14乱戦

 汚辱刑とは、高潔な吸血鬼の間で、何よりも忌避される刑罰だ。

 紅の戦いで不正があったとき、戦いを見届ける裁定者が発動する。


 その内容は、死なぬように回復の操身魔法をかけながら、両手足を寸刻みに切り落とした後、全身百八か所にかぎつきの針を突き刺し、沼に沈めてウジ虫に食い殺させるというもの。


 泥と虫に満ちた沼は、吸血鬼の間で、汚らわしいものの代名詞として扱われる。沼に沈み、汚い虫に食われる死に方は、吸血鬼最大の不名誉だ。


 刑を食らうのは、不正があった者の家の当主である。その他の親類縁者は、苦痛に満ちた刑罰の記憶を、蝕心魔法により刻み付けられる。


 さらに、汚辱刑を受けた吸血鬼の家は、家名をはく奪され、半永久的に”スワンプ”という苗字が強制される。余談だが、キズアトの奴の本名は”ミーナス・スワンプ”であり、紛争前は沼に暮らしていた。遠い先祖が汚辱刑を受けたのだという。


 ルトランドとその友人であった吸血鬼、それにヘイトリッド家の下僕は、クレールの父であり、ヘイトリッド家当主のライアルを射殺した自衛軍の坂下忠治を捕らえ、吸血鬼の掟を無視して、汚辱刑を施した。


 さらに、あらゆる手を使ってその親類縁者を探り出し、三呂市に住む彼の一人娘”坂下燈子”の存在まで突き止めた。

 後は、本来なら嫌っていたはずの、島に染まったGSUMの仲介業者に頼み、直接三呂に赴くと、惨殺した父親の苦痛の記憶を、蝕心魔法でその頭に刻み込んだのだ。


 魔法の存在すら知らないアグロス人に、蝕心魔法は強烈な効果を上げる。燈子は眠ろうとするたび、父親が惨殺された記憶と苦痛を何度も反復しているという。


「……ひと月ともたず狂い死ぬはずだと、ルトランドは言っていた」


「ところが、そうはならなかった。生き延びて父親の復讐を果たすため、狙撃の技術を身に着けて、報国ノ防人とつるんで、とうとう実行に出たってわけだな」


 俺の問いに、クレールが無言でうなずく。


 時刻は深夜。東側の水平線が、うっすらと明るくなっている。俺達はポート・ノゾミと大陸の間を飛ぶドラゴン・ピープルの背に座っていた。


 クレールには言っていなかったが、ルトランドは、これ以上の被害を防ぎたければ、彼本人が汚辱刑を受けるようにという脅迫を受けていた。ポート・キャンプの船着き場で、用意した船に乗るように言われていたのだ。


 俺とクレールは一部始終をギニョルに報告した。ギニョルはルトランドを囮に使うことを提案した。誘いに乗らせて、連中の隠れ家を突きとめ、断罪するのが狙いだ。


 クレールは反発したが、ルトランド本人が希望したこともあり、結局ギニョルの計画通りとなった。当初の予定通り、こちらに割ける断罪者は、俺とクレールのみだ。


 島を離れたモーターボートは、夜の海を切り裂いて走り続けている。


 クレールが双眼鏡を覗きこんだ。新月の海と空は暗く、おまけに、海面にはところどころ霧が出ている。俺などぼんやりした島の影くらいしか分からない。用心のため、ボートからの距離は一キロ以上。暗視のできるクレールの目だけが頼りだ。


「次はしくじれないぜ」


「分かってるよ。あいつら……もう大陸が近いぞ。どこまで連れていくつもりだ」


 クレールのつぶやきの通り、俺の目でも真っ暗な水平線に黒い影があるのが分かった。小さな明かりも見えるが、あれは大陸側のゲーツタウンだろうか。


 岸の周囲には、まだいくつか小島がある。ここまでポート・ノゾミから離れていると、さすがに俺達も調べきれていない。仮に報告ノ防人がこの辺りに潜んでいるというなら、ここ七日間で発見できなかったのも納得できる。


 だが、ポート・ノゾミから遠いということは、その分ばれずに島まで来るのが難しいということでもある。不便はなかったのだろうか。


 本当にこの辺りが連中のアジトなのか。疑問を感じ始めたところで、大きな影のようなものが、ゲーツタウンの明かりを離れた。


「クレール、あのでかいのは」


「くじら船だな。何の用でどこへ行くのか、テーブルズにも知らされない……なんだ、あれは」


「どうした?」


 まだ距離は一キロ近くあるだろうか。俺には答えず、クレールは双眼鏡に戻った。


「……そうか、あそこか。騎士、あそこだったんだ。モーターボートが近寄っていく。連中はあそこに潜んでいるんだ」


 そう言われても、俺の視力ではモーターボートなぞ見えない。ただ、クレールが嘘を言うはずもないので恐らく正解だろう。


 そういうことだったのか。ギーマが死んだ事件では、マヤ達によって、武器密輸についてうやむやにされちまったが、くじら船なら武器も人員も運び放題だ。ドラゴンピープルまでが協力して作ったとはいえ、ものはもの。誰がどう使うかまで分からない。報国ノ防人の連中に使われる事だってありうる。


「どうする、クレール」


「レーダーの類までは積んでいないと思うが、魔力を探知できる奴が乗ってると厄介だな。それに相手がどれだけ居るかも分からない」


 あの船はでかい。ブロズウェル達ダークエルフも、二十人以上は乗っていた。自衛軍の兵士ばりの戦力がそろっていれば、俺達二人じゃ少々不足だ。


 とはいえ、あの爺さん、ルトランドは頃合いを見て反撃することになっている。むざむざ見殺しにはできない。


「俺が突っ込んで、お前はどっかその辺の島から援護をかけりゃいい。どこまでやれるか、分からないけどな。もし、あいつらがノイキンドゥの爆破も狙ってるようなら、ギニョル達に応援を頼もう」


「それしかないか。聞いての通りだ、ギニョル」


 クレールの声に、俺の肩にとまったトンボの目が光った。


『分かった。考えにくいとは思うが、その船も陽動という可能性がある。心して』


 使い魔が爆音を発した。けたたましい銃声が、めちゃくちゃに混ざり合って響いている。


「どうしたギニョル!」


 声をかけると、使い魔がこちらを見つめる。


『……くそっ! スレイン、ユエ、行け。こちらに装甲車が三台来た。てき弾銃つきのやつじゃ、まさか正面突破とは。悪いがしばらく答えられぬ、援軍も難しい』


 そう言ったきり、使い魔の目の光が収まる。ギニョルの方に、使い魔に意識を向ける余裕もないのだ。


 ノイキンドゥが装甲車に襲撃されているのか。この船こそが、奴らの本命じゃないのか。まさか、坂下燈子と、報国ノ防人は別々に動いているっていうのか。


「どうするクレール、どっちか応援に戻るか」


「ルトランドは見捨てられない。やはり僕たちはこのまま断罪にかかるべきだ。あちらが本命なら、こちらには狙撃手と観測手くらいしか戦力がいない可能性もある」


「それなら、二人で十分だな。船まで降りてくれ」


「了解した」


 俺とクレールを乗せたドラゴンピープルが、翼の羽ばたきを変える。じょじょに高度が下がり始めたときだった。


 銃声がした。次の瞬間、俺の足元ががくりと揺らいだ。

 下から空気がぶつかってくる。急速に落下している。


「右の翼だ、すまん、断罪者よ……!」


 ドラゴンピープルの言う通り、右の翼が付け根から吹き飛んでいる。鱗のある背中と比べれば多少は柔らかいが、それでも吹っ飛ばすなんて相当の威力の銃、そして考えられないほどの腕前だ。


「騎士、とべ! こっちだ!」


 急降下するクレールともう一匹。このまま乗ってても、俺は足でまといになるばかり。覚悟を決めると、背中を蹴って空中に身を投げ出す。


 クレールの手が、俺の手をしっかりとつかんだ。

 ドラゴンピープルが急上昇をかける。俺とクレールはお互いを支えながら、鞍にしがみ付く。


 下で水しぶきが上がった。かなり水面に近いところだ。


「大丈夫だ、あいつは無事に泳いでいる。近くの島まで行けるだろう」


「それよりなんなんだ、どっからやられた」


「七時方向、距離は1100メートル。多分、対物ライフルの一種だ」


 七時というと、ほぼ真後ろか。島はいくつも通過してきた。距離1キロはすさまじいが、対物ライフルなら、M2重機関銃と同じ、口径12.7ミリのどでかい弾が撃てる。付け根を狙えば鱗のない翼を千切ることも可能だろう。


 無論、俺やクレールが当たれば、どうなるかは論を待たない。


 また銃声がした。今度はくじら船の方、ルトランドが暴れているのか。


「仕方ねえな。クレール、お前は狙撃手をやれ。やったら、俺を援護しろ」


「お前はどうするんだ」


 驚いた顔をするクレールを無視して、コートを脱ぐと、ショットガンを包んだ。これで、ある程度水は防げる。


「まだ下の奴が泳げるんだろう! 俺は爺さんの所にいくぞ。任せたからな!」


 そう言い放つと、再び飛び降りる。


 クレールの銃はM1ガーランド。対物ライフルには射程距離で及ばない。だがなんとかするはずだ。できると信じる。いずれにせよ、俺が乗っていても何もできない。


 水しぶきが俺を迎えた。結構冷たい。


「騎士! ルトランドを頼むぞ!」


 頭上からの声に、分かったと言いたかったが、海水をかきまわすのに必死でそれどころじゃなかった。俺は海上を泳ぐドラゴンピープルの影へと急いだ。


 


 


 

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