65最後に守るもの
数分とたたず水流は終わった。スプリンクラーは緊急消火用の設備だ。それほど大量の水が用意されているわけではない。
だが。
「フリス、ベル……」
俺は拳を握った。
かつてのクレールいわく、俺は悪魔の下僕半。つまり多少は魔力が感じ取れる。
その多少の感覚が伝えてくれるのだ。部屋に満ちていたフリスベルの木の根の魔力が消えていくのを。
「くそっ! この部屋の農薬だけでここまで効くのかよ!」
ガドゥが悪態をつく。使い魔のとんぼは床に落ちて、ぴくぴく動きながら目を光らせた。
『ここだけじゃ、ない、です……ビル全体の、スプリンクラーから、あびせられて、います。止め、られ、ない……』
苦し気な声がが消えていく。植物は根だけじゃなく、葉や樹皮からも水分を吸収する。樹化したフリスベルも同様だ。敵を探るため、ビル全体に根の探知を広げていたのが仇になってしまった。
『ごめんな、さい……守って、あげられなく、て』
「いいんだよフリスベル。お前のおかげで十分やったぜ」
おかげで、キズアトとの直接対決ができた。半死半生と言える程度には追い詰めてやった。銀の傷は治らない。奴は寿命を削られて、上半身だけでただ生きることになる。
あの耳障りな演説や蝕心魔法による住人たちの掌握も止められた。
『騎士、さん……レイ、ピアの、傷を』
外から枝が入ってきた。葉が伸びるたびに色あせて枯れていくが、それでも魔力を帯びている。
俺の胸元に近づくと、レイピアの柄に絡みつく。そして、そっと引き抜く。背中と胸側に葉が当たっている。わずかな痛みがあったが、傷が治った。
臓器も骨も傷つけなかったクレールの剣裁き。そして全身を農薬に苛まれ、芽を出しては枯れゆく中、薬草を作ってくれたフリスベルの必死さ。さらに、下僕半にされた俺の体の呪わしい治癒能力がそろって成せた仕業だ。
『……あ、とは、クレー、る、さん』
枯れかけの枝がクレールの元へ進む。俺のときよりさらに細くなっている。魔力もわずかに光るだけだ。
クレールは首を振った。
「だめだフリスベル。君は君の守りたいものを守れ」
『で、も』
クレールの眼に魔力が集まる。枝の先にまとわりつくと、外へと出ていった。
「蝕心魔法で、僕にはわかる。君の中にもうひとつ声がある。樹化したから生み落とせるんだ。僕のことはいいから、命の残りは母として使え」
母として。まさか、狭山との子供か。
ローエルフの体では、成熟していなかった胎児を、樹木としてなら、生み出せるというのか。
俺はブロズウェルのことを思いだした。樹化の後、フェイロンドに焼き尽くされ、死に際に花を咲かせ、実を結んだ大母のことを。あの種は、新種の植物でしかなかったが。
フリスベルなら、あんな風にして自分の子供を生み落とせるのだろうか。
『……分かり、ました。ごめん、なさい。あなたを、助けられなくて』
その声を最後に、使い魔のとんぼが朽ち果ててこぼれた。伸びて来た枝も枯れ切って、ぼろぼろと風化していく。
ガドゥが駆け出して、外を見回した。
「騎士、ビル中の根が枯れちまってるよ! でも、下の幹も枯れてきてる……やっぱり、もう、フリスベルは……」
振り向くと、緑色の手で片目を覆う。薄暗い中に透明なしずくが光る。
フリスベルは、クレールの言う通りビル中に張り巡らせた枝葉を、全て捨てたのだろう。それでも、玄関の幹まで枯れていくということは、もう命が終わるということだ。
フリスベルは、フリスベルなりに全てをやり尽くした。俺の傷も治してくれた。
マロホシは数分の別れを惜しめと言った。あいつの計算通り、樹化してビルを覆った時点で、フリスベルの死を止めることはできなかった。
そして、フリスベルの最後の言葉。『クレールを助けられない』という言葉の意味。
横たわるクレールに近づく。背中に手を回して抱き上げる。思った通り、左脚の太ももが、少しずつ灰になっていく。
操られた俺が、銀のナイフで付けた傷。キズアトのと違うかすり傷だが、それでも影響が終わっていないのだ。
「……お前も、死ぬんだな」
声の震えが抑えられない。建物にまだ敵が居たらと思うが、今だけは銃も握れない。
クレールが小さな手を俺に伸ばす。白い小さな手。M1ガーランドとレイピアを使い、たくさんの悪の死に触れてきた手。まだ父を慕い、母に甘えたい少年の手。
少女のようにけなげにほほ笑む。俺の頬から涙をぬぐう。
「騎士、泣かないでくれ。これから、最後の魔法を使うんだ」
俺にはわかった。何をするのか。そして、フリスベルにも分かっていたのだろう。
クレールは切れとんだ配線のひとつを手に取った。魔道具の配線。キズアトが使って蝕心魔法の効果範囲と力を大幅に増加させた、魔拡の箱だ。
「ガドゥ、この魔道具を、僕に使えるようにしてくれないか」
クレールは言った。キズアトの蝕心魔法に割り込むと。
その言葉通りだ。灰化の進む体のまま、最後の魔法で住人達に語り掛けるのだ。
「……ひとりでも、命を落とす者を減らしたいんだ」
その言葉に応じるように、壊れた窓の外からは、銃声と叫び声がひっきりなしに響いていた。
マヤ達全員が向かったが、敵は四百体のなりそこない。さらに、恐怖と欲望に負けた者たちが戦い合っている。今この時も、住人達は傷つけあい命を落とし合っているのだ。
クレールはそこに、最後の魔法を使うつもりだ。
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