21大母のひと花

 影。それは真っ赤な鱗を持ち、大きな翼をはためかせた竜だった。


 ナパームの炎より赤い鱗、6メートルを誇る巨体。巨木の梢に勝るとも劣らぬ剛腕には、バンギア最強の身体能力を誇るドラゴンピープル専用の長大な戦斧、“灰食らい”を手にしている。


 断罪者のスレインだ。ギニョルが先行させた増援が、このタイミングで到着した。


「どおおああああぁぁぁぁっ!」


 スレインは背中の翼をたたみ、落差と体重を利用して戦斧を叩き付ける。

 重厚な刃がハイエルフの額に食い込み、一撃で根元まで叩き割った。


 スレインの腕力と灰食らいの超重量は、軽トラックのエンジンを断ち切り、片手でも頑丈な防火シャッターを断ち割る。いくら樹化したハイエルフとて、ただの薪と変わりはない。


『が、あが……』


 幹の裂け目を少しだけ歪めて、短い断末魔を上げると、ハイエルフの巨木は、そのまま枯れ木となった。


「間に合ったか、騎士、ガドゥ。手酷くやられたな」


 スレインの背から降り立ったのは、赤と黒のマントに、メリゴンの古い自動小銃、M1ガーランドを手にした吸血鬼のクレールだ。見た目は生意気なガキの癖に、今は何よりも頼もしく思えちまう。


「クレール! まだ間に合ってねえんだ! 早くやれ、弾が届かなくなっちまう!」


 ガドゥが必死に叫んだ。視線を追ったクレールは、左舷甲板に駆け寄る。

 もう俺の目でも見えるのは、ちらちらとする灯火だけだ。ブロズウェルの奴が仲間と合流した後、珠をどこへやったのかまでは分からない。

 だが、吸血鬼は夜目が利く。恐らく俺達よりも、クレールには詳細な様子が見えているはずだ。


「……なるほどな」


 そうつぶやくと、クレールは手すりにM1ライフルを固定した。マントの裏から、クリップでまとめたM1の弾薬を取り出し、銃身に込めて中腰の狙撃姿勢に入る。スコープを除きながら、足元のガドゥに尋ねる。


「ガドゥ、満ち潮の珠は銃弾で壊せるのかい?」


「それが一番確実だ! 頼む……あいつらにだけは、渡しちゃならない」


 そう言って、ガドゥがギーマの死体を一瞬見やった。

 弟を殺してまで、守ったのだ。シクル・クナイブに満ち潮の珠をさらわれる事だけは、絶対に許せないのだろう。


「任せてくれ。この距離なら、外さない」


 できること以外は、できると言わない性格のクレール。


 くやしいが本当に安心できる。ひとつ見せてもらおうか。


 巨大なくじら船とはいえ、微妙な波で手元が傾ぐに違いない。しかもターゲットは片手に収まる満ち潮の珠だ。いくらクレールでもと思ったが。


 銃声が響く。一発、二発、三発、四発――合計六発。


 M1の銃身から弾薬をまとめたクリップが飛び出し、ピーンという、子気味いい金属音が船上に響いた。


 クレールは次弾を装填しない。大きく息を吐くと、銃身からゆっくりと顔を上げる。

 前髪を分けてこちらを振り向く。きざったらしい思わせぶりな態度だが、期待できる。


「船は揺れるな。最初の一発を外した」


「どうだったんだ?」


「残り五発を叩き込んでやった。粉々になって、海の中に散ったよ」


 さすがだ。ガドゥが安堵のため息を吐く。


「そりゃもうだめだ。直すのも無理だな。どこかの遺跡からまた発掘されない限り」


 破壊することにはなったものの、バルゴ・ブルヌスとシクル・クナイブ、両方の目論見を阻止したのだ。


 しかし。俺は処刑樹がぶっ刺さった太股の傷を見やる。見回せば、そこら中に倒れているゴブリンにダークエルフにハイエルフの死体。

 そして、船室の上にはエライラだった木の燃え残り、音楽の響いたステージには、横たわるブロズウェル。


 二つの組織が、必死の争奪戦を繰り広げた結果がこの惨状だ。どちらかの組織に球が渡っていれば、犠牲者はこの比じゃなかったのだろう。


「……もう二度とごめんだぜ、こんな戦いは」


 たくさんのダークエルフたちを巻き込んでしまった。断罪活動として見ても、失格レベルの犠牲者の数だ。



 クレールとスレインは、残りのダークエルフの中に、化けた奴が居ないか調べた後、町の上空へ飛び立った。首領を取られたバルゴ・ブルヌスの逆襲や、目的を破壊されたシクル・クナイブのお礼参りを警戒するためだ。


 俺とガドゥは、傷の手当てを受けたうえで、ブロズウェルの幹に寄り掛かっていた。


「おれ、今回のことは……」


 隣のガドゥが耳を伏せた。俺と二人じゃ、とても事態を収拾できなかったことに、後悔しているのだろう。


「無力を感じてるなら、違うぜ。お前と俺や、ダークエルフたちがいたから、ぎりぎりで珠を壊せたんだ」


 二つの組織と二人の首領格。断罪者全員でも、同時に相手にするのは骨が折れるどころか、誰が死んでもおかしくない相手だ。銃の腕が特別いいわけでもなけりゃ、魔法が使えるわけでもない俺とガドゥだけで、これほど戦えたのは、十分に誇っていい。


 そうでも言わなければ、こんな犠牲を出してしまったことがやりきれない。


「でもよ。どうせ殺しちまうなら、最初から、止めるなんて言わずに、最初からギーマの奴をおれが……」


『やめろ……』


 地の底から湧き出るような声が、俺達を包んだ。

 振り向くと、焦げ付いた木の幹に、わずかに顔が浮かんでいる。ブロズウェルだ。


『お前まで、温もりを失うことは、ない。お前達ゴブリンを、子鬼とののしったこと、取り消そう。お前達がいなければ、私達がここまで戦うことは、なかった。それでは珠を奴らのどちらかに渡すことになった』


 500年を、ダークエルフとして生きた大母が、ガドゥのことを認めたのか。

 ガドゥは動く片腕を伸ばして、そっと木の表面をなぞる。


「ブロズウェル……」


『泣くな、ゴブリンの断罪者よ。死の商人だった私が、言えた義理ではないが、ニヴィアノやほかの者たちを、島に寄せてやってくれないか。我らを操った者たちの、情報源にもなることだろう……』


 声がかすれている。恐らくもう、命が尽きようとしているに違いない。樹化して命を長らえたが、とうとうか。


 魔力の気配を感じ取ったのか、ダークエルフたちが駆け寄ってくる。ある者は甲板に上り、客席から飛び降り、たちまちの内に俺達と大母はニヴィアノたち残った七人に囲まれた。


「大母様! しっかりしてください、みんな来てるんです! まだ私達、大母様がいないとどうしていいか……!」


『ふ、ふ……誰だか知らぬが、無茶を、言うな。もう、見えも、しない』


 声が弱っている。ニヴィアノだけじゃない。男も、女も、ダークエルフたちは涙を流し始めた。ガドゥが幹を握りしめ、取りすがっている。俺も最後の鼓動を感じ取るため耳をそばだてたが、あるのは冷たい枯れ木の感触だけだ。


『今後の、ことは、断罪者に従え。裁きが、あるなら、受けろ。永遠の正義と、美など、存在しない。知っただろう、まやかされる、ことのないよう』


 ニヴィアノが無言でうなずく。


『今日の戦いを、忘れるな。自ら考え、恥ずることなく、生きろ……知恵を付け、幸福を求めろ。我が子たちよ、どうか、法と、断罪者を、信じ、て……』


 声が消えた。魔力を感じ取れない俺にも、ブロズウェルが死んだのが分かった。

500年を生きたダークエルフの大母は、最後まで子たちを案じながら、身まかった。


「……あ」


 死んだ木から、わずかな気配がした。細い、本当に細い枝が伸び、小さな白い花が二つだけついた。


 花弁がみるみる散り、果房が少しずつふくらんで、黒く可憐な実になった。

 実はしなびて、中から一つずつ、指の爪にも満たないような種がこぼれる。


 枝が枯れ、崩れていく。ニヴィアノが、種を拾った。


「大母様……」


 祈るようにしゃがみこみ、完全に枯れたブロズウェルを見つめる。

 その顔が、上り始めた朝日に照らされていく。

 乾いた涙の痕が、輝いていた。

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