2落札

 会場内は最高潮だった。俺達にも、入り口に立っていた下僕が、コール用の札をくれた。司会から最低落札価格を聞いたら、こいつをかかげて、それ以上の値段を叫ぶ。誰も競り落とす者がなければ、その時点で品物を買える。


「……本当だ、本当にあのフィクスだよ。100万イェンからって書いてある。売主は匿名だって」


 断罪者で最も優れた腕だけあり、ユエは離れた文字盤まで読めるらしい。

 キズアトを現行犯で断罪することはできないのか。


『どうした、騎士。ユエ』


 ユエの懐のねずみが、ギニョルの声で尋ねる。悪魔の客が多いから、使い魔自体はありふれているが、断罪者が来ているなんて知られたらまずい。俺は声を潜めて返答した。


「フィクスが売られてる。ハーレムズのメンバーだぜ」


「売り主は分からないことにされてるんだ。あれだけじゃ証拠にならないよ。ここにキズアトが来てるかどうかも分からない」


『妙じゃな。あやつが下僕を手放すとは』


 ギニョルの言う通りだ。キズアトは自分のものを傷つけられるのを何よりも嫌い、激しく怒る。

 たとえば、フェイロンドが主導権を握る以前、暗殺ギルド、シクル・クナイブが依頼によりハーレムズの一人を殺害したことがある。しかもフィクスまでさらってしまった。


 怒ったキズアトは、自衛軍のヘリ操縦手を雇い、ナパーム弾の雨を降らせてシクル・クナイブの本拠地の島を焼き尽くし、フィクスを奪い返した。このとき、優秀なハイエルフの暗殺者達がかなり多く殺されている。


 自らの下僕の死体を美しく保つためなら、俺達でさえとどめを刺さずに見逃す奴だ。

 司会の悪魔がマイクを握って、高らかに叫んだ。


「皆様方には、できるだけ良いお値段で、我らの奉仕者との労働契約を結んでいただきましょう。どうぞよい時間と快楽を! 商品のご紹介に移りましょう!」


 男が舞台袖に引っ込むと、左端の少女が前に出た。天井にはライブハウスのようにスポットライトを操作している奴が居るらしく、照明が暗転し、少女だけが照らし出される。


 少女は五人とも、膝丈までのローブのようなものをまとっている。

 ステージの前に出た少女は、何を思ったかいきなりそれを脱ぎ捨てた。


 俺からじゃ距離が遠くて詳しくは見えないが、ほとんど全裸に近い状態だった。

 言葉に詰まっていると、ユエが顔を隠しながらつぶやく。


「うっわー、すごいかっこだ……どんなのか聞きたい、騎士くん?」


 こいつ、相当目がいいんだったな。


「一応、言ってみろ」


「えーっと、スケスケのヴェールみたいなのに、面積がすごく小さい下着だけつけてるの。はっきり言って裸よりエロい」


 そう言いながら、自分を抱きしめるユエ。


「足元黒のハイヒールで、体が光ってるから、多分スポットライト用の粉みたいなの塗ってるんだ。私エロ漫画以外で初めて見たよ、あんなの。やっぱりハイエルフの人って綺麗。あんな人に飽きて売るなんて、おかしいと思うけどなあ……」


 ユエのいう凄まじい恰好で、ハイエルフはにこやかにほほ笑むと、自らの境遇を語り始めた。


 いわく、五百歳を越えてしまったので、主人から売られることになったのだという。大抵のことには応じられる、と流し目で体をくねらせた直後、司会の悪魔が値段を叫んだ。


「512歳のハイエルフ、“さざめく水の知恵”ティナリー! 最低落札価格は300万イェンから、どうぞ!」


 一斉に札があがる。司会が会場のボルテージを煽り、みるみる金額が釣り上がる。

 350万、420万、600万、730万で、日ノ本の男が落札した。


 男が立ち上がり、ステージへと上がる。ハイエルフはほぼ素裸のまま男に抱きついて頬に口づけた。祝福と怒号が観客席から巻き起こり、司会の男から契約書を得た二人は、舞台袖へと消えていった。


「うっわー、これ、もうそういうことだよね……なんかスゴい」


 つぶやきながら、自分の唇をなぞるユエ。断罪で来ているのを忘れそうになる。


「ホープ・ストリートに飽きたらここなんだろうな。で、どうするギニョル?」


 二人目がしゃべり始めるのを見計らい、ネズミにたずねる。


『ううむ……どうやらキズアトは現れんようじゃな。奴隷売買の摘発はやりたいが、この数が暴れ出せば制圧は不可能じゃな』


 銃を持った俺達がノーチェックで通れたのだ。数百人居る客たちが全員銃を持ってると仮定すると、断罪者全員でかかっても、スレインとユエくらいしか生き残れない。


 最初からキズアト一人に絞って、断罪するための計画だったのだ。あいつが来ていない以上、これ以上は無駄足に過ぎない。


「騎士くん、フィクスは、流煌さんのことはいいの?」


「いいもなにも、これ以上なにやるっていうんだよ。あいつはもう別人になったんだ。俺の記憶も消えてる。売られようがどうしようが」


 そう言いかけたところで、フィクスの名が呼ばれた。


 さる高貴な吸血鬼が、裏切りの懲罰として売りに出したと司会が叫ぶ。


 ローブをめくると、フィクスの身体はなにか黒いものに巻かれているようだった。


 妙だ。流煌の肌は、日ノ本人にしては白かった。機械いじりが好き過ぎて、よくガレージにこもってたから。チャームをかけられ、容姿と年齢が固定した今、あんなに変化しているはずがない。


「騎士くん、流煌さんは……」


「ユエ、一体どうしたんだ。あいつは」


 俺の疑問をさえぎるように、フィクスの声がこだまする。


「取るに足らぬアグロスの人であったころ、私は主に見初めて頂きました。幸福のうちに、汚れた記憶を除いていただき、全ては完璧に推移するはずでした」


 そこで言葉を切って、フィクスは自分の身体を抱いた。


「なのに、私は裏切りました。記憶を消してなお、この私の深層に、わずかに汚れた人間が残っておりました。私は罰されねばなりません。この体の傷ではとても足りないのです」


 フェイロンド達と戦った島でのことを言っているのか。俺を見つけておきながら、撃てなかったときのことを。


 吸血鬼のチャームは、不可逆の蝕心魔法。血を吸われた者は完全なる下僕となるのだ。ましてキズアトは、クレールを子ども扱いするほどの強力な魔力を操ることができるはずだ。流煌が甦ることなどありえないはずなのに。


「騎士くん、フィクスは、火傷してるんだ。たぶん、焼きごてを当てたんだよ。文字になってる。裏切り者とか、恥さらしとか、淫売とか、ひどい言葉ばっかり……」


 ここからでも見えるほどの火傷だったのか。フィクスは続ける。


「獣の欲望と残忍さを持つご主人様。どうか、私をお買い上げください。苦しみ抜いて壊れ死ぬほどに、私を責めつぶしてください。主を裏切った私に、似合う末路をお与えくださる方、どうぞこの私をお買い上げください……」


 ほとんど狂気の要求に、さすがに札は上がらない。あるいは想定外だったのか、司会も煽り立てず黙っているばかりだ。


 フィクスはあせったように、大声で叫ぶ。


「どうぞ。価格などいくらでも構いません。私の主をお恨みならば、私で晴らすのもいいでしょう。どうかどなたか、どなたか! 醜い小娘にお慈悲を!」


 主から捨てられ、全身に汚い言葉を焼き付けられた姿で、涙を流すフィクス。

 これ以上は耐えられない。気が付くと、札を持った俺の手が動いていた。


「100万イェンだ!」


 俺の叫びが、会場の静寂をついた。


「騎士くん……」


 驚いて振り返るユエを無視して、俺は早口で言った。


「ギニョル。フィクスから可能な限り情報を吸い出させろ。済んだら禁固刑にしろ。百万は俺が出す。ハーレムズを一人断罪できるなら、十分だろう」


『……分かった。連れて来い』


 他の観客は反応しない。司会の男が最低価格ぎりぎりでの落札を認めた。俺はユエと共に、階下へと向かった。

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