66清濁を併せ吞むことは


 ガドゥは最初何を言っているの変わらない様子だった。だが、フリスベルの死に流れた涙もぬぐわず、詰め寄ってくる。


「ばっ……馬鹿野郎! キズアトがやっと使える代物だぞ! 今のお前が使ったらどうなるか、魔力のないおれでも分かるぜ! お前はとっとと外に出て、適当なエルフ捕まえて処置してもらうんだよ。ギニョルでもいい! キズアトみたいに、魔力を無理やり変えれば、灰化は止められるはずだろ!」


 ガドゥの言う通り、それでクレールは助かるだろう。百八歳という若い身で、左脚を失ってしまうことにはなるが。


 負傷で手足の麻痺した狭山や、十六歳の若さで利き腕を失った利亜だっている。フリスベルに至っては殉職した。その程度で済むなら幸運と言える。


「だめだよガドゥ。法と正義は、金庫の扉なんだ。扉が残っても中身が傷ついたら、なんにもならないじゃないか」


 金庫の中身、ポート・ノゾミに暮らす一人一人の住人達。ときに悪知恵で俺たちを欺き、道を違えながらも幸福を求めて、互いを支え合う醜くも愛しい者達。


「……キズアトやマロホシの断罪と同じくらい、今戦ってる奴らを守ることが大事なんだな」


 俺は窓から外を見渡す。ノイキンドゥの外、対岸に広がるポート・キャンプ。あちこちで火の手は上がり、叫喚と銃声、魔力が吹き上がっている。


 あれはただ、なりそこないと戦っているだけの銃火じゃない。人と人の争いでもあるのだ。


 キズアトの演説から、抵抗した者と屈した者が居ることが分かる。屈した者はどうするだろうか。なりそこないに食われることがなくなったと、胸をなでおろし、生業にでも励むだろうか。


 そんなわけがない。


 住人たちは住人同士でも戦わされているのだ。四百のなりそこないがただ暴れるよりも、傷は深まるだろう。


 クレールはその争いを止めようとしている。この部屋にある拡魔の具を使い、キズアトがやったように、対象と範囲を拡大させて数万人に同時に訴える。それが最後の蝕心魔法なのだ。


 ガドゥには分かっていたらしい。それでも、いや、だからこそ。


「……だめだ! だって、だって、連中はおれたちと違って、自分たちの勝手で堕ちたんだぞ。いくら紛争があったからって、人殺しや麻薬や、金で人を買うことを平気でやってきたんだ。日ノ本がブチ切れたのは、キズアトやマロホシや、ギーマみたいな奴等だけのせいじゃねえだろうが! 断罪者がやるのは、法と正義を与えることだ。キズアトとマロホシが断罪できればいい!」


 俺は唇を噛んだ。これがガドゥの本音か。


 この騒動でうやむやになっているが、まだ俺たちはホープ・ストリートの奴隷売買所も、違法な薬物も撲滅できていなかった。


 キズアトが言った通り、この島の者たちは強かで汚い。チャンスさえあれば、断罪法をごまかしてでも利益を貪ろうとする。クレールが命がけで救おうとしているのは、断罪者の解散動議のたびに、公会に集まってはやし立てていた者たちなのだ。


 キズアトの言葉に揺れたのは、単に命を脅かされたからだけではない。同時に、これを機会とばかりに、犠牲者たちを貪りたいという自分の欲の為でもある。


 今、死んでいっている住人のいくらが、今から生まれ来るフリスベルと狭山の子ほど、救うに値するだろうか。クレールが命を投げ出してまで、救う価値があるだろうか。


「おれは、必死に生きてるまともなやつのためだと思ってるから、断罪者やってきた。おれなんかでも、やれたんだ。お前が、お前がそんなまともじゃない奴らのために死ぬなんて耐えられねえよ。フリスベルもそうだ。なんで、なんでまともなやつが、汚えやつらのために死ななきゃならねえんだよ!」


 くじら船でギーマと相対したガドゥは、堕ちた弟を憎んでいた。ギーマはバルゴ・ブルヌスを興し、ホープレス・ストリートで悪逆の限りを尽くした上、さらなる力を求めて島を沈める満ち潮の珠を求めた。ガドゥの前で人質にしたニヴィアノの指を切り落としもしたのだ。


 ギーマを止めるという目標を果たしたガドゥが、断罪者として戦い続けてきたのも、ギーマのような悪と呼べる者を止めるため。


「まいった、な」


「クレール、分かってくれるか」


『いや』


 クレールの目から魔力が走る。抵抗の暇もなく、ガドゥの頭上を魔力が取り巻いた。ゴブリンは種族的に魔法の抵抗力をもちにくい。


「何するんだお前……体が崩れてるぞ!」


 ガドゥの言う通り、左太ももの侵食が加速している。まだキズアトのときほどではないが、誰が見ても速度は増した。軽い蝕心魔法でこれほどの負担か。


『……そうさ。でも、君が拒むなら、蝕心魔法を使うしかない。君の記憶を読み取り、装置を稼働させるところまで、僕が君を使ってやる』


 やっぱり、そうか。ガドゥが叫ぶ。


「それじゃあ、ますます何も言うことができなくなっちまう! 拡魔の箱の稼働だけで消えてなくなるぞ! お前にとっても意味がねえじゃねえかよ」


「それでも、クレールはこれ以上人が死なないことを望んでるんだ」


「騎士」


 しゃべるのも辛そうなクレールの瞳。俺が黙って首を振ると、魔法は終わった。侵食が再びじわじわとしたものに戻った。


 クレールが息を吐く。解放されたガドゥを見据え、語り掛ける。


「……やっぱり、仲間に蝕心魔法なんて間違っていたね。ガドゥ、僕だって、最初、自分は正しいと思った。とうさまを卑劣な狙撃で殺した、アグロスの奴らを裁くつもりで断罪してきた。でも、ルトランドも、かあさまも、ダークランドの名家の方々にも、汚れたところがあったんだ」


 思えばクレールにとって、この半年間は耳をふさいでいた身内の罪や汚れを、吸血鬼という種族の罪に向き合わされるばかりだった。

 父親を失ってから、最も慕っていたはずのルトランドは、復讐のため人間に汚辱刑を施し、その記憶を植え付けて娘をも狂わせていた。ダークランドの吸血鬼や悪魔は状況を理解せず家同士のしがらみに気を取られて、自衛軍に付け入られ、惨禍を招いた。失ったと聞かされていた母親は、GSUMの下で悪人となっていた。


「たくさん失った。それでも、僕は、みんなに、生きていてほしかったんだ……空と海しか、美しいものがないような、この島のみんなにも。だから、短い僕の命が終わるとしても、許してほしい。僕に、僕に最後の魔法を使わせてほしい」


「……俺からも、頼む」


 いつの間にか頭を下げていた。ガドゥが放心したように俺を見つめ返している。確かにそうだ。キズアトという吸血鬼によって流煌を失った俺。操られたとはいえ、クレールの狙撃でザベルを失った俺が。


「騎士、ザベルさんのことは」


 言いかけたクレールの手を取る。言葉が止まらない。


「違うだろ! ザベルのことはいい。お前が、お前の罪に潰されて、人を救って死にたいっていうんじゃないんだろ。そうだったら、今すぐ断罪やめてお前を助けて、元気になったお前ぶん殴るよ。そうだったら、俺も嬉しいくらいだ。お前が生きてるんだから……!」


 涙で視界がくもる。それでも俺は、クレールを止めてはならない。

 俺の仲間が、百八歳という、吸血鬼としては短い命の中で決めたことだから。


 ガドゥは顔をしかめた。だが、その瞳にまた涙がたまってくる。乱暴にぬぐった。


「……ああ、あーくそっ! 分かったよ。やってやる。こんな魔道具、絶対にすぐ直してやる! ああそうさ。おれだって、もう人に死んでほしくねえ。キズアトとマロホシだけは断罪するが、そのために死ぬやつは、汚いもきれいも、少ない方がいいに決まってるよ!」


 ガドゥが魔道具の配線に向かって駆け出す。構造について呟きながら、ポケットから出した工具を振るい始めた。


 罪と悪を憎み。

 同時に、罪に汚れたやつのためにも死ねるような、まともなやつらだからこそ。

 俺たちは、断罪者なのだ。


 ガドゥも、クレールも、俺も。

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