29コンサートの終わり
バルコニーまで、距離二十メートルってところか。俺の腕はそれほどよくないが、M1887の中身は鉛玉が飛び散るバックショットだ。外すことはない。
虎がフリスベルを襲ったとしよう。その瞬間、汚れた金属がクレールに似た青白い美貌をずたずたにする。
まあ、そうなってもまだリアクスに勝ち目はあるんだがな。
フリスベルさえ殺せれば石薔薇の拘束が緩み、エルフの下僕は解放される。そのうち何人かが樹化を使えばスレインを抑えられる。そうすれば残りは俺と狭山とガドゥ、樹の化け物には成すすべもないってわけだ。
ショットガンの負傷は俺たちを始末した後、エルフの下僕に回復の操身魔法を使わせればいい。これでリアクスの勝利だ。
俺の足りない頭でも、それくらいの計算は浮かぶ。
だがリアクスは銃口を見つめたまま動かない。予想通りだ。俺は銃を構えたまま距離を詰める。手の痛みがましになってきたな。
「断罪法は、断罪者に関してポート・ノゾミの外でも適用される。俺の仲間に蝕心魔法を使って、さらに殺そうとしたあんたは、とっくに断罪法違反だ。これ以上やるってんなら、殺傷権の行使だ。そのきたねえ顔、吹っ飛ばすぞ」
クレールの実の母親だけに、まあ美しいといえるんだがな。やってきたことが表情に出ている。逃げるように罪を重ねてきた、三流の悪党独特の面構えだ。
リアクスはまだなにもできない。俺は近づく。距離十三、十二、十一、十メートル。ここまで来ればバックショット一発で即死の可能性が高い。さきほどの計算は成り立たなくなった。
「……死にたくねえだろ、アグロスなんかで。諦めろよ」
ひでえ奴だが、クレールの母親だと思うと撃つ気が失せる。
銃口の前で、リアクスの鋭い瞳が震えた。てめえが撃ち殺させた犠牲者の苦しむ姿でも思い出しているのだろう。この女は、悪事のツケを払うのが嫌な小悪党ってのが俺の見立てなのだが。
「分かりました……撃たないでください」
はたして、リアクスは虎を森に返した。銀色の魔力を放つと、俺達が拘束していたエルフたちも眠らせる。
俺はショットガンを掲げたままクレールにたずねた。
「妙な命令はしてねえだろうな」
拘束を解いた途端に――なんて、笑い話にすらならん。
「大丈夫さ。キズアトとは違う。複雑な魔法じゃないんだ。僕らにかけられたのも、そうだったから」
答える顔を見たくはなかった。クレールは一族の汚点を再び裁くことになる。しかも家名と釣り合うほどの大悪党ならまだしも、情けない子悪党に成り下がっていた母親を。
俺がショットガンを降ろすと、リアクスは少女のように座り込んでしまった。細い手を握りしめて震えている。こんな覚悟で、俺達に牙を剥いたのか。何人か殺していたのか。
今や『カオスワインド』のショーは存在しなくなった。夜の闇だけが包む石板のステージに、集まった群衆のざわめきが覆う。
「本当に消えたのか」
「火、吐いたの。ドラゴンピープルってやつでしょ」
「ソムブルちゃん、イレイトちゃああぁん!」
「リアクス母様はどうしたの」
めんどうくせえな。五人ほど人間が焼失してもなんとも思ってねえのか。俺達を処刑しに来たエルフ連中だって血みどろで眠ってるのに。というか狭山に手首を落とされた奴も居るんだが。やっぱり戦闘が身近じゃないのか。フィギュアか何かと思ってるんだろうな。
とりあえず、石板の上だけでも収拾しなければ。
「フリスベル、拘束を緩めろ!」
精一杯呼び掛けたが、聞こえていないらしい。それほどざわめきが大きいのだ。闇のせいではっきり見てなかったが、相当多くの観客がいる。二、三百人がステージを取り囲んでいたのだろう。
女装したクレールと、フリスベルを見るためだけに、よくもまあこんな危険な場所に、のこのこ足を運んだものだ。
リアクスがおそるおそる顔を上げる。こっちの様子をうかがっている。まずいな、俺達が事態を収拾しかねているのに気づいたらしい。
観客を使って何かやられたら厄介だ。とっとと魔法を封じて拘束しなきゃならん。魔錠は、探せばあるかもしれんがその時間がない。
観客たちは、どうやら日ノ本の一般市民らしい。断罪者である俺たちが何かすると面倒だ。どうするか。考えているといきなりショットガンをひったくられた。
「貸してくれ。すぐに収まる」
狭山だ。止める間もなく銃口を階上に向けた。
「よせ……」
ショットシェルが炸裂。リアクスの隣で手すりが粉々に弾けた。
狭山は無言でトリガーアームを引く。排莢、装填。
射撃。窓が割れる。トリガーアーム、左の手すりが砕ける。リロード、石床が蜂の巣状に割れる。かちり、リアクスのドレスの裾が飛び散った。
五発全部撃ちやがった。距離十メートル、ショットシェルの拡散する範囲を概算しつつ、ぎりぎり外して。
連続五発の銃声、破壊し尽くされたリアクスの周囲。群衆も事態が飲み込めたらしい。会場はしいんと静まり返った。
無論、銃弾を周囲に浴びたリアクスはしゃがみこんで、がたがた震えている。言葉さえ失った恐慌状態。これじゃあ精神の集中なんぞ不可能だ。
「……大きめに外しておいてよかった。ショットガンというのは大雑把な銃だな。自衛軍に制式採用されないわけだ」
空の銃をとりあえず受け取った。
「お前、無茶しやがったな」
「戦闘に慣れていない人間を黙らせるには、銃声が一番だ。下手に暴れられたら、この後がややこしくなるのだろう」
「そりゃそうだけど、どうすんだよこの状況」
「収拾策は用意してある。フリスベルさん、この森にかかった現象魔法を解除できますね」
「……県道との境界にしかけてあったものですね。もう終わっています」
「それなら警察が来ますね。『カオスワインド』は今日で解散です」
狭山がそう言うのとほぼ同時に、森の奥からけたたましいサイレンが聞こえてきた。
パトカーが六台。それといつか特殊急襲部隊が使っていた、窓のない長方形の大型車両も二台。
車両は呆然とする観客たちの眼前に停車。次々とドアが開き、警官隊が現れた。
タクティカルベストに目だし帽姿の特殊急襲部隊員らしいやつ、背広を着た刑事らしいの、それに制服と制帽姿もいるぞ。
驚いたのは人種構成で、黒髪の日ノ本人だけじゃなかった。ハイエルフとダークエルフ、少ないが吸血鬼らしい奴まで混じっている。
もしかして、こいつらこそが日ノ本が特別に創設した、三呂市警の連中なのか。
狭山は警察に連絡したと言っていた。こいつらが来ることになっていたのか。
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