11遊佐家のこと

 駅前通りにやってきた高級車に乗せられ、俺と由恵は遊佐の家に向かった。


 海の物腰や、迎えどうこうという会話から、貧乏ではないだろうと踏んでいた。だがまさか、海と裕也が住む家が、三呂市でも高所得者が住むことで有名な東区にあるとは。


 しかも敷地が広い。安くない地価の土地をぜいたくに使い、丘の一角を占拠している。真っ白い壁の入口にはシャッター、防犯カメラも完備されていた。


 建物そのものは、横に幅広い二階建ての洋風建築で、広い芝生にはでかい犬。


 屋根には三呂東高校のような、尖塔の意匠までほどこしてある。建築家に設計を頼んだのだろう。


 俺達は一階の客間に通された。ガラス張りの大きな窓から陽光が入り、広い庭となだらかに広がる三呂の街、港を超えて海まで見渡せる、最高の部屋だった。


 柔らかすぎて落ち着かないソファーに腰かけ、由恵と二人で景色を眺めた。この家もまたポート・ノゾミとは別の意味で異次元だ。


 姿勢を正し、足を閉じて、両手を膝の上に乗せ。幼い頃習ったのだろう宮廷の作法通りに座り、由恵がつぶやく。


「……すごいよ、宮廷より綺麗。これがアグロスの、日ノ本のお金持ちの家なの。私ドレスも着ないで、こんなところにいていいのかな」


「安心しろ。俺にも、この家は信じられん」


 本当に、同じ人間の住む家なのだろうか。


 ここと比べれば、俺の住むコンテナハウスは動物の巣穴だ。紛争前に家族で住んでいたマンションの部屋さえ、人間の住居かどうか怪しい。


 高級なマホガニー材でできた、深いこげ茶のドアがノックされる。


 返事をすると、ゆっくりとドアを開け、海が入って来た。


 カップに入った紅茶と、ココアパウダーをまぶしたケーキを持っている。


「申し訳ありません、粗茶で、お口に合うかどうか」


「あ、ありがとうございます」


 思わず敬語になる俺。普通に手を出そうとすると、由恵が手首を握った。


「がっついちゃダメ。いやしいよ、騎士くん」


 厳しい目だ。人を撃つときともまた違う。いくら妾腹とはいえ、王の娘、つまり姫の一人として社交の場に出ていたことを感じさせる。


 上品にほほ笑む海。姉弟のほほえましい日常とでも思っているのだろう。


「まあ、お厳しいのね。堅苦しいことは申しませんわ、私がお呼びしたのですよ、お好きな機会にお召し上がりになって構いませんのに」


「でも、恥ずかしいよ、こんないい家に、こんな格好で」


 身体を縮こめ、もじもじとする由恵。ギニョルのやつ胸のサイズは変えなかったのか、わりと大変艶めかしい。


 いや、ではなくて、こんなというほど、由恵の服装は悪くない。三呂で買い物するのに違和感はない。この家では浮くのかも知れないが。


「お気になさらないで。そうそう、この子なんですけど」


 スカートのポケットから、ひょいと顔を出したのは、使い魔のねずみだ。


 そういや車の中で預けていた。

 ねずみの前足と後ろ足に添え木がしてある。切開して縫合した跡がある。

 傷口をなめないようにするためか、首にも襟巻の様なカラーがつけられている。


「これ、手当てしてくれたのか」


「ええ。調べたのですけど、やっぱり骨を傷めていたみたいで。少しだけ眠ってもらって、その間に整えておきました」


 麻酔をかけたのだろう。相当細かい作業だが、無事に終えたらしい。


「獣医でも呼んだのか?」


「いいえ。はしたないことですが、私が」


「え、海ちゃんがこれ」


 由恵に尋ねられ、海は顔を赤らめながら視線を逸らした。警官相手に雷鳴のような啖呵からこの転身ぶり。なるほど、これが真のお嬢様の色気か。


「……はい。獣医は将来の目標ですので。本来ならば専門の方にお任せするべきでしょうが、ハムスターで少々経験がありまして」


 少々程度でここまでできるものだろうか。ねずみ用のカバーや添え木など、多分どこにも売ってないから自作だろう。しかも麻酔の加減だって、誤れば死なせてしまうこともあると聞く。


「すごい、すごいよ本当に。フリスベルの魔法でも、こんなに綺麗には」


 『魔法』という言葉に、首をかしげる海。


「今、なんと……?」


 危ない。気づかれたら面倒だ。俺は由恵の口をふさいで答えた。


「あ、いや気にしないでくれ。それより改めて礼を言わせて欲しい。本当にありがとう、俺達を助けてくれて、こいつの手当てまで」


「そうだよ。本当にどうやって、お礼したらいいか」


「お気になさらないでください。あのような違法捜査、本来なら国家賠償ものですわ。こんなことで罪滅ぼしにもならないと思いますが」


「十分だよ。本当にありがとう」


「そう言って頂ければ、幸いです。あんな姿が、警察の本来ではありませんので、ゆめゆめお忘れなきようお願い申し上げます」


 深く頭を下げる海。


 この子は、警察に相当深い信頼を置いている。それゆえ、俺達へのフォローでここまでのことをしたのだろう。


「親父の尻ぬぐいなんてよせよ、海姉さん」


 振り向くとずかずかと部屋に入ってくる裕也。海が立ち上がり、気色ばむ。


「裕也。あなたは何ということを!」


 裕也は怯まないようだった。むしろこれだけは譲れないといった感じで、海に食ってかかる。


「親父たちのことは、親父たちのことさ。海姉さんが二人を呼んだのは、そのちっこいのが可哀想だったからだろう。後、秋野さんを家に招いて話したかったから。警察のひでえやり方にまで、責任負う必要はない。親父の真似なんかしなくていいよ」


「あ、あなた……出て行ってください! 今はお客様の前ですよ」


 年相応の焦りを見せ始める海。核心をついていたらしい。

 雰囲気が悪い。俺は由恵に目配せをすると、裕也に話しかけた。


「そのへんにしてくれよ、部長さん。話なら俺が聞くぜ」


「騎士……分かった。由恵さん、海姉の話し相手になってやってくれ」


「裕也、まだそんな」


「もう出ていくって。騎士、来いよ」


「おう」


 この姉弟、少々複雑だな。


 まあ、俺達と違って、本当にどっちかが連れ子なら、仕方のない事かも知れない。


 裕也に連れられ二階へと上がる。こちらもほこりひとつない広い廊下、清潔な壁。


 裕也の個室は、思いのほか落ち着いた雰囲気だった。整頓と清掃が行き届いており、広い窓から日光が入るから、明るい印象だ。


 もろに校則違反の制服で、IU同好会なんて危険そうなことをやってる割には、インテリアも上品だった。本棚にはハードカバーの思想書や、ノンフィクション、それにラベルが張られたファイルがずらりと揃っている。


 裕也が机のノートパソコンを起動する。俺には椅子をすすめた。


「まあ座れよ……それにしても、まさか海姉ちゃんがお前連れて来るなんてな。分けわかんないのに撃たれたうえに、三呂の警察に捜索されたんだろ。災難だったなあ」


 海が話したのだろうか。いや、違うか。ならなぜ知ってる。俺が警戒していると、裕也はインターネットブラウザを立ち上げた。


「ま、ニュースにもならねえだろうな。ほらこれ、レイブンビルの防犯カメラだ。このサイトで過去ログが見られるんだけど、もう消えてるぜ」


 著作権侵害のため削除のメッセージ、動画サイトの画面が砂嵐になっている。タイトルはレイブンビル防犯カメラとあるが、どういうサイトかはもう問わん。四日間IUに入り浸って、いい加減変なサイトの存在に慣れた。


「ここから消すってことは、見られたくないものが写ったってことさ。ガサガサっと検索かけりゃ、ほら出てきた」


 裕也の言葉通り、画像検索で出てきたのは、俺や由恵に銃を突きつけた警官、そこに食って掛かる海などだ。


 逃げ去る紫の服の女も映っていた。分かりにくいが、こいつが持ってる小さな銃は、フリスベルと同じコルトのベスト・ポケットだろう。日ノ本でもたまに、暗殺目的で使われるらしい。警察や自衛軍の制式装備ではないから、法的に存在しないはずなんだがな。


「ひっでえよなあ、お前らみたいなただの高校生に銃なんか構えて。ねずみを叩きつけてる写真もあるぜ」


 画面をフリックして、画像を流し見する裕也。

 これはもしかして、まずいんじゃないか。


 案の定、防犯カメラのキャプチャ画像が引っ掛かっている。


 あの女の銃撃をかわし、一瞬銃を取り出した由恵の姿が撮られている。


 うまく見逃してくれと思ったが、裕也の目は節穴じゃない。


「あれこれ、由恵さんが持ってるの、なに? モデルガンか、結構ミリオタ系なの、お前の姉ちゃん」


 ――誤解してくれたか。

 一味違うといっても、裕也も日ノ本の人間。実銃の存在が身近じゃないのだろう。


「サバゲとか得意だからな。その関連でレイブンビルにも引っ張り出された。つい反撃しそうになったっていってたよ」


「ふーん、でも自販に穴開いてるぞ、相手が撃ったの本物だったんだろ。よく無事だったよな」


「ああ、本当に助かってよかったよ」


 これは本音だ。由恵がいなければ俺は胸を撃たれておしまいだった。感情的なやりとりの直後で、よく反応してくれたものだ。


「んで、この後刑事が来て囲まれて……海姉ちゃん登場か。本当にうまいこと切り抜けたな。しっかし本当無能だな警察。撃たれた被害者犯人扱いしてどうすんだよ。ほらこれ、このuso800って奴のつぶやき。まるで最初っからお前らが犯人だって決めつけちまってる、その通りだ」


 裕也が示した短文投稿サイトの一文。写真は消されていたが、『こんなひどい捜査が本当にあるなんて信じられなかった』と書いているアカウントがある。


 こいつは、あの群衆の誰かだったのだろう。携帯端末でSNS上に投稿したのだ。

 のんきに見てただけじゃなかったのか。本当に誰でも新聞記者だな。


 ほとんど消されているが、裕也は掲載された画像をウェブ上から拾い上げ、パソコンに保存していく。


「これは最近でも特にひでえな。つぶやいた奴のアカウントも消されて、関連画像が削除祭りだ。やっぱ政府って大概だよな。人が寄せ集まるとこんなもんなのかねえ」


 ため息を吐きながら、関連のサイトをめぐる裕也。その横顔は真剣で、何らかの使命感すら感じる。


 そもそもこいつは、なぜ日ノ本に逆らうようなことをやっているのだろう。


 五日間、高校生として、ぼーっと暮らしてみて分かった。日ノ本でただ生きる分には、ポート・ノゾミなど遠く離れた外国と考えておいてなんら問題はない。裏の事など自分から近づきさえしなければ無縁なのだ。


 なのに、裕也はわざわざ日ノ本に逆らっている。


「お前、こんなことして大丈夫なのか?」


 裕也は情報集めの手を止めない。


「分からねえけど、やらなきゃならないんだよ。俺みたいに、サイテーの親父の金と力の下で、のうのうと暮らしてる奴は、これくらいのことを」


 吐き捨てるように言った。端的な憎悪が見て取れる。県警の本部長をしているという、父親のことだろうか。


 マウスを止めると、俺の方を振り向く。

 IUの入会のときに感じた、大人びた雰囲気はない。年相応の少年らしい不安さがある。


「悪いな。今から、暗い話、しちまうけど。お前、妙に色々話せるんだよ。同い年のはずなのに」


 俺の実年齢は23歳。

 大人として、聞いてやるか。


「……海姉ちゃんはさ、お袋と親父の子供だけど、俺は違う。どうやら拾われたらしいんだ。らしいってのは、6年ほど前から昔の記憶がなくてさ。俺は昔ポート・ノゾミに居て、紛争のときに家族がみんな殺されて、逃げてきたあとも口が利けなかったって」


「それじゃ、お前」


 避難民なのか、という言葉を俺は飲み込んだ。


 『避難民』とは、文字通り紛争の勃発後にポート・ノゾミから日ノ本本土へ逃げてきた人々のことだ。


 紛争終結から2年たったが、日ノ本は避難民を隔離している。


 理由は異世界の未知の伝染病のためだが、もちろんそんな病は存在しない。

 日ノ本政府の苦しい方便なのだ。吸血鬼に下僕にされたり、悪魔に魔物にされたりした人間の存在を伝染病によるものとして国民に発表している。


 未知の病気がある以上、感染した可能性のある避難民は国に戻せないというわけだ。


 この避難民については、特殊な要件として、一定年齢より下の子供は、日ノ本の市民から家族として認められれば、日ノ本の国民に戻ることができる。


 気味悪がって認める奴はほとんどいないがな。避難民というのも、今ではいわゆる差別語にあたり、報道関係者や国会答弁などでは決して使われない。IUの活動で見たネットの匿名掲示板なんかでは、余裕で飛び交っている。


「親父はさ、ポート・ノゾミで警察官やってたんだけど、紛争になったらもう何もできないっていうんで、こっちに転属してきたんだよ。腹立つのはそれからだな。俺は引き取ってもらって、まあいい暮らししてるけど、それでかなり名前を売ったみたいなんだ。出世が異常だったんだぜ、この家だってそのおかげだ」


 避難民である裕也。家族を失い、記憶をなくすほどのショックを受けた少年を、警官が率先してわが子として引き取る。しかも、色々な差別や偏見があっても、けして屈することなく。


 素晴らしいストーリーだ。そして、ポート・ノゾミと隣り合う三呂市の警察を束ねる者として、そんな背景を持った警官は申し分ない。これ以上ない善良なひたむきさのアピールになる。


 もっとも、どこかすねた裕也が、嘘をついている可能性は捨てきれない。


 今までのは冗談とでも言いたげに、苦笑して俺から視線を外す。


「……ま、あんまり疑いたくないんだ。いい暮らしさせてもらってるし、何より海ねえが親父を信じてる。海ねえって良いやつだろ、優しいし、俺も本当に良くしてもらって、頭上がらねえよ。あれでもうちょい、疑うことを覚えてくれたらと思うんだけどな」


 それは俺も思う。あのストレートさが、微妙に危うい様な気もする。


 剣呑な部屋と不釣り合いな、鳩の掛け時計が鳴った。午後4時だ。


「あ、もうそろそろ取材の時間か。お前、筆記用具くらいはあんのか?」


「持ってきてるよ」


「んじゃ一緒に行こうぜ。色々言ったけど、親父が車出してくれるんだ」


 なんだかんだ言って、べつに深刻な問題は無いのかも知れない。


 結局こいつは、同じように家族を失ったアグロス人の中にあって、少々運がいいほうだったのだろう。運命の分かれ道というか、そういうことはありうる。


 出がけに居間を通りがかると、由恵と海が談笑していた。


 お姫様と深層の令嬢、色々通じ合うところがあるのかも知れない。


 由恵は俺に過去を話したときより、嬉しそうだった。

 わけもなく、俺も嬉しくなった。

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