6ぎりぎりの止血
誰も口を利くことができなかった。
御厨のようなまともな人間が死んでしまったことは、確かに悲劇だ。
だが事はそれだけじゃ済まない。
統合幕僚長は、陸戦、海防、空戦、三つの自衛軍の全てを統括する。
それが、吸血鬼、バンギア人によって殺されてしまった。
ただこの一事で、紛争の再燃どころか、日ノ本による徹底的な侵攻が始まってもおかしくはない。
どれほどの犠牲を払おうと、軍の指揮官を殺した奴らを滅ぼすという理屈は、明確に通ってしまう。誰も反論はできないだけに、始末が悪い。
「銃声がしたぞ!」
「襲撃か」
「幕僚長はご無事なのか!」
銃声を聞きつけたのか、兵士達が集まってくる。周囲のキャンプ全体が騒ぎ出した。
呆然とした状態から、真っ先に動いたのはスレインだ。集まってくる兵士達の前に、その巨体で立ちふさがる。
暗闇の中、かがり火の明かりだけで照らし出された赤鱗の巨体。その威圧感は、半端じゃない。
「一体どうした。騒々しいぞ、人間の戦士たちよ」
口を利く竜というのは、相当なインパクトがある。
やってきた兵士達は、高度な訓練を受け、相当に練度の高いはずの中央即応集団だが、スレインに見下ろされて顔が引きつっている。
映像でイェリサが暴れ回る様を見たのだろうか。携行用の銃火器がほとんど通じないドラゴンピープルを目の前にして、勢いが弱まった。
「いや、ただ我々は……さきほど銃声を聞いて。幕僚長はご無事か確かめに来たまでだ」
そりゃ当然だろう。俺はスレインの影にしゃがむと、吸血鬼の遺灰から、9ミリ拳銃を拾った。同じく影に居る、ララの部下のハイエルフに投げ渡す。
そちらを見ずに、声を張り上げる。
「おい勘弁してくれよ、ただでさえ、昼間の襲撃で敏感になってるんだ。この闇の中、9ミリ拳銃の試し撃ちなんてのは!」
俺の意図が伝わったらしい。ハイエルフの男は、9ミリ拳銃にセイフティをかけて、スレインの脇に現れる。
「すまなかった。ララ様は兵器の研究に熱心なのだ。奴らが、こんな高性能な兵器を使っていたとは」
派遣されたララの騎士団の持つ銃は、ウィンチェスターライフルか、SAAがせいぜいだった。バンギアの技術力で、どうにか部品や弾薬の模倣品を作ることができるのは、アグロスでは百数十年も前のこれらの銃くらいだった。
だから、敵の兵士が持っていた9ミリ拳銃は珍しく、思わず試し打ちをしてしまった。
苦しい言い訳ではある。
ただ、目の前でスレインが威圧感を放ち、何より火器のプロとして、装備の違いには自信があるのだろう。兵士はため息を吐いた。
「夜間の射撃訓練など、物騒にもほどがある。しかもあなたは隊長格だろう。いくら珍しいといって、昼の襲撃で皆の気が立っている。余計な真似で騒がせないでくれ」
「誠に申し訳もない」
ハイエルフのプライドを追いやり、丁寧に頭を下げた騎士団長。ララが軍団を任せるだけはある。機転の利く奴だ。
「幕僚長はどちらです? 彼が許されたのですか」
もう一人の兵士がスレインを回り込む。まずい、死体を見られちゃ全部台無しになる。
そう思ったが、ギニョルはさすがだった。
御厨の死体が立ち上がっている。頭部と胸部の出血は拭き取られ、傷もふさがっていた。目に光こそないが、その体を紫色の魔力が取り巻いていた。
操身魔法で死体を操っているのだ。射殺されて完全な死体になったからこそ、御厨の体を容易に変形させられた。
テントの裾に隠れているが、傷をふさいだのはフリスベル。死体を立ち上がらせたのはギニョルらしい。
周囲は暗く、スレインは不気味だ。中央即応集団の兵士というのは気になるが、どうにかなればいいのだが。
普段から、比較的距離が近いのか、兵士は遠慮なく御厨の死体に向けて語りかける。
「お言葉ですが、御厨幕僚長。発砲に際して、十分な注意を行うよう訓示されたのはそちらです。これでは我々も部下に示し着きません」
御厨の死体がゆっくりと首をうなだれる。遠目にはうなずいたように見えるだろう。
御厨についていた兵士が、その前を遮った。
「申し訳もない。単なる偶発的な出来事だから、心配は何もない。過敏になっているだろうが、各小隊にも、くれぐれもよろしく頼む」
いいタイミングだった。いぶかし気な顔色ながらも、二人の兵士は御厨の姿を見て納得しかかっている。
だが、もう一人、さっきから黙っていた一人の兵士が、じっと御厨の方を見つめていた。
「……なにか、紫色の、もやのようなものが」
まずい。魔力が見える奴が居たのか。
普通日ノ本の人間は魔力という概念を知らず、魔法には一切気が付かない。
ただこのバンギアで魔力にさらされると、稀にだが素質に目覚める奴が出てくる。
よりにもよってやって来た隊長たちの中にそんな奴が居たらしい。
ばれちまう。そう思ったとき、銀色の魔力が兵士の頭を取り巻く。一瞬表情が虚ろになり、再びさっきと同じ表情に戻る。
うまいこと聞き逃してくれたのか、ほかの兵士がそちらを見かえす。
「橘、どうかしたのか?」
「……なんでもない。暗いせいだった」
クレールの右目からの魔力が、橘と呼ばれた兵士の目とつながっている。吸血鬼にはしてやられたが、こっちにも吸血鬼は居る。どうあっても、隠し通してやる。
「そうか。問題はないようですね」
その通りだ。とっとと帰って部下を静かにさせてくれ。
俺はそう叫びたかったが、中央即応集団は律儀な奴らだった。
「では、その拳銃をあずかります。それから記録をまとめますので、発砲について調査を行いましょう」
当然のように、スレインを超えて歩み出す兵士。
そうだった。訓練で使った薬莢ひとつでさえ、数が合わなきゃ全員で探して報告するのが日ノ本自衛軍なのだ。
俺は御厨を振りむいた。ふらつく足元、死んだ魚のような目、魔力なんぞ見えなくても、近くで見れば死体そのものだ。
本当にまずいぞ、ここまで来てばれる。
無理矢理つかまえて止めるか。スレインならできるが、怪しまれれば終わりだ。
俺にも、もう口から出まかせの種が思いつかない。
今ばれれば大問題になる。最悪どころか、ほぼ確実に紛争の再燃になる。
いや、ポート・ノゾミという独立国ができた今、それじゃ済まない。
今度は完全な戦争だ。惨禍はこの間の比ではない。
万事休すか、と思ったまさにその瞬間だった。
爆音と共に、はるか南で火柱が上がった。
かがり火やたき火が小さく思える、これ見よがしの巨大な爆発だった。
9ミリ弾の銃声二発なんて、しょぼいもんじゃない。まるで、クリフトップで見た、アパッチのヘルファイアミサイルの様だった。
「中隊長! 陣地近くで詳細不明の爆発です!」
小隊員らしい兵士達が駆けて来た。隊長たちがテントに背を向ける。
「すぐに向かうぞ! 休息を解除し、警戒と防衛準備!」
さすがに反応が早い。御厨の側に居た兵士が、駆け去ろうとする中隊長たちを呼び止めた。
「発砲事件の調査報告はこちらで!」
「お願いいたします。そうだ、ここの守りに何小隊か」
「案ずるな、我ら断罪者が請け負う。この赤鱗で、重機関銃だろうと盾になって見せよう」
すかさず言ったスレイン。中隊長はうなずき、クレールも操っていた一人を皆に合わせて走らせる。
「お願いいたします!」
中隊長たちが去っていった。しばらくは、発砲騒ぎどころじゃないだろう。
しかし、なんで都合よくあんな爆発が起こったんだ。本当に攻撃なら、俺達も対応しなければならないのか。
御厨が狙われたのとは、べつの奴らなのか。
どうしようかと思っていたら、闇の中に、ガドゥとユエが姿を現した。
「いやー、やばかったなあ」
「爆弾の設置なんて、久しぶりだけど、なんとかなるもんだね」
今のは、あの二人だったのか。
俺達が兵士と問答をしているあいだに抜け出して、陣地の近くに爆弾を設置させ、起爆させた。
「高い魔道具だったんだけどなあ。戦争の瀬戸際には変えられねえよな」
ガドゥは事態を理解していたらしい。それはこの場に居る全員だ。断罪者も、目の前で統合幕僚長を射殺された側近たちも、ララのよこした騎士団のエルフでさえだ。
ギニョルが操身魔法を解除すると、御厨は再び死体となって横たわった。部下の二人がその体をテントの中へと運びこむ。
次いで、ギニョルはローブの裾から瓶を出した。入っていた五匹の蛾が、暗闇の中に散っていく。
「使い魔を放った。誰か来れば知らせてくれる。兵士達は爆発に気を取られておる。しばらく時が稼げよう」
その間に、対策を練る。
さもなくば――。
断罪者も、自衛軍の兵士も、騎士団長のハイエルフも。
全員が全員、戦争の惨禍を知っている俺達は、顔を見合わせてうなずいた。
バンギアとアグロス、両世界のふさがりかけた傷口が再び開くかどうか。
出血の大惨事が、ばんそうこう一枚で抑えられている。
全ては、これからの俺達の働きにかかっていた。
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