31罪業は重く深く
俺がリアクスの荘園に入ったのは、三日前のことだ。先輩の演説と投票日まで、あと四日しかない。
取り調べと現場検証の終わった俺は、三呂市の警察署から出た。ビルは三呂から地下鉄でひとつ進んだ駅の南側。二十階をさらにこえる巨大なものだったが、これは本来県警の本部だ。三呂市警の建物は境界のある三呂大橋近くに現在建設中で、今はまだ県警本部のビルを一部間借りして活動している。
時刻は昼過ぎ。取り調べや免許証の手続きなどで県警に呼ばれた日ノ本の普通の人間が頻繁に出入りしている。まるで何の変哲もない人間みたいに、俺は自動ドアをくぐった。
「騎士くん!」
地下鉄の入り口から、ユエが駆けてきた。白のシャツにジーンズとブーツ。ホルスターと銃はない。金色の髪に青い瞳、そして流麗な体形はメリゴンのモデルと言われても違和感がない。
島の警備はギニョルが引き受けてくれているのだろう。これまでの断罪でホープレス・ストリートのマフィア、シクル・クナイブの過激派エルフ、自衛軍のテロリストじみた連中は消えた。GSUMが動かない限り、断罪者一人でも治安の位置は事足りる。
あるいは選挙期間に無駄な悪事を働かぬよう、キズアトとマロホシが下っ端まで厳しく統制しているのかもしれない。四人も欠けた断罪者でなく、悪人と大富豪のハイブリッドが島での実際の権益を持つ、か。
「よかった。なにもなかったんだね」
ユエの第一声が、俺の身柄の潔白か。断罪者というより犯罪者の気分だ。
「……適法な断罪活動と認められた。狭山もな」
リアクスのやったことは、市警の吸血鬼が一晩で調べ直した。ほぼ、狭山が船員を拷問して聞き出した通りだった。手斧でエルフの手足を叩き落としたが、とがめなしだ。
「島に帰ろう。何があったか、ギニョルに報告しないと」
「待てよ、ギニョルは今度のことを知らないってのか」
リアクスが断罪者の四人を誘拐し操っていたことは、知らなくて当然だ。だが、あいつが北区の森に巣食って、人をさらって下僕や奴隷を増やしていたことは、日ノ本に情報網を張っていれば思い当たりそうなものだが。
ここに来るまで、俺は失踪事件があることも知らされていなかった。
「……ギニョルからも、話すことがあるみたいだよ」
「そうか」
いい話題じゃあ、なさそうだな。
まだ日ノ本に拘束された状態の四人を思い浮かべながら、俺は地下鉄に続く階段を降りた。
警察署を出るとき曇っていたのが、三呂駅についてポート・レールのターミナルに上ってくると雨が降り出した。冷たい、糸のような雨だった。
いつかのように、スクランブル交差点を見下ろす。いつかのように、歩く人波は紛争前と変わりない。島との交通が結ばれ、吸血鬼、悪魔、エルフにゴブリン、派手な髪のバンギアの人間が混じっているはずなのだが。
あのときと違うのは、交差点近くのビルが再開発で建て直されていることくらい。俺は隣のユエを見た。銃を持ってないと、ただの若い女みたいだ。
ノータイのシャツに、黒のスラックスでターミナルのガラス窓にぼんやりと映る俺もまた、そのへんの少年ってことか。どっちも、警察や法と戦って勝てるようには見えない。
「ねえ騎士くん、大丈夫?」
「……え、っと」
戸惑っちまう。ユエは俺の様子によく気付く。俺も分かっていない俺の感情を読み取るのだ。女だから、ってわけでもないんだろうが。
「その、せっかくみんな戻ってきたのに、さ」
「そのことか」
蝕心魔法で操られたとはいえ、四人は日ノ本で日ノ本の法に触れた。誘拐のほう助や殺人、傷害、魔法の不正行使、ドラゴンピープルのスレインは不正暴露など。ポート・ノゾミの独立以降、ごてごてと急造された一連の対バンギア人向けの法律だ。
断罪者が犯罪者になる可能性がある。それも、国同士の軋轢によるでっちあげじゃなく、本当に罪を犯して。
「どうなんだろうね、蝕心魔法で操られてやったことは、断罪法で裁かないってことになってるけど」
「島だとな。こっちはまだもめてるらしいからな」
罪ってやつは、基本的に罪と分かって犯す意志があって初めて、やった奴を責められるのだ。蝕心魔法は文字通り人の意識を蝕み、術者の意のままにする。バンギアでは常識だから、免責にしてももめないが、アグロスだと納得しづらい理屈だろう。
まあ、日ノ本が吸血鬼という種族と、蝕心魔法の実質を認めている以上、バンギアの方に寄ることになるんだろうが。
ポート・レールが来た。ターミナルと車体のスライドドアが開く。出てくる奴らを見送って、俺とユエは乗り込んだ。他の乗客も一緒だ。運賃こそかなり高いが、以前と比べて乗客は増えた。
なんだか、ただの通勤で来たみたいだな。
乗客はみんな黙っている。俺も黙ったまま車窓の外を見る。
境界を越えた。珍しいことに、こちらも三呂と同じような雨だった。
じめっとした空気に耐えられなくなって、つぶやく。
「まだ浮かない顔、してるように見えるか?」
「……うん」
気をつかわせちまってる。喉の小骨を引き抜くつもりで、俺は最大の懸念に触れた。
「当り前、だよな。俺もどうしていいか分からねえ。ザベルを撃ったのが、あの四人だったなんてな」
つり革を握る手に力がこもった。ぶつけようのない感情が湧いてくる。
家と警察署の最寄り駅で降りた。ホームに出てふと見下ろすと、灰色の雲の下、かつてのホテルノゾミの近くに大きな空き地が目に入った。
あの演説会場だ。
今日とは違う、晴れた日だった。断罪者である俺は、俺の最も尊敬する師を凶弾から守ることができなかった。その腕を取り、引き倒す寸前で、獰猛な12.7ミリの弾丸がザベルの命を吹き飛ばしていった。
クレールを含めた、市警の吸血鬼全員が記憶を確認した。犯行の物証も出た。
どんな魔法も時間は超えない。起こった事実は、動かしようがない。
あの引き金を引いたのが、操られたクレールで。
狙撃場所になったのが、操られたスレインだった。
魔力をかく乱したのが、操られたフリスベルで。
ドローンで警備を散らしたのが、操られたガドゥだった。
そのすべてに、断罪者としての記憶と経験が活きていたなんて。
必ず、断罪してやると思っていたのに。
「騎士くん、もう行こう。お願い。おねがい、だから……」
根が張ったみたいに、足が動かない。凍ったように演説会場を見つめる俺の腕を取るユエ。その手も、不安に押しつぶされたように震えていた。断罪者で最高の射手の指ではなかった。
俺だって、今ショットガンを振り回せる自信はない。
断罪者は、一体どうなってしまうのだろう。
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