30陥穽


 パトカーから一人の男が現れた。背広の上に黒のコートをはおっている。肩の部分には赤い竜のエンブレムがある。


 部下から手渡されたメガホンを手にすると、全員に呼びかけた。


「私は三呂市警、境界課長の紅村です。全員動かないでください。魔法も厳禁です。魔力を感知した場合、公務執行妨害とみなし、発砲させていただきます」


 電子的に拡張された音声が響くと、観客が動く気配さえ途絶える。ついさきほど、銃がどれほど恐ろしいか見せつけられた者達にとって、銃撃の二文字は恐怖でしかない。


 紅村はかつてギニョルと共に島で断罪者の前身組織の一員として戦っていた男だ。紛争後は、三呂市を管轄する県警で、特殊急襲部隊を率いていた。島で助けた孤児の梨亜を養子にとして育てている。


 日ノ本はポート・ノゾミを国家として承認し、境界の通行を認めた。だがその範囲は三呂市に限られる。この三呂市を異世界の侵食の第二の防波堤にする魂胆だ。


 そして、異界と混じり合う場所は、異界の犯罪と戦う治安機関を要する。通常、警察は各都道府県を管轄するが、日ノ本は三呂市を管轄する三呂市警を新たに創設した。

 青い車両の上にすえつけられたライトが、勢いよく照らされた。隠れていた闇が一気に消えた。観客、奴隷、下僕、なさけなく震えるリアクス、それに石板の俺達の姿が光の中に浮かび上がる。


 紅村と数名の捜査員が、紙を取り出して示した。


「リアクス・エル・ヘイトリッド及びその下僕と奴隷三十名。銃刀法違反、および魔法の不正行使により、逮捕状を執行します。各員、確保せよ!」


 紅村の号令で、捜査員たちが一斉に動いた。取り出したのは魔錠か。アグロスでも生産されはじめたのだ。日ノ本は本気で、バンギアの犯罪者への対策に乗り出している。


 三呂市警はあっという間にその場を収拾した。リアクスも、その下僕達も、負傷した者はエルフや悪魔による操身魔法の回復を受け、魔錠をつけられてパトカーに入れられてしまった。


 呆然とする観客たちの中にも、捜査員に手を引かれてパトカーへ乗り込む者がちらほらいた。会話に聞き耳を立てていると、どうやら行方不明者として、捜索願が出されていたようだ。


 リアクスは『カオスワインド』に仕立てた二人を使って、ファンをこの場所に引き込み、使える者を下僕にしていたのだろう。あるいは、まだホープレス・ストリートが元気だったころカルシドがやっていたように、誘拐して身代金を取ろうとしていたのかもな。


 いずれにしろ、これで解決だ。ガドゥ、スレイン、フリスベル、クレールという死亡に近い行方不明状態だった断罪者も、無事に戻ったのだ。


 GSUMの連中がザベルの跡を継いだ先輩を暗殺するかどうかは分からない。が、七人そろった断罪者は、きっと負けたりしない。


 ここから、俺達の反撃が始まるのだ。

 さしあたっては、ここからどう帰るか、か。


 ここは三呂市でも辺ぴな場所、北区の端っこだ。ポート・ノゾミは中央区、二十キロほど離れている。バイクで全員は帰れないし、紅村たちにパトカーで送ってもらうってのもな。


 スレインに乗せていってもらうか。だが、いくら三呂市にバンギア人が現れ始めたといっても、ドラゴンピープルが飛んでいるのは見ていないし――。


「――騎士。どうするんだ、バイクと一緒に、私たちをパトカーで送ってくれるそうなんだが」


「え、ああ」


 俺としたことが。思考にふけっていたとは。狭山に言われて気づく。ハイエルフと吸血鬼の男らしい捜査員が二人、俺達のほうにやって来た。


「そのショットガンと実包をこちらに渡して頂けませんか。事前の申し入れのない、火器の持ち込みは、こちらの法律で制限されていますので。ポート・ノゾミの治安機関の場合も、同一に扱うように、と」


 銃刀法って、法律があるしな。そもそも、今持ってるM1889は奪ったものだ。俺はショットガンを渡した。


「ここらへんの捜索はやるんだろ? 多分、銃剣付きのM1897と、断罪者のコートが出てくるから」


「ええ。断罪者としての装備は、すぐ島にお送りします。それか、現場検証と供述についてこちらに呼び出されたときにでも、お返ししましょう」


 現場検証に供述、か。まあこの場所が日ノ本の国土なら、基本的にさっきまでのことは日ノ本の事件だ。傷害に殺人未遂、殺人、魔法の不正行使になるだろう。断罪行為だったから、政治的なことで不問にはされるだろうが、警察としては一応捜査しなければならないってことだろうな。


 まあいい。とにかく、ギニョルやユエにみんなが無事なことを知らせたい。


 狭山と共にパトカーに向かう。紅村がこっちにやって来た。


「騎士さん、よくご無事でしたね。狭山さんも」


「あんた、大出世だな」


 俺がそう言うと、紅村は照れたように苦笑した。


「日ノ本の警察には、バンギアの人と仕事ができるのは、私くらいしか居なかっただけですよ。断罪者のみなさんのようにやれるようになるのは、いつになるか分かりません」


「でも、経歴や人種が全然違う奴らを組織にまとめるって、すげえことだぜ。正直、日ノ本がこんなに早くやれるとは思わなかった」


 海鳴のときの事件から、まだ数か月だ。バンギアとのかかわりを七年間もひた隠して来た日ノ本が、こうもあっさり秩序になじむとはな。


「実働部隊の半分は、私の元部下なんです。残りのバンギアの人たちは、境界の警護に雇われていた人で、銃の扱いや捜査にも、訓練を受けて慣れているんです」


 特殊急襲部隊ならば、危険な現場も望むところか。今までの事件で、境界の警備係には、わりと迷惑をかけた気がする。


 ふと振り返ると、スレイン達はまだ石板の上だった。


「あいつらも、送ってくれるのか」


 まあ無理なら無理で、バス停までは、二時間くらい歩けば着く。スレインは飛べばいいし、二時間程度歩けない奴は断罪者に居ない。


 俺の一言に、紅村がうつむいた。

 違和感を覚えて、俺も黙った。捜査員たちがクレールやフリスベルに近寄っていく。魔錠を手にしている。


「おい、どういうことだ」


「……カオスワインドの二人、ソムブルとイレィトは、配信やライブ活動を通じて失踪者をおびき寄せ、リアクスによる誘拐を手助けした容疑がかかっています」


 クレールとフリスベル、行方不明になって、リアクスに操られていたときのことか。


 捜査員たちはガドゥとスレインにも近寄っていく。スレインには杖に魔力をためたエルフ達だ。氷の現象魔法で動きを封じるってことか。


「あの二人はなにも」


「リアクスの下僕である、ロドとファーンには、傷害及び殺人の容疑がかかっています」


 ついさきほどまで忘れていた、四人の残酷な振る舞いを思い出した。

 あの四人は幻の存在じゃなかった。蝕心魔法で精神の操作を受けたとはいえ、確かに四人が俺と狭山を痛めつけて殺そうとした。


 そして俺は、数日前にあいつらに出会うまで、行方不明だったころのことをなにひとつ知らない。あの小悪党の意のままになっていた間、何をしていたのかを。


 四人とも抵抗するそぶりは見せなかった。何も話さない。ただ黙って、言われるがままに武装を返し、大人しく魔錠を受け入れている。


 森の方からエンジンの音がする。スレイン用と思われる大きなクレーン車がこちらへやってきた。


 俺は紅村の腕をつかんだ。


「なあ! 蝕心魔法で操られてたんだぞ」


「それを明らかにするためにも、容疑者として捜査する必要があります。それに……テーブルズからは、わが国に選挙候補者の暗殺について捜査依頼が出されているのです」


 寒くもないのに、背筋が冷たくなった。そうだ、俺は元々、ザベルを狙撃で殺害した犯人を捜して日ノ本までやってきたのだ。


 あの演説の日、対物ライフルの極大射に近い水上から、無防備なザベルを撃ち抜いて殺害した犯人を。


 光景が脳裏によみがえってくる。狙撃手は警備ドローンに紛れて、二キロほどの距離にいた。ドラゴンピープルの背中に乗っていた。エルフ達の魔力感知がどれほどの範囲か知り、逃走ルートも確保していた。まるで手の内が分かっているかのように、警備に立った断罪者の裏をかいた。


 くじら船を撃ち抜いたのは何キロ先からだっただろうか。約二キロ先から、対物ライフルで標的を的確に撃ち抜ける腕の狙撃手といえば――。


 クレールは目を合わせない。俺は息が詰まりそうだった。


「断罪者であるギニョルさんには、知らされていなかったようですが、テーブルズは、候補者を狙撃した犯人が日ノ本に逃げた可能性が高いと言ってきました。我々は政府からの命令で、この三呂を捜索してきました」


 その、結果が、まさか――。


 言葉を絞り出したかった。どうしても舌が動かない。喉の奥がからからになって、ひりひりする。


 狭山が俺の肩を叩く。


「行こう、騎士。もうお前はこの三呂では、日ノ本では法の執行者ではないんだ」


 フリスベルのことはいいのか。そう尋ねたかったが、狭山は唇を結んでパトカーに乗り込んでしまった。


 捜査員たちの視線がいぶかしい。俺に、断罪者にできるのは、違反者を断罪することだけだ。たとえ、仲間であっても。


 何も言えないまま、俺もまたパトカーに乗り込んだ。

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