19冷静な狂気
どさり、と人が倒れる音。手当てや片づけに当たっていたダークエルフが三人、首や胸から血を流して死んでいる。操身魔法で化けていたハイエルフの不意討ちだ。
ハイエルフがダークエルフに化けるなど、つゆとも考えていなかったに違いない。
「てっめえ……!」
俺はフェイロンドに銃口を向けた。
距離四メートル。バックショットなら頭を吹っ飛ばせる。
だが、それは人質が居なければだ。鷹揚な口調で、フェイロンドが俺に呼びかけた。
「銃を捨てろ断罪者よ。この子鬼と、我らの黒き同胞の命が惜しくばな」
言われるまでもなく、足元のガドゥは、傷口を踏まれて動きを封じられ、グロックの銃口で頭を狙われている。
「え、あ、あれ、フェイ、ロンド、さま……」
呆然とする二ヴィアノの胸元から、ハイエルフが満ち潮の珠を乱暴に奪い取った。
そいつはフェイロンドに珠を投げ渡すと、二ヴィアノのこめかみにグロックの銃口を押し付ける。二度と見たくないパターンの繰り返しだ。
倒れているブロズウェルに気づき、二ヴィアノが声を失う。ガドゥの頭を床に押し付けながら、フェイロンドが言った。
「驚かせてすまなかったな、二ヴィアノ。君のおかげで、我々は海鳴のときを迎えられる」
「なんで……こんな……わた、し」
えらを失くした魚のように、ぱくぱくと口を開ける二ヴィアノ。かすれた声で、小さく絞り出す。ブロズウェルが死に、仲間達が死に、それが、最初から計画の内。
そんな二ヴィアノに向って、あくまで同士に語りかける優しい口調のまま、フェイロンドは残酷な言葉を吐き出す。
「説明が必要かな。我々は君を使って、くじら船の者と接触し、潜り込んでいたのだ。大母はダークエルフにしてはなかなか有能だったが、仲間を疑うことを知らなかった」
それはそうだ。まさかエルフが悪魔と同じ操身魔法を使って、仲間に紛れ込むとは思っていなかったに違いない。シクル・クナイブと接触した二ヴィアノだって受け入れていたのだ。ブロズウェルの性格からいって、部下たちを疑うこともなかっただろうし。
こいつらは、そこに付け込みやがった。同じエルフでありながら、目的のためにブロズウェル達を利用したのだ。
「エライラを囮にした甲斐があった、彼女が死んで我らの攻撃は終わったと思い込んでくれたらしい。その後の子鬼どもとの戦いも、なかなか盛り上がったな。我らも同士を二人亡くしたが、相変わらず断罪者は有能だ。たった二人で見事にあのギーマまで倒した」
普通に命令を聞いて、普通にバルゴ・ブルヌスと戦っていたのか。潜り込んだ味方が死んでいくのを、見殺しにしながらも。
こいつら、尋常じゃない。いや、暗殺者とはこういうものなのか。
目的、目標を定めたならば、どんな目に遭ってでも、どれほどの卑怯と残虐を行なっても必ず遂行する。
隠れ潜む刃こと、シクル・クナイブ。これほどの奴らだったとは。
戦慄する俺に対して、ニヴィアノは事態の整理がつかめないらしい。ぼんやりと言葉をつむいでいく。
「大母、様は、確かに、武器を運んだけど、でもそれは私達のためで、この船を……今は、分からなくても、きっといつか分かってもらえるって、あなたは言ったのに」
恐らくその通りなのだろう。フェイロンドはレグリムの奴とは違う。正義と美を求めるニヴィアノを優しく受け入れ、役割を与えた。最初にやってきたエライラは居丈高だったが、あんな風な態度は全く取らなかったに違いない。
困ったように微笑むフェイロンド。
「ニヴィアノよ。これも我らの正義と美のためだ。長老会の夢想家たちと違い、私は清濁合わせ呑むことに決めた。同族といえど知性のないものや、犯罪に手を汚した者は、利用して切り捨てる。くじら船の大母は、正義の前に裁かれたに過ぎない。あの女はしょせん、エルフの正義と美に耐えられぬ老人だった」
その言葉を聞いた瞬間、俺はショットガンの引き金を引いてしまった。銃口をそらしてなければ、フェイロンドの頭が吹っ飛んでいただろう。
事態の深刻さに気付く前に、言葉が口から飛び出す。
「っざけんな、同族殺しが! 俺も断罪者だが、お前らほど汚い奴らなんて、初めてみたぜ! 正義や美なんて、どの口で言いやがるんだ!」
正義と美の名の下に、罪を認めようとしていたブロズウェルを殺し、罪に苦しんでいたニヴィアノを騙して利用する。自覚のない悪事ほど質の悪いものはない。
フェイロンドが目を細める。流煌をさらったシクル・クナイブの連中と同じ、生気の欠けた目だ。
「……ふん。丹沢騎士。アグロスとバンギアのあいの子め。お前のような存在は両世界から消し去ってしまわねばならない。大いなる海に流れ去るが良いだろう、この珠で、海鳴のときは近づくのだ」
海鳴のとき。よく聞くが、それは一体何なのだろうか。
「お前らがちょくちょく言ってるが、そりゃあなんなんだ」
「海は雄大で清らかだ。あのような島など、許しておかぬということだ」
海が関係するのか。高潮でポート・ノゾミを飲み込むことは確実なのだろうが、それだけではフェイロンドの言うように、消し去る所まではできない。
さらに質問しようと思ったが、俺はフェイロンドの怒りを測り違えていた。
「もういい。やれ」
言葉もなく、手の空いたハイエルフがグロックを構える。殺気もなにもなく、俺は右の太股を撃ち抜かれた。
「あっ、ぐ……」
痛みと熱さで力が入らなくなり、がくりと膝をつく。体を起こそうと手を突いたが、ハイエルフの男はすいと目の前に現れ、俺の手からショットガンを蹴り飛ばした。
まずいと思って意識をそちらに向けた瞬間、傷口に茶色い棒が突っ込まれた。
「っぐぁあああああああっ!」
骨を引き絞られる激痛に、俺はのたうち回った。
「騎士!」
ニヴィアノの叫びか、ガドゥの叫びか。それすらも分からない。
しかも痛みは、えぐるように傷口の周囲に広がっている。これは、なんなんだ。
脂汗を流しながら薄目でうかがうと、俺の太股に突き立った棒に、緑の葉が表れ、次々と成長していく。
「な、んだッ、こ、れ……!」
「処刑樹だ。傷口から血の管に根を伸ばし、肉を裂いて骨に絡みつき、砕く。吸血苔のように生易しいものではないぞ。この私を脅かしたお前は、今より数時間かけて痛みにのたうちまわり、最後にはばらばらに砕け散って死ぬ」
氷のごとき憎悪だ。命を脅かした、醜いあいの子の俺に対して、フェイロンドはとことん苦しめて殺すつもりか。
甘かった。こいつ、こいつは危険だ。レグリムのように、自分の無力を悟っちゃいない。正義と美にそぐわないものを、真正面からただただすべて否定して、壊しつくす。
交渉の余地など全くない。フェイロンドの率いる新たなシクル・クナイブは、ポート・ノゾミに対する、純然たる敵対者。
「騎士、騎士! いやだよ、フェイロンド様、もうやめてください、満ち潮の珠は手に入ったんですよね。ギーマも死んでしまったし、目的はもう」
寒気のする、穏やかな微笑みと共に、フェイロンドがニヴィアノの顎をつかむ。
「ニヴィアノ、説明が足りなかったか。シクル・クナイブは正義と美に妥協しない。正しい目的にそぐわぬものは、全て裁かれるまでだ。法などという不完全なものに拠る断罪者など、その最たるものだとは思わないか?」
問いかけるフェイロンドの足元。ギーマが作ったガドゥの傷跡に、ハイエルフが俺と同じ処刑樹を突き立てる。
「あぐぁああああっ!」
ガドゥの悲鳴が響く。凄絶な痛みに意識が遠のき、聞こえにくくなった耳にさえ、はっきりと飛び込んできやがる。
もう抵抗する者は皆無だ。あれだけ必死にバルゴ・ブルヌスと戦ったというのに、最後の最後ですべてがこいつらに奪われるというのか。
身動きの取れない俺達をもののように見下し、フェイロンドは部下に命令した。
「ボートを下ろせ。この戦力でほかの断罪者を迎え撃つのは厳しい。ニヴィアノ、君の働きも終わりだ。これで君も正義と美を奉ずる我々の同胞だな」
差し出した、手。どうやらフェイロンドは本気でニヴィアノを同胞にしようとしているらしい。
なるほど、いつか言っていたように、こいつはエルフを差別しない。偏狭な正義と美を共有する者なら、ハイエルフもローエルフもダークエルフもないというわけか。
「あ、わ、わたし」
言葉に詰まり、視線を落とすニヴィアノ。その先に這いつくばるガドゥの姿がある。フェイロンドが見下ろした。
「この者たちに遠慮しているのか? それはいい。君はその善良さと優柔不断さが武器なのだ。そうやって、これからもたくさんの奴らに取り入り、我々を有利にするだろう」
ニヴィアノはただ迷っていただけなのだ。だが、結果からいえば、フェイロンドの言う通りだ。こいつらはその弱さをこそ、欲しているに違いない。
「で、でも、このままなんて」
苦痛で声も出せない俺とガドゥを見て、ニヴィアノが自分の身体を抱き締める。
フェイロンドは穏やかに言った。
「力がないことが君の正義だ。我々に協力して、正義と美の元にあれば、自分を信じていられるぞ」
「信じる……」
ニヴィアノはずっと迷っている。罪を犯しながらも、正義と美に惹かれながらも。
俺はガドゥと顔を見合わせて、うなずいた。
こうなってしまっては、仕方がないのかも知れない。ニヴィエラだけでも、助かったほうが、まだましなのかもしれない。
そう思った俺達は、彼女を見くびっていた。
「……やっぱり、だめです。私、一緒に行けません。こんなのおかしいですよ、なんでガドゥ達をこんなに苦しめて殺すんですか。なんで、なんで大母様を殺したんですか。こんなに、こんなにひどい事したら、もう正義と美なんて、関係なくなっちゃいます」
正面からフェイロンドを見すえ、自分の言葉で反論する。
話しながら、考えが明確になっていくらしい。
「それに、弟と戦っても、私達を守ってくれたガドゥや、必死にゴブリンを防いでくれたブロズウェル様が、間違ってるとも思えません。話し合いができるはずですよ。ほかに、ほかになにか、みんなに元気を与える方法が」
ぱしん。フェイロンドがニヴィアノの頬を打った。ローブの裾から取り出したのは、俺達に突き立てた処刑樹の枝。
「え、あ、あ……フェイロンド、様……?」
恐怖でしゃがみこんだニヴィアノの肩を、ハイエルフの部下が押さえた。フェイロンドはじりじりと近づいていく。
「残念だな。お前もしょせんはブロズウェルの部下、取るに足らぬ方のダークエルフだった。より優れた者を探そう」
逃げられないニヴィアノに向かい、鋭い先端が迫っていく。
「その惰弱な頭脳から壊す。目玉を突き刺し、脳に植え付けてやる」
うぞうぞと、切り口から根がうごめく。ニヴィアノはあまりの恐怖で表情をなくすほど震えている。むごいことをしやがるが、俺とて痛みで体が引き裂かれそうで声も出せない。
やっとニヴィアノが、勇気を振り絞ったというのに。こんな結果に終わるのか。
神が居るなんて思わないが、あまりに残酷すぎやしないか。
果たして、俺の願いは通じた。
フェイロンドが後ろから襟首をつかまれ、手すりに叩き付けられる。
ハイエルフがグロックを取り出す前に、何者かは両手で両者の顔面を殴って弾き飛ばす。規格外の力だ。
吹っ飛ばされた二人とフェイロンドは、それぞれ甲板の柵に激しく体をぶつけた。だがさすがというべきか、すぐにグロックを取り出し一斉に銃撃する。
ダークエルフは両腕で身体を覆った。
数十発の9ミリ弾が直撃したが、血は一滴も出なかった。そのかわり、ドレスから出た剥き出しの肌に、岩のようなひび割れが走っている。
そう、そいつの褐色はダークエルフの肌とも違う。むしろ、森に生える大きな木の樹皮の褐色だ。
「ニヴィアノ、処刑樹はただの現象魔法だ。断罪者を開放して逃げろ」
胸元に短剣を埋めたまま、立ち上がったブロズウェルが俺達をかばっていた。
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