21狼煙が上がるとき

 ララ・アキノ。この女は残虐で怠惰な暴君なのか。


 違う。確信があって言っているのだ。国民の犠牲によって、自衛軍からあらゆる技術を吸い上げ、より良い国家を作る自信があるのだろう。その実力も伴っている。


 だからといって認められない。俺はフリスベルの傍に拳をついて、身を乗り出す。


「それで、もっといい国が作れると思っているんだな。だからって、犠牲にされた奴らは絶対に納得しないぜ」


「しないから何だと言うのかしら。取るに足らぬ小魚が歯ぎしりをするようなものよ。崖の上の王国は、王族で成る国家。民はただ従っていればいい。治世を良くすれば、ほとんどの者は起こった出来事を忘れる。統治の基本よ」


 俺は歯を食いしばった。治世に関する考え方がまったく違う。この世界に民主主義とか平等なんて概念は存在しなかった。そうやって800年まとまってきたのが、この崖の上の王国なのだ。


「ちょうどいいわ、せっかく会えたんだから忠告しておきましょう。断罪だか何だか知らないけど、目障りな動きはやめてもらいたいわね。あなたがたはあの島に居ればいい。フェイロンドに手を出して酷い目を見たでしょう。何か仕掛けようというなら、無力を悟って」


 そう言いかけたとき、前方で突然砂の馬がいなないた。馬車が大きく揺れ、急停車する。


 転がり落ちる寸前で、なんとかフリスベルを受け止める。


「……あ、騎士、さん……」


 衝撃で目を覚ましたらしい。俺の腕の中、子猫のように目をぱちくりさせる。火傷はもうふさがりかけている。いけ好かなくても、ララの腕は良かった。


 しかしこいつ改めて愛らしいな。射程外のはずだったが、ローエルフはこのままらしいが、なかなかいいもんだ。山本がはまるのも分かる気がする。


 いや、そうじゃない。

 俺の煩悩など存在していないかのように小首をかしげるフリスベルに、笑顔を浮かべる。


「守ってくれてありがとう。大丈夫か?」


「はい、大分楽になりました。ここは」


「何事なの!」


 フリスベルを遮り、ララが杖をふりかざす。魔力が集まっていく。足元が安定しなくなってきた。馬車を砂に戻す気だ。


「つかまってくれ、フリスベル」


 言われるまま細い腕を俺の首にまわす。この素直さも、わりといい。

 崩れていく戸を蹴り落とし、外へ飛び出した。石畳に着地すると、砂と化した馬車は再び布の塊に戻ってララを取り巻いた。


「あれは、ララ・アキノさんですか?」


「知ってるのかフリスベル」


「ええ。長老会の方々も認めた、アキノ家の天才です。独自に色々な魔法を編み出されて、私達ローエルフや、ハイエルフであっても、一目置きます」


「砂を操るのもか」


「あれは現象魔法ですけど、呪文なしでかなり長く維持できるんです。まるで魔法の道具のように操ると聞いています。あの、もう、降ろしてもらっても」


 言われるまま石畳にそっと降ろしてやった。立ち上がる力もあるらしい。


 しかし、ララの魔法はエルフであるフリスベルが認めるほどなのか。さすがにアキノ家の人間だ。フェイロンドにやられた傷を、ここまで治せるだけはある。


 そのララのそばに、影のように控えているのは、ジンが連れていたのと同じ、紋章付きのローブを着た魔術師の男だった。


「この私の道を塞ぐことが、どれほどのことか分かっているのか!」


 雷鳴のような叱責だ。マヤ以上に背中が震える。


 放つ威厳はさすが王族。どんどん苛烈さが増している。

 強烈な怒りにもめげず、男は膝をつけたまま続けた。


「恐れながら申し上げます。御領内で反乱が起こりました。アグロス人が運営していた、鉱山と溶鉱炉のようです。只今状況の把握につとめておりますが、お屋敷が混乱しております。ララ様にはどうぞお戻りいただきたく」


 反乱だと。ユエ達かも知れない。自衛軍は国の全体に散っているが、その分苦しめられているバンギアの人間の数も多い。


「おのれ……愚かな民ども」


 ララは拳を握り締めると、布を頭上に放り投げた。再び杖を光らせると、今度は出て来たときほどの大きな馬車ができた。


 従者がその扉を開く。乗り込む前に、ララはこちらを振り返った。

 懐から細い枝を一本取り出すと、呪文を呟く。


『グロウ』


 枝がたちまちのうちに成長し、先端に葉をしげらせた褐色の杖となった。

 ララは杖をこっちに向かって投げ渡す。フリスベルは戸惑いながらも受け取った。


「樫の杖よ。あなたの故郷の森のものではないけれど、間に合わせにはなるでしょう。ローエルフ。その杖を使って、傷を操身魔法で回復しておきなさい。治療はまだ終わっていないんですからね」


「は、はい……」


 人間はエルフを尊敬していると言う話だったが、こいつに限っては庇護対象だと思っているのかもしれない。


 しかし、随分と至れり尽くせりだ。以外と良い奴なのだろうか。

 俺は含みのある表情をしていたらしく、ララは憮然として言った。


「騎士、いいえ、断罪者。私はたしかに忠告したわ。これ以上アキノ家の国家に口ばしを突っ込むというなら、私からも相応の対応をさせてもらう。それに、アキノ十二世とヤスハラは、あなたたちが想像するよりしたたかで恐ろしい男たちよ」


 このララの口から、そんなふうに語られると、大きさが想像できる。


 確かにアキノ十二世は底の知れない男だ。


 主にその子供達に対する仕打ちで、ここまでやる奴を俺は知らん。


 上の兄妹とは権力闘争を繰り広げ、娘の一人は紛争を繰り広げた相手を取り込むための政略結婚の道具にする。役に立たぬとおぼしき者は、邪魔者を消すための捨て駒にして、失敗すれば狙撃兵を差し向けて殺害した。


 それで一国の王なのだ。いや、そんな男だからこそ800年も続く人間の国をまとめることができたのかも知れないが。


 ララは俺達の方をうかがうことなく、従者と共に馬車へと乗り込んだ。

 砂の馬車は今度こそ走り去っていった。


 すさまじい奴だった。

 俺とフリスベルは見送ることしかできなかった。


 フリスベルは言われた通りフェイロンドにやられた傷を回復した。ひととおり終わって、とりあえず宿に帰ろうとすると、裏町の様子がおかしくなってきた。


 さっきまで人けがあまりなかったというのに、急にあちこちから人が現れ、やかましくなってきたのだ。ホープ・ストリートのように、酒場や娼館が営業を始めるのかと思ったが、路地や建物の裏口から次々と出てくるのは、めかしこんだ女や、がたいのいい用心棒の男達だけじゃない。とっくに仕事を引退したような老婆や老人、子供まで次々と現れて、俺達が居た表の城下町へと向かっていく。


 これは何事なのだろう。手近な女をつかまえてたずねる。


「何があるんだ、なんでみんな表の方へ出て来てるんだ」


「決まってるじゃない、王の言葉があるのよ。あなた魔力不能者なの、クリフトップから魔法の狼煙が上がっているでしょう」


 振り返ってみる。三階建ての建物の向こう、巨大な壁のようにたたずむ崖の上。森や館の間に、赤い屋根の城が見え隠れしている。


 ただ、俺に煙は見えない。

 もっともフリスベルには違ったらしい。小さな体で精一杯ぷるぷると背中をそらして、上空を仰いでいる。


「……確かにそうです。そういえば、王族の人達は、魔法の火で煙を作るって聞いたことがあります」


「あ、ローエルフの方なんですね。行った方がいいですよ。新しい法で、王の言葉があるときは、全てを休んで従わなければならないんです。王の騎士団が、銃を持って確認に来ます」


 そりゃ徹底してるな。騎士団とはいうが、恐らく自衛軍なのだろう。見つかれば厄介なことになる。


 女は急いで行ってしまった。フリスベルが振り返る。


「どうしましょう騎士さん。ニノさんやジンさんたちとは」


「あいつらも来るだろ。今俺達はただの旅人のふりしてるんだ。とりあえず行っといて後で合流すればいいさ」


「そうですよね。急がないと……っ」


 駆けだそうとしたフリスベルだが、ふらついて転びそうになる。俺は小さな体を支えたが、相当に疲労しているらしい。


「大丈夫かよ」


「すいません、魔力を操るのは、結構体力を使うんです。フェイロンドさんの炎を支えたときに……」


 顔色があまり良くない。火傷の方は治し切ったらしいが、そういえば精錬所を出てからほとんどまともに休んでいないんじゃないのか。


 俺はフリスベルに背を向けると、しゃがみこんだ。


「あ、あの騎士さん」


「お前くらいなら運んでやるよ。しばらく休んでろ。これくらいしかできないけど」


「でも」


「いいよ。油断はまずいが、もうフェイロンドの奴も来ないだろ」


「は、はい……」


 ためらいがちに、フリスベルが俺の背にのしかかる。細腕が肩を回って、俺の胸元にしがみついた。さらさらとした柔らかい金髪が、首元をくすぐってきた。吐息が頬に触れる。華奢な体は子供を思わせるが、なんというか、匂いというのか成人女性のそれだ。本来ただの子供が漂わせてはいけない雰囲気がある。


 エルフで300歳を超えてるってことは、妙齢の女性ということになる。


 もっとも、背中には悲しいほど何の感触もない。フリスベルを背負ったまま、俺は走り始めた。


 石畳を駆け抜け、階段を上り下りし、裏町を抜けて西の城下町へ。人が大分減ってきている。もう大方大通りに行ってしまったのだろうか。自衛軍の連中が来る前に急がなければ。


 しかし、いくら軽いとはいえ、人一人背負って駆けるのは辛くなってきた。休んでろと言った手前、疲れたとは言いにくい。


「……なんだか騎士さんって、本当の騎士みたいですね」


「本物はザルアみたいにたくましい奴だろ。揺れてねえか?」


「いえ、大丈夫です。そういうところが、騎士だなって」


「なんか言ったか、おおもう着くぞ」


 なぜかもじもじとするフリスベルには構っていられない。

 大通りが見えた。昼に見た花で飾られた通りのそこら中では、バンギア人たちがクリフトップをおがむように跪いている。


 昔の日ノ本で、侍に出会った町人のようだ。行列の前で立ち上がってたら切られたらしいが、驚いたことにハイエルフやローエルフも含まれている。エルフと人間の地位というのも、この国ではかなり変わってきているのだろうか。


 あるいは、これもアキノ12世の目指す新たな治世なのかも知れない。


 俺とフリスベルが並んで跪くと、頭上から声が聞こえた。


『まずは詫びよう、宵の口の忙しい時間帯の声を。しかしこれは喫緊のことなのだ、親愛なる余の臣民たちよ』


 これは魔法じゃない。大きく聞こえるが、スピーカーを使ったものだ。自衛軍と協力して、アグロスの音響装置を作ったのだろう。


『悲しき報せがある。数日後のめでたき婚姻の儀式を前にして、お前達の愛した硝煙の末姫は、余に対して反乱を起こした』


 俺は頭を伏せたまま、隣のフリスベルを見やった。向こうも俺と顔を見合わせる。


 読まれていたのだ。良く考えれば、狙撃兵を手配してきたのだから俺達の動きは気づかれているに決まっている。


 アキノ12世。ユエの父親にあたる、この崖の上の王国の王は、反乱をどう利用するつもりなのだろう。


 どんな男なのか。はるかに高いクリフトップから、拡声器越しの声が朗々と響くばかりだった。

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