13呪われた真実
深く踏み込み、放たれた突きを、ルトランドは素早くかわした。娘夫婦を殺されて寝付いていた爺さんの動きじゃない。
「言うようになったな、小僧!」
力を込めて弾き返す。二人の間合いが数メートルまで離れる。
クレールとルトランド、互いの剣の穂先が、中心できりきりとこすれ合う。まるで殺意を切っ先にしてぶつけ合っているようだ。
数秒になるかならないか、動いたのはクレール。
「主人に対して無礼だぞ!」
深い踏み込みはないが、上段左、同右、さらに下段へと回り込む切り払う動き。
クレールの剣は、同族のカルシドや、あの恐ろしいフェイロンドと戦ったときより、さらに素早くなっている。
だがルトランドも負けていない。その全てに対応し、真逆の動きで剣先を振るって防いでいる。
クレールもその程度は読んでいた。素早いながらもほぼ同じリズムで何合も打ち合い、五合目で足元を深く踏み込む。
きりり、とという音が響く。ぐっと距離を詰め、獰猛に腹を狙った一撃は、ルトランドに辿り着く寸前で刃に止められている。
クレールが力を込め、一気に押し込もうとする。ルトランドも踏ん張り、間合いは密着。互いの護拳が触れ合うほどに接近すると、犬歯を剥きだし、紅い瞳の間に、火花が散るほどにらみ合う。
体格が小さいせいで、クレールは見上げる形になるが、それを感じさせぬほどの気迫だ。剣ごと両断せんばかりに押し込んでいる。
歯を食いしばりながら、ルトランドが呟く。
「ほほう。これは随分と、力を付けられました、なあっ!」
剣ではなく腕力を使い、密着したクレールを突き飛ばした。あくまで剣で斬るつもりだったか、クレールは対応が遅れ、体勢を崩されてしまった。
ルトランドは見逃さない。レイピアを頭上で大きく一回転させ、無防備な肩口へ斬り込む。
びゅん、と空気を切り裂く剣閃。飛んだのは、軌道上にあるパラソルの軸と、黒と赤のマント。それだけだ。
剣の防御が間に合わぬとみたクレールは、そのまましゃがんでかわしていた。
体を開いたルトランドに向かい、立ち上がりざまに踏み込みながら斬り付ける。
「ぬぐっ!」
ルトランドもさるもの、素早く退いてレイピアの刃で守る。さらに腕力でクレールの剣を振り払い、再び間合いを広げた。
「やりますなあ! もう、爺やが稽古にお付き合いする必要もありますまい!」
「寂しいことを言うな、僕など、まだまだっ!」
ぶつかり合う剣と剣。振り回すたび、二人の周囲のテーブルや椅子が、豆腐のように切り裂かれていく。ルトランドのたけだけしい剣の前には、破片となって勢いよく飛び、クレールの鋭い剣が通れば、少しおいてぽとりと落ちる。
まだクレールは突きを出していない。カルシドを破り、フェイロンドを驚嘆させたライフル弾のような、あの突きを。
ルトランドに対する手心か。違う、出せないのだ。相手が年齢に似つかわしくないスタミナで休みなく責め立てるせいで、一呼吸置くことができない。
スタミナ、体力。寿命の長い吸血鬼の成長は遅い。どれほど経験と修練を積んでも、クレールの体はまだ少年の域を出ない。逆に老年とはいえ、体格を維持しているルトランドはまだまだ動ける。
「せぇいっ!」
何度目かの踏み込みと共に、ルトランドの斬撃が迫る。途中椅子にぶち当たったが、関係なく叩き切って突き進んでくる。
クレールは剣で受けたが、あからさまに力負けした。もう握力がないのだ。
「ははっ、まだ坊ちゃんは、坊ちゃんですなああっ!」
ここぞとばかりに、間合いを詰め、ルトランドが大振りの攻撃で攻める。クレールはなんとか弾き返してはいるが、動作が遅れてきている。
「もらったああぁ!」
気合一閃、レイピアが大剣と見まごうほどの勢いで突き進む。クレールのか細い体を、剣ごと両断せんばかりの一撃。これは決まったかと思ったが、ただの子供なら、あのギニョルの眼に叶うはずがない。俺はもっと、こいつを信じるべきだった。
クレールは防御などしなかった。赤い月を背景に、軽やかに飛び上がり、ルトランドの剛剣を見事にかわした。握力がなくなったように見えたのは、ジャンプするタイミングを計っていたせいだ。
ルトランドの一撃がテーブルを切り飛ばす。下僕の一人が木片をかわすのと、着地したクレールが大きく踏み込むのはほぼ同時。
切っ先が闇夜を貫く。
振り向いたものの、防御は間に合わない。クレールのレイピアを肩口に受け、ルトランドは吹っ飛んで茶会のセットに突っ込んだ。
息を荒げながら、クレールがシャツの袖で額の汗をぬぐう。
「ふぅ、ふう……どう、だ。ルトランド。僕が当主で、お前は、家令だ」
そう言い切ったものの、ふらつき、杖にした剣を落としそうになるクレール。俺は崩れ落ちる直前で駆け寄り、肩口を支えた。
「根性あるな、お前。ガキのくせに」
「ない、とか……ふん」
これほど疲れ切ったクレールを見るのは初めてだ。それほどに、ルトランドとの戦いは厳しかったのだろう。
他方ルトランドは、下僕と議員に肩を支えられながら、テーブルから身体を起こした。血と脂汗を流しながらも、満足げな微笑みが浮かんでいる。
「坊ちゃん、よくぞ、よくぞ……分かりました、語りましょう。私達の罪を」
「ルトランド」
罪か。一体、何が出てくるというのだろう。
決闘から十数分。ルトランドには適切な手当てがなされ、クレールも服を着替えた。
家令であるルトランドは、屋敷に部屋を与えられている。天幕のついた豪奢なベッドには、寝間着に着替えたルトランドが体を横たえる。
部屋にはルトランドとクレール、そして俺と二人の下僕、議員の吸血鬼が二人。数十名もいるほかの下僕は、全員外に出されている。
「魔力を感じない。この部屋での話を聞ける者は、誰もいない。断罪者である僕と騎士、使い魔を通しているギニョル。それに、知っているお前達自身を除いては」
クレールの視線に、ルトランドも部屋に残った下僕や吸血鬼も、目を伏せた。吸血鬼たちは議員ができるほどの名家の出身。そして下僕たちもまた、ルトランドと同じほど長くヘイトリッド家に仕える者達だった。
ルトランドが長いため息をついた。さきほどの決闘のときとは大違いだ。放心したように目尻を下げ、顔のしわには、700年を超すという年齢が現れる。
「……どこから、話せばよろしゅうございましょう。そうですね。かの狙撃犯ですが、その正体はアグロス人の
いきなり核心が突かれた。そいつは、五年前、ルトランドたちがアグロスで会ったという少女じゃないか。
俺は身を乗り出しそうになったが、クレールが先に質問した。
「なぜ、そうだと分かるんだ?」
「予告状は私の元にも届きました。こちらには、名前が書いてあります。おい」
下僕がうなずき、和紙の束をクレールに渡した。
俺達が見たのと同じ文面だが、ただひとつ、差出人の所にはっきりと名前が書いてある。
『陸戦自衛軍B2連隊3等陸尉、
これ見よがしな書き方は、かく乱目的ともとれる。だが、真のターゲットであるルトランドに送っている以上、自分の素性を知らせる目的があるのは確実だ。
目の前で幸福の絶頂にある娘を撃ち殺すほどの怨恨とはなんだろう。坂下忠治という、父親も関係しているのだろうか。
俺は疑問に思ったが、クレールは何か思い当たったらしい。雪のような肌から、さらに青白く血の気が引いてく。
「クレール様。坂下忠治とは、ライアル様を殺した狙撃兵の名です。あの日、あなたには取り逃がしたと言いましたが、ここにいる私達で彼を捕縛したのです」
そうだったのか。クレールは、ライアルを撃った狙撃兵を探すために断罪者になったらしいが、そもそも最初の段階で、騙されていたことになる。
待てよ。これほどに、当主のライアルを、ヘイトリッド家を慕う奴らが、不当な手段でライアルを殺した奴を、目前にしたら――。
クレールがいきなり、ルトランドの胸倉をつかんだ。
俺は慌てて羽交い絞めにしようとしたが、凄い力でぜんぜん動かない。
「ルトランドッ! まさか、お前は汚辱刑を」
締め上げられながらも、かっと目を見開いた老人。血走った目で叫んだ。
「ええ。施しましたとも。無論、決まった様式に則って、かの者とその縁者を地獄ほどに苦しめてやりました! ここにいる我ら全て、そのことに一片の後悔もありません!」
汚辱刑がなんなのか分からない。名前からして、相当のものなのだろう。
俺は、長老会のハイエルフの老人、レグリムを思い出した。ルトランドとあの男は同じだ。変わってしまった世界に耐えられない、悲しみと怒りをたたえている。
クレールはルトランドをシーツに叩き付けた。目に涙を浮かべながら、強く叫ぶ。
「馬鹿者め! 汚辱刑を施していいのは、不正な手段で紅の戦いを侮辱した同族のみだ。他の種族との戦いに、我らの定めは用いてはならない。それこそが、バンギアに名だたる吸血鬼の矜持ではないか! 我らにしか守れぬ定めを守ってこそ、吸血鬼は尊いと、お前が僕に教えてくれたんだ!」
そのことを、覚えているのだろう。ルトランドもまた、自分を食いちぎらんばかりに、歯を食いしばる。絞り出すように、言葉をつないでいく。
「若造……題目で、すべてが解決するものか。お前の父を、あれほどに偉大な吸血鬼を、奴は冷たい弾丸で虫けらのように仕留めた。そして、我らに対して言った。命令だったと。ただそれを実行しただけだと。許せるものか、世界がどう変わろうと、どこの何者であろうと、絶対に許せるものか……」
クレールはそれ以上怒らなかった。ベッドのそばにひざまずくと、声を震わせるルトランドの肩を抱く。ただ黙って、唇を結んで、老いた体を強く抱く。
もはや聞いている俺達すら存在していないかのように。ルトランドがしゃべり続ける。
「だから、許さなかったのだ。奴の娘も、私と、私の娘を許さなかったのだ。報国ノ防人と連なってまで、こうして報復に来た。全ては、止められなかった。あなたを欺いた、あなたに教えたことに背いた、この私の、過ちでした……」
嗚咽が最後をかき消していく。クレールはただ、老人を抱き締めることしか、しなかった。
二つの世界が交じり合う痛み。
高潔な吸血鬼でさえも、そこから逃れることはできない。
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