20ララ・アキノは苛烈

 馬車は俺が生涯見たことがないほどに豪奢だった。よく見れば、馬の頭と首にも豪華な羽飾りがつけられ、鞍にさえ金糸や銀糸の縫い取りが成されている。御者が着ているのは、金ボタンつきの見事なジャケットだ。車体そのものにも、金箔が施され、天井の角に彫られた女の彫刻など、とても精巧で、触れれば指が沈みそうなほど見事で艶めかしい。


 こんなもの、どう考えてもあっという間に良からぬ奴らに目を付けられ、破壊、略奪されてしまうような気がする。

 それがなされないということは、裏とつながりを持っているのか、できないほどに強力だということだ。

 いずれにしろ、チャンスだ。マロホシが居ない今、魔法の炎にやられたフリスベルをどうにかできる可能性があるのは、裏町を豪奢な馬車で走り回れるくらいに、ネジの飛んだ奴しかいない。


「待ってくれ! 頼む、どうか助けてくれ! 魔法の炎にやられたんだ!」


 フリスベルの小さな体をかかげ、俺は迫ってくる馬に向かって叫んだ。まずこいつを止めなければならない。少年の俺と、見るも無残な火傷を負った少女のローエルフ。気を引ければと思ったが。


「行け」


 少し減速した馬車の奥から、低い声が確かにした。

 御者が、小さくうなずき、鞭を振るうと、馬がいななき、再び馬車が走り出す。


 車輪が石畳をがらごろと鳴らす、いや、それより四頭もつながれた馬の蹄の振動が伝わる。この馬、でかいうえに早い、跳ねられれば死は必定だ。


 考えている暇はない。俺は道の端へ駆けると、フリスベルの体を地面に横たえた。

 振り向くと、地響きのする石畳を再び走って、道の真ん中に再び戻る。


 そのまま両腕を広げて、進路上に立ちふさがった。迫ってくる馬車に向かって目を見開くと、腹の底から声を上げる。


「止まれ、頼む! 俺の命でよければやる! その女を助けてくれ!」


 足先から震えがくるが、かみ殺すように力を込める。


 ショットガンを撃つ下僕半の俺。

 現象魔法を自在に扱えるフリスベル。

 そして俺よりはるかに優れた銃の腕を持ち、硝煙の末姫として自衛軍と幾度も戦い抜き、崖の上の王国における求心力を持つユエ。


 アキノ12世とヤスハラの断罪に、最も必要ない断罪者は誰か。


 答えは歴然としているのだ。俺かフリスベルかという賭けに持ち込む必要がある。


 馬車は止まる気配を見せない。当たり前だ、中身は恐らく普通の奴じゃない。たかが命を賭けた程度のことで動じるはずもない。


 それでも俺は身を捨てるしかないのだ。そこまでして助けろという女は何者か、とりあえず起こして会ってみたい。そういう興味を動かすことができたら、占めたものだ。


 実際にはそれくらいしかフリスベルを救う手立ては浮かばない。フェイロンドにやられた傷は、一刻を争うのだ。うまいこと助けてくれる優しい奴なんて、待っていてはフリスベルが先に死んでしまう。


 御者が容赦なく鞭を入れた。目隠しをされた馬が、甲高くいななき、その前脚を大きく持ち上げ加速する。息が聞こえそうなほどの距離に、灰毛の巨大な胴体が近づいてくる。


 もう止めようにも、止められる距離じゃない。


 断罪者になって命の危機は何度もくぐった。

 その最後が、文字通り馬に蹴られて死ぬことになるとは思わなかった。


 こういう場面でよくあるように、目を閉じることはしなかった。

 負けて死ぬことになる気がしたからだ。


 アドレナリンというのか、目の前の映像がスローに見える。俺の頭を蹴り潰すべく、迫ってくる蹄の裏の蹄鉄の形までが、はっきりと。


 目玉が潰れるか、頭蓋が砕かれるか。楽な死に方ではない。

 わざと俺を恐怖させたいのか、動かなくなかったかのようにゆっくりとして――。


「あ……?」


 おかしい。動いていない。馬車も馬も、俺の目の前数センチの所で、彫像のように静止している。


 いや、これは。豪奢だった全てが、色を失っていく。石畳と同じ、くすんだ茶色変わって、波を浴びた砂細工のように崩れゆく。


「うふふふ。勇気があるわね。お姉さん、君のこと気に入っちゃった」


 自分で自分の表情は見えない。だが俺は今確実に、いわゆるキツネにつままれたような顔になっているに違いない。


 死ぬかと思った。全身が痺れている。

 額や頬、背中。冷や汗が思い出したかのように、どっと噴き出してきた。


「あらあらどうしたの? アグロスから来たから魔法が良く分からないのかしら」


 そんな俺をからかうように、砂の中から現れた女は、口元を隠して微笑んでいる。


 砂。馬と馬車、御者を象っていた砂は、崩れた直後から、風に吹き寄せられるように、女の足元へ集まっていた。まるで生きているかのように、うごめきながらヒールの周囲を取り巻く。


 この女、あの砂で馬車と馬を作ってたのか。現象魔法なのだろうか。見た所、人間のようだが。 


 馬車の豪勢さのわりに、女はシンプルな格好をしていた。足元は黒いヒール、緑色のワンピースドレスの下半分はぴったりと下半身をなぞり、胴回りのラインを浮だたせている。胸元は豊かに膨らみ、襟元や袖口には装飾がなされているが、腕を取り巻く生地は細く、滑らかでシンプルだ。

 これだけだとどうにも見た目の派手さが足りないのだが、なんと集まった砂がケープかショールのように固まってその腕から肩を取り巻いた。一気に威厳が現れる。

 

 しかし、何魔法だこれは。全く見た事がない。


「あんたは……」

 

「エルフロック伯爵夫人、崖の上の王国アキノ12世の長女、ララ・アキノ。見事に私の実家を荒らしてくれたわよねー、断罪者さん」


 エルフロック伯、この女が。

 いや、でも結婚式はまだ二日後、訪問の予定は先のはずだ。


 なぜここにいる。しかも都合よく俺達の元に通りかかる。


「話は後じゃないのかしら? そのローエルフさん、このままだと死んじゃうんじゃない」


 その通りだ。しかし、こいつは断罪の目標ではないが、自衛軍と協調してあの精錬所や奴隷労働を利用している領主の一人だ。


 フリスベルが苦しげにうめき、体をよじった。火傷にやられた可憐な顔が石畳に転がる。


 断罪者の仲間の命には、代えられない。

 俺は膝をつくと、かしずくように頭を下げた。


「……あんたが誰だろうと、さっき言ったことは変えない。俺の命と引き換えでいいから、フリスベルを助けてくれ」


 果たして、ララは俺に歩み寄ると、頭の上に扇を乗せてきた。


「うふふふ。可愛い人は好きよ」


 どこまで本気で言ってるんだろうか。相当やばい匂いがする。



 ララは呪文もなく砂を操り、今度は地味な馬車を作り上げた。御者もぼろぼろの格好で、馬も二頭。安い乗合馬車そのもののようなやつだった。


 これで走っていれば、滅多なことでは狙われないだろう。


 しかし中の方はというと、まったく意味が分からない。


 まだ夢から覚めやらないような気分だ。なぜ赤い毛氈が張られた高級自動車の車内のような場所で、俺はララ・アキノと向き合っているのだろう。


 空間の広さは、確かに馬車の外観に応じたものだろう。だが内部はまったく違う。熱くも寒くもなく快適そのものだ。空調もないというのに。しかも外からはけたたましい車輪の音がするにもかかわらず、乗り心地も快適そのもの。


 こんなものを砂で作ったというのか。


 目の前には丸テーブルがあり、フリスベルの小さな肢体が仰向けに横たわっている。随分と呼吸が落ち着き、規則正しい。その体は緑色の魔力に包まれ、痛々しい火傷にも穏やかな魔力がゆっくりと浸潤していた。


 その背中、テーブルにはルーン文字のようなものが無数に書かれた、円と多角形を組み合わせた魔法陣がある。


 ララは細い指で、フリスベルの繊細な髪をくしけずる。我が子を愛おしむようにゆっくりと流していく。


「この子には操身魔法で、火傷が固定されていたのよ。フェイロンドにやられたのね。あの子はもうハイエルフじゃないわ。悪魔の力に手を染めてしまった」


 つまり、魔力で正常な体を復元するのと逆の要領か。フリスベルに与えた火傷を固定し、悪化させる側に魔力を仕向けたと。恐ろしいことをやりやがる。


 魔法は自然科学の因果を飛び越えるのだ。患部を冷やすとか、薬を塗るとか現代医学上考えられるあらゆる処置が通じない。同じ操身魔法で打ち消さなければ、成す術もなく全身に広がって死ぬ。


 恐らくこの魔方陣は、かけられた操身魔法を打ち消して、傷を癒す方向に導くものなのだろう。馬車の中に入ると、すでにテーブルに描かれていた。

 しかし、本来悪魔の使う魔法を、ララもまた人間の身で使うということだ。用心しなければならない。煙草を吸ったつもりで気を落ち着け、俺を見つめる視線を返す。


「あいつを知ってるのか」


「旦那様に嫁いだころからねー。あの子、紛争のときは一生懸命だったけど、酷いものを見過ぎたのよ。暮らしていた里を自衛軍に焼かれて、それから全部分からなくなったみたい。紛争が済むなり、長老会の過激派に染まって、ポート・ノゾミなんかに出て行って。戻ってきたら今度はほかのエルフを連れていくし」


 なんというか、想像通りの過去だ。紛争とはいえど、実質は戦争。敵対する相手の国土の破壊や人員の殺傷は日ノ本の法では裁かれない。文民統制なんて意味なし。自衛軍は野放しだ。フェイロンドはアグロス人から惨い目に遭わされ、エルフ特有の正義と美を信奉するようになったと。


 なるほど、いずれ必ず断罪することになるな。しかしだ。


「あいつもあいつだけど、あんたたちだって、国民を奴隷にしてる自衛軍と手を握って放置してるじゃねえか。俺達は精錬所を解放したんだ。領内に難民を受け入れてるっていうけど、狙いは兵力かよ」


 ララは一瞬だけ目を広げ、驚いたように口元を歪めた。扇で口元を隠しながら俺の方をうかがう。


「可愛くないことを言うのね。見た目のわりに」


「操身魔法に詳しいあんたなら、分かるだろ。こんな見た目でも、俺はもう23才なんだ。バンギアじゃ家内やガキが居てもおかしくない年だぜ」


 自分で言いながら、そういえばそうだったと思い返す。七年前の襲撃から、駆け抜けた時間が長すぎた。

 果たして、ララは俺に敵意を向けた。俺をきっとにらむと、次々にまくしたてる。


「確かに、自衛軍の蛮行は事実よ。でも最終的にこの国を復興させるには、アグロス人の技術が必要なのも事実でしょう。魔法には魔法の強力さがあるけれど、アグロスの技術力も凄まじい。軍事だけじゃないのよ、医術、農学、工業生産、運輸。指導者として言わせてもらうけれど、自衛軍がもたらした技術で殺した人数の十倍ほどの人間が助かる可能性があるわ。そして彼らの戦闘の方法や技術も私達バンギアの人間は少しずつものにしつつあるの」


「下々の民を生贄にしてか。自衛軍は軍資金のために、あんた達アグロス人の同胞を最下級の奴隷扱いにして、あんたと協調するエルフやローエルフも島に売り飛ばしてるんだぜ」


 思い出すのも嫌気がさす、作戦室で見た証拠の数々。


 奴隷を飢えさせて溜め込んだ食料の出荷表、ぶんどり品の横流しリスト、臓器および人身売買目的の防衛作戦計画書、麻薬製造施設の建設予定表。


 そして、報国ノ防人によるポート・ノゾミでの次なる破壊活動の作戦計画書。


 日ノ本の法という鎖を失ったバンギアの自衛軍は、もはや野に放たれた猛獣にも等しい。戦力という牙を振るい、望むままにバンギアの全てを傷つけ食らっていく。


 だがそうだとしても、餌をくれる実力者にだけ、連中は牙をしまう。

 ララはため息をついて、再びまくしたてる。

 

「それがどうしたというの。闇の犯罪はどんな社会でもありうるけれど、そんなものがあろうがなかろうが、私達優れたアキノ家は生き残るの。人民は殺されてもまた生まれるし、彼らを私達の元に集めればそれが国家になる。私達は負けない。老いたアキノ王にも、武しかないフェンディ伯にも。偉大なるエルフロック伯爵の元、我らは続いていくのよ。断罪者に勝手をやってもらう必要はないわ」


 もう俺を小馬鹿にしたような年上の女としての振る舞いはない。苛烈な本心をぶつけるのは、アキノ12世の長女にして、貴族としての帝王学を身に着けた指導者そのものだ。


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