20すり抜ける手


 なぜブロズウェルが。確かに殺されたはずじゃなかったのか。

 ハイエルフの一人が、マガジンを入れ替え、再びグロックで射撃する。弾丸は目玉に当たったが、焦げ茶色になった表面がわずかに傷ついただけだ。


 どうやらブロズウェルの身体は、樹木へと変化している最中らしい。


 ダークエルフが樹化を使うなんて聞いたことがない。もっとも、ハイエルフ、ローエルフ、ダークエルフの三者は、外見こそ違うが、身体の性質は似通っているという。そういや、いつぞやホテルノゾミで、新型ドラッグで樹の化け物になった娼婦もいた。


 あのときも殺されかけたな。今も右足にくそったれな挿し木をされちまったわけだが。


 滑らかなだった肌が、みずみずしさを失い、膨張してドレスが裂ける。顔面の輪郭が樹の幹になり、開いた裂け目が顔の代わりに浮かび上がる。たくましい幹の樹木へと成り代わっていく。


葉を茂らせて鞭のようになった腕を振るい、ブロズウェルは二人のハイエルフを弾き飛ばした。


 棍棒のフルスイングを受けたかのように、二人は軽々と吹き飛び、手すりに激突、首があらぬ方向にねじ曲がっている。


 十メートルは離れていたが、幹になって伸びあがった腕で、射程距離がぐうんと伸びている。


『フェイロンドッ、客人と我々で守った珠だ、この船に置いていけぇぇっ!』


 根と化した脚を動かし、ざわざわと進むブロズウェル。木槍のような腕を突き出し、残虐なハイエルフめがけて突進する。


 いくらフェイロンドとて、ドラゴンピープルのような身体能力を持っているわけではない。グロックで撃っても、詠唱の短い現象魔法でも止められはしないはずだ。


 だがフェイロンドは落ち着いてローブの懐に手を入れる。出てきたのは小さなペットボトルほどの茶色い瓶。木の塊で口が塞いである。


 突進をかわすと、右へ回り込み、グロックをしまって短い杖を取り出す。


「滑稽な猿真似だな。樹化を過信する無能なダークエルフらしい!」


 叫びながら、小瓶を投げつける。あれは何なんだ。


 ブロズウェルに避ける気はないらしい。多少の毒でも平気なのだろう。俺だってあれがなんの兵器かは分からない。


 フェイロンドが素早く杖を掲げる。


「フィレー!」


 先端に赤子の握りこぶしほどの小さな火の弾。あれはフリスベルがたまに使う、ライターほどの火を生み出す現象魔法。


 あんなものでどうしようというのか。そう思った俺は、シクル・クナイブをまだ侮っていたらしい。


 火の弾は、ブロズウェルの眼前で瓶と接触。瞬間、轟音と共に容器が爆発した。


「ぐあああぁぁぁぁっ!」


 飛散した火がブロズウェルの幹や枝に付着し、燃焼を続ける。

 いくら振り回しても火が消えない。


 もがくブロズウェルを眺めながら、フェイロンドが哄笑する。


「はははははっ! この船も、M69ナパームを運んだことがあるだろう。あれは便利な火器だな。瓶にはその中身と同じものを用意しておいた。水も無駄だぞ、十分間は燃え続ける。後悔しながら少しずつ焼け死ね」


 悲鳴を楽しむかのように、フェイロンドが杖をかかげる。


「同士よ、最後の意気を見せろ! お前達の奮闘が、海鳴のときを近づけるのだ!」


 首の骨を折って倒れていたハイエルフが、樹化を始めた。西洋人形のように滑らかだった白い肌が、隆々とした樹皮に変化していく。下半身を根に変化させながら、幹と化した上半身で立ち上がる。


 十メートル近い、巨木。倒れ込めば人の一人や二人ぺしゃんこにできるだろう。


『我ら、シクル・クナイブ! 正義と美の名の下に!』


 裂け目がおぞましい叫び声を上げ、ざわざわと根を鳴らしながら、俺の方へ突進してくる。

 まず負傷した断罪者から確実に片付ける気か。


 処刑樹は右太ももで根を張り続けている、動けるはずがない。


 目の前に迫った巨木を、もう一本の巨木が受け止めた。

 ブロズウェルが樹皮を燃え上がらせながら、俺を守ったのだ。


『焼死寸前の体で、半端な断罪者を守るか。見ものだが、惜しいものだな、私は珠を無事に持ち返らねばならない』


 フェイロンドがマントを翻し、救命艇の鎖へと近づく。ハンドルを操作すると、アグロス製のモーターボートがゆっくりと海面に着水した。


『さらばだ、断罪者よ。海鳴のときを楽しみにしているのだな!』


 甲板から飛び降りると、すぐにモーターの音が響いた。あいつ一人でも操縦できるのだろう。さきほどの小さなナパームといい、必要ならアグロスの技術ですら平気で使いこなすとは。


 悔しがる暇もない。俺の眼前では、大木と化したブロズウェルとハイエルフが、真正面から激突し、お互いの梢でお互いを締め付け、裂け目を広げて噛みつき、身体を食いちぎり合っている。

 ナパームの火はお互いに燃え移り、いつしか火柱に近づいていく。


 もう、ブロズウェルを助けるのは無理か。

 俺はありったけの力を振り絞って叫んだ。


「ニヴィアノ、俺かガドゥを開放しろ! まだ狙撃できる!」


「あっ、う、うん」


 俺より近いガドゥの傍にしゃがむと、杖を出して魔力を集中させる。


「ヘイブ・ヴィーゼル!」


 フリスベルも使っていた、魔力を持った植物を枯らす呪文だ。


 ブロズウェルの言った通り、ガドゥの腕に根を張っていたいまいましい処刑樹が、ぼろぼろと崩れていく。細い腕には残虐な傷が残ったが、ニヴィアノに支えられ、ガドゥがどうにか体を起こす。


 無事な左腕でAKを持ち上げ、必死に撃った。


「止まれ、止まれえええええっ!」


 弾丸が跳ね上げたしぶきはここからでも見えるが、エンジンと船体、フェイロンド自身に当たらない。痛みで狙いが悪くなっているのだろう。


「ぐっ!」


 海からの銃声。フェイロンドの反撃が、ガドゥの手からAKを弾き飛ばした。動く船から当てやがった。グロックはハンドガンだぞ。


 ボートは早い。距離が離れていく。もう百メートルに近い。ガドゥは転がっていたスコーピオンを拾い、再び撃ったが当たらない。負傷したまま、命中させられる距離じゃない。


「くそ、くっそおおおおおっ!」


 叫びと共に、処刑樹が開けた肩口の傷から血が噴き出た。マガジンの弾がなくなっている。俺も拳を床に叩き付けた。スラッグ弾でも無理だ。俺達でどうにかできる距離じゃない。


 フェイロンドの周囲に、突然灯りが表れる。灯火を消して近寄っていた仲間の船だ。合流したというわけか。最初から、珠を目的にここに仲間を集めていたとは。


 距離は二百メートルまで遠ざかっている。しかも、あれだけ人数が居たら、闇雲に撃って誰かに当たっても、他のメンバーが珠を回収するだろう。奴の目的は、実質達成されたに等しい。


『失せろ、ダークエルフが!』


 ブロズウェルがハイエルフに投げ飛ばされた。ナパームを浴びた表面は炭化し、すでに葉もほとんどが燃え尽きている。


「た、大母様……」


 ニヴィアノがうずくまって涙をこぼした。魔力の気配が消失しているのかも知れない。つまり死んだということだ。人の姿を捨ててまで、俺達を守ろうと戦ってくれたのに。


『我が同士は目的を達成したな。断罪者よ、後はお前達を消せば、盤石だ!』


 ハイエルフが幹を振り上げる。人一人ほどもある巨大な枝が、動けない俺達三人めがけてうなりをつけて振り下ろされる。骨を砕き、肉をえぐる強大な一撃が迫る。


 そのときだった。上空の暗闇の中に、巨大な影が音もなく浮かび上がった。

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