38葛藤する悪魔

 自衛軍の野外手術システムは、本来一台きりではない。

 開腹や開胸などの処置を行う手術車。血液の分析やレントゲンの現像などを行う手術準備車、器具を殺菌する滅菌車、それに医薬品や血液などを積んだ衛生補給車。この四台がひとくみで、戦傷者や市民を助ける。


 リノリウムの床に手術台と、人工心肺装置。そして頭上の手術灯。ルーベが運転、俺達が乗り込んだのはその最初の手術車だった。どうもほかの車両は居ないらしい。マロホシが必要とするのは、好きなように人をいじくるための車両だけなのだろう。


 それでも、最低限の医療キットくらいはあるはずなのだ。

 手術台に横たえて固定したギニョルと、床に座り込んだユエ。二人とも重傷だ。


 ギニョルは弾丸が胴体、右肺を貫通していた。悪魔の姿で無理やり衝突を止めたときの怪我は、肋骨や手足の骨折、血管や内部組織の損傷もかなりあるだろう。

 腕を撃たれたユエも意識こそあるが、でかい静脈を切ったらしく、出血が多い。顔色も蒼白、明らかに体温が下がってきている。


「……なにかねえのかよ、くそっ」


 引き出しや棚をひっくり返して出てくるのは、メスにピンセット、縫合糸、観察用のバット、骨を削るドリルに、骨用のこぎり、でかい注射器。人体を侵襲するものばかり。


 肝心の人工血液や点滴器具がない。マロホシや部下の悪魔、下僕にしたエルフなんかは、獲物の破壊と観察が主な医療行為だから、ってことか。


 そうだ。連中には操身魔法という部分的な回復手段がある。観察のために犠牲者を延命させたければ、それで間に合うのだろう。


 小窓の向こうに見える橋げたが、灰色の壁に変わった。三呂市の倉庫街だ。橋を降りたのらしい。


 どこへ行くのかと思っていたら、再び暗くなった。何かの建物に入ったか。


 エンジンが止まる。かと思うと、背後の扉が勢いよく開いた。


「処置します、まかせてください!」


 白衣姿のルーベだ。ハイエルフの男と、吸血鬼の女を連れている。この二人も手術着を来ている。助手か。

 三人はリンゲル液や点滴のセット、手術道具一式を次々運び込んだ。人工心肺装置も起動し、手術台に固定したギニョルの体を調べ始める。


「ちょ、ちょっと、本当に大丈夫」


「……しゃべるのもつらいのでしょう」


 ハイエルフの女が立ち上がりかけたユエを制した。右手に白い百合の花を咲かせる。フリスベルが使っているのを見たことがある。花粉に昏睡作用のあるバンギアの花だ。


 俺はルーベにつかみかかる。


「おい、何するんだ」


「重症者の治療です。マロホシ様方とあなた方のことは、命が助かってからだ」


 銃を持っている俺を制して、ルーベはギニョルの服をはさみで切り裂く。助手の吸血鬼が俺と目を合わせた。


 魔力の光が視線を撃ち抜く。素早く使える基本の蝕心魔法。意識が刈り取られていった。


 目を覚ました俺は、椅子に座らされていた。俺のコンテナハウスの奥行きを狭めたような狭い空間だ。冷たいコンクリートの床、レンガの壁。端には割れた木製パレットが積み重ねてあるだけ。明かりは、裸電球がいくつか下がっていて薄暗い。


コートがない。ショットガンも取られた。弾帯も空。懐の銀のナイフもか。


 手首と足首がちくちく痛い。暗くてよくわからんが、恐らく、石薔薇だな。スレインでも破壊に時間のかかる植物。無理やり動かせば、棘が食い込み血まみれだろう。


 トレーラーの荷台で眠らされ、武器を取り上げられて縛られる。いかにも、映画やドラマで犯罪者に誘拐されたシチュエーションそのままなことだ。


 やっぱり騙されたのか。扉が開いて出てくるのはマロホシとキズアトなのだろうか。逃がした俺たちをすんでのところで部下に捕らえさせ、助かると見せていたぶり、苦しめ抜くやりかたか。


 だとしたら、いっそ撃ち殺されりゃよかったか。ユエやギニョルもむごい辱めに合わずに済むってことだろうし。


 カチャン、という金属音。正面のくらがりから光が差した。


 壁が開く。いや、薄暗くて分からなかったが扉だったらしい。


「目を覚ましたのですね。やはり……丈夫な体をしています」


 こめかみから生えた二本の角。カッターシャツと黒ズボンの上から白衣をはおっている。中肉中背、悪魔のくせにどこか神経質そうに見える男。ルーベだった。


「言っていいんだぜ。下僕半ってよ」


「……それは差別用語です。マロホシ様は、決して口になさいません」


 俺に向かっては何べんか言ったんだが。まあ今は口答えしないほうがいい。

 ルーベは勝手にしゃべり出す。


「ギニョルさんと、ユエさんの処置は済みました。お二人とも容体は回復に向かっています。ギニョルさんは、とくに命が危なかったのですが」


「あんたがやったのか」


「はい。私では不十分かと思いましたが」


 あのまま俺たち全員を解体するのかと思ったが。嘘をついてるようには見えない。

 神経質そうな印象は、命のかかった手術を多くやってきたから、ともいえるか。


 探ってみよう。


「その話、信じろってのか。俺を眠らせて、武器もコートも奪っておいて。ここは、GSUMが使う監禁場なんだろ?」


「……我々はあなた方と違う!」


 声を荒げたルーベ。怒り慣れてないな。神経質な奴だ。俺をにらみつけ、つづける。


「自分たちが島で権力を振るうために、多くの候補者を殺しただろうが。特に、とくにあなたは平気だったのか! ザベルはあなたの大切な存在ではなかったのか! それを、まだ百歳を少し過ぎたばかりの、クレールに殺させて」


 大切じゃねえわけねえだろ! という言葉を、かろうじて飲み込んだ。ルーベの頭の中では、断罪者とテーブルズがとんでもない悪者になっているのだ。


 問題は、記憶を植え付けられたのかどうかだ。ただ単に個人的に信じているなら、まだやりようはある。


「……つまりあんたの中じゃ、GSUMが正義なんだな」


「正義とは、言わない。ゾズ様と、ミーナス様は、私のような悪魔や吸血鬼が、紛争前にバンギアでやって来た程度のことは、やっている。生ぬるいアグロスでは、たかがそれだけで死刑にも等しい」


 なり損ないを作る。人間やゴブリン、エルフを実験や楽しみに使う。

 ダークランドに住む悪魔や吸血鬼達は、自衛軍の砲火が当然に思える程度のことはやっていた。ギニョルやクレールは、その家系に連なっている。


「だが、ただの享楽ではない。GSUMが行った実験の十倍は、あらゆる者が救えるはずだ。ゾズ様とミーナス様が、この島を牛耳られれば、その後に来る医療の進展、経済の発展は必ずすべての人々を、お前のような下僕半や、取るに足らぬ人間、エルフ共、ゴブリン達さえも、幸福にするに違いない」


 ルーベが俺を見すえる。神経質な影が消えた。陶酔にも近いが、洗脳というより信念なのだろう。


「あの地獄のような紛争で思い知った。アグロスであろうと、バンギアであろうと、あらゆる人は望みを求める。あの島は、ポート・ノゾミという名にふさわしく、人びとの望みを叶えるべきなのだ。我らGSUMの下で。どうかこれ以上、邪魔をしないでもらいたい」


 あの連中のどこをどう見れば、すべての人の幸福なんて言葉が出るのか。

 まあ、巨大な組織であり、表向きは医学的に人を救っている。ルーベのような奴が自分の意思で使われていることも十分考えられた。


「じゃあなぜ俺たちを助けた。お前らの望みの邪魔だから襲ったんだろう」


 ルーベがうつむく。前髪が目を覆う。


「……違う。巨大な敵だ。ミーナス様がおっしゃられた奴らだ。すでに断罪者とテーブルズはそいつらに乗っ取られて」


「そんなもん居ねえよ! っ……」


 椅子が音を立てる。いきりたった俺の手首に、石薔薇が食い込んだのだ。

 痛みにうめいてる場合じゃない。俺は続けた。


「いいか。バルゴ・ブルヌスはギーマが死んで解体した。崖の上の王国は内乱の果てにぶっ倒れた。シクル・クナイブは海鳴のときに消えた。自衛軍はダークランドと相討ちになった。日ノ本さえ干渉をやめたぞ。それで誰が、この島で法を乱す。俺たち断罪者を、テーブルズを狙うっていうんだ!?」


 ルーベは答えない。だが歯を食いしばっている。何かが体を食い破りそうな雰囲気だ。もちろん比喩だ。そんな魔力の気配はない。


「お前、気づいてるよな。ゾズはマロホシ。ミーナスはキズアト。連中はただ、好きなようにすべてを食い散らかすだけだ。なるほど、残酷な実験の十倍、お前に人を救わせるだろう。だがその後で、お前が救った奴の百倍、不幸をばらまくんだ。それも何百年もな」


 断罪者として、そう俺は信じている。恐らく、島に暮らす多くの者も、気づかないふりをしているだけだろう。


 ルーベはしゃがみこんだ。頭を抱える。


「……言うな、やめろ」


「いや、言うね。だから俺たちは、断罪者は銃と魔法の中に居るんだ」


 種族も世界も違う俺たちが、ひとつになって命を賭ける理由。何人も断罪法の前では平等。そのことを、逃れる者があってはならない。


 ルーベが顔を上げる。すがるような目。大の男、それも人間を見下すほど高い能力をもった悪魔が見せる、焦燥の表情。


 顔を覆う指の間から、言葉がもれた。


「分からない。なぜ、お前たちなど助けたのか。ただ、このまま断罪者が死ねば、なにかが、なにかが壊れると思ったんだ……なんなのか分からない。怖い、この気持ちが……」


 こいつは見たところ、三百歳くらいにはなってそうなんだが。おいおいと思ったが、べつに大人が悩んでいけないわけもない。


「どうするか考えようぜ。とりあえず石薔薇を解いて」


 そう言いかけたときだ。

後ろで見守っていたエルフが、腰のホルスターから銃を抜く。


 リボルバー式の銃だ。白衣のポケットから取り出し込めたのは、悪魔を即死させる銀の弾丸。銃口がルーベに向く。銃声が響いた。

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