19燃え上がる憎悪

 フェイロンドへの対策をフリスベルに任せ、俺は振り向いて周囲を警戒した。陽はまだ高いはずなのに、崖の裏に位置するこの辺りは薄暗い。路地を囲う二階建ての石造りは、裏口や窓をしっかりと閉じ、一見人の気配はないのだが。あれがばたんと開いて、ボウガンの射撃でも降って来れば一発だ。


 シクル・クナイブはエルフの暗殺者集団。奇襲の手段には事欠かない。俺は二度殺されかかったことがあるし、断罪者として連中の邪魔をしている。相当な恨みをもたれててもおかしくない。


「騎士さん、500メートル以内に魔力は感じません。このあたりは廃墟になっているみたいです。私も、そのつもりで追ってきました」


 不意打ちや援護がないと見て、行動してたのか。抜け目がない。

 安心はできないが、俺たちの中でフリスベルほど魔力に敏感なやつはいないのだ。信じることだ。


 通じるとは思えないが。俺はフェイロンドに向き直り、しゃがみこんで足元から石のつぶてを拾う。


「……ふん、下僕半め。そんなものに当たると思うのか」


 せせら笑うフェイロンド。嫌われたもんだ。俺も舌打ちを返す。


「無いよりマシだろ。こんなもんでも当たり所によるぜ」


 てのひらサイズくらいはある。距離十メートル、顔にでも当たれば結構な武器になる。それに、フリスベルから少しでも注意をそらせればいい。


 見た目十歳そこらに見える顔だが、凛とした決意に張り詰めている。かざした小さな銃、コルトベスト・ポケット。構えたトネリコの杖の先端にも、魔力が集まっていた。


「私たちは断罪者として、アキノ12世と豊田血煙の断罪の命令を受けてこの国に赴きました。しかしあなたもまた、騎士さんとガドゥさんへの、断罪者への殺人未遂で法に違反しています」


 今ここで、すぐにでも断罪を始める。俺もフリスベルも覚悟はできている。


 フェイロンドはため息をついて肩をすくめた。


「あれはくじら船の上であって、法の適用される島ではなかったはずだが。いや、確か、お前たち断罪者に限っては、断罪者の活動を許可している場所に限って法が適用されるのだったな。すなわちそれは崖の上の王国や公海上も含むと。面倒な理屈だ。断罪者が悪事を行った場合、それを止めようとした者を法で裁かれることになるがそれはどうする?」


 よく知ってやがる。が、同じエルフを虫けらのように殺す奴が言うことじゃない。


「みくびるんじゃねえよ! 俺たち全員、てめえの勝手で同族殺すお前らと比べりゃよほど行儀がいいぜ! お前に限っては、法の理屈もいらねえくらいだ、覚悟しやがれ」


 こうでも言わなければこっちが呑まれる。


 できればこの場で、何とかして断罪しておきたい。命を奪うつもりでやらなければ殺されるのは俺たちだ。


 だがフェイロンドは、腕組みをして動き出す気配がない。そう見せかけて、ブロズウェルにぶつけた瓶入りのナパームのような武器を用意している可能性もあるが。


 どうも、何かの罠というよりは、本当に事を荒立てる気が無いようにも見えてきた。そもそもこいつは俺たちにちょっかいをかけてきたわけではなく、フリスベルがたまたま見つけて追ってきたに過ぎない。周囲に味方を隠していないことから考えても、俺たちと戦うつもりはないのかも知れない。


 俺の迷いを見透かすように、フェイロンドは静かに微笑む。


「……そう熱くなるな。ここで会ったのが縁だ。信じられんかも知れないが、お前たちの目的にとって、私はむしろ役に立ちたいくらいさ」


 アキノ王とヤスハラの断罪についてか。確かに連中の存在もやっていることも、エルフの正義と美に照らせばとても許されはしないだろう。フェイロンドがシクル・クナイブを率いてその命を狙っているというのはうなずける話だ。


「信じられるかよ。操身魔法で同族だまして殺すのが平気な奴らを」


 だからこそ、応じられない。嘘は、もっともらしくつくときにこそ一番効果が高くなるのだ。

 フェイロンドが笑って見せた。


「我々はお前たちを助けたこともあるだろう。いつかの橋頭堡では、我々がいなければお前たちは死んでいたな。軽やかな鈴の音も醜い人間の手で乱暴に鳴らされたに違いない。そんなことは正義と美に反する。いいか、私は狂人ではないのだ。目的にとって効率がいいなら、人間とでも手を握る。人の身にしては、やたらと麗しいエルフロック伯の身辺は、我々の手が守っているのだからな」


 エルフロック伯、つまりユエの姉であるララ・アキノは、エルフの森と協調しているという。その中にはこのフェイロンドのシクル・クナイブも入っていたのか。


 不本意ながら、確かに俺たちはこいつらに救われたことがある。それに、長老会のレグリムのような頑迷な奴らよりも、柔軟な行動様式こそが、がフェイロンドの姿勢だ。それゆえに、ハイエルフでありながら、こいつら流の正義と美を尊ぶローエルフやダークエルフとも協調する。嘘は言っていないのだろうか。


 だが、ついてこられない奴、流儀に少しでも反した奴には、捨て駒や残虐な最後が待っている。処刑樹の痛みがよみがえってくるかのようだ。


 俺は返答の代わりにフェイロンドの両目をにらみつけてやった。二度と世話になってたまるか。


 喋ればぼろが出ると思ったが、諦めてくれたらしい。今度はフリスベルのほうに語りかける。


「下僕半は、頭まで悪魔に侵されたか。フリスベル、私を信じてはくれないか。自衛軍は苛烈だぞ。かつて私に正義と美を見せてくれた君を、失いたくはない。断罪者などと粋がっていては、ただ危険を増やすばかりだ。悪魔や吸血鬼や子鬼などと妥協で結んだ法になんの価値がある。君は私のそばにいるべきだ」


 静かながら明確な告白ともとれる言葉だった。フリスベルが戸惑ったように自分を抱きしめる。銃口が下がってしまった。


 ハイエルフが、ローエルフであるフリスベルを求めるというのか。いや、こいつならそれもありうる。過去に何かあったのだろうか。本当にフリスベルがあっちについたら、いよいよにっちもさっちも行かなくなるぞ。


 ユエのように一発かましてやるべきだろうかと思った。


 だが、フリスベルはギニョルが選び、自らも苛烈たらんとする断罪者だった。


 銃声。フェイロンドの頬を、ベスト・ポケットの.25ACPがかすった。


 かわすそぶりすら見せていない。完全にフリスベルを落とせると思っていたのだろう。痛みで現実がよみがえったかのように、指先で血をぬぐって顔をゆがめる。


 大きく息をつき、フリスベルが再び銃を構えた。


「……貴方のやる事に、正義と美は存在しません。私はエルフである前に、法と秩序を守る断罪者です」


 ベスト・ポケットは小さいうえに威力も弱い銃だ。しかし心臓や頭を撃ち抜けば、ハイエルフだろうと制することができる。


 まるで研ぎ澄ましたフリスベルの決意を形にしたかのように。


 逃げ腰なのは俺の方だった。これはチャンスだ。今のあいつになら、石ころでも効果があるかもしれない。

 フェイロンドの視線を一身に受けながら、フリスベルが断罪文言を口にする。


「断罪者フリスベルの名において。シクル・クナイブ首領、『生真面目な枝』フェイロンド。断罪者に対する殺人未遂の罪で、あなたを断罪します。武器を捨てて投降してください」


 フェイロンドが目を細める。繊細な眉根にしわが寄った。かみ締めた唇が、震えているのだろうか。フリスベルに拒まれたことは、相当のショックだったのか。


 処刑樹を表情ひとつ変えずに操る奴には思えない。果たして、感情をむき出して叫んだ。


「……ならば私の手で、お前を美しい思い出に閉じ込めてやろう!」


 銃を取り出す。プラスチック製の無骨な形は、ハンドガンのグロック19。


 だが視線がフリスベルを向いている。今ならば。


 俺は手元めがけて石を投げつけた。


 ひゅ、と空を切った石つぶては、見事に銃を持つフェイロンドの右手の指に命中した。いらだたしげに俺を振り向いた瞬間、フリスベルのベスト・ポケットが再び火を吹いた。


 力の抜けた右手から、グロックが地面に弾き飛ばされる。


「くっ……!」


 懐に左手を入れた瞬間、フリスベルが呪文とともにトネリコの杖を突きつける。


『イ・コーム・イヴィ・バイン!』


 放たれた緑色の魔力が足元にたどりつくやいなや、石畳が音を立てて割れた。間から現れたのは、無数の太い茨。牙の短剣を投げつける間もなく、フェイロンドは全身を絡め取られてしまった。


 全身に食い込んだ茨は、血みどろになるほどとげを突き刺し、着ていたシャツは真っ赤に染まった。


 植物を枯らす呪文を唱えようとした口元にも伸び、秀麗な頬をも切り裂いた。苦痛のうめき声さえも、うごめく茨にかき消される。


 現象魔法を使うフェイロンドを拘束するには、これくらいにやる必要はあるが。

 フリスベルらしくないえぐいやり方だ。


 歯を食いしばり、フェイロンドをにらみながら、杖を握るフリスベル。


「騎士さん……魔錠をお願いします。スカートのポケットにありますから。私にはこれが精一杯です」


「あ、ああ」


 迫力に気圧されるように、俺はしゃがみこむとフリスベルのスカートに手を伸ばす。ポケットをさぐると確かに魔錠がある。犯罪くさい絵だとか言ってられない。


 手にとって向き直ったときだった。

 茨に絡まれたフェイロンドから、紫色の魔力が放たれる。


 これは操身魔法。姿を変えるつもりか。


 皮膚の色が変色する。鉄のように真っ黒く染まり、うろこ状にひび割れていく。額が割れ、二本の角が飛び出してくる。口がびきびきと裂け、牙が除く。


 こいつ、まさか――。


 背中に翼が開いた。血に染まったシャツはそのままに、フェイロンドが腕を振るい、フリスベルの茨を中から引きちぎった。


 現れたのは、小型のドラゴンピープルとでも言うべき存在だった。フェイロンドは操身魔法を使い、元のサイズそのままに、ドラゴンピープルのような姿に変化してしまった。


 フリスベルがベスト・ポケットを放つ。だがその鱗は、スレイン並みの硬度があるのか、甲高い音を立てて銃弾を弾き返した。翼の幕を狙っても効かない。


『思い出を汚すローエルフめ……』


 フェイロンドが牙の並ぶ顎を開き、息を吸い込む。やばい雰囲気だ。


「いけない、騎士さん、私の後ろに」


 言われるまでもなく俺は後ろへ下がる。直後だった。


『灰となって舞い散れ!』


 吐き出されたスレインに勝るとも劣らぬ炎が、眼前を埋め尽くす。フリスベルが俺の前に立ち、杖を正面にかざした。


『イ・コーム・ノウスドルム!』


 高らかに唱えた呪文と共に、巻き起こる吹雪が、正面から火炎とぶつかる。風と共に一旦は炎を押し返したかに見える。


 だが。


 フェイロンドが雄たけびをあげ、炎の出力をさらに強めた。ちりちりと音がして、俺とフリスベルの前髪が焦げ始める。


 まずいと思った次の瞬間、フリスベルの杖の先端、集まっていた青い魔力が弾け飛ぶ。トネリコの杖がへし折れ、周囲の壁が焦げ付いていく。


「まだ、まだです」


 フリスベルは銃と杖を捨て、両手に魔力を溜めながら吹雪を維持する。すでにやけどが現れている。


『しつこいぞ、私にかしずけ!』


 憎悪の声と共に、直径数メートルはあろうかという火球が俺たちを襲った。


 氷と炎が炸裂し、俺は大きくはね飛ばされた。


 気がつくと、フェイロンドの姿はない。仰向けに倒れた俺の腕の中、フリスベルが気絶している。


 両手にはひどいやけどに加えて、ワンピースの胸元が焼けついて吹き飛び、腹から胸が焦げ付いている。ミルクのように白いその右の頬にまで、炎はむごい傷を残した。


『聞こえるか下僕半。その女に伝えておけ。それは憎悪を込めた、魔法の傷跡だ。私を裏切った罪を苦しめ』


「フェイロンド! てめえ!」


『お前たちの言葉に甘えて、この腐った国の始末は断罪者に任せよう。情報集めはもういい。私も海鳴のときの準備に専心するとしよう』


 どこから言ってやがる。そこらじゅうから聞こえてくる。まさか蝕心魔法の類だろうか。


『フリスベル。貴様を十分に苦しめ、無力を悟らせ、しかる後命を奪ってやろう。海鳴のときを楽しみにしていろ……』


 そこまで言って、声が途切れた。逃げやがったな。


 フリスベルが歯を食いしばる。見るからにむごい火傷だ。

 俺では何も役に立てない。


「ちくしょう、誰か、誰か居ないのか! 誰か!」


 路地から飛び出て叫んだが、俺たちとフェイロンド以外の気配がないことは、フリスベルが確かめている。


「くそっ……!」


 このままじゃ、死んじまう。俺には魔法の傷など手当できない。


 宿まで走るか。クオンならなんとかしてくれるだろうか。

 だめだ、闇雲に走ったせいで道も分からない。


 小さな体を抱え上げ、歯噛みをしていると、とおりの向こうで物音がした。


 石畳の道をやってくるのは、白い馬の引く二頭立ての馬車。

 ここの貴族か。魔術師なら応急手当ぐらいしてくれるかも知れない。


 だめでもともと。俺は馬の前に走り出た。

 

 

 


 



 




 

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