4監獄か奴隷か

 フィクスは手錠をされ、中央の椅子に座らされている。もっとも、一人用寝袋みたいな拘束着を着せられ、ぼんやりと部屋の中を見渡しているばかりだ。


 さきほどのトラブルのせいか、フィクスと俺の関係のせいか、会議室の雰囲気は最悪だった。クレールはいつもの数倍イラついた調子で俺を見つめるし、俺は俺で構うかとばかりに黙り込む。


 視線をさまよわせれば、ユエやフリスベルはうつむいてしまうし、ガドゥはなんともいえない愛想笑いを浮かべ、スレインはため息のように小さな火を作る。


 ギニョルも難しい顔をしていたが、ホワイトボードの前で俺達を見回した。


「……いいか、もう一度説明するぞ。クレールが調べた限りじゃが、フィクスにはいくつか蝕心魔法が仕込まれている」


 ボードの方を振り向きながら説明を続ける。


「まず、銃かそれに類するものに触れると、強い火傷のような症状が出て苦しむようになっている。これは戦闘能力を奪うためじゃろう」


 クレールの説明では、キズアトの蝕心魔法は効力が非常に強く、身体に影響を与えることまで可能らしい。本来の蝕心魔法は人の精神に干渉し、眠らせたり、操ったりはできるが、身体そのものに影響は与えられないというのに。


「それから、キズアトに関する記憶は、ほぼ消されておる。主人としてあやつを慕い、裏切れぬ気持ちだけを残してな」


 飽きた下僕を売り払うとき、吸血鬼はみなそうする。自分との思い出は与えず、感情のみを残して、下僕から残りの人生の自由を奪い取る。一度手に入れたものに自分が飽きるのはいいが、自分の物が勝手に幸福になるのは許さないのだ。


 キズアトの場合は、フィクスの体に、焼きごてによる文字通りの傷跡をつけ、記憶と戦闘能力を奪って自罰的な奴隷として売り払ったわけだ。


 クレールが立ち上がる。


「補足をさせてくれ。キズアトは僕よりはるかに蝕心魔法に長けている。僕ではわからない隠された何かが、まだフィクスに仕込まれているかも知れないんだ」


 銃は使えなくとも、刃物なら持てるだろう。俺達を油断させておいて、不意討ちすることも考えられる。


 フィクスが口を開いた。


「……考えられないと思います。ご主人様は、私に何の価値も見出しておりません。鉄砲玉にもすることなく、私を売り払ったのが証拠です」


 流煌の顔、流煌の声で聞くには堪えがたい言葉だった。


「騎士くん……」


 ユエの気づかわし気な目が、無性にいらだたしい。

 平気だとアピールするため、俺はわざと悪びれたように言った。


「ギニョル、そういうことなら危険がなくていいじゃねえか。とりあえず、分かってる断罪法違反で、禁固刑にすればいいだろう」


 爪と牙を奪われた獣のような状態で、断罪を食らって閉じ込められた奴らがうごめく場所に放り込まれれば、どうなるか。

 キズアトへの罪の意識で心が弱り、自罰的になったフィクスが、そこでどういう目に遭うか。


 俺はあえて目をつぶった。もう忘れてしまいたかった。

 だが、ギニョルは希望を通してくれない。


「簡単には送れぬな。こやつが監獄でトラブルを起こす可能性は高い。勢力争いでハーレムズに敗れたものも多いし、こ奴自身記憶から消された殺人がまだあるかも知れん」


「ならどうするんだよ。ここに置いとくのも危ないんじゃねえのか」


 もしもキズアトが、何かを仕掛けていたとしたら、警察署は絶好の場所だ。昼夜を問わず地下の拘置所に置くことも考えられるが、俺達が終始見張れるわけじゃない。


 考え込む一同に対して、フィクス本人が言った。


「お困りのようならば、契約の通り、私を奴隷としてはどうでしょう」


 全員が虚を突かれていた。

 そういえば、最初は奴隷として俺に買われたんだったな。


「私は覚えていませんが、私を買った新しいご主人様は、前のご主人様が私を見初める前に恋人だった男でしょう。変わり果てたこの私をののしり、適切に痛めつけてくれるはずです」


 自罰か。オークションのときも似たようなことを言っていた。

 拘束着の中、妖しく光る眼が俺に降り注がれる。


「私は、ご主人様を怒らせる方法なら分かります。さきほど断罪者の方を怒らせたように。魔法のせいで銃を落としたから、あのときは撃ってもらうこともできなかったんです」


 楽屋での行動は、ユエを怒らせて、自分を殺させるためだったのか。

 もはやフィクスは、生きることそのものを諦めているのかも知れない。

 少しの抵抗も見せず、フィクスは顔だけで微笑む。


「ですから、どうかわたしを新しいご主人様にお与えください。望むことはなんでもしましょう。そうすれば、私は前のご主人様が与えて下さった、輝かしい愛情との間で苦しみながら死ぬことができます。閉じ込められることより、見ず知らずの者の欲望に飲まれるより、より苦しい刑でしょう?」


 眼だけを動かし、見つめるのはユエだ。ユエがこの場のだれより、フィクスに対する憎しみを持っていることを見抜いている。


 ユエは唇を噛んだ。右手が、腰のP220の柄の上でさまよっている。

 これもむごい挑発だった。今すぐにフィクスを打ち倒したいのだろうが、それこそがこいつの思うつぼになるのだ。


 誰も口を利かなかった。ギニョルでさえも、妙案が浮かばないのかも知れない。


 重苦しい空気の中、ユエが突然顔を上げた。


「分かった。じゃ、あなたは騎士くんに預ける!」


 椅子を引く音とほぼ同時に、びしっと指を指して、フィクスを見つめるユエ。

 フィクスは安心したらしく、初めてにっこりと微笑んだ。


 流煌のほほえみがまとっていたのと、同じ雰囲気を撒き散らしながら。


「ならば、私は今この時より新しいご主人様にお仕えしましょう」


「ただし!」


 ユエが腕を組んで胸を張る。元気があってこそ、ブラウスからのぞく魅惑的な谷間も生きる。


「私も一緒に住む! んで、あなたが騎士くんを辛い目に遭わせるのを防ぐ!」


 なぜ、そうなるんだ。

 俺は苦笑する。だが、さきほど廊下で感じたざらつきが、少し引いた気がした。


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