12当主にして断罪者

 この間来たときと違って、森も屋敷も不気味に見える。会いに行く相手が、秘密を抱えている、ただそれだけことなのだが。わりと簡単に底が見えたレグリムと違って、あの爺さんは分かりにくい。何が飛び出すか不安になる。


 俺とクレールは船着き場で船を降り、下僕となったダークエルフの案内で再び屋敷の中を目指した。


 数分歩いて森の小路を抜けると、屋敷と前庭が見えてきた。


 時刻は真夜中ということもあり、黒い芝生では紅く丸い月と紫色の雲を背景に、茶会の準備が進んでいた。


 黒づくめの召使や、黒と赤のエプロンドレスをまとったメイドたちが、椅子やテーブルを出して、パラソルを広げ、菓子やパンや茶を屋敷から持ち出している。


 椅子に座って準備を待っているのは、三人の吸血鬼だった。すなわち、テーブルズ議員の男が二人、それに体調が大分回復したのか、ルトランドも椅子に座って談笑に参加していた。


 俺とクレールに気が付くと、ルトランドは笑顔を見せた。


「おお、クレール様。今お帰りになりましたか」


 立ち上がろうとするのを、そばにいた従者たちが制した。無理はできないらしい。


 しかし数日前に屋敷で会ったときと同じだ。久方ぶりに孫にあった祖父というか、吸血鬼にしては、柔和な雰囲気を感じる。本当にこんな奴が向こうに渡って悪さをしたというのか。


 クレールも、あくまで主人として、ルトランドに接するつもりらしい。


「ルトランド、もういいのか?」


 滅多なことでは崩さないはずの、銀色の眉が下がっている。

 こいつのこんな顔は初めて見た。演技か、それともクレールにとってこいつがよほど大事なのか。

 ルトランドは微笑みを浮かべ、伸ばした手でクレールの肩を叩く。 


「ご安心を。少しは落ち着きました。今、島で大変な事件が起こっておりますが、そんな中でも、こうして私ごときを訪ねて下さる方々がいらっしゃいます。いつまでも寝付いてはおられませんよ」


「そうか。やっぱり爺やは強いな。父様が居なくとも、僕がここまで来られたのはお前のお陰だ」


「はははは……御冗談を。それは、ご自身の資質に違いありません。断罪者となって二年ほどでしょうか。日ごと、まるで人間のように、見違える成長をなさっておられますよ。最近の坊ちゃまを見ていると、かつて私を拾いあげたときの、ライアル様を思い出すほどです」


 紅の戦いに連戦連勝し、ヘイトリッド家を吸血鬼最高の名家へと高めたクレールの父、ライアル。最後の死にざまはべつにして、クレールが最も誇りに思っている同族だ。比肩すると言われて、嬉しくないはずがない。


 あのクレールが頬をゆるめて、さらさらした銀色の髪を自分でなでる。


「まさか、僕ごときが父様になど。蝕心魔法は、まだあのキズアトに及ばないんだ」


 貴重過ぎる照れ隠しだ。いや、ギニョルやユエから、からかわれたときは除いて。

 ルトランドが首を振る。


「ご心配なく。奴は異常です。力はあっても、吸血鬼たる誇りも、家名も持たぬ下品な成り上りものですよ。同族と思わぬがよろしい」


「だが、断罪者として負けるわけにはいかない。この騎士を含めて、奴に泣かされた者は数知れない。必ず断罪しなければ……」


 そう言って、振り返ったクレールと俺の目が合う。

 俺の手は懐の銀の短剣をつかんでいた。船での約束が頭をめぐったか、クレールが態度を変える。


「ところで、ルトランド」


 名前で呼んだ。ライアルが死んでからか、死ぬ前からか。長く慕ってきた好々爺との関係を、クレールは心の中で断ったのだ。


「なんでしょう」


 雰囲気の変化を読み取ったか、ルトランドが目を細めて、テーブルの上で手を組んだ。瞳をわずかに細めるだけで、妙な圧迫感がある。年の甲ってやつか。

 クレールはそれを正面から受け止めている。たかだか108歳。吸血鬼では子供なのだろうが、立派なものだ。


「狙撃事件に関して、僕に隠していることがあるな?」


 ルトランドがほんの一瞬、虚を突かれたような表情をしたのを、俺は見逃さなかった。無論クレールもだろう。

 いかにも心外という口調で、声を荒げるルトランド。


「何をおっしゃいます! 私は全て申し上げました。我が娘と、義理の息子、それに議員をしているよき友までが殺されたのですよ! 嘘などついて、坊ちゃまたちの捜査をかく乱して、私になんの得があるのです!」


 それはその通りだ。同族のつながりを、家名を大事にするルトランドが、娘を撃った奴の断罪を妨害するなど考えられない。

 俺でも想定できた反論に対して、クレールは淡々と事実を述べる。


「しかし、お前は五年前、イリク・エル・ジャフロンと共にアグロスに渡ったことを僕に黙っていたな。しかも、アグロス人の坂下燈子という少女に接触した」


 ルトランドが目を見開いた。しかし、平静を取り繕い、ため息を吐き出す。


「どこからそのような妄言を仕入れられました。私がアグロスになど」


「ルトランド。お前が腕を認めてくれた僕自身の蝕心魔法で、GSUMの吸血鬼から記憶を読んだんだ。殺されたGSUMの二人は、確かにお前と、殺された議員のイリクを、アグロスに越境させていた」


 言い逃れのしようがなかった。クレールはもはや、ルトランドの想定する子供ではないのだ。凍り付いたように見つめ返す老いた家令。当主としての威厳を持って、力強く命令するクレール。


「ルトランド。ヘイトリッド家当主として、断罪者として、貴様の言葉は信用ならない。貴様は一体、僕に隠してアグロスで何をした。殺された者たちは、全員が貴様の行動と関わっている。予告状には報復が示唆されていたんだ。一体貴様は」


「もういい!」


 どん、とテーブルに拳を叩き付ける音がクレールを遮った。


 ルトランドが立ち上がる。娘と義理の息子を失い、希望を断たれて寝付いていたとは思えない。およそ、700歳を超え、寿命が迫っている老人であることを感じさせない迫力だ。墓に持っていくはずの秘密を、暴かれそうになり、最後の怒りを炸裂させたような。


 無言で近づいた一人の下僕から、差し出された剣を抜く。吸血鬼が好んで使う、レイピアの一種だ。


 息を呑むクレールめがけて、ルトランドは鋭い切っ先を突き付けた。


「坊ちゃま。いえ、当主。その先をお知りになりたければ、私を退けるだけの覚悟と強さをお見せください。家の無い私に紅の戦いを頼む権利はありませんが、吸血鬼として、我が名誉をかけて、ヘイトリッド家当主、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドに決闘を申し込ませていただきます」


 クレールが小さな唇をきゅっと噛み締めた。弱弱しくも見える白い手を握り込み、うつむいてしまう。紅い瞳がふせってしまうと、我がままを言う子供にも見える。


「……馬鹿な、ルトランド。僕は狙撃犯につながりさえすれば」


 腰の剣を抜くそぶりは見えない。今のクレールはかつてカルシドと渡り合い、正々堂々と打ち破って見せた断罪者じゃない。優しい爺やを慕う、世の中を知らない良家の子息に戻ってしまっている。


 ルトランドは、笑みを浮かべた。戦闘的な笑顔だ。相手を呑み込み、上回ったことを誇示するような。親が子供を論破したときのような。


「お甘いことです。事は我々吸血鬼の名誉にかかわるのですよ! 坊ちゃんが150年を生きるまでは、ライアル様と同じ大人なるまでは、このことをお知りになるのはお早い。さあどうするのです、それでも、この爺やを倒して、無理から聞き出すというのですか!」


 聞き分けのない子供を叱るような調子で詰め寄られ、クレールは言葉を失っている。ルトランドが何かを、恐らく犯人に繋がる重要な事実を隠していることは間違いない。そして、それはクレールの力なくしては利き出すことができない。


 クレールは完全に呑まれている。恐らく、ライアルを早くに亡くしたことで、ルトランドに精神的な依存があるせいだ。精一杯気を張っても、まだ子供だったということか。


 だが、たとえそうでもギニョルが認めた断罪者だ。そんな甘さは許されない。


 俺はクレールに近づくと、その肩を叩いた。

 振り向いた顔、その眼前に、胸元から抜いた銀の短剣を突き付ける。


「貴様ッ!」


 ルトランドをはじめ、吸血鬼の議員や、下僕達が一斉に殺気立つ。下僕たちの杖や剣、それに蝕心魔法の気配にも囲まれる。数秒で俺は殺されるだろう。


 クレールは刃の先端をまじまじと見つめる。こいつにとっては、死を象徴する銀。断罪者としての覚悟を思い出させる、厳しさの象徴。


 やがて、クレールの目に自信が戻った。船の上で俺に約束したときと同じ、重すぎる荷を決然と背負った強い瞳が、周囲の全員に向けられる。


「よせ、お前達。騎士は僕を救っただけだ」


 よく通る少年の声。そして、気迫と品位のこもった吸血鬼の名家の当主の声だ。


 ルトランドが後ずさる。吸血鬼や下僕たちが、獲物を下げて片膝をつく。俺も思わず膝を付きそうになった。


 800年を生きる吸血鬼が、何代にも渡って、連綿と継いできた名誉ある歴史。人間には気が遠くなる、数千年の家名を背負う当主の威厳。年齢的に子供だろうが、クレールは間違いなくその二つを供えているのだ。


 断罪者、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドは、軟弱な貴族の子息などではない。現ヘイトリッド家当主であり、苛烈にして勇敢なる、誇り高き吸血鬼。


 ゆったりとした動作で、クレールがレイピアを抜く。切っ先を突き付けられたルトランドが、逆に唇を噛んだ。


「心外にも、下僕半に助けられてしまったよ。ルトランド、当主として、貴様のたわけた決闘の申し出を受けてやる。全て話してもらうためにな」


 俺も含めた全員が、二人を取り巻き輪を作る。


 ルトランドの目に凶暴な衝動が宿っていく。相手を突き殺さんばかりの殺気。あのキズアトを思い出させる、痺れるような敵意。飢えた下層身分の欲望を、この老人もしっかりと持っている。


 だがクレールは負けない。鞘を捨てると、レイピアを構えて前傾姿勢をとり、美しい双眸に相手をしっかりと映した。


「貴様の覚悟と矜持、ヘイトリッド家当主として受けてやる。この僕の剣、その身に刻め!」


 赤と黒の外套を華麗に翻し、クレールがルトランドに向かって踏み出した。 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る