3歪んだ断罪
フィクスが売られた理由や、その体の焼きごての跡は、もう少し軽い快楽が欲しかった観客を委縮させた。俺がサインを受けて、フィクスが首輪をはめられる間、誰も何も言わず、はやしたてもしなかった。
サインが済むと、俺は鎖の端を握った。流煌がキズアトに奪われて七年。その成れの果てが、ハーレムズの暗殺者へと堕したこのフィクス。
いつか、もしかしたらと思っていたが。こんな馬鹿な再会はない。
ヒールに小さな下着とベールだが、真っ白い肌に、痛々しい焼きごての文字がいくつもある。濁った眼で、フィクスが俺を見つめる。
「丹沢、騎士……主が憎むあなたに買われることは、優れた罰」
「勘違いすんなよ。お前はクレールの蝕心魔法を試して、囮になって禁固刑だ」
俺は事務的に言うと、鎖をつかんでフィクスを引っ張った。
舞台袖に引っ込むと、ほぼ裸のフィクスを椅子に座らせる。
ユエがそばにあった包帯と薬で火傷の応急処置をした。作業の間、一言も話しかけない。口元も動かず、目にも感情がない。
包帯を巻かれ終わり、渡されたローブを肩からかけたフィクス。人形のように生気のない顔で、手当てを終えたユエを見つめて、ぽつりと言った。
「……ユエ・アキノ。ヴィレを撃った私を、殺さなくていいの」
止める暇はなかった。ユエがホルスターのP220を抜き、腕が消えるほど素早く銃床を振り抜く。
頬を打たれたフィクスは、座っていた椅子から吹き飛び、吊ってあった卑猥な衣装の中に突っ込む。
ユエは両方の銃を投げ捨て、色とりどりの布切れの中のフィクスの髪をつかんだ。
握り固めた拳が飛ぶ。
「このっ! あんたが、あんたがこんな捕まり方しなかったら私が、私がッ!」
鈍い音を立てて、ユエの拳がフィクスの顔面を打つ。誰を撃つときも乱れないはずの心が、嵐のような怒りに駆られている。
口を切り、頬を切り、みるみる歪む流煌の顔。
俺はいたたまれなくなった。ユエを羽交い絞めにすると、精一杯力を込める。
「もうやめろ! やめてくれ、やめて、くれよ……」
情けないが、声が震えちまった。どうせ女と思っていたユエの体に、凶暴なほどの力が込められている。
フィクスは、悪人とはいえユエの師だったヴィレを殺し、海の父親の遊佐も殺した。深過ぎる、憎悪。フィクスとなった流煌が犯した、罪の重さが全身で伝わる。
ユエがフィクスを放した。伏せた顔に、金色の髪の毛がかかっている。
血の付いた拳が、ゆっくりと開かれていく。力が抜け、ただの少女へと戻る。
「ごめん、なさい、騎士くん……」
断罪に抵抗できない相手に、不必要な苦痛を与えることは許されない。
物音に反応したのか、裏口のドアが開く。こっちを見張っていたガドゥだった。
「おいどうした……ユエ、騎士、お前ら一体なにしてるんだ」
血にまみれたユエの拳、羽交い絞めにしてで止める俺。そして倒れ伏したフィクス。ガドゥはわけがわからないという様子で、AKを構えている。
「どうなってんだよ、キズアトはどうした。なんでフィクスが居る……」
そこまで言って、ガドゥはユエが投げ出した銃の存在に気づいた。
その視線を追っていたフィクスが、素早く体を起こす。
まずい。俺はユエを投げ出し、鎖の端に手を伸ばすが、タッチの差で間に合わない。
紐と薄布の煽情的な衣服が舞い上がる中、飛び込んだフィクスがP220をつかむ。
ユエはSAAへ向かう、ガドゥがAKを発射しようとした刹那。
「うああああああっ!」
フィクスの悲鳴が、部屋中に響き渡った。銃身に触れた瞬間、その手から、煙が吹いたのだ。
「う、っぐ……」
うめきながら、銃を投げ出したフィクス。全身の火傷に、ユエに殴られた傷、限界を超えていたらしく、気絶してしまった。
まるで、銀の弾丸を握りしめた吸血鬼や悪魔だ。元人間の下僕は、銀の弾丸でも平気であつかえるはずなのに。フィクスの体はどうなっているのだろうか。
呆然とする俺とガドゥだったが、冷静なのはユエだ。傷だらけのフィクスに近寄ると、落とした銃を拾って部屋の隅へと放り投げる。
「ガドゥ、AK構えて。変な動きしたらすぐ撃ってね。騎士はフリスベルを呼んで。手当てをして、今の内に警察署に運ぼう」
さきほど殴ったのが嘘のように、的確な対応だった。恨みの件は流すのだろう。
しかし、今思うとユエは俺を気遣ったっていうより、フィクスを自分の手で断罪したかったのかも知れない。
使い魔で一部始終を見聞きしたギニョルが来ると、事態はようやく収束した。ギニョルの命令で、俺達はフィクスを車へと運び、マーケット・ノゾミを去った。
ギニョルは残って、断罪者である俺が奴隷を買ったという証拠の売買契約書を破棄させる交渉を行った。フィクスはたまたま俺達が発見して、断罪するために拘束したということにするのだ。
小さいブローカーだが、この奴隷屋には貸ひとつとなり、奴隷売買の摘発がまた遠ざかった。GSUMの幹部などの元締めを断罪すれば連鎖的に潰せるが、フィクスを買った俺のせいで、断罪法の執行がやりにくくなるのは確かだった。
警察署に到着すると、フィクスは治療と検査のために、クレールとフリスベルが連れて行ってしまった。
俺はしばらく警察署の入り口に立ったまま、ぼんやりと暗い廊下を見つめていた。
俺の事情は、ギニョルを通じてある程度みんなに知れ渡っている。誰も俺には話しかけない。ギニョルも、ガドゥも、スレインも先に会議室へ行ってしまった。
あいつは本当に、キズアトに捨てられたのだろうか。銃を持った手を火傷していたが、戦う能力も封じられているのだろうか。ただの無力な奴隷として、傷だらけで売られ、どん底のようなこの先を過ごすのか。
「騎士くん、あの……」
「なんだ」
肩を叩かれ、自分でも驚くほど冷たい声が出た。
ただ一人俺の傍に残ったユエが、おびえた顔で反応をうかがっている。
「わ、わたし、あんな勝手なことして……断罪者なのに、仇なんだって思ったら、もうだめで」
卑屈な態度が気に障った。
普段ならどんな奴だろうと正確な早撃ちで仕留める女が、何を言ってやがる。
「お前の血の気の多さは知ってるよ。抵抗しない奴を殴るのは最低だけどな」
「でも、フィクスは」
「安い挑発に乗るように、ヴィレの奴から教わったか?」
矢継ぎ早に言うと、ユエの瞳が涙に揺れる。
「わたし、そんな。ごめんなさい……ごめん、なさい……」
膝を折ってしまった。耳をふさぐようにしゃがみ込むと、泣き崩れる。
反論できない正論で、責め立ててしまった。自分でも最低の卑怯なことをしていると思うが、止められなかった。
フィクスは断罪法違反者だ。しかも殺人の被害者はユエの心の支えだったヴィレと、親友である海の父親、遊佐。俺こそ、ユエの怒りを思いやってやるべきなのに。
傷だらけになって殴られているフィクスが、俺の元に戻ってきた流煌に見えてしまった。
ユエが同じ断罪者から、流煌を痛めつける敵に変わっていた。
処置室のドアが開く。クレールの革靴が、警察署の廊下を叩いた。
「終わったぞ。簡単に探れた……どうした!」
しゃがみこんだユエを見て、駆け寄ってくるクレール。フリスベルが口元を隠して、俺達を見つめている。
「おい騎士、ユエに何をしたんだ。答えろっ!」
カルシドを殴ったときのように、怒りを帯びた深紅の瞳が俺にぶつかる。ポロシャツの胸元をつかんだ手は、細いくせに万力のような力がこもっている。
「……せぇ」
「なんだ」
「めんどくせえな、お前」
この二年が抜けていくみたいに、卑劣な言葉が口を突いた。
クレールの拳を受けた俺は、冷たい床に手を突いた。
「やめてくださいクレールさん! 大丈夫ですか、騎士さん」
「触るなよ。自分で立てる」
フリスベルをふりほどくと、俺は立ち上がって会議室へ向かった。
三人の方は振り返らなかった。
ポート・ノゾミにキズアト達が現れ、日常が壊されて七年。
俺の中で、隠してきたなにかが、暴れ始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます