32虚無が牙を剥く

 俺とユエは警察署を訪ねた。雨はまだ、やみそうにない。


 玄関で傘の雨粒を落として、守衛所をくぐる。廊下の電気は半分が消されている。節電のためだろうか。


「静かだな」


「人、少ないもんね」


 足音が廊下に響くのは久しぶりだった。


 いつものオフィスは、がらんとしていた。ガドゥ、クレール、フリスベル、三つのデスクの主が帰ってこないのだ。


 こちらも節電のためか、蛍光灯の半分が消えて薄暗い。窓と天井を叩く雨音だけが響いている。


 ギニョルのオフィスには明かりがついている。ユエがノックした。


「ギニョル、騎士くん連れてきたよ」


「……入れ」


 珍しく、いら立ったような口調だった。七人揃っていた頃、へまをした部下を怒るときとは違う。無力感に震えているようだ。言われるままドアを開ける。


 先客が二人いた。マヤとザルアだった。ユエをめとった俺にとっては、義理の姉夫婦。というか、今の情勢ではこの島を統べるテーブルズの代表の一人とその護衛といったところだろう。


 俺とユエを見て緊張した面持ちになったのが、なによりの証拠だ。


 マヤが俺とユエから目をそらす。後ろめたさを感じ取った俺は、すかさず言った。


「お前達、知ってたんだな。クレール達のこと」


 マヤは唇を噛んだ。言葉を失っている。一瞬浮かんだ卑屈な表情が怒りをかきたてたる。こいつ。女だろうが掴みかかろうとした俺を、ザルアの太い腕が止めた。


「騎士……!」


「るせえよっ、なんなんだ一体、ギニョルにも隠してやがったんだな……!」


 だから残された俺たち三人は何も知らずに、クレール達を必死に探していた。ギニョルでさえもな。

 どんな気持ちで見てやがったんだ。


『おやおや、義姉上をそう責めるものではないだろう?』


 この声。部屋の中が止まった。ザルアの腕を抜ける。サッシを上げた。窓を開けた。

 雨の中を飛んできたものが、窓枠に逆さに停まった。


 ぶらんとさがった翼膜。逆さまに見開いた赤い瞳、潰れた鼻に牙の生えた口。こうもりだ。黒いこうもり。

 使い魔だな。こうもりが口を開く。


『いや、マヤ・アキノだけではないか。ワジグル、ヤタガゥン、可憐なる悪魔の令嬢は除かせてもらったがな』


 マヤとワジグルとヤタガゥンは、残ったテーブルズの代表だ。ギニョルを省いた。ここまで知ってるのは――。


「キズアト、てめえっ!」


 俺の投げつけたペンをかわして、こうもりは部屋の明かりにぶら下がった。


『おっと……誰かなそれは、その恐ろしい吸血鬼は、使い魔を使えるのかね』


 マロホシの仕業だろう。バンギアのルールではないが、吸血鬼が使える使い魔を作ることだって可能なはずだ。


『私が誰でもいいだろう。義姉上に代って、いや、君たちが裏切ったと思っている統治者達に変わって弁解させてくれたまえよ。美しい女性が苦しめられるのはしのびないんだ』


 やっぱりギニョル以外のテーブルズの代表たちだ。俺達断罪者の気づかぬところで、キズアトとマロホシに操られていたのだ。魔法ではなくなにかの政治的な力で。だがどういうことなんだ。


「一体、どういうことなの」


「ユエ」


 こんなこうもり、真っ先にぶち抜きそうなユエが冷静だとは。今は銃を持ってないってことこもあるか。確かに情報は欲しい。俺も唇を結んだ。ギニョルも厳しい目で見つめた。


『簡単なことだ。民衆の正統な要求により開かれた選挙期間中、君の義姉上と統治者達はある偉大なる者から予言を受けていた。断罪者が恐ろしいことを起こす、とな。そして、くくくく……その通りになってしまった、そうだろう?』


 噛み殺した笑いに、死んでいったザベルの姿が重なる。俺は黙って拳を握りしめた。手のひらが軽く痛んで、血の滴が流れていく。


『それで、どうするのだ。断罪者の矛先を狂わせるほど偉大なるものに、誰が何をしようというのだ。まして、狂った矛先で大切なものを刺し殺した断罪者が、誰を断罪しようというのだ。偉大なるものの勝利ではないか』


 言い返してやりたい。だが、何をだ。ソムブルだったクレールの弾丸が、ザベルの命を握りつぶしたとき、すでにこいつらの勝ちは決まった。


『月と星を求める偉大なるものには、簡単なことだぞ。たとえば、電車の運転手として平穏に暮らしている崖の上の王国の元王子を殺し、姉君に首を送り付けることぐらい』


 マヤが唇を噛む。おびえたように頭を抱えた姉の肩を、ユエが素早く抱いた。こうもりをにらみすえる。クオンの命を盾にされてたのか。


『弟を殺されることくらい、なんでもないと思うか。では、丹沢騎士くん。紛争前、まだ君が下僕半でなかった頃のご両親と兄弟全員、なり損ないにでもしてマーケット・ノゾミに放ってあげようか? 何人食らうか数えてみるがいい』


 紛争から、一度も会っていない俺の家族。断罪者としてのことに巻き込まれないために、もう会わないと決めている、家族か。


 どうやって探り出したかは分からない。だがキズアトは、いや、GSUMはクレールも知らなかった母親を探り当てて利用したのだ。どんな手だって使ってくる。


 ここに居る全員、いや、断罪者とその味方をする者全員の大切なものを、最も残酷な方法で奪うことができるのだ。


 流煌を、ザベルを、俺から奪ったように。


 ギニョルだけが冷静だった。いや、なんとか抑えているといったところか。ダークランドの父親と亜沙香のことがある。


「……要求はなんじゃ。貴様は、このうえ、一体何がほしい」


 こうもりが目を細める。氷柱のような声が響く。


『もうない。全てを奪って苦しめ尽くすまでだ。お前たちはそれぞれ高い能力がありながら、ただ生きるだけの凡庸な者に味方する。くだらぬ法で、力ある者が月と星を手にすることを妨げてきた。それだけで死ぬには十分だ』


 憎悪。それ以外ない。

 俺の心も凍った。驚くほど冷静に懐のナイフを投げつける。


 かん。子気味いい音を立てて、こうもりの胴体は壁に留まった。


「お前らが、平気で人を食い散らかすからだろうがッ! 誰だって生きる権利がある。幸せになる権利がある。奪っていい奴なんかいない!」


 マヤ、ザルア、ユエ、ギニョル。全員が俺を見つめる。ばたばたと、羽を動かしてもがくこうもり。再び瞳が染まる。血を吐きながら、小さな口をかあっと開いた。


『家畜は屠られる。弱者は奪われる。愚者は操られる。そして我らは家畜を食らい、弱者より奪い、愚者を操り、星と月を手にする! GSUMは真理を曲げる者を許さん、我ら以外に権利などな』


 銃声。こうもりの頭が壁に飛び散った。ギニョルが撃ったのだ。


 エアウェイトがかたかたと震えている。グリップから指が離れそうにない。美しい横顔は、怒りと恐怖に震えている。肩が上下しているな。聞きたくなかったのだろう。


 この世界にバンギアしかなかった頃、悪魔と吸血鬼がふりかざしてきた理論。撃ち殺してでもさえぎったのは、お嬢さんらしいのか、らしくないのか。


「……取り乱して悪い、ギニョル」


「騎士」


 こわばった手を握ってやる。可哀そうなほどに冷たい。温めるように力を込めた。


「やるしかねえって、ことなんだよ。これで最後になるかも知れねえが」


「それ、いつも通りじゃない」


 ユエが俺とギニョルの手を握る。


「あいつらに銀の弾を撃ち込む。きっとね」


 本当にこいつが俺の妻なのだろうか。美しいのは嬉しいが、女傑ってのはユエのためにある言葉なのかもな。


「放すがいい。暑苦しい。それに、断罪は射殺ではない」


 いつものギニョルだ。俺達の手をほどくと、太もものホルスターにエアウェイトを納めた。かかってくる赤い髪をかきわける。


「マヤ殿、ザルア。協力してくれるか」


 うつむくマヤの肩を、ザルアがしっかりと抱いた。騎士鎧と剣を扱う美丈夫のまっすぐな目が、マヤを奮い立たせる。


「……話します。すべて」


 民を背負う為政者の顔つき。アキノ家の女は、こうでなくっちゃな。

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