37窮鼠を狩る策

 断罪法は不完全な法律だ。

 たった七条しかないうえに、手続きの関連があまりにも不十分だから。


 たとえば、断罪者が断罪法違反を認め、裁くところまで自分でやる。

 これだと判断は早いが、断罪者の誤りを正す者が居ない。


 一応、上司としてギニョルは居るし、テーブルズは断罪者の指揮権を持ち、断罪者が不正をした場合に裁くことができる。だが結局は身内なのだ。今度のような不正があった場合、的確に動けない。


 ではなぜ、ここまで断罪者だけに権限を集中させたのか。二年前の情勢だ。すなわち、紛争の残り火としての自衛軍やマフィア、当時は敵対的だった日ノ本の暗躍と戦い、島の秩序を守るという必要性があった。公正さを多少犠牲にしてでも、迅速に動かなければならなかった。


 だが、今はもう違う。GSUMを除いた自衛軍やマフィアは力を落とした。ポート・ノゾミは名実ともに独立し、日ノ本の干渉も止んだ。強権的な断罪者は役割を終えたのだ。新しい法執行機関を整備しろというのは、的外れな意見ではない。


 そういう意味で、民衆もマヤも正しい。


 ただひとつ。これまでの断罪を巧妙に生き残ってきた、GSUMという巨大な犯罪組織さえ、なければ。


 演説のあった日の夕刻、俺とユエはギニョルの運転で、再び三呂大橋を超えた。行先は三呂警察署だ。

 俺もユエも断罪者であることを示すコートとポンチョをはおり、ケースにこそしまっているが、銃も携帯している。


 日ノ本には連絡していない。きっとかんかんに怒るだろう。日ノ本側は島の存在を国民に明らかにし、バンギアにかかわる事件を取り締まる、三呂警察署の境界課を作った。三呂市はその境界課、つまり日ノ本の縄張り。断罪者が断罪活動を行っていいわけがない。


 それでも、これしか方法がなかった。

 キズアトとマロホシを断罪するためには。


「やっぱり、無茶だったんじゃないのか。クレール達を連れ帰るなんて」


「騎士くんがそれ言う? これしかないじゃない」


 ユエの言う通りだ。俺たちの方針はこう。


 明日の強制送還を待たず、日ノ本が身柄を抑えた断罪者の四人を連れ帰る。

すぐにノイキンドゥに乗り込み、負傷したキズアトとマロホシを断罪する。


 めちゃくちゃだが、相手はキズアトとマロホシなのだ。しかも今回は明確に断罪者に敵意を向け、すべてを賭して潰しにくると予告してきた。


「……わしらの解散こそ、選挙の終了を契機とする。しかし、なにをやってくるかは分からん」


 ハンドルを取るギニョルが答えた。ちなみに、俺たちの存在を欺くために、ハイエースには乗っていない。通常の乗用車、山本が乗るレクサスを借りている。


 もちろん、あいつが用事で警察署に来て、警察署から車で出ていくことは不審ではないはずだ。なかなか快適な車内だな。


 ユエが胸元のテンガロンを握る。


「強制送還、って明日でしょ。日取りが新聞に出ちゃったから、事故でこの橋が落ちるかもしれないんだよ」


「そういや、ガス管があったな」


 電気、ガス、水道。三呂市とポート・ノゾミをつなぐ三呂大橋の赤い橋げたには、インフラが通っている。もともとは紛争前に三呂市が整備したものだ。

 ということは、日取りと時刻が明らかな強制送還のまさにそのとき、突然そのどれかが偶然損傷して爆発するかもしれない。


 本気のGSUMを相手にするとはそういうことだ。断罪法の範囲ではあるが、手段を選んではいられない。


「ザルア達もうまくいくかな」


 俺達が四人を迎える間、断罪の助手を可能な限り集めてもらっている。今回の断罪は、軍事用語でいう奇襲。つまり、GSUMが防備を固めていないノイキンドゥに突っ込むつもりだが、それでも激しい抵抗が予想される。


「さて、幾人集まるか。それに、かつての事件と同じで、犠牲が出ることになるであろう。無論、我々にもな」


 ギニョルの声は重たい。それでも、人数は必要だ。断罪助手の資格も大盤振る舞い。


「また、一緒に死んでって頼むんだね……」


 ユエが窓の外を見つめてつぶやいた。俺にはかける言葉がない。


 崖の上の王国の戦いでは、戦場を離れていた特務騎士団の仲間や、ザルアの同僚の騎士たちを多く失った。

 イェリサの事件では、日ノ本の警察官や消防士、自衛軍の兵士が死んだ。

 海鳴のときを止めるため、勇敢なエルフや自衛軍の人間が何人死んだだろう。

 ダークランドでは将軍たちの断罪をするため、悪魔や吸血鬼が幾人命を落としたか。


 紛争が終わってなお、銃と魔法に血を吸わせ続けねばならない理由とは。


「……今、やらなきゃだめなんだ。今を逃したら、何人かが命を賭けたぐらいじゃ、あいつらを止められなくなる」


 口を突いて出た言葉に、俺が何より驚いた。


 言ってしまって事実だと分かる。キズアトとマロホシがすべてを奪っていった紛争の光景。けっして、あれを戻させてはいけない。


「騎士の言う通りじゃ。紛争の本当の終わり、法と秩序の真なる始まりを迎えるには、今、奴らを断罪するしかない」


 お嬢さんの噛み締める言葉。


 マヤをしたってこの島に骨をうずめるつもりの、護衛の騎士たち。ワジグルについてきてくれるエルフたち。それぞれの議員団から募る有志。ドラゴンピープルたちが来てくれるかどうかは賭けだな。


 やらねばならない。画竜点睛を欠けば、法という絵は完成しない。


「……ちょっと、私らしく、なかったかな。誰が倒れても、戦闘が終わるまでは、撃ち続けなきゃいけないんだよね」


 テンガロンをくるりと回すと、頭にかぶるユエ。これでこそ、断罪者で最高の射手だな。


 空は晴れている。道路の先が消えている。アグロスへと向かう歪みだ。あれを超えれば三呂。向こうの天気も晴れだという。


 歪みが迫る。レクサスの走る三呂大橋の車道、そして、すぐ脇でポート・レールの軌道も走る。あのレールも、向こう側でアグロスとつながっているのだ。


「あ、ポートレール出てきた」


 列車が向こう側から姿を現した。ちょうど歪みの直前で俺達とすれ違うことになる。


 先頭の窓に、駅員の制帽をかぶった銀色の髪の吸血鬼――いや、この列車はコンピューター制御だ。


 運転士はいらない。


 ユエがギニョルをつかんでかがませる。俺も座席に身を隠す。


 発砲音。がくん。レクサスの車体が右に傾く。

 ぱりん、どしゅっ。窓が割れた。銃弾が薄い板金を貫いていく。


「うっ……」


 押し殺したうめき声。俺に痛みはない。

 ユエは――。


「ギニョル!」


 悲鳴に近い声を上げた。撃たれたのはギニョルだ。


 ブレーキが金切り声を上げる。レクサスは左に切れたまま、境界をくぐった。


 制動しきれない。フロントガラスには欄干越しの三呂の港街が見える。落ちたら即死だ。


 魔力の光がギニョルに集まる。腕に鱗が生えてくる。操身魔法、部分的にドラゴンピープルへと変わった。


「ぐく、っ……おぉおっ!」


 女どころか、人型生物全般を超えた凄まじい力でハンドルを切る。右二輪をパンクさせたまま、レクサスは無理やりまっすぐに戻った。


 だがまだ車体は、対向車線だ。正面にタンクローリー。


 こんな都合よく、危険が連続するか。いや、運転手のゴブリンが銃を構えた。こいつも仕込みだ。こちらの動きが読まれていたのだ。


 俺は座席の下からショットガンを引きずり出した。バックショットは込めてある。


 トリガーを引く。レクサスとタンクローリーのフロントガラスが吹き飛ぶ。ゴブリンの手と銃も飛んだ。


 これで撃たれない。だがぶつかれば終わりだ。タンクローリーは迫ってくる。


 ユエがナイフを出す。ギニョルと自分のシートベルトを切った。


「出よう、もうだめだよこの車!」


「――いかん! ほかの者を巻き込む」


 ギニョルの言う通り。俺たちは正体を隠して来ている。この橋を通る島の住人と日ノ本の住人の車両に囲まれているのだ。


 車を放り出して衝突させたら、タンクローリーと一緒に無関係の者が死ぬ。


 ゴブリンが歯を食いしばり、残った手でハンドルを切る。タンクローリーが横転、タンクの側面を見せながら迫ってくる。このまま突っ込むわけにはいかない。


「二人は出ろ!」


 ギニョルを紫色の魔力が取り巻く。ヤギの角が生える。体が膨れ上がっていく。悪魔としての変身体だ。衝突を防ぐつもりか。巨体でもスレインほどの頑丈さはないぞ。


「騎士くん!」


 従うしかない。ユエに続いてサイドドアを開けて飛び出す。


 車両そのものはかなり減速していた。俺もユエも路面を転がり起き上がった。


 どぐん。迫ってくるタンクローリーとレクサスの間で、山羊顔の悪魔の体がきしむ。


「ぐぅっ……がぁ……っつ」


 翼が千切れた。車体とタンクの間で、胴体がみしみしとへこむ。辛うじて姿を保っているギニョルの口から、血反吐がこぼれていく。あばらを折ったくらいじゃすまない。


 だが車両は止まった。爆発は防げた。タンクローリーは損傷していない。


 魔力が消えていく。意識を手放したギニョルの体が縮んでいく。


「ギニョル!」


「しっかりしろ!」


 俺とユエは駆け寄って引きずり出した。変身体で挟まれたから、隙間が大きいのはいい。


 だが蒼白な顔だ。ぐったりしている。ローブに血がにじんでいる。脈も呼吸も弱々しい。これは、動かすとまずい。フリスベルが居れば。


 複数のけたたましいブレーキ音。三呂側とポート・ノゾミ側の後続車が次々に停止していく。みんな止まった。ギニョルが命を張ったことで、大惨事だけは防げたのか。


 再び銃声。俺たちの眼前で路面が弾けた。タンクローリーじゃない。誰だ。ポートレールは通り過ぎたのに。


 ユエの手が動く。S&Wの銀色の重心が閃く。


 鉛玉が飛び出す。吸血鬼とハイエルフが、片手を抑えてうめいている。二人だけじゃない。周囲のほかの車の奴らも部下だったのか。ギニョルが命を張ったのに。


 三呂側、ポート・ノゾミ側両方から来てやがる。囲まれる、遮蔽物がないぞ。


「騎士くん、降りよう、とにかく逃げなきゃ!」


「くそっ……!」


 俺はギニョルをコートでくるんで抱え上げた。ショットガンを背負ったまま、駆け出すユエに続く。


 車の連中が俺たちを包囲している。突破は無理だ。下しかない。三呂大橋の車線は二層になっている。連絡用の階段へと急ぐ。


 弾丸が足元を彩る。ユエがけん制してくれている。先に階段を下りていく。


 下側の車線は三呂行きもポート・ノゾミ行きも動いている。通過するドライバーたちは、俺を見てけげんな表情をするばかり。こっち側は包囲されていない。


「どうする……」


 上階では銃声が断続する。弾も限られている。いくらユエでも持たないだろう。


 ポート・ノゾミ側には無理だ。きっと張られている。三呂の病院にギニョルを担ぎこむにしても、歩道をのろのろ進んでいては――。


「一体、どうしたんです!」


 トレーラーが止まった。男の悪魔が運転席から見下ろしてくる。


 どこかで見た顔。こいつ、マヤの演説に噛み付いた奴だ。名前はルーベだったか。運転しているトレーラーは、自衛軍の73式トラックだ。GSUMが借り直したのか。トレーラーは、野外手術システムか。おあつらえ向きだが。


「あっ……!」


 ユエの悲鳴が聞こえた。右腕をおさえて降りてくる。撃たれちまったのか。もう敵を止められない。


 ルーベ。こいつが何者かは分からない。マロホシの指図で通りかかったのかもしれない。

 だがこれしかない。俺は叫んだ。


「頼む、助けてくれ! ギニョルもユエも死にそうなんだ! かくまって三呂まで頼む!」


 頭を下げた。顔を上げる前に、頼もしい言葉が降ってきた。


「今開けました。後ろに乗ってください」


 都合がよすぎる。だが疑っていても死ぬだけだ。俺もユエも後ろに乗り込んだ。


 手術台にギニョルを横たえた。銃声が連続し、トレーラーの側面で弾ける。


 トラックが発進した。三呂側へ向かうらしい。変わらず銃声はするが、自衛軍車両のせいか、パンクや破損の気配はない。


 小窓からのぞいてみる。追ってくる車両はない。こちら側には戦力を回していなかったのだろうか。


 安心、なのか。いや、俺たちはいったいどうなっちまうんだ。


 お嬢さんは半死半生のまま横たわっている。ユエは歯を食いしばり、血だらけの右腕をかばっていた。

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