67ノゾミを信じる

 魔道具というのは、現実でいう機械みたいなものらしい。


 だがマニュアルは全く存在しない。魔道具を扱ってきたゴブリンという種族自体、文章で何かを伝える感覚が希薄だったせいだ。そのくせ、伝達する魔力の計算、部品の耐久や配線の組み合わせなどなど、魔道具の扱い自体はかなり複雑なのだ。


 まして、キズアトが使った拡魔の具と、継魔の具は、バンギアの伝説上にしか存在しないといわれていたものだったはずだ。


「……さあできたぜ、試してみな」


 ガドゥがクレールにキズアトのかぶっていた仮面を差し出す。仮面、というよりは目じりの尖った大きなサングラスのようだ。


 貴重な魔道具を、ガドゥはほんの数分で調整してしまった。俺も手伝ったが、はんだごてのようなもので、言われるがままにフリスベルの根が千切った配線をつなぎ直しただけだ。


 本当に大丈夫なのだろうか。少しだけ疑問が湧いたが、クレールはためらわずに身に着けた。


「魔力はほんの少しだけでいい。ゴブリンの赤ん坊の頭を覗くくらいの加減だ」


『なるほど、ね……』


 サングラスに魔力がこもる。複雑な配線に一瞬だけ魔力が通った気がした。


 サーバーコンピューターのような装置が音を立てて光り始める。

 共鳴、とでもいうのだろうか。部屋の壁をもすり抜けて、何かが島中に向けて広がっていった。


 俺にもう少し魔力が読めれば、もっと分かりやすくなったはずだが。ともあれ、キズアトのときと同じ感覚なのは確実だ。あいつと同じ、拡張された蝕心魔法が使われていた。


「どうだ?」


『すごいね。いつもと同じみたいなのに、本当にみんなとつながっている』


「よし。負荷軽減は成功したな。予想した理論通りだ」


 クレールの表情には驚きだけ。苦痛はなさそうだ。どうやらガドゥは修理だけじゃなく、装置の改良まで行ったらしい。すなわち使用者の負担軽減を。

 やせ我慢でない証拠に、灰化のスピードもさっきまでと変わらない。ほとんど負荷がないのだろう。


『見えるよ。みんなの心、いろいろなものが渦を巻いている……こんなに、こんな思いで、みんな生きていたんだ……僕は、何も知らなかったのかもな……』


 仮面の下に涙が流れる。生死に直面したあらゆる者たちの感情が流れ込んでいるのだろう。


 キズアト曰く、六万一千百十三名。すでに戦闘が開始されてしまったから、六万とんで数百名に減っちまったかも知れんが。島の住人の命がけの想いが、クレールにたたきつけられているのだ。


「うん、拡魔の箱に損傷はねえな……装置までの配線はうまくいってる。ただ、これ以上は拡魔の箱の本体をオーバーホールしなきゃならねえ。部品と、数日時間がありゃ、やってやるんだが」


 今はできない。できるはずもないのだ。キズアトと同じほど消耗する蝕心魔法を、クレールに使わせるほかない。


 やっぱりクレールを救う方法はないのか。俺は拳を握った。


『ありがとう、これで充分さ。やってみるよ……!』


 キズアトのときのように、魔力が仮面で光る。拡魔の箱が発光し、魔力の波が発せられていく。


 共鳴音があたりを埋め尽くす。かつてないほどの魔力の強さだ。

 伝わっているだろう。島の住人六万人に、確実に。


『う、ぐっ……』


 灰化が右足からも始まった。右の拳も失われていく。クレールへの負荷は甚大。もって、あと十数秒だろう。


「こんな魔力、フリスベルの薬草みたいだ」


 だが、俺は思わずつぶやいた。人の心を読み取り暴き、意のままに操る蝕心魔法なのに。今まで見たどんな吸血鬼の魔法より優しい。


 クレールが死んでいくという、俺の嘆きの感情すら、穏やかに沈めている。泣きわめく子供をそっとなだめるように作用している。


「ふわふわするぜ、なんだ、騎士、なんで、おれたち、こんなもん持ってるんだ……」


 俺とガドゥは顔を見合わせた。二人とも、銃を持った手を下ろす。AKとショットガンが、束帯に釣られて俺たちの肩でぶらりと揺れる。


 マロホシが逃げた天井の穴から、がさごそと音がする。ムカデの頭にゴブリンがひっついたなりそこないが、にやにやと笑いながら忍び入ってくる。


 そいつに続いて、白衣の男が一人、二人。三人目は銀色に光る目から血を流している。転移眼が埋まっている。


『別れを惜しむのはもういいでしょう』


 マロホシの部下。しかも転移眼で操ってやがる。三人がハンドガンを構える。俺とガドゥは明らかに遅い。クレールか、魔道具の回線を撃たれる。


 瞬間、どん、と魔力の波が走る。


 俺もガドゥも、マロホシが操る部下たちも。なりそこないさえ、動きを止めた。人型は放心したようにその場に座り込んだ。ムカデは壁に引っ付いたまま動きを止めた。


 クレールの蝕心魔法だ。魔拡の箱が、ただでさえ優れた魔法をさらに高めた。

 マロホシのまやかしの蝕心魔法をはね飛ばし、ヒトであったことを捨てたなりそこないの本能さえ沈めている。


『みんな……聞こえるかい。僕は、キズアトじゃない。まだまだ子供の、ただの、吸血鬼だ。少しだけでいい。争う手を止めて、感じてほしいことがある』


 横たわるクレールの両脚が消えていく。腕の灰化が肘まですすむ。間に合わなくなっちまう。俺はすぐに駆け出して、仮面を剥ぎ取りたかったが――体が動かない。


 一切の銃声と叫び声、魔力が止まった。四百体のなりそこないと、キズアトに操られた住人が殺しあう地獄が、信じられない凪になった。


 島は完全に、静止している。クレールは、六万人の住人と、数百体のヒトを捨てた者たちの心を完全に留めている。


『たくさん、命を奪った僕は、今、死んでいく所なんだ。だから、最後に、ノゾミを見せたい。僕が見てきた、法と正義と、あなたたちみんなの、最も、温かい、想いを……』


 両肘がなくなった。腹まで灰になっていく。駆け出したい。だが流れ込む。


 キズアトが呼び起こしたのと同じイメージ。

 しかし、呼び起こされるものは違う。断罪者の戦いの記憶。


 クレールが見た、すべて。

 俺、ギニョル、ユエ、殉職したフリスベル、ガドゥ、スレイン、そしてクレール自身。


 それぞれの過去を抱えて、法と正義のために戦った俺たちの像。それが強く流れ込んでくる。


 そして、その終わり。


 俺は涙を流していた。キズアトが全てを壊して奪った少女が、俺を抱きしめた。


「流、煌……いや……ユエ!」


 輝くような金色の髪が広がる。断罪者随一の射手と思えぬほどの、しなやかな指で俺の背に回す。


 騎士くん、と俺を呼び、静かにほほ笑んでくれる。


 像が途切れた。ここはノイキンドゥの一室。魔拡の箱から魔力が失われていく。


 そうだクレール。もう、両手足はすべて灰だ。首と胸しか残っていない。それでも小さな口が、必死に動く。


『どう、か、悪に、負けないで欲しい。こころの、中に、ぬくもりのない、者は、いないから。おそれ、ないで……ぼく、の、なかまは……ノゾミの、断罪者は、きっと……』


 光が消えた。魔力が消えた。仮面が落ちる。魔法が維持できなかった。


『何も知らぬ子供が、偉そうにほざくなああぁぁぁっ!』


 転移眼を動かすマロホシ。吠えながら銃を向ける部下。

 だがガドゥが早い。AKの小銃弾。転移眼と胸を狂暴に貫く。


 ほか二人の両手は、俺の散弾が吹き飛ばした。


『引き裂いてやる餓鬼めあああぁぁぁっ!』


 ゴブリンの頭が叫ぶ。なりそこないが天井を這う。もう何も出来ぬクレールに向かう。マロホシの憎悪が形になったかのようだ。


「やらせねえぞ悪党!」


 先端の頭部めがけてスラムファイア。ゴブリンの頭が粉々にはじけた。


 それでも他の神経節が生きてる。クレールめがけて振り下ろされる尾の棘。


 ガドゥが魔道具を投げる。

 冷気が炸裂した。なりそこないのむかでは凍り付き、天井から粉になって崩れていく。


 敵は死んだ。


 俺とガドゥはクレールに駆け寄った。灰の中から、小さな体を、小さくなってしまった体を抱き上げる。


「クレール、クレール! 生きてるか、生きてるんだな、しっかりしろ!」


「おれも居るぜ! ごめんよ、ごめん、おれが道具持ってきてたら、箱の調整ができてたらなあ、フリスベルがやられてなけりゃ、スプリンクラーに農薬仕込むのくらい、読んでたら……」


「ない、と……が、ドゥ。いいんだ、これで」


 いいわけねえだろうが! お前が死んでいいわけがねえだろうが!


 そう叫ぶには、俺の友の顔はあまりにも穏やかすぎた。灰に還り、軽くなっていく腕の中の感触も。


 まだ敵が来るかもしれないのに。悲しみは抑えられず、涙が湧き出る。

 そして、それでも。クレールの最後の想いは、大切にしてやりたい。


「みん、なに、伝えて……ぼ、くは、幸せ、だった……この島に、来て、断罪者として、みんな、と、いっしょ、に……」


 友の全ては、俺の腕の中で灰となって崩れていった。


「う、お、うあああぁぁぁぁぁっ!」


 俺の慟哭に応じるように、再び、外から銃声がした。

 炎も、いぜんとして上がっている。


 なりそこない達が動き始めたのだ。下ではユエ達とGSUMのメンバーの戦闘が再開されている。


 クレールの想いは無駄だったか。分からない。まだ全ては終わっていない。


 だが、俺たちは、断罪者は信じられている。負けられるわけがない。乱暴にぬぐうと、悲しみと涙が止まった。いつも通り、断罪のときの血の泡立ちが体をめぐる。


「騎士、おれたちも」


「……ああ」


 俺は遺灰の上を赤と黒のマントで覆った。クレールが断罪者だった証だ。断罪者として悪と戦い散っていった証。


 そこに花を供えるように、銃弾を抜いたM1ガーランドを横たえる。何度、この狙撃に救われただろうか。


「……うん?」


 からんと金属音。

 レイピアが転がったのだ。クレールが大切にしていた、吸血鬼の誇りの宿る剣。


 キズアトの奴を騙しとおし、俺の命を救った剣。俺の体から抜けたあと、フリスベルの残骸に引っかかっていたらしい。


 拾ってみる。細いが、刃こぼれひとつない。透き通るような刀身だ。

 振ってみた。とても軽い。まるで手に吸い付くように。


「持ってってやれよ」


「ガドゥ、でも」


「クレールの奴、きっとお前を守ってくれるぜ」


「……そう、かもな」


 あれほど鮮やかには振るえない。だが、俺の友には最後まで俺と居てほしい。


 鞘を拾うとガンベルトに通す。レイピアを収めると、クレールの最後の魔法がまだ続いているように思えた。


 たったの百八歳という、短い命を精一杯燃やした、吸血鬼の友。

 この先、俺がどれほど生きて何を見るのか、分からないが。

 彼のことを、決して忘れはしないだろう。

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