18思わぬ大物

 崖の上の王国、首都イスマは、ざっくり言うと森の中にある広場とその中央の巨大な台地から成る。中央の台地、その国名のごとく崖の上にそびえ立つ、クリフトップ城と貴族の住む館。ふもとにある城下町に加えて、周囲に広がる農村地帯から成る。


 断罪の標的であるアキノ十二世と、報国ノ防人の首領、豊田血煙ことヤスハラ伯は崖の上に住んでいる。


 基本的に下と上の行き来は、断崖に刻まれた細い道を通じてしか不可能であり、自衛軍の輸送ヘリや、ドラゴンピープルが運ぶサービスもあるが、庶民に利用できる値段ではない。


 おいそれと侵入する手段はないのだ。


 ただ、王やヤスハラと結びついた自衛軍もまた、上に押し込められている形だ。南部の森や街道では好き勝手が出来ても、このイスマではそうそう派手な真似はできない。特に、ふもとに築かれた城下町には農民や職人、兵士から成る平民が多く、連中の力はあまり及ばない。


 俺達は、そんな城下町の中でも、特に王国の威光が及びにくいであろう、崖の北側に宿を取った。バンギアにおいても、太陽は南側に出るため、この一帯は巨大な崖の日陰になり、陰気な雰囲気だ。居住環境が悪いため、自然、貧乏な奴や流れ者みたいなのがたくさん住むことになる。


 もっとも、それが幸いして、城壁都市に付きものの境界の管理も適当で薄い。ジンと共にゆうゆうと城門をくぐれたほどだ。良く調べたわけじゃないが、城門の中にあって、実質外みたいなものなのだろう。


 宿を取り終えると、俺達は早々に城下へ散って聞き込みに入った。


 仮にも王族の一人であるジンは、裏への人脈をそれなりに持っているようで、従者と共にあちこちの酒場に出入りしていた。三人で力を合わせて生き残ってきたらしいし、俺達の暗殺を受けるくらいだから、それなりのものを持っている。


 ニノも娼婦に知り合いが多いらしく、裏町から表まで、娼館を片っ端から聞き込みに入っていく。


 意外にも出遅れてしまったのが、俺とフリスベルだった。島なら使える断罪者の権威というものが、この街では一切使えない。


 ただ幸いなことに城下町は結婚式の祝賀ムードであふれていた。ディフェン伯やエルフロック伯の領地から特別に移動を許され、王国でも平和な地域から多大な観光客が流れ込んできているのだ。


 俺とフリスベルが、義理の親子として歩き回ってもある程度怪しまれないというわけだ。


 昼過ぎに宿を取り、クオンやニノと別れてから、三時間。


 市場の客や通行人を中心にいろいろ聞いてみたがあまり芳しくない。怪しまれないのはいいが、バンギア人でも、ほとんどが普段イスマに居ないやつらなので、警備の事情や式の段取り、ヤスハラとアキノ王の関係など、肝心な情報をほとんど知らないのだ。


 地元の奴とおぼしきは、ここが機会とばかりに、臨時の雇い仕事や観光客相手の商売などに殺気立ち、とても話を聞ける雰囲気じゃない。


 クリフトップへの中央を貫く大通り。結婚式当日に向かって、一日ごとに別の花を大量にかざり、祝賀にやって来るディフェン伯やエルフロック伯を祝うらしい。


 広い通りのそこら中では、歩きながら食べられるアイスを売っている。本来屋台の出店は禁止だそうだが、目の付け所のいい商人が居たらしく、アグロスから大量に購入してレンタルを行ったらしい。何重という色とりどりの屋台が、十ルドー硬貨一枚で、コーン付きのアイスを売っている。


 そいつを二つ買って、俺はベンチで待つフリスベルの元へ戻った。


「お待たせ」


「ありがとうございます」


 並んで座り、雑踏を眺めながら、ちょこちょこ食べる。悪くない味というか、恐らくアイスの中身もアグロスのものなのだろう。


「これじゃあ、クオンやニノに頼ることになるな。こんなに難しいなんて」


「でも、他の領地のことは、色々分かったじゃないですか」


 フリスベルの言う通りだ。俺達がここに来るまでに見た自衛軍の施設や、危険な強制労働は、漠然とした噂や知り合いの行方不明という形で、ディフェン伯やエルフロック伯から来た者達の間にも広く知られていた。どうやらどこの領地でも、ここと似たような形の動員はかけられているらしい。


 どいつもこいつも、一言目には自分の暮らす地の領主を褒めたが、少し話すととたんに不満が出た。


 大きいのは、軍事顧問としてエルフロック伯とディフェン伯の足元に潜り込んでいる自衛軍のアグロス人への不満だ。紛争時に多大な犠牲を出したにもかかわらず、どの領地でも貴族身分としての扱いがなされている。野盗の中に自衛軍の兵士らしい者が居たのを見たと騒いだ者が立ちどころに処刑されたこともあるという。


 意外なことに、ディフェン伯領から来た奴らの中にでさえ、吸血鬼や悪魔との同盟に対する不満より自衛軍のことが勝っていた。


 とはいえ、過剰な期待はできない。無礼講の雰囲気だから出た意見に過ぎないのは確かだろう。どいつもこいつも、もしかしたらという懸念はあれど、引っ掛かりは日常の行動で無視するのだ。


 だが仮に、ユエとザルアが蜂起し、心配が事実となって知れ渡ったら。いよいよこの国がひっくり返るかもしれないと思わせるものも、あった。


 思った以上に、導火線は回っている。その分、俺達の断罪の成功率は上がるかも知れないが、国が混乱して良いことなどあまりない。


「こんなに平和に見えるのに……」


 フリスベルがぼんやりと雑踏を見渡す。精一杯に着飾っている者や、大道芸に見入っている者、俺達と同じように珍しいアイスを手にしてはしゃぐ子供。あんな製錬所が存在する国の民とは思えない。


「腹の底で何考えてるかなんて、意外と分からないもんさ。だから吸血鬼が怖がられるんだろう」


「そうかも知れませんけど。もっと素直になれないのでしょうか。島の人なら、嫌だと思ったら私達にだって挑んでくるじゃないですか」


 GSUMの勢力は衰えない。断罪しても断罪しても、不正を働いて他人を追い越そうと突き進む奴は決して消えない。

 なるほどバイタリティ溢れたあの島に暮らす奴らが、あんなふざけた真似を受けたら、どうやってでも逆らうだろうし、国そのものをぶっ潰して暴れるだろう。GSUMの連中が裏で動き、橋頭保の自衛軍が結構政治的なバランスに配慮しているのは、あの島だからという面もある。


 少なくとも、王であるというだけで、他人に様づけしたりしないだろう。


「フリスベルは、純粋だな」


「そうでしょうか?」


 ちょっと怒ったように、長い耳を立てる。ガドゥのようなゴブリンほどには、頻繁に動かないらしい。300歳を超える年齢を感じさせない。


「銃なんてもんを作るくせに、人間は色々と臆病なんだ。王様やらお姫様やら、色んな権威があるとありがたいし、危険はごめんだぜ」


 銃だって、元は守るため、だからな。


「でもそれであんな場所を放っておいて、よく確かめもせずに、自衛軍の人を受け入れるなんて」


「まあそう言うなよ。アグロスみたいに情報が早いわけじゃないし、どうした?」


 九に立ち上がったフリスベル。雑踏の中を今までにない真剣さで見つめている。


「騎士さん、ちょっと付き合ってくれませんか。今回の作戦と関係ないかも知れませんけど」


「まだ蜂起まで時間があるけど、どうしたんだ」


「私の思い過ごしだといいんですが……!」


 急に駆け出したフリスベル。普段のローブと違って、長いスカートなのだが、小柄さを活かし雑踏を縫うように進む。俺はぺこぺこと頭を下げながら、小さい背中を負った。


 大通りから路地へ入り、入り組んだ城下町を進む。かなり走って表の街を超え、宿を取った裏町へと差し掛かる。日陰の行き止まり、人けもない、いかにもな場所に向かってフリスベルは駆け込んだ。


 俺もどうにか見失わずに到着した。


 追っていたのは、バンギア人の若い男だった。緑色の髪に、青い瞳をした涼し気な顔の奴だ。


「武器があれば捨ててください。小さいですが、この銃は本物です」


 ベスト・ポケットを突き付け、スライドを引いたフリスベル。こいつが、それほどの大物なのか。目立つからM97を置いてきたが、それが悔やまれる。


 緑の髪の男が、歩み出る。肩をすくめて話しかける。


「私が何をしたというのです。そんな銃、自衛軍でも見たことがありませんよ」


「とぼけないでください。私には分かります。解呪をかけましょうか」


「……いや、いい」


 男が右手をかかげると、紫色の魔力が体を包み込んだ。


 尖った耳、金色の髪、秀麗ながら、どこか酷薄な印象を受けるこの顔つき。

 俺は忘れない。くじら船で見せた、こいつの狂気と残虐さ。目の前で殺されたブロズウェルのこと。ハイエルフが禁忌とする、操心魔法で人に紛れてやがった。


「優秀だな、フリスベル。『軽やかな鈴の音の娘』よ」


 正義と美のため、同族すら利用して殺害する狂気の暗殺集団シクル・クナイブ。

 目の前に立っているのは、その若き首領、フェイロンドその人だ。


 こいつは、別の意味で、とんでもない大物にかち合っちまった。

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