64朽ちゆくすべて
人の胸部には心臓と肺がある。このうち心臓がやられたら大出血して即死だ。肺だとだんだん息が詰まっていくが、数分はもつ。
あとはろっ骨、骨に細菌が入れば感染症になり、結局命が脅かされる。ほかにも胃や肝臓、すい臓、危険な臓器はいくらでもある。
俺はその胴にレイピアを通された。だがクレールは俺を見上げる。
「……心配、ない。出血はあるが、骨も臓器も避けてある」
だから俺は死んでいないのか。
「キズアトは、紅の戦いの経験が、ないんだ。刃物で、人がどう死ぬか、分かってない。僕の操り方で、分かる」
そんな馬鹿な。二百年以上は生きている奴なのに。
いや、キズアトが暴れ出したのは紛争が始まってからだ。つまり銃を手に入れてから。それに刃物で人を殺すときは、貫くだけじゃだめだ。体内で刃を動かして組織を損傷させなきゃいけない。
なのに、キズアトはクレールに貫かれただけの俺を見て死ぬと言ったのだ。
騙せるかも知れない。そう思うと同時に、蝕心魔法の支配が緩んだ。俺が抵抗したっていうより、うまく言えないがキズアト自身が必要ないと判断してやめた。
銀のナイフが音を立てた。手から力が抜けたふりをして、落としてやった。
クレールが力をゆるめる。レイピアが刺さったまま、俺は脇腹から倒れた。
「……それでいい、騎士」
クレールの声を頭上で聞いた。ナイフは拾える。キズアトの位置はさっき見て覚えた。ユエの早撃ちほどとはいかないが、振り向きざまにナイフを投げられる。
『ふむ、嘆きが欲しいな。フリスベル、ガドゥ、声を出すことを許すよ』
勝ち誇ったような口調。魔力の波長が変化する。
「騎士!」
「騎士さん! クレール、さん……」
ガドゥとフリスベルの嘆きは悲痛に聞こえる。だが、二人とも刃物での殺し方を分かっている。俺が完全に死んでいないのは認識しているはずだ。
キズアトが探ろうとすれば、そのことはばれる。だが。
『敵いもしない私たちを追ったせいで、断罪者は耐えがたいほど多くのものを失ってしまったな。クレールは母親を、騎士は師を。それに要らぬ罪も得てしまった。ガドゥ、フリスベル、クレール、法と政治が不問にしたが、お前たちが犯した殺人の記憶は鮮明だろう。法と正義を追いかけるなら、お前たちは殺した者の魂を背負って頭でも撃ち抜いてみたらどうなんだ?』
俺たち全員を煽りちらすこの口調。散々傷つけられた自分のプライドを取り戻したいのだろう。
蝕心魔法はガドゥやフリスベルの動きを封じているだけで、心の奥底まで覗いているわけではない。必ず隙はある。
どさり、クレールが俺のそばに転がった。左脚のももから下が失われたのだ。真っ白な灰が床の上に積み重なっている。灰に還ってしまったのだろう。
これは演技でもなんでもない、銀のナイフの傷のせいだ。ここまでの影響とは。悪魔や吸血鬼は銀の弾丸をつかむだけで、手にひどい火傷を負うが。
『はははっ、これはいい! 灰に還れば魔力は消えて二度と戻らん。君も銀で死ねば、父親と同じ所に行けるかもな、クレール!』
クレールの手が操作されている。震えながら伸びていくのは俺が落とした銀のナイフ。
限界か。だが今、キズアトの意識がナイフに集まっている。拾って投げるのに気づかれたら、防御されるかも知れない。
クレールの手がナイフの柄に近づく。銀の傷を負ったせいか、蝕心魔法への抵抗も辛くなっている。このままじゃクレールが殺される。
『もう……やめてください!』
フリスベルの悲痛な声。木の根がうなりをあげてキズアトへ向かう。
仮面の下に突き刺さるかと思った瞬間、なにかが割り込んだ。
『抵抗したか、やはり樹化の底は知れないな』
同じ木の根だった。フリスベルがこの部屋に張り巡らせた木の根が、同じフリスベルの木の根を防いでいる。一部の蝕心魔法しか解除できなかった。
だが、今だ。
俺はナイフをつかんだ。体を起こし、振り向きざまに投げつける。標的は、キズアト。
刃が回転する。キズアトが気付いた。操られたフリスベルの木の根が追う。だが銀の輝きが優る。
とす、奇しくもクレールと同じ左脚のももに突き刺さった。
それも、あんなかすり傷程度じゃない。刃渡り十数センチの銀が、柄に迫るほど深々と刺さったのだ。
『うぐああああぁぁぁぁぁっ!』
悲鳴が部屋中に響いた。まるでキズアトの食い散らかした者たち全員が、受けた苦しみを一度にすべて返したかのようだった。
左脚が灰となって崩れる。灰化は腹にもせり上がっていく。圧倒的な速度だ。
倒したと思ったまさにそのとき、キズアトの頭上で天井が開いた。
ひらりと降り立った白衣の女性。マロホシだった。
しまった、こいつは操身魔法を自在に操る。上階にこんな隠し扉があったなど。
「やられたわね。ミーナス」
『よ、よせ』
「これしかない。死にたくないでしょう」
かざした手から紫色の魔力が走り、キズアトを包んだ。灰化が止まった。再生はしないが、なにをやったんだ。
「く、くそ……私の、寿命が、これでは、もう……」
無念そうに拳を握るキズアト。マロホシはギニョルでも及ばぬほどの操身魔法の使い手だ。銀が弱点なのは、悪魔や吸血鬼だ。キズアトの体を吸血鬼からべつの種族に変えたのだろう。
寿命って言ってるってことは、恐らく人間か。エルフにはできなかったのだろうか。
いや、ぼーっと見ているわけにいかない。
ガドゥが木の根を脱した。落としたAKに飛びつく。
トリガーを引くのと、マロホシの目の前に岩がせり上がるのは同時だ。
「いい殺意ね。ゴブリンを飼うのも面白そう」
マロホシの片耳がとがっている。瞬間的に自分の半分をエルフに変えた。現象魔法で床の石を防御に使った。この一瞬でここまでやるか。
『逃がしませんよ!』
木の根が一斉に襲い掛かる。魔道具の配線を引きちぎり、部屋中を暴れ狂う。
「これがあったわ」
マロホシは拳を後ろの壁にたたきつけた。
けたたましいベル音が建物中を埋め尽くす。これは非常ベルか。
天井から水が降り注ぐ。これはスプリンクラーの水だ。しかしこんなものでフリスベルを止められは―—。
『あああぁぁぁっ!?』
フリスベルの悲鳴。少女の苦しみの悲鳴だ。木の根があちこちを暴れ狂っている。まるで体内が強く痛むかのような。
なんなんだ、ただの水のはず。
いや、この刺激臭は。こいつは嗅いだことがある。
確か、そうだ。海鳴のときに、樹化したエルフを倒すのに使った、強力な農薬の。
「数分、仕切り直しましょう。フリスベルの最後を看取るといいわ」
マロホシが足元の石を変形させる。キズアトと共に階上に逃れていく。
せり上がった岩から、俺のナイフが床に落ちて音を立てた。
フリスベルの木の根だったものが、ぼろぼろに枯れて床に落ち始めた。
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