17バルゴの手の兄弟


 甲板にいた四人のうち、二人はガドゥに撃ち殺されている。

 残ったのは、ギーマと、ニヴィアノを抑えているその部下のゴブリン一人。


 くじら船は港を出つつあるが、ブロズウェルたちダークエルフはまだ十人は残っている。俺だって居る。


 まともに戦えば、確実にギーマの側が負けるだろう。だからこその人質と、くじら船の奪取だったのだが。ガドゥを船に入れてしまい、人数を二人も減らされてしまっては、公算が大幅に狂っているに違いない。盤面は大きくこちらに傾いたのだ。


 そんな事情を隠すように、ギーマは大声で叫ぶ。


「なにが諦めろだ! お前に何ができるっていうんだよ! 武器を捨てて出てこなきゃ、クソエルフの頭がぶっ飛ぶぜ!」


 ギーマの部下が、スコーピオンをこめかみに押し当てる。ニヴィアノが涙を浮かべ、声を失っている。


 そうだ。ガドゥは結局、ニヴィアノを救えていない。この状況では何よりの助けだったのだが、人質を解放できなければ、本質的な状況は変わらないのだ。


 果たして、ガドゥはAKにセイフティをかけ、足元に落としてしまった。

 どういうつもりかと思ったが、なんとそのまま鉄板の影から姿をさらす。


「へえ……根性、あるじゃねえかっ!」


 ギーマは喜々として駆け寄り、その顔をAKの銃床で思いっきり張り飛ばした。

倒れ込んだガドゥに対して、しつように脇腹を蹴り付ける。


「分かってるだろうが、抵抗すりゃ、女は殺すからな! まあ、そんな気も、ねえだろうけどなあっ!」


 嬉しそうに、つま先の蹴りを入れ続けるギーマ。このままなぶり殺しにするつもりなのだろう。本当に血を分けた兄弟なのだろうか。見ていることしか、できないとは。


 ニヴィアノが悲痛な叫びを放つ。


「もうやめてよ、お願いだから! とっとと私を殺しなさいよ! ブロズウェル様でも、騎士でも、もういいからガドゥを助けてよ!」


 俺は散弾銃を握った。それだけはできないのだ。今、ガドゥが命を張っているのは、ニヴィアノを助けるためなのだから。


「……おい、黙らせとけ」


 ギーマの命令に、部下は革靴を振り上げ、ニヴィアノの指の傷を踏みつけた。

 声にならない悲鳴を上げ、ニヴィアノが体をよじる。さらに、部下はスコーピオンの銃身でニヴィアノの顔面を殴った。


 ギーマはガドゥの頭を踏みつけると、高々と哄笑する。


「ひゃっはははははっ! おいガドゥ、見てみろよ。あのエルフ、綺麗な顔がボコボコになっちまうぜ。でも駄目だよな。お前は俺に勝てねえもんなあ! 何べんやっても!」


 過去を思い出すように、ギーマは高揚している。ガドゥの身体を蹴り上げながら続ける。


「里でも、紛争でも、今このときも、俺はずっとお前の前に居るんだ。なのに、いくらやっても、お前を信じる臆病なカスが居なくならねえ。なんでなんだろうなあっ!」


 憎悪を込めた蹴りが、再びガドゥの胸元をとらえた。小柄なガドゥは、吹き飛ばされて甲板を滑り、手すりの棒に背中をぶつけた。


 ギーマ。ガドゥはコンプレックスを感じているようだが、本当はこいつの方が、兄であるガドゥの方に――。


 ガドゥがふらふらと体を起こした。口からは血を流し、目元は腫れ上がっている。ギーマがスコーピオンを構える。


「さて……お別れだ」


 左舷に追い詰められたガドゥ。追い詰めたギーマは、俺達に背を向けた形になる。ニヴィアノを捕まえているゴブリンも、同じ方を向いてガドゥの処刑を見ている。


 つまり、二人は俺達から視線を離した。

 今しか、ない。


 俺はガンベルトから、スラッグ弾を抜き取った。散弾の入ったバックショットと違う、緑色のケース。M97のシェルチューブの最前列に込めると、ゆっくりと狙いをつける。


 脚を少しずつ開き、ストックを右肩につけて、左腕で銃身を支える。


 いつもなら軽く感じるというのに、今日は妙に重たい感じがする。


 くじら船は動いている。距離は40メートルだが、徐々に広がっている。クレールの奴なら確実に命中させられるだろうが、難しい狙撃だ。


 俺の腕はあいつほどじゃない。それでも、どうかこの一発、命中させてみせる。


 一発、不意を突けるのは、一発だけ。

 ギーマを撃てば勝てるだろう。だが、部下がニヴィアノを殺してしまう。


 二人とも助かるためには、部下の方を狙うしかない。その隙に、ガドゥがギーマを抑えるのを期待するしかない。


 冷や汗が出てきやがった。ガドゥが蜂の巣になっちまったら、どうにもならない。


 ふと、背中に細い手を感じた。

 ブロズウェルが俺に触れているのだ。


「断罪者よ。頼む、どうかあの子を……」


 小さな声は祈るようだった。娘を想う母にも思える。


 まるで、ザベルを頼るように言われては、やるしかない。


 くじら船の炎は収まり、ターゲットまで、ほぼ無風に近い。珠里に調整してもらったが、俺のM97は弾道を少々歪める。銃口の先端ではなく、やや屈曲した予測される着弾点をゴブリンの頭部に合わせた。


 スライドを引く音が響く。スラッグ弾が銃身へと装填された。

 銃身にぶれはない。弾道は把握している。


 俺は右手で引き金を引いた。


 があん。発射音がして、送り込まれたスラッグ弾が飛び出す。


 役1.8センチの一粒弾に、弾け飛んだのはゴブリンの頭だ。ここからでも飛び出した血と脳しょうが見えた。


 命中。

 ため息も出ないし、銃も下ろせない。両手が強張って、銃を離せない。


「ちくしょう、てめえら……!」


 スコーピオンの銃口が、ガドゥからニヴィアノに向く。今だ。


 俺の心が乗り移ったかのように、一瞬の隙を突いて、ガドゥのタックルがギーマをとらえた。

 胴体を捕まえると、鉄の甲板に押し倒し、激しく叩き付ける。


「ギーマあああああっ! いい加減にしやがれ! お前はいつまで、いつまでっ!」


 馬乗りになって、銃をつかんだ腕を取り、何度も何度も甲板を叩く。拳の骨が全て砕けるかと思うほどに、容赦なく打ちすえるガドゥ。まさに子鬼の形相だ。


 とうとう、スコーピオンが手をはなれる。

 ひと安心か、いや、ギーマは逆の手で腰にあった短剣を抜く。


「ガドゥ!」


 ニヴィアノの叫びに、素早く飛びのいたものの。鋭利な刃はガドゥの胸元を過ぎ去り、細い胸からたらりと血が滴る。


「へへへっ。根性ついたじゃねえか。お前いっつも俺には本気出さねえんだよなあ」


 ギーマが自らの胸元に短剣を差し入れ、シャツとスーツを切り開く。露わになるのは全身に広がる真っ赤な入れ墨。饗宴を生き残る度に増えた、バルゴ・ブルヌスの首領の証だ。


 ガドゥもまた、腰のポケットに手を入れる。出てきたのは、得意とする折り畳み式のナイフだ。あまり使わないが非常に素早く、格闘訓練を受けた自衛軍の兵士の喉笛を切り裂いたこともある。


 ギーマがじりじりと距離を詰める。ガドゥもナイフを腰だめに構えて、お互いのタイミングをはかっている。


「もうやめろよギーマ。お前一人だけじゃねえか」


 言葉とは裏腹に、分かる。あの二人、お互いがお互いの生存を許していない。

 それでも慈悲の言葉が出るあたり、ガドゥも筋金入りなのだろうが。


 殺気が研ぎ澄まされていく。こちらまで押しつぶされそうだ。

 静寂を突いて、ギーマが踏み込んだ。


「選りすぐりがみんなお前らに殺られちまった。だからお前だけでもバルゴの所に来てもらうんだ!」


 間合いを詰めながら、目にもとまらぬ速さでナイフを繰り出す。殺意を込めた鋭い突きは、胸元、顔、喉を狙っている。

 ガドゥは辛くもこれをかわす。腕のリーチを見極めて退き、左右にずれ、詰め寄られてはナイフの腹まで防御に使い、刀身から火花が散った。


「断るっつってるだろうがっ!」


 攻守が交代する。ガドゥはギーマにも勝るとも劣らぬ踏み込みと鋭さで、次々とナイフを繰り出す。

 ギーマは笑い声を上げながら、ガドゥと同等の素早さで身をかわしていく。


 進んでは、引いて。引いては、前へ。

 お互いの身体に軽い傷を付け合いながら、子鬼たちは短剣を振るい、命がけのたわむれを続けた。


 数分が経っただろうか。


 ナイフを持ち替える速度が鈍る。二人の足も限界に差し掛かっている。

 次で、決着がつくだろう。


「死ね、兄貴いいいいっ!」


「ギーマあああああぁぁっ!」


 鬼気迫る迫力と共に、二人の間合いがゼロとなる。

 ぶつかり合うようにして、お互いの急所を狙った。


 ガドゥの左腕、前腕から血が流れている。ギーマの持っていたナイフが、しっかりと突き立っていた。


 他方、ギーマの胸元。ガドゥのナイフが深々と食い込んでいる。


「ちく、しょう……やっぱ、り、本気じゃ……」


 言葉が途切れる。血に濡れたギーマの手が、ガドゥの頬をなぞっていく。


 兄弟は抱き合うようにして前のめりに倒れた。


 決め手は、負傷の差だった。

 ガドゥはスコーピオンで撃たれた腕の傷に、手当てを受けていた。


 他方ギーマの銃創は、たった今作られたばかりだった。手当てしてくれる仲間も死んでいる。密着したほんの一瞬、ガドゥのナイフをかわすところまで、腕が上がらなかったのだ。


「ギーマ……この、馬鹿野郎が……」


 震えた声のつぶやきが、夜の海に消えていく。


 狂喜神バルゴは、その手のひらで兄弟を殺し合わせ、とうとう、弟の命を食らってしまったのだ。

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