ。


 ドアを閉じると、遊佐はそのまま車を発進させた。


 案の定、由恵は地下鉄の改札前にたたずんでいた。

 表情が沈んでいるということは、同じような目に遭ったのだろう。


 俺も口を利かなかった。二人とも一言もないまま、部屋へと帰るしかなかった。

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