17崖の上の王国


 銃撃は数分と経たずに途切れた。それから数時間、走り続けても、敵の攻撃はない。迫撃砲や戦闘ヘリの類でも出して線路を破壊してでも止めるかと思ったが、拍子抜けだった。


 運転席で汽車をぶっとばすクオンに尋ねると、レールが貴重なせいだそうだ。さすがにバンギアでは溶鉱炉の類までは稼働しておらず、レールに使う良質な鉄は簡単に手に入らず、そう頻繁に破壊するわけにもいかないらしい。


 夜が明け、日が完全に上るころ、森が薄くなってきた。木々の向こう側に朝日に照らされた広い場所が見える。


「頃合いだな」


 クオンが列車にブレーキをかけた。さすがにこのまま崖の上の王国に突っ込むわけにはいかない。大パニックになる。


 汽車を乗り捨てると、俺達は森の中に集まった。フリスベルが杖を立て、魔力で周囲を警戒する中、俺とクオン、ニノ、それに二人の魔術師は顔を突き合わせる。


「これからどう動く、断罪者よ」


「予定通り潜入したいところだけどな。自衛軍の配置はどうなんだ?」


「国内ではまだ、アグロス人への風当たりが強い。自衛軍は既に、王の下にも、ディフェン伯の下にも、エルフロック伯の下にも入り込んでいるが、崖下の領地にはあまり姿を見せないんだ。この汽車もイスマの周辺では、操縦を学んだアグロス人が運用している」


 それはまた徹底したことだ。しかし、ユエ達が事実を暴露したとき、かなりの動揺が期待できる。ニノが珍しく驚いた声を上げる。


「もしかして、クリフトップに自衛軍の兵士を住まわせてるんですかー。平民が入ったら百叩きで、私みたいな魔力不能者が入ったら死刑にしてたっていうのにー」


 入ったら死刑だと。クリフトップがどこだか分からんが、めちゃくちゃな法だ。戦争中の国などで、軍事基地に近づいたり、境界線を冒した奴を射殺する場合はあるらしいが。この国の場合は、恐らく完全な差別意識からだろう。魔法を使えない者は、犬畜生にも劣るというのだから。


 ユエの立場を改めて思う。あいつは王族でありながら、そんな魔力不能者に生まれて、そのまま生きてきたのだ。

 俺が会話についていけてないと思ったのだろうか。フリスベルが杖を下ろして、話しかけてくる。


「……騎士さん、詳しくは見てもらった方が早いですが、クリフトップは首都イスマの中で王族や貴族の人たちが住んでいる城下のことなんですよ」


 それは予想できるが、改めて言われるとどんな形か予想がつかん。壁でも築いて隔離してあるのか。恐らく城はあるだろうから、城下町までがクリフトップという特別な街で、その外に平民街とか。だがアグロスとつながるまではほぼ中世の技術力。セメントをこね、石を切り出し運んで積むのも全て人力。街を囲む巨大な壁を築くなんていうのは莫大な金と時間が必要だろう。なん十年かかるか分かりやしないのに、そんなことをするものだろうか。


 俺の疑問に構わず、ニノは意地悪く目を細めた。間延びした口調のまま、剣呑な言葉を吐く。


「特務騎士とか言いながら、戦で手柄を立てたディレ団長や私達を城に入れなかったくせにー。バンギアをめちゃくちゃにしたアグロス人には、屋敷を建てて住まわせてあげるんですねー」


「貴様……!」


 魔術師の一人がつかみかかろうとするが、氷のようなニノの視線に、唇を噛んでうつむいた。やりとりを見守っていたクオンが、疲れたようにため息を吐いた。


「やめてくれ。ニノの言う通りだ。我々は共に立つべき相手を間違えた。800年の歴史があろうと、民も守れぬ国は、もはや残骸だ。リカのように誇り高い貴族がどれほど居るのか、見当もつかない。我々は、滅ぶべくして滅びるのかもしれない」


 滅ぶべくして滅ぶ。そんな貴族の一人として、自らを数えあげているかのようだ。無茶をして死にかねない。ここまではリカの檄もあり、勢いで動けたが、クオンは自分なりに大切にしてきた兄や妹を目の前で失っている。気力を失ってしまっているのかも知れない。


 俺にもフリスベルにも、駆ける言葉が浮かばない。断罪者として相手にしてきたのは、撃たれようが、監獄に放り込まれようが、それでもしぶとく生きることを止めない悪人が多かった。


 気まずい沈黙の最中、ニノが大きなため息を吐く。かとおもうと、やにわにクオンの胸倉をつかんだ。目を見て一気にまくしてたてる。


「ちょっと、そこまでは言ってないじゃないですか! せっかく生きてるのに、お兄さんがそんなだったら、副団長が悲しみますよ! あの人は紛争中も、ずっと王様やお兄さんやお姉さんを心配してたんですから!」


 クオンは目を見開いた。その秀麗な容貌、鳶色の瞳でニノを見つめる。


「……ユエがか。あの子なら、そうだったのかも知れないな。そうか、こんな国を、こんな私を」


 感極まったのか、そっと手を伸ばし、ニノの青い髪に柔らかく振れる。


「君は優しいな。よく、言ってくれた。侵入の方法を考えよう。このクオン・アキノ。我が父であろうと、実の兄妹を弑するような者に、屈することは決してせん」


 嫌な性格でも、容姿に恵まれたアキノ家の男だ。ニノはほうとため息をついて、されるがままになっている。だが、思い出したように頭をふるった。


「ちょ、ちょっと離してくださいー」


「これはすまない。女性の髪に触れるなど、無礼極まりなかった」


 紳士的な物腰で謝られたニノは、みつあみの先を握りしめ、背中を丸めている。心なしか頬が赤い。


「うう……調子が狂っちゃいますー、貴族らしく嫌な人じゃないんですかー」 


「どんな階級であろうと、様々な者が居るものだ」


 ちと腹が立つが、なかなか決まってやがる。とにかく、これで前へと進める。



 潜入の方法はシンプルだった。旅人として入り込むのだ。王国はちょうど、二日後に迫ったヤスハラ伯とアキノ十二世の娘のマヤ・アキノの結婚式典のために、バンギア中から来賓を募っている。そのクリフトップとやらを除いては、警戒も甘くなるし、そもそも断罪者を良く知る自衛軍の奴らは出てこられないのだ。


 エルフにとって禁じ手らしいが、フリスベルに操身魔法を使ってもらった。対象は俺で、一目見てアグロス人と分かる俺の髪の色を金色に、瞳を青く変えただけだ。それから、分かる奴が見れば一発のマロホシの魔力も、少々歪めてもらった。これでもう、ぱっと見はバンギア人だ。


 準備が整った俺達は街道に合流し、とうとう森を抜けた。


 目の前に広がる光景に、俺は思わずため息をついて立ち止まった。


「おお、こいつは……」


 森の真ん中に、大きく開けているのは、一面の平野だった。

 広さはどれくらいだろう。少なく見積もっても、ポート・ノゾミの三呂空港より明らかに大きく、広い。向こう側の森が霞んで見えるほどだ。


 平野のほとんどは小麦畑に牧草地、そして、左手側に見えるのは。


「あれもしかして稲か。おい、米作ってるのかよ。へー! まじか」


 麦わら帽子や、シャツにズボン姿の農民が、鎌や手押し式の小さなコンバインで刈り取っている。涼しくなってきたが、確かにそろそろ新米の季節だ。

 しかしまさかバンギア大陸まで来て、風物詩が拝めるとは思わなかった。生まれも育ちもポート・ノゾミの俺も、なぜだか稲や米を見るとほっとする。不思議なことだ。


 俺の反応に気を良くしたのか、クオンがさらに付け加える。 


「コメというものは、まだ我々の口にはなじみがないが、小麦より、単位面積あたりの収量が明らかに優れている。我が国ではちょうど沼沢地の扱いに困っていたし、紛争後より、水路を引いて稲を作り始めた。もっとも、やはり主だったのはあちらの方だな」


 クオンが指し示す右手の側。


 すっかり上った太陽が、一面の平野を照らしている。広がるのは一面の小麦畑と、牧草地だ。白と黒のジャージー牛や羊が、のたのたと平和そうに歩いている。


 間には、わらと石でできた家々。水田の合間をぬった水路が、合流して川となり、その岸辺に水車小屋があって、ゆっくりと回っている。干した革から脂肪や毛を削り取っている農夫が居る。パン焼きかまどだろうか、石造りの煙突からは、香ばしい匂いの煙が青空に広がっていた。


 中世ヨーロッパの農村と聞いてまず頭に思い浮かぶ光景。それもまた、この国の姿なのだ。


「ここは、相変わらず平和ですねー。紛争のときもそうだったけど、えげつないことは全部外に押し付けるんですからー」


 口で皮肉を言いつつも、ニノは日差しに目を細め、土の道をてくてくと歩いている。すれ違うのは馬車や荷車だが、その警護を担っているらしいハイエルフや人間の中には、ニノと同じウィンチェスターライフルを肩にかけている奴もちらほら見えた。のどかなだけではないのだ。


 大体の光景は語ったが、最も目立つものがまだだった。


 森の中に現れた、のどかな水田や、中世ヨーロッパ風の農村地帯。あるいはその中心で城壁に囲われた石造りの都市も確かに見事。うっそうとした森を抜け、陽を浴びる様はやってきた者の心を洗うだろう。


 だが最も目を引いたのは。その全てのど真ん中に堂々と存在していた。


「なあフリスベル。ずっと疑問だったんだが、崖の上の国ってこういうことだったんだな。確かにこりゃその通りだ」


「ふふ。そうですよ、崖の上の王国は、人間さんたちが何代も何代も、長い間作り続けてきたんです。世代を超えた努力の成果です。あんなに凄いもの、魔法なしで作るエルフはどこを探してもきっと居ません」


 俺とフリスベルは立ち止まり、そびえ立つそれを見上げる。


 森の中に現れた、十数平方キロにわたる広場。中央の都市から放射状に広がる道に沿って、広がる水田と牧畜地帯。これだけなら崖の上の国の首都イスマは、まだただの都市に過ぎない。


 だが都市の真ん中、広場の中央にでんと屹立する、巨大な円形の崖が全てを覆していた。

 半端なものじゃない。頂上との落差、ふもとの建物からざっと測ると、軽く二百メートルほどになるだろうか。


 崖のてっぺんは一平方キロほどの台地だ。とにかくだだっ広い。中央部分が崖として隆起したというより、元々あの崖の頂上の高さの土地だったのが、台地だけ残して陥没し、周囲の広場になってしまったかのようだ。


 台地の端には見張りの尖塔。さらに森の中に貴族の館らしき豪奢な屋敷がぽつぽつと見える。そして中央にでんと構えているのが、尖塔の目立つ赤れんがの屋根に、真っ白な石を積み上げたいかにも強固な城。何に使うのだろうか、迫撃砲らしいものまあで備え付けてある。


 立ち止まった俺達の前に、クオンが歩み出る。得意げに両手を広げた。


「見よ、足元に広がる穏やかな田畑。辿り着いた者は、何人も決して飢えさせることはない。そびえ立つあの雄大な崖、我らが先祖は石と土を抱えて這い登り作り上げたあのクリフトップ城こそ、800年に渡って我ら人間を守ってきた連帯と闘争の象徴だ!」


 貴族というのは、要するに自分の国が大好きな奴のことじゃないのか。


「ようこそ崖の上の王国、首都イスマへ! 決して滅びぬ人間の砦を救うために、同士となれたこと、アキノ家を代表して厚く礼を申し上げる。無残に死んだ兄妹のため、私もこの身を粉としよう! 魔法しか使えぬ愚かな私を、よろしく頼む」


 行き交う奴らが、目線をくれる。テンションの上がり過ぎたキザ男に見えるのだろう。


 だが、こいつもまた、貴族らしい覚悟を持っているのだ。


「王子様ー、顔上げてくださいー。言われなくても、副団長も私も、みんな全力でやっちゃいますからねー」


 あの台地に、ヤスハラとアキノ12世が居る。

 爆撃に狙撃、犠牲になった者たちを超え、俺達はいよいよ連中の懐へと斬り込んでいくことになる。

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