八章~落日の弾丸~
1深夜の内偵
ポート・ノゾミの東部一帯は、三呂市を支える、大きな埠頭だった。
取引量は東の首都に次いで多く、国際港湾都市の名をほしいままにした時期もある。
しかし、紛争が始まると、埠頭は島で最初に形を変えた。
紛争初期、アグロスが有利なうちは、戦災に遭ったアグロス人たちの支援物資や、自衛軍の日用品や食料品置き場となった。このときからすでに、本土に帰れないアグロス人はちょっとした物々交換をしていたらしい。
中期、バンギア側が押し返すと、最初の入植者が略奪を行い、倉庫やコンテナに住み着いて本格的に物々交換を始めた。
そして、後期から紛争終結後。ルドー金貨とイェン、それに自衛軍発行の軍票による貨幣経済が始まると、交換場所はそのまま大規模な市場となった。
元は人口一万五千人。紛争後は六万人ほどに膨れ上がったポート・ノゾミ。
その台所を支える巨大市場、マーケット・ノゾミだ。
昼は食料品や生活雑貨、日用品を売るテントやバラックが立ち並び、なかなかに活気がある。三呂の倉庫街からGSUMや日ノ本を通してアグロスの物資が運ばれ、くじら船が付けば、荷さばきと売買が盛んになる。
その活気は、夜も衰えない。
ただ、売り物は変わる。
ポート・ノゾミ断罪法で禁止された銃器、危険性の高い魔道具、人身売買にほかならぬ奴隷に、リラックス目的の麻薬。また、バンギアの文化として存在した、違法な剣闘も行われている。
性にかかわる違法な楽しみは、ホープ・ストリートへ。
性にかかわらぬ違法な楽しみは、夜のマーケット・ノゾミへ。
この島に暮らす奴らの裏の常識だ。
さて、月の赤い深夜。
そんなマーケット・ノゾミを、俺とユエは二人で歩いていた。
俺はいつものブレザーに革靴、ただし今日はラフにノータイ。銃もいつものショットガンではなく、ハンドガンのP220を腰のホルスターに入れている。いくらか剣呑な雰囲気が和らぎ、島をぶらつく人間の若者っぽく見えるといいのだが。
ユエもいつものポンチョではなく、ブーツにジーンズ、飾り気のないポロシャツという軽装だった。テンガロンハットもかぶっていない。ただ両脇のホルスターに、P220とシングル・アクション・アーミーだけは忘れていない。
二人とも、断罪者のコートは警察署に置いている。今日はあくまで偵察だからだ。
「久しぶりに来たなー、夜のマーケット・ノゾミ」
「お前、ここで買い物してたのかよ。一応、断罪法違反の塊だぜ」
断罪法には禁制品取り引きの項目が存在する。そして夜のマーケット・ノゾミの売り物は、これでもかというくらい違反している。
だが、予算と人員がないのと、島の経済と生活に多大な影響を与えるため、ここの摘発はほとんどなされていない。戦後の日ノ本で、闇市が黙認されていたようなものだろうか。
それにしたって、さすがに俺たち断罪者が大っぴらに売買を行うのはまずいだろう。
ユエは気づいているらしいが、軽く自分の頭を小突いて見せる。
「まあいいじゃん。今は朱里さんが作ってくれるけど、私のSAA、ここしか弾売ってないんだよ。弾頭は鉛で鋳造できるけど、薬莢は本当に、ここしかないんだ」
ユエのSAAは、百数十年前、アグロスのメリゴン州合国が開拓時代だったころの代物だ。専用のロングコルト弾は、テーブルズから補充される備品の中に存在しない。全部自分で作っていると思ってた。
「……もう使ってないんだろうな」
「もっちろん。ねー、信じてよー、騎士くーん」
丸い瞳をうるうるとさせながら、俺の腕にとりすがるユエ。
ホルスターの間、ボタンをひとつ外したポロシャツの間隙に、少し汗ばんだ谷間が覗く。金色の髪がさらさらと手の平をくすぐり、無防備な色気が漂ってくる。ふんわりと、蠱惑的な香りまでが――。
いや、これは香の匂いだ。気が付くと、周囲は薄桃色や、紫色のランプの明かりが目立っている。赤や紫色のいかがわしいテントが立ち並び、倉庫の壁からは、はやし立てる声が大きく響いている。
「おい」
「うん。ギニョル、着いたよ」
ユエのブラウスの間から、ねずみが顔を出した。その眼が紫色に光り、ギニョルの声で話し始める。
『御苦労。他のメンバーの配置は済んだ。お主たちは予定通り、キズアトが居るか確かめてまいれ。出品者をやっておったら、わしらに知らせるのじゃ』
心なしか緊張を帯びているのは、あのキズアトの断罪を控えているからに違いない。
キズアト。吸血鬼にして、悪魔マロホシと並ぶGSUMのもう一人の首魁。
こちらもマロホシと並んで、三十四件の断罪法違反の嫌疑がかかる大物だ。
俺達断罪者の最終目標のひとつであり、俺にとっては七年前に流煌を奪った最悪の敵。
マロホシと同様用心深く、俺達の断罪をうまくかわし続けているキズアト。そいつが、なんとマーケット・ノゾミで自分の下僕を売りに出すという情報が、このひと月というもの、やたらと
もしもそれが本当なら、現場を押さえて禁制品取引で断罪できるかも知れない。
その可能性にかけ、この一週間というもの、俺達断罪者は夜のマーケット・ノゾミを内偵していた。
そして、当然のごとく外していた。
俺とユエは全体が黒と白の縞模様に塗られた倉庫の入り口へ向かった。
通りを向いた側の壁には、『時間と喜びを買おう』とでかでかと書いてある。
その右下の隅っこ。人一人がやっとの小さい鉄の扉の前に、もぎり用の台と、係りの男が座っていた。
見たところ、俺と同年代、つまり十六歳くらいの少年に見える。
近づいて、声をかけると、ぶっきらぼうに手を振った。
「今日は予約の方々で一杯ですよ。今やってる所ですし、オークション途中の入室はご遠慮いただいて」
「これで足りるか」
俺が一万イェン札を差し出すと、少年は黙って受けとり、目を剥いてじっと見つめた。
やがて懐にしまいこむと、鉄の扉の鍵を外してくれた。
「いけませんよ、人前でこんな額の金ちらつかせちゃあ。下僕なのに随分羽振りがいいですね」
「アグロス人につてがあるだけさ。できるだけ綺麗な女の下僕が欲しいから買ってこいっていうんだ。ホープレス・ストリートの店じゃ満足できないって」
俺は島に来ている女性たちと、合計三十数人の子供を作った山本の顔を想像した。いい感じに演技がはかどる。
「そいつは自分で来ないんですか?」
「あっちの連中はそういうもんだろ。めんどくせえ主人だよ」
公会で、舌鋒鋭く俺達を責め立てる山本の顔が、ありありと浮かんでくる。
退屈していたのか、男はやたらとしゃべりはじめた。
「違いありませんね。俺も早く主人にくたばって欲しいですよ。あんたみたいに大金持って綺麗な女連れて、奴隷買ってみたいなあ。ねえ、この1万イェンはいいから、その女ちょっと貸してくれません?」
ユエを、ホープレス・ストリートで買った娼婦かなにかだと思ってやがるのか。
ユエはというと、怪しまれないためだろう、困ったように微笑んでいる。
だが、気分がいいわけないだろう。腹が立った俺は、細い腰をぐっと抱き寄せた。
「いいか坊や、こいつは俺の妻だ。そんなこと考える暇があったら、この金を元手に、いい商売でもひねり出してみろ。少しでも力を付けて、いい女を自分で探せ」
ぽかんとする男を後目に、ユエの手を引いて建物へ入った。
ドアの先は、廊下になっていた。中央にドアがあり、歓声が聞こえるが、締め切られて入れない。
案内板を参考に、二階の入り口を目指す。
階段を上っていると、ユエがにやけて俺の腕を取る。
「いけないんだー、騎士くん。騎士なのに、年上のお姫様に手なんか出して、奥さんにしちゃうんだもん」
ユエはバンギア唯一の人間の国、崖の上の王国の妾腹の姫君だ。断罪者として厄介払いされ、王位の継承権なんぞ考えるべくもないが、王の子であり姫ではある。
「出してねえよ。あれ以外に、うまい嘘が見当たらなかっただけだろ」
「でも怒ってくれた。16の男の子が、18のお姉さんのために。えへへへ、やっぱり優しいよねー……どうする、おっぱいもむ?」
『うん』と言いそうな自分が情けない。
マロホシに魔法をかけられた俺の実年齢は23歳。年上なんだが、外見上はユエの方が上に見える。
「馬鹿なこと言ってないで、入るぞ」
「ちぇー、分かったよ。ギニョル、いい?」
『ああ。行け』
雰囲気を戻した俺達は、二階の扉を開いた。
中は変わった間取りだった。中央ががらんどうになっており、パイプ椅子が並べられている。俺達が入ってきたのは建物の東側の端で、正対する西側の端にステージがある。
一見の客は、二階の席に通す決まりでもあるのか、ここから一階に下りる階段は無さそうだった。
注目すべきはステージだ。最低落札金額の書いた札を首から下げ、五人の女が立たされている。ハイエルフ、ローエルフ、それに人間。いずれも下僕だろう。
その後ろには売り手とみられる悪魔や吸血鬼たちがたたずんでいた。
ユエが一目見て、ため息を吐く。
「……騎士くん、キズアト居ないね。確かに綺麗な人は出てるけど。騎士くん?」
俺は席に座れなかった。その場に立ち尽くしていた。
なぜって、右から四番目の黒髪の少女は、紛れもなく――。
「フィクス、流煌……」
下僕の名、日ノ本の名。
紛争の開始と同時に、俺の目の前から、完全に奪われたはずの少女が、ステージの上でぼんやりと虚空を眺めていた。
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