16首都へ

 敵の数はどれほどだろうか。フリスベルの感知が及ばないということは、最低500メートルから、もっと遠く。


「今、木の根を伸ばして、感知範囲を広げています。騎士さんから8時方向、800メートルに一人」


 ということは、左後ろの方。その一人だけなのか。


「また見つけました、騎士さんから4時方向にも一人、900メートル。10時方向二人、1000メートル。広げます……1500メートル以内には居ないようです」


 そこまで離れたら狙撃は困難だろう。しかし合計四人。完全に囲まれてる。ニノが舌打ちをした。


「……コウモリどもだ。アグロス人の自衛軍。ナイトビジョンをつけて、狙撃銃でエルフやこっちの魔術師を撃ってくる。アグロスだとレンジャーっていうのか。私達の武器じゃ、基本逃げるしかない」


 本当に相手がレンジャー訓練を受けた狙撃手なら、絶望的な状況だ。自衛軍のレンジャー部隊というのは、世界で戦うアスリートにも匹敵する身体能力を持った奴らが、訓練を積み重ねた連中だ。少なくとも一人のこめかみを正確に撃ち抜く程度には実戦経験も十分。


 どうするか。ナイトビジョンは赤外線や可視光線を増幅しているはずだ。魔法の火で赤外線を狂わせるなり、強い光で、なんとかかく乱できないだろうか。

 俺の考えを読んだかのように、ニノは続ける。


「かく乱は無理だと思う。メリゴンから、最新のやつを買ってる。強い光でも壊れたり目がくらんだりしないって。こういう森で、魔法の火をつけてかく乱したはずが、魔法使ってる術師が撃たれたのを見た」


 それなら駄目だ。ニノの情報が百パーセント正しいかは分からないが、失敗する可能性がある以上、試すことはできない。

 ただ、遮蔽物が多いのは幸いしている。こうして這いつくばっている限り、そうそう撃たれはしないのだろう。


 もっとも、それではまったく身動きが取れない。予め連中を配置したということは、こちらの動きが読まれているのだろう。敵の増援が来る可能性もある。戦闘ヘリにでも来られたら今度こそ終わりだし、俺達の位置が分かっている以上、駅や汽車ごと迫撃砲でも撃ち込むことも考えられる。自衛軍の砲兵の命中精度は、この紛争前から、えげつないと聞く。


 誰も何も言わない。ひりつくような時間が流れていく。修羅場には慣れてるはずだが、俺もほほに汗がにじんできやがった。コウモリどもは、にらみ合ったまま何日だって待っていられるに違いない。それができる訓練と実戦を経ている。


 俺達だって、根性は負けないつもりだが。


「フリスベル、魔法はどうだ」


「一番近い人まで900メートルです。魔法で倒すには、詠唱と集中が必要です」


 そのために立ち上がろうものなら――視線を向けると、かっと目を見開いたジンの死体が飛び込んでくる。生意気な口を利いていたのはほんの一分前。見事に頭を撃ち抜かれ、両のこめかみに焼け焦げた大穴を作っている。自身の血にまみれ、二度と動くことはない。


 弾丸の前には、バンギア、アグロスのほぼあらゆる種族が平等だ。こうなりたくなかったら、動かないでいるしかない。


 どこかで鳥が鳴く。烏に近い声だ。空は少し明るくなってきただろうか。夜明けが近づいてやがる。これじゃあ今夜中に潜入するのは無理そうか。

 そんなことをふと考えると、一瞬だけ力が鈍った。俺の腕の下にいた魔術師が、腕を押しのけて立ち上がる。


「バカ、待て!」


「う、うわぁああああ」


 悲鳴が銃声にかき消された。心臓と頭部に三つの銃創を負い、魔術師は事切れた。


「くそ、すまねえ……」


 恐怖に歪んだ顔が、恨めし気に俺を向いている。ジンよりひどい亡骸になった。完全に俺のせいだ。


 絶望的な結末を想像したのか、今度はリカが暴れ出す。


「離して、離して! もういやだ、いやだああぁぁぁっ!」


 尊厳も誇りもない。涙を垂れ流し、子供のようにもがき続ける。小柄なフリスベルが必死に覆いかぶさり、抑え込む。


「駄目ですリカさん、今立ったら撃たれますよ!」


 立たせたら、確実にジンや部下の魔術師の二の舞になる。


「やめてくれ、リカ。こんな……」


 噛み締めるようなつぶやきは、クオンのものだった。紛争ですべてを失い、目の前で兄は殺され、自身と妹は捨て駒として殺されかける。見苦しさに耐えられないのか、あるいは王族に生まれながらここまでの辛酸を舐めた境遇にか。哀れなほどに震えている。


『助かりたいか』


 ざざ、とノイズの混じった声が響く。魔法による増幅じゃない。ただの拡声器によるものだ。敵、アグロス人以外がこんなものを使うわけがない。


「ど、どうすれば、どうすればいいの!?」


「リカ!」


 クオンがたしなめるが、拡声器の声は続けた。


『そいつらを殺せ。その後我々の慰み者になれ。始末したことにして飼ってやる』


 条件などとは、いえない。言われた方など、何とも思わぬような調子で、声は続ける。


『アキノ家の女は美しい。だがマヤは血煙のものだし、ユエは生きたままでは捕まるまい。よしんばうまく捕らえたとしても、数え切れぬほど同志を殺したあいつだけは、辱めの後、処刑する。だがお前は違う。リカ・アキノ。いばるだけで能無しのお前は、生かしておいても我らの不利にはならんからな。ははははは!』


 嘲笑が響く。人を人とは思わぬような提案だった。どうやら激しい訓練や教育では、人間性を修正することはできなかったようだ。いや、逆にそんなものを経験してから戦場に来てしまったせいで、こうなっちまったのだろうか。


 いずれにせよクソ以下の連中なのは間違いない。それが強いのだから、本当に始末が悪い。


『この国はもう我々のものだ。子も産ませてやる。安心して生きろ。美しさだけの能無しには、悪くない提案だろう』

 

 侮り切っている。油断か、慢心。いや、残念だがこの距離、この装備に対して、挑発は効果的だ。恐らく狙ってやっている。


 多少驕慢なだけで、普通の精神をもったリカでは、恐怖で屈服することがまず期待できる。奮起して反撃に出るとしても、それはそれで狙撃の標的だ。どちらにしても状況は有利に展開する。


「おのれ、鉄と火の化生ども……!」


 クオンが拳を握り、震えるほど歯を噛み締める。望んで犬をやってたわけではなさそうだ。その割には俺達の暗殺は気分が乗ってたようだが。

 リカは動かない。みつあみが背中にかかり、前髪がその目を覆い隠している。小さな唇が、少しずつ動く。


「……決めた。クオン兄さま、みんなを逃がして。汽車の操縦、習ってたでしょ」


 顔を上げたニノ。前髪からのぞいた切れ長の目に、決意が宿る。


「馬鹿な。お前ひとりでどうするつもりだ。狙撃の恐ろしさはさっき」


『イ・コーム・ハービィ・マイスト』


 これは、ニヴィアノが使った霧の呪文か。

 たちまち辺りは、雲の中に突っ込んだかのような深い霧の中に入った。範囲がはっきり分からないが、濃さからいって、あのときよりも広いのかも知れない。


 ニノが呆れた様子でため息を吐いた。魔力不能者というなら、リカのような貴族は嫌いなものの最右翼に入るのだろう。


「火よりはましでしょうけど、霧でも防げるかは分かりませんよー。それに明るくなってきてるから、目視で見つかっても狙撃されますー」


 確かに夜明けが近づいている。ナイトビジョンもいらなくなりつつある。狙撃手なんてやるくらいだから、相手の視力はかなりいい方だろう。


「目くらましができれば十分。魔法の射程まで近づく。相手の位置は」


「変わってませんが、死ににいくようなものです。私は見過ごせません。お兄様のためにも、無謀なことはやめるべきです」


 フリスベルの説得に、リカはジンの死体を見つめる。だが、決意は変わらない。


「……汽車は動くと大きな音を出す。そのときに狙われる。私を援護するくらいなら、魔法が使える人は、ジン兄さまやみんなを、狙撃から守って」


 フリスベルの木か、あるいはほかの魔術師の岩か。発進まで壁が必要なのは確かだが、援護も無しで連中に現象魔法が当たる範囲まで近づけるわけがない。


「死ぬ気かよ。ユエの姉貴だ、一応止めるぜ」


 囮になるのが関の山だ。だがリカは微笑んで見せる。


「下僕半のくせに、生意気言わないで。あいつらは兄さんを殺して、この私を、バンギアに名だたる人間の名族、アキノ家のリカ・アキノを侮辱した。代償は命で払ってもらう。魔法しか使えない能無しだろうと、そのくらいの矜持は、ある」


 覚悟を決めてやがる。死ぬつもりなんだな。


 クオンが叫んだ。


「やめろリカ! 紛争ですべてが壊れ、父さまたちから見捨てられ、何年もの間、私達三人、力を合わせて生き残ろうとしてきたじゃないか。生き抜けばいい。お前は女だろう」


「そういうことじゃない。死を賭して戦った先祖と、生き残ってきた先祖がいたから、私達の家は繁栄した。800年も王国が続いた。ようやく思い出した……私はリカ・アキノだ。クオン兄さま。ユエや、ほかの兄さま姉さまを、大事にしてね」


「待って!」


 フリスベルが木の根を呼び出そうとするが、リカは右手をかかげてそれを沈めた。人間の身で、ローエルフの魔法に対抗できるとは。


 止められる者は居なかった。リカの姿は数メートル進んで霧に紛れた。銃声がしないということは、連中はこちらの動きを探知できていないのだろう。


 しかし、一人を倒した時点で、他の奴らから必ず見つかる。お互いを守る意味でも、相手は配置をばらけさせている。希望的な観測は、できやしない。


「……貴様ら乗り込め、首都の前まで飛ばしてやる。死した兄と、死にゆく妹のため、この私もまた、アキノ家の背信者となってやる!」


 言うが早いか、立ち上がったクオンが列車の方へと走り出す。


「そんな勝手な! 騎士さん」


「こうなっちまったら従うしかねえだろ! ニノ、いいな?」


「兵士の死は戦果に役立てるべきですよねー。進みましょう、部下の方々も」


 俺達は爆発した車両をやり過ごし、汽車の先端部へ向かう。クオンが先頭の車両に入り込む。破壊された車両がレールに引っかかっていたため、フリスベルは連結部を火の魔法で溶かしにかかった。


 そのとき、銃声が数発聞こえた。


 直後、轟音がして、辺りが真昼のように明るくなり、霧が薄れ始めた。


 稲妻の魔法か。相討ちを取れたのだろう。リカも生き残ってはいるまい。


 高慢も貫き通せば高潔さに転ずる。

 リカ・アキノは間違いなく、誇り高き王家の女だったのだ。


 汽車が動き出すと、思い出したように銃撃がされた。


 しかしフリスベルと魔術師の部下が魔法で石の壁を作り、弾丸を防いだ。

 クオンが運転する汽車で、俺達は再び首都へと向かった。

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