18隠れ潜む刃
どうやら、当面の脅威は去ったらしい。そう思って初めて、俺は腕を動かすことができた。
時刻は午前2時過ぎ、まだ完全な安心はできないが、ギーマが死んだ以上、バルゴ・ブルヌスの襲撃は完全に退けたとみていいだろう。
ブロズウェルが窓から身を乗り出し、あたりの部下に向かって叫んだ。
「皆、船に取りつけ、港に戻すのだ! 周囲の警戒も怠るな!」
影のように素早く、ダークエルフ達が動き始める。五人ほどが船に向かい、残りの五人が周囲の警戒と建物のクリアリングをやりだした。
かなりの数の仲間が死んだうえ、密輸も俺達断罪者にばれたというのに、動揺は無いらしい。よく訓練されている。
しかし、もう船は岸から50メートルくらいは遠ざかっている。飛び込んで泳ごうにも、甲板までは距離があり過ぎる。
そう思っていたのだが、五人のダークエルフ達は、それぞれ杖を取り出し、青い魔力を集中させた。
一斉に呪文を唱え始める。銀色の髪が魔力の波に踊っている。コーラスの輪唱のように、美しいタイミングだ。
「ヴィ・コーム・フリス・ウォーブ・レリィ!」
瞬間、青白い氷の波がその足元から船に向かって走った。
海の表面が一瞬にして凍りつき、くじら船の船体は流氷に閉ざされたようになり動きが止まった。
現象魔法を多人数で使うと、ここまでの威力になるのか。全長100メートル強、幅20メートルものくじら船の周囲の海が、凍りついてしまっている。
こんなものがあったなら、早く使っていればよかったのだろうか。いや、ギーマのこと、詠唱の気配でも感じれば、即座に二ヴィアノを撃っただろう。
「長くはもたない。急ぐぞ、断罪者よ」
「お、おう……」
ブロズウェルにうながされ、俺は建物を駆け下りた。
いとも簡単に氷の上を走るダークエルフ達。特にブロズウェルは、ライブのときのハイヒールのまま軽々と駆けていく。情けない事に、革靴の俺が滑って転びそうになり、手をつかんで転ぶのを防いでくれた。
船に近づくと、火はほとんど完全に消えてしまっていた。ダークエルフが三人、錨の鎖を軽々とよじ登り、操舵室へ入り込み、まず船を停止させた。
その後三人は甲板から俺達に縄ばしごを下ろし、俺とブロズウェル達ダークエルフは、全員がくじら船の甲板に戻った。
水面から十メートル近い甲板に上った俺を、ガドゥが迎える。
「よう、騎士。いい腕だったな、本当に助かったぜ」
笑顔を浮かべてはいるが、その左腕にはギーマのナイフが突き刺さったままだった。悪鬼をかたどった骨の柄が、牙を剥き出している。
二ヴィアノは手を押さえてうめいており、すぐにダークエルフ達が手当てに当たった。切り落とされた指を見つけて持ってきて、薬草で傷口を消毒してから、何やら長い詠唱の操身魔法を使っていた。再生の魔法だろうか。うまくくっつけばいいのだが。
『騎士、ガドゥ、聞こえるか』
胸ポケットから女の声。ごそごそとくすぐったい。
見覚えのあるネズミが現れる。いい加減顔を見慣れたギニョルの使い魔のねずみだった。
『ようやったのう。まさかたった二人で、かの片耳のギーマを仕留めるとは』
ナイフが突き立ったギーマの死体は、まだ甲板に転がっている。
凶悪なマフィア、バルゴ・ブルヌスの首領とはいえ。自らのナイフで、自らの弟を殺してしまったガドゥ。めったに人を褒めないギニョルの言葉にも、情けなさそうに黙り込むばかりだ。
死にたてのギーマの死体は、まだ甲板に転がっている。
話題を変えてやろう。
「お前、俺の所に居たのか」
「てっきり、二ヴィアノの所かと思ってたぜ……」
『今回は、状況の把握が第一じゃった。こやつの意識には任せられんからのう』
見ていたんなら、何か知恵を授けてくれてもよさそうなものなのだが。
いや、ギニョルのことだから、あえてこの危機を俺とガドゥがどう乗り切るか見ていたのかも知れない。
「島で暴れてるエルフってのは、もういいのか?」
『そうじゃな。樹化して暴れたのが23人もおったが、GSUMや自衛軍も出て鎮圧した。シクル・クナイブの奴ら、レグリムが死んでも生き残っておったどころか、逆に数を増やして、どうやら島そのものに敵対するつもりらしい』
シクル・クナイブもまた、二ヴィアノを騙して、ポート・ノゾミを高潮に沈める満ち潮の珠を狙っていたのだ。島全体を狙っていることはほぼ確実だ。
『お前達が、かなり切羽詰まっておったようじゃから、スレインとクレールを先にそちらに行かせたぞ。バルゴ・ブルヌスの連中には、一歩間に合わんかったようじゃが。ガドゥよ、本当にすまぬ』
気にしてないわけではなかったのか。悪魔であるギニョルから、ゴブリンであるガドゥへの配慮の言葉が聞けたのは、俺も少し嬉しかった。
ガドゥは一瞬ぽかんとしたが、動く方の左手で、鼻の頭をこすった。
「いや……いいんだ。いつか、こうなるのは分かってた。せめて、最後はおれの手でって思ってたよ」
握り締めた左手。ナイフを持って、確かに弟を刺した左手。
憂いを帯びた微笑み。ギニョルの声が気遣いを帯びる。
『……軽い傷ではあるまい。早く、手当てを受けるがいい。騎士よ、お前の単独捜査、今に始まったことではないが、今回は怪我の功名というやつじゃ。始末書は見逃そう』
慣れない狙撃をこなした甲斐があったということか。休暇中に銃を持ち出し、流煌を捜索するなんて、思えばなかなかの無茶だった。
よほど頭に血が上っていたに違いない。
事情を抱えているのは、俺だけじゃないというのに。
「すまないな。できるだけ早く戻るぜ」
『頼むぞ。油断のないようにな』
そう言い終ると、やっとねずみがいつもの調子に戻った。下をむき出し、げえと吐かんばかりだ。男の胸元で悪かったな。
会話の間に、二ヴィアノや他のダークエルフの手当てが落ち着いたらしい。ブロズウェルがこちらへやってくる。
「ガドゥ、待たせてすまなかった。早く治療しよう」
二ヴィアノは麻酔の薬草で眠っている。大母と呼ばれるブロズウェルが相手だと、ガドゥも緊張するらしい。
「ああ……騎士、お前大丈夫なのかよ」
「平気だ。やってもらえ」
俺がうながすと、おずおずと傷口を差し出す。ブロズウェルは穏やかに微笑むと、ナイフを抜いて傷口に薬草と包帯をあてがった。
「痛かったろう。本当に、良く戦ってくれた。二ヴィアノに代わって礼を言う」
「い、いや、おれはそんな……」
ブロズウェルの切れ長の目や、小さい唇は、二ヴィアノと比べると冷たい印象を与える。けれど、谷間がわずかに現れ、真白い二の腕や、美しい脚の覗くドレスで傍にこられると、ぞくりとするほど色気を感じる。それでいて、手当てのときはあれだけ穏やかな空気をまとうのだから、あなどれない。ギニョルのようにカリカリした雰囲気もない。
500歳を越えているのが信じられない。
ガドゥは黙って手当てを受けている。いっぱいいっぱいで言葉が出ないのだろう。二ヴィアノにふらふらしてたのはいつだったかと思える。なにかもう、ローエルフ以外なら誰でもいいのかも知れない。
温んだ空気の中で、俺は肝心なことを忘れていた。
ギーマ達バルゴ・ブルヌスと同じく、満ち潮の珠を狙ってきたハイエルフの暗殺ギルド、シクル・クナイブの存在を。
レグリムが断罪され、保守的な長老会の枷が外れた奴らが、文字通りあらゆる手段を使い、目的を達成しようとすることを。
勝って兜の緒を締めよ、ということわざがある。
俺はその心構えを忘れた。ガドゥがあれだけ命を張ってニヴィアノを助け、実の弟を倒したのだから、危険が去ったと思い込んでしまったのだ。
あるいは、あれだけの犠牲を払った戦いの後では、誰しもが気を緩めると思って、奴はタイミングを計っていたのだろう。
後からいっても、栓のないことなのだ。なぜといって、俺もガドゥも、凶行を防ぐことができなかったのだから。
ブロズウェルの後ろに、ダークエルフの男が近づく。戦ってくれた兵士の一人だ。
薬でも渡すのかと思ったら、その手がいきなり消えた。
違う。消えたような速さで動いた。
ドレスの胸元から、真っ白な獣の牙がのぞく。
仲間による不意討ちには、歴戦の戦士である大母とて、無力だった。
「ブロズ、ウェル……?」
ガドゥの呟きと共に、細い身体がゆっくりと真横に倒れる。
悲しみを噛みつぶし、俺はショットガンを取る。スライドを引いて、狙いを付ける。ガドゥもそばのスコーピオンを拾おうとしたが、ダークエルフは腕の傷口を踏み付けた。
「ぐッ」
「黙れ」
冷たい声と共に、顔面を蹴り上げ、膝で胸元を抑え込む。
懐から拳銃を出し、ガドゥの頭に突きつける。
四角四面な印象のハンドガン、グロック19。コンパクトなくせに、9ミリルガー弾を十数発も詰め込める実用的なものだ。GSUMの連中がよく使っている。
だが、フリスベル以外のエルフが銃を使うなんて、見た事がない。
こいつ一体何者だ。
俺の疑問は、ギニョル達悪魔が使う操身魔法独特の魔力が吹き荒れ、解決された。
残った十人のダークエルフのうち、四人は金髪碧眼のハイエルフだった。
正義と美を題目に掲げ、自然の秩序を尊ぶはずのハイエルフが、最も嫌う悪魔と同じ操身魔法を使って、姿を変えていたのだ。
しかも、ブロズウェルを不意討ちし、ガドゥを踏み付けている目の前の男は、俺も知っている。
“生真面目な枝”こと、フェイロンド。
橋頭堡で俺達を助けて、レグリムを断罪した島では俺達から逃げおおせた、若木の衆の頭目であり、シクル・クナイブの首領だった。
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